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藤原秀郷主要5氏と家紋の研究-藤原秀郷流青木氏の家紋群-2/10

史料2
藤原秀郷流青木氏116氏(121)の家紋類

綜紋 下がり藤紋 綜紋 下がり藤紋




(以下第3の青木氏の家紋、及び、皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏の家紋類含む)
(詳細説明は家紋掲示板か「青木氏と血縁族」(家紋)のレポート参照)
(各青木氏の家紋類は重複し合計121紋:不明紋含ず)
(・印 家紋200選 59/121 49%)

1 ・笹竜胆
2 ・下がり藤、・上り藤、・加藤藤、上り藤上一、対四つ藤
3 ・州浜、・丸に州浜、三つ盛り州浜、丸に三つ盛り州浜、三つ盛り陰州浜、五瓜に州浜、下り藤に州浜、
4 ・抱き角、・丸に抱き角、四つ又抱き角、隅切りに抱き角
5 ・違い鷹の羽、・丸に違い鷹の羽、並び鷹の羽
6 ・蔦、・丸に蔦、陰蔦、丸に陰蔦、鬼蔦、隅切り角に蔦、八角に蔦、二重瓜に蔦、五瓜に蔦
7 ・木瓜、・丸に木瓜、横木瓜、丸に横木瓜、糸輪に陰木瓜、五つ木瓜
8 ・片喰、・丸に片喰、・剣片喰、・丸に剣片喰、隅入り平角に片喰、子持ち亀甲剣片喰、五瓜に片喰
9 ・三つ柏、・丸に三つ柏、・牧野柏、・丸に蔓柏、・違い柏、二つ葉蔦柏
10 ・梅鉢、・丸に梅鉢、加賀梅鉢
11 ・五三の桐
12 ・揚羽蝶、・丸に揚羽蝶
13 ・九曜、・丸に九曜
14 ・三つ星、・丸に三つ星、亀甲に三つ星、扇に三つ星
三つ星一つ引き、・丸に一つ引き、・丸に二つ引き、・丸に三つ引き、八角に木瓜に二つ引き、五瓜に丸に三つ引き
15 ・桔梗、・丸に桔梗、
16 ・武田菱、割り菱、・三階菱、・丸に三階菱、抱き茗荷菱、丸に一つ目菱、・剣花菱、・丸に剣花菱、松皮菱、四方瓜に重ね菱、・丸に花菱
17 ・橘、・丸に橘
18 ・抱き茗荷、・丸に抱き茗荷
19 ・三階松、・丸に三階松、抱き若松、
20 ・菊水
21  釘抜き
22 ・丸に根笹、・九枚笹、3枚笹、二階根笹
23  立ち葵
24 ・丸に違い矢
25  丸に六つ矢車
26 ・丸に隅立て四つ目、隅切り角に四つ目、丸に三つ目
27  抱き柊、蔓柊
28 ・扇、・丸に扇、違い扇、丸に違い扇、・丸に日の丸扇、・並び扇、・丸に並び扇、隅切り角に扇
29 ・立ち沢瀉、・丸に立ち沢瀉、花沢瀉、・抱き沢瀉
30  牡丹
31 ・丸に三つ鱗
32  隅入り角に梶の葉、立ち梶の葉
33  三つ銀杏、二重亀甲に三つ銀杏
34  隅切り角
35  枡、丸に隅立て升
36  五瓜に違い鷹
37  丸に青の角の字
38  くつわ

以上38分類の121の家紋がある。
(家紋掲示板は33文様 5紋様は削除)

青木氏の家紋類と「家紋200選」に関する考察
(「家紋200選」は1/10の史料1参照)

青木氏の家紋類の全体の50%は「家紋200選」にある。
青木氏にに拘らず他の主要4氏もほぼ同じ程度である。

この事は青木氏が先ず大変隆盛を極めて子孫を大きく遺した氏である事が云える。
普通の氏では10%程度である事から観ると、格段の違いである。
これは「氏家制度」の血縁の慣習が原因していると見られる。
つまり、血縁の家柄身分の慣習の「吊りあい」を前提としていた過去の社会慣習が左右していたと観られる。
この慣習は昭和20年前の社会慣習では血縁と言う事では未だ多く遺された慣習であった。
この青木氏の家紋類の多くは藤原秀郷流青木氏(70%:200選で35%)の比率となるが、その内容は「家紋200選」の中でも全て大豪族が血縁相手である。
又、護衛と云う役目柄として大豪族と血縁する事でよりその任務が果たせるからに他ならないのである。この様に偏るのはあくまでも戦略的血縁(政略血縁)であり、決して恋愛的血縁ではない。
現在では、華々しく恋愛的血縁であるが、当時の氏家制度の中では「吊りあい」の家柄身分の範疇で行われる政略血縁である。

特に秀郷一門の「第2の宗家」と目される青木氏に関しては、一門(氏)が生き残るための条件を優先されるものがより他の4氏より強かったし、要求されたと観られる。
だから、この様な「数と質」の血縁族との内容と成っている。(これ等は本文で説明)
その「数と質」の血縁には特長があり、青木氏121の家紋から「第3の青木氏」の家紋6氏を除くと先ず全て本家との血縁をし続いて分家、分流、分派の血縁を行っている。
これは採りも直さず、固めに固めていると言う事が観える。これだけ固めれば崩れることはなく一族挙って離反する事はなくなるだろう。これは青木氏本家と血縁先本家がその一族をまとめる事が出来る戦略そのものである。

当時は、未だ群雄割拠の時代で、隙を見せれば潰される時代であり、青木氏の護衛の如何では藤原秀郷宗家の任務が果たせず、家の面子に関わる事でもある。
この時代では理想的な言い分は通らない。実績のみである。この意味からして護衛と云う役目は宗家=青木家である。だから、宗家から跡目を入れて、身内で確固たる体制を築き、下記にも出て来るが、護衛で足利の騒動を守り抜いた「藤姓の足利殿」と呼ばれる事になるのである。
(秀郷総宗本家は「平将門の乱」で武力を持たない貴族になった)

地理的に観ても、その青木氏血縁相手の家紋の氏が、藤原秀郷一門の赴任地にほぼ一致するし、5家の賜姓族の土地柄に一致する。この意味するところは、藤原秀郷一門が戦略的に勢力を高め確固たる基盤を築こうとする「大戦略」に他ならない。
つまり、藤原氏北家が最大勢力を築き、それを背景として政治を主導したのは、この事が大きく影響している。青木氏は秀郷宗家の赴任地に護衛役として同行し、そこで宗家と共に、上記の戦略を展開した主役である事を意味する。
この事は永嶋氏を始めとする主要5氏の7/10-10/10の本シリーズのレポートでも記述するが、藤原秀郷宗家と同格に扱われていて、他の4氏と較べて「第3子の家法」に基づき「青木氏の跡目」も殆ど宗家から入れているくらいである。

「第2の宗家」と当時は見なされていて、書籍では実力者「藤姓の足利殿」と呼ばれていた。
この時期は足利に着任した秀郷7代目の成行の孫の宗家有綱七郎(二郎:秀郷10代目)から跡目を青木氏に入れて、足利に有綱が着任、その跡目を受けた青木氏が護衛役に着いた。実質の実力者である。実質は「足利殿」とは「青木氏」である。この表現は青木氏も宗家と見なされていたことを意味する。「流」から観ても子供であるのでそう云うに呼ばれるであろう。

その後、宗家本流の有綱流より跡目が入り続け、更に有綱より8代目の行久(第2子)まで跡目は続いている。この青木行久が2代目千国から続いた直系青木氏を引き継いだのである。
更に、宗家本流の佐野氏流と同系となり その後、総宗本家以外の本流佐野氏からも跡目が入り青木氏が繋がり、これより青木氏は兼光流の佐野氏を含む秀郷宗家一門筋から第1子を除いて第2子から第7子までの形で跡目は続いているのである。
本論で記述するが、秀郷流とは異なる流の利仁流からも青木氏の跡目が入っている。

これは青木氏の直流の一つに入れたものであり、利仁流の流を組む直流青木氏が引き継がれて行くのである。
当然、直系青木氏からも直流青木氏へ跡目を入れているのであるが、この様にして青木氏は維持され且つ、主要9氏116氏の青木氏が拡大して行くのである。このことは本論で詳しく考察する。


「第3の青木氏」についても、完全にこの氏の掌握は困難であるが、この青木氏(下記:30氏程度)にある氏は藤原一門と賜姓族の青木氏のほぼ勢力圏内での発祥紋と成っている。
つまり、この史料外の史料とも合わせて観ると「第3の青木氏」は、赴任地24地方の域周囲に居た者が他の二つの青木氏に習って名乗った事をこの史料で裏付けられる。
その時期は、家紋の出てきた時期から観て、第1期の室町末期、第2期の江戸初期、第3期の明治初期の内、この青木氏の家紋類から観ると、藤原秀郷一門が鎌倉幕府樹立で失職離散した時より以後の主に御家人、旗本等の発祥期の第2期の江戸初期が主になるであろう。

皇族賜姓青木氏5家5流と24氏(史料3/10)にと、藤原秀郷流青木氏の主要9氏116氏との家紋が24家紋で重複する。そして、それは、藤原秀郷流青木氏116氏の中に全て25家紋(笹竜胆紋含む)は存在する。
秀郷宗家が引き継ぐ綜紋「下がり藤紋」が、秀郷の青木氏宗家にも「下がり藤紋」を確認出来る。
これは秀郷宗家と同じく青木氏宗家でも「第2の宗家」の維持を固くしている事を意味する。

賜姓族の青木氏(信濃青木氏)の笹竜胆紋も重複していることは、秀郷一門の青木氏に跡目を入れていてる事を示すものである。つまり、藤姓の足利の青木氏(下がり藤紋)と相互に跡目血縁し2つの青木氏で何れも男系不継承で秀郷青木氏の方で家紋が笹竜胆、賜姓青木氏の方で下がり藤紋と成った事を意味する。

その重複25家紋に付いては全て「家紋200選」にあり、その「家紋200選」の中でも主要氏の家紋類である。
この青木氏の家紋には、「第3の青木氏」の職能紋(職能の高い伝統を護るために匠と成った者に与えた氏)が2つ含む。主な職能外の「第3の青木氏」は4つ含み合わせて6家紋が含んでいる。

この「第3の青木氏(家紋6)」は、藤原秀郷流青木氏と皇族賜姓族青木氏の家紋116氏(家紋は重複)に対して、上記の「地理性」から観て同じ程度の家紋の数(下記:MIN30-MAX35)の氏があると見られる。
(秀郷一門20地方と皇族賜姓9地方:未勘と重複含ます゜:発祥していない地域もある)
発祥した「家紋と氏」では地理的には30(25-35)程度だが、第3期の明治期では村全体が突然に集団で名乗った事や、未勘の氏もいれて、第1期と2期では個別で名乗った氏が多かった。
この事から、個別の家紋化をして名乗りをした史実を考えると、(期間-氏-地方)の関係では、明治期を限界として(1125年-116氏:30地方=370年:?氏:30地方)の相対式の計算では?氏=38と成る。
相対式から観ても35(BIAS 3)氏(繁殖と死滅は同等とする)の「第3の青木氏」が存在すると考えられる。(地理的30:相対的35 結論30-35氏)
この結果、2つの結果を考慮すると、全ての青木氏は155-160の氏と家紋と成るであろう。

現在の全青木氏の人口を考察推定する。
全青木氏の数値を使うと、MIN95万-MAX100万(計算 155・5の5乗:家族5・5代=夜叉孫)と成る。これは概して日本の人口の1/120と成る。
家紋数8000として観ると、多い氏と成ろうし、ave50家紋<200で「家紋200選」から観ても主要家紋の氏と成る。

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藤原秀郷主要5氏と家紋の研究-家紋200選-1/10

史料1

「家紋200選」

「氏と家紋の経緯」
藤原秀郷主要5氏との家紋を中心として、血縁関係等を理解する上で、この「家紋200選」の事を検証し、考察する必要がある。このレポート全体は青木氏外の氏でも関係する内容となる。
そこで、先ずその意味からも次の内容から入る。

平安時代から明治初期までに約8000といわれる家紋類の中で隆盛を極めた氏の家紋である。
主に江戸中期までを主体としている家紋類である。
氏の家紋的扱いは、当初、「奈良時代」から始まる。
その目的は先ず「瑞祥文様」として使われ、式服や幔幕等の単純な装飾の「文様」して使われていた。
次ぎに、それが進み奈良時代末期では、律令の法体系化が起こり「八色の姓制」や「冠位制度」等が定められるに連れて、極めて限られた皇族賜姓青木氏などの一部の高位の身分や家柄の「ステイタス文様」として使用が許される様に成って行った。
この「ステイタス文様」は、天皇などから勲功や賜姓をうけた皇族が使うもので、誰でもが使用できる習慣ではなかった。

それが「平安初期」に入り、律令制度が整い、それを実行する皇親政治の天皇と云う権威から「賜物」を受ける事で、天皇家や皇族や公家や高官の「象徴紋」として使われるように成った。
依然として、皇族、公家、などの特定の身分の「40程度の氏」に対して特別の部分(源氏車等諸道具)などの「判別使用の目的」の為に許されていた。
依然、自由に使える慣習ではなかったし、一般の者もその必要性は生活習慣の中には無かったものである。

しかし、それが平安中期ごろ皇親政治で「氏家制度」と「律令体制」が完成するに従い、法順が整うにつれて次第に身分を表す「権威紋」と化して来た。
この頃、勲功に対して賜姓が多く発せられる等して、権勢のある者はそれを受けようとしたが、「八色の姓」制度や冠位制度等もありながら、遂には、皇族公家のみならず大豪族等も勝手に氏を名乗るようになり始めた。
その氏発祥に対して朝廷は危惧を感じて特定の使用を禁じる嵯峨期の禁令の詔を発する程になった。
「判別使用の目的」から徐々に勢力を現す「権威の標」として進み「家紋」の様相を呈するように成り「80程度の氏」が使用した。
しかし、「瑞祥文様」-「ステイタス文様」-「権威の標」とこの状況は進み、平安末期には武士の台頭勢力により、その軍団の武力による「力の象徴」として「氏の標紋」として使用されるように成った。
しかし、まだこの段階では「200程度」の限られた身分や軍団のものであり、源氏一門、藤原氏一門等の武力集団等の氏で家紋であったし、普通の家臣の上級武士はおろか庶民のものではなかった。

この経緯が、鎌倉期に入り、完全に武士の時代となり、地頭、御家人制度が始まり、武士は家紋の持つ統一された軍団に帰属して、個別の氏の家紋では未だ充分になかったが、「家紋化」が起こり始めた時期でもあった。
挙って、その軍団長の主な公家や上級武士などが使用するよう成り、急激に「800程度」と膨れ上がる事になった。
しかし、ここで必然的に膨張した氏の勢力争いの戦いが激しく起こり、軍団の破壊が起こり、個別化し夫々の小個別軍団化して軍団の印として家紋を持つ様に成った。

まとめると、この間の経緯は次ぎの様に変化した。
この間、大化改新の国体上の歴史期間は、約550年程度である。
「瑞祥文様」(1:天皇家)-「ステイタス文様」(10:皇族)-「象徴紋」(40:公家:身分)-「権威の標」(80:皇族と賜姓族:政治)-「力の象徴:標紋」(200:侍:武力)-「家紋化」(800:武士:氏家)-*

室町初期から始まった下級武士団の「下克上]で傀儡勢力の「打ちこわし」や、「戦国時代」での「氏の生き残り」の殺戮戦が繰り返される状況となった。
益々細分化の軍団化が起こり家紋は増加する様に見えたが、細分化は当然死滅する憂き目もあり、むしろ、この傾向が逆に起こった為に家紋の持ち主が変化して、家紋は細分化はしたが減少したのである。
つまり、新しい家紋を持つ軍団(氏の集合体)の再編成化が起こったのである。
逆に、「象徴と権威と武力」を示す家紋を持つ旧大軍団は分裂し衰退した。
「氏と家紋(標紋)」のこれ等の反動と変化は、長期間の戦いに突入し、再び、氏は激減し「400程度以下」に戻ったのである。この時は、まだ上級武士階級の「権威紋」であった。

室町末期では氏や家紋の持たない庶民の「立身出世」が起こり、武士から転進した商人や技能者等の庶民に於いても室町文化の影響を受けて、この時期には多くの転進武士の大豪商が増えた。
それらが商標として、又一部では「家紋的な標」として持つ様に成った。
それら2つの動きがまた何の制限もなく自ら氏を起し、その「判別と権威」を誇示する行為と出て、「家紋」はもとより軍事「旗印」としての「判別標」的なものとして用いられる様にも成った。
「判別と力と権威」(旗印、判別標:「家紋」)の幾つかの家紋と氏を持つ小軍団が組織化されて、再び大きい軍団の下に集約されて行った。

次第に戦いは安土桃山に入り終結期へと進み、氏は再び爆発的に増えて、何時しか「旗印」から色々な意味合いを持ち、未だ限定的であるが、本格的「家紋」的扱いの方えと重点へと移って行った。
これで激減した「家紋や氏」は再び「800から1000程度」にも成った。
この頃より家紋類が「族を表す手段」として意味を持ち、「下克上」「戦国時代」などで衰退した「象徴と権威」の「過去の氏」を引き出して、「家柄身分」の意味合いも持たして、名乗りだし誇示する様に成った。

そして、安定期に入った江戸時代初期には、各大名の家臣等や下級武士を含む旗本等が挙って自前の家紋を持つ様に成り、本格的な家紋として「2000程度」と爆発的に急激に膨れ上がった。
家紋は再び、新しい時代の「家柄、身分、族の証」として、又、出世の具としても必要性を増した。
この時点では、江戸初期前から中期以降は、下級武士の家紋のみならず、武士が商人に成ったり、郷氏、郷士、豪農に転進する事が頻繁に起こった事から、国民のかなりの階級まで「家紋」は広がりを示した。
むしろ、家紋を持たない者は立身出世のみならず、異端児扱いの風潮も起こっていたのである。
意味は大してないが、もつ事に意味があるという風潮が広まり、この傾向は更に明治維新に持ち越されて、明治3年と8年の「苗字令」、「督促令」に基づき、全ての国民は苗字をもつ事を「義務」付けられた。
この時の風潮に伴ない組織化、統制と目的のない自由な氏と家紋も平行して増えた。
この時点では最終「7000から8000」とも言われる程と成った。
しかし、この時からその氏や家紋は全く意味を持たなく成り始めたのである。
以上が家紋から考察した「氏の経緯」である。

「家紋・氏の経緯」

まとめると、この間(1240年)の経緯は次ぎの様に成る。
(家紋・氏数:種:目的:期)

1・「瑞祥文様」 (1:天皇家:単純文様:奈良期)
2-「ステイタス文様」 (10:皇族:真人朝臣姓:奈良期末期)
3-「象徴紋」 (40:公家:身分冠位:平安初期)
4-「権威の標」 (80:皇族と賜姓族:政治:平安中期)
5-「力の象徴(標紋)」 (200:侍:武力:平安末期)
6-「家紋化」 (800:武士:氏家:鎌倉期)
7-「判別と力と権威」 (400:武士と商人:旗印・商標:室町期)
8-「限定家紋」 (1000:中級武士と商人:家標:桃山期)
9-「本格家紋」 (2000:下級武士と豪農:身分出世の具:江戸期)
10-「紋」 (8000:国民:無意味:明治期)
11-「*} (2000:*:*:平成期)

現在は、氏は維持しているが、近代化と人口の低下や核家族化が急激に進み、個別の氏や家紋の必要性は失われて、意味を持たなく成り、意識の中に忘れ去られて「2000程度以下」に戻っているのではないかと考えられる。
しかし、これでも明治初期の人口(4000万程度)からすると、0.02%程度になる。
つまり、一つの氏では平均5000人の集団となる。家紋も同等と考えると、大した集団ではないと考えられるが、江戸初期では、更に数字外の事であっただろう。
それだけに明治初期頃に作られたこの「家紋200選」の持つ意味は格別である。

この家紋200選の選別条件は次ぎ様な事に成る。
選別条件を調べると、家柄などに拘らず、先ず、根底に、”隆盛し子孫を大きく残した氏の家紋”の条件が観える。
次ぎに、象徴的な歴史を残した氏の象徴紋、時の政治を主導した権威紋の条件が出て来る。
象徴や権威に関わらず、時代に一生風靡し名を遺した職能紋も条件として出て来る。
分家の家紋が選択されているのに、本家紋がない、この家紋があるのならこの家紋もある筈だ、この家紋が何故選択されている等の疑問が湧くが、調べてみると、良く「歴史」と「子孫」を遺した事が検証されて納得できる事が観察される。
江戸期と明治初期前は封建社会の最低の仕組みは遺されている時の調べであるから、現在から観ると「疑問」と観えるが理解が出来る。
まあ、8000に対して200(2.5%)であるので、統計的には多少のバイアス(10)は認められる事で頷ける。
分家、家紋があり本家家紋がなければ足して理解してもその信頼度は変化しない事に成る。

歴史を研究する場合には色々な判断に使えるので、この「家紋200選」はその様に理解して利用されたい。

家紋200選(順不同:数字は分類)
1 笹竜胆、丸に笹竜胆、石川竜胆、竜胆車
2 下がり藤、丸に下がり藤、上がり藤、丸に上がり藤、加藤藤、軸付き藤輪
3 桔梗、丸に桔梗、中陰桔梗
4 抱き角、丸に抱き角
5 武田菱(四つ割り菱)
6 橘、丸に橘、丸に三つ足橘、井筒に橘、隅切り角に橘
7 丸に花菱、丸に剣花菱、中陰花菱、丸に三つ割り花菱、四つ花菱、七宝花菱
8 丸に三階菱(三階菱)
9 唐花、中輪に唐花
10 片喰、丸に片喰、剣片喰、丸に剣片喰、四つ片喰、丸に四方剣片喰
11 丸に一つ引き、丸に二つ引き、丸に三つ引き、丸に縦三つ引き
12 木瓜、丸に木瓜、陰木瓜、糸輪に陰木瓜、四方木瓜、丸に四方木瓜、立ち木瓜、剣木瓜、庵木瓜
13 丸に州浜、(州浜)
14 揚羽蝶、丸に揚羽蝶、浮線蝶、向かい蝶
15 立ち沢瀉、向こう花沢瀉、丸に立ち沢瀉、沢瀉に水、抱き沢瀉、中輪に抱き沢瀉、(沢瀉)
16 抱き茗荷、丸に抱き茗荷
17 三つ柏、丸に三つ柏、丸に変わり三つ柏、丸に牧野柏、蔓柏、丸に剣三つ柏、丸に一枚柏、丸に並び柏、違い柏、抱き柏、丸に抱き柏、中川柏、三つ追い重ね柏、丸に尻合わせ三つ柏、丸に尻合わせ鬼柏
18 五三の桐、丸に五三の桐
19 鶴の丸、舞鶴、丸に鶴の丸、噛合い向かい鶴、向かい鶴
20 丸に三つ葵、(立ち葵)、丸に変わり花立ち葵
21 蔦、(丸に蔦)、中陰蔦、石持ち地抜き大割蔦
22 木瓜(丸に木瓜)、織田瓜、唐五瓜唐花、五瓜に桔梗、五瓜に丸に三つ引き、五瓜に四つ目、五瓜に立ち沢瀉
23 丸に違い鷹の羽、丸に右重ね違い鷹の羽、中輪に陰違い鷹の羽、阿倍鷹の羽、隅切り違い鷹の羽、丸に並び鷹の羽、亀甲に違い鷹の羽、
24 八つ鷹の羽車
25 梅の花、梅鉢、丸に梅鉢、星梅鉢、陰陽裏梅、剣梅鉢、中陰八重向こう梅
26 丸に雁金、(雁金)、丸に結び雁金、丸に二つ雁金、増山雁金
27 松皮菱、丸に松皮菱、三つ松皮菱、五つ松皮菱
28 丸に三つ星、渡辺星、丸に渡辺星、七つ星、丸に七つ星、九曜、丸に九曜
29 左二つ巴、右二つ巴、左三つ巴、丸に左三つ巴、尾長巴、左金輪巴、右金輪巴
30 丸に違い丁子、左二つ丁子巴、右二つ丁子巴、右に三つ丁子巴、丸に右三つ丁子巴
31 平四つ目、新四つ目、丸に隅立て四つ目、丸に平4つ目、十六目
32 中輪に三つ銀杏、向かい銀杏
33 丸に5本骨扇、丸に日の丸扇、三つ反り扇、丸に並び扇、中輪に地紙、檜扇
34 丸に九枚笹(根笹)、丸に根笹、丸に陰若根笹、仙台笹
35 竹輪笹に向かい雀、丸に竹向かい雀
36 丸に三つ鱗
37 櫛松、丸に左三階松、丸に荒枝付き三階松
38 亀甲花菱、亀甲剣片喰、三つ盛り亀甲に花菱、持ち合い三つ盛亀甲に花角
39 丸に立ち梶の葉
40 月に星
41 八つ鶴車
42 撫子、丸に撫子
43 唐団扇
44 陰源氏車
45 角田
46 並び矢、丸2違い矢
47 桜、丸に桜、三つ割り桜
48 半菊一の手、菊水、菊菱
49 丸に抱き花杏葉、別所鼻杏葉
50 左廻り一つ稲の丸、包み抱き稲、抱き稲、丸に抱き稲
51 丸に角立て井筒、丸に井筒、組井筒
52 石車
53 角立て稲妻
54 丸に輪違い、三つ輪違い
55 蛇の目
56 丸算木
57 丸に並び枡
58 細輪に三つ頭合わせ蛤
59 糸輪に向かい鳩
60 丸に笠
以上「家紋200選」である。

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伊勢青木氏 家訓4

伊勢青木氏の家訓10訓

以下に夫々にその持つ「戒め」の意味するところを説明する。
家訓10訓
家訓1 夫は夫足れども、妻は妻にして足れ。(親子にして同じ)
家訓2 父は賢なりて、その子必ずしも賢ならず。母は賢なりて、その子賢なり。
家訓3 主は正しき行為を導きく為、「三相」を得て成せ。(人、時、場)
家訓4 自らの「深層」の心理を悟るべし。(性の定)
家訓5 自らは「人」を見て「実相」を知るべし。(人を見て法を説け)
家訓6 自らの「教養」を培かうべし。(教の育 教の養)
家訓7 自らの「執着」を捨てるべし。(色即是空 空即是色)
家訓8 全てに於いて「創造」を忘れべからず。(技の術 技の能)
家訓9 自らの「煩悩」に勝るべし。(4つの煩)
家訓10 人生は子孫を遺す事に一義あり、「喜怒哀楽」に有らず。

今回の家訓
家訓4 自らの「深層」の心理を悟るべし。[性(さが)の定]

(性[さが]とは、”男女の神から与えられた逃れ得ない異なる思考の差異の様の宿命”と定義する)

[序]
最近、社会では男女間の思考の違いが発展して争いが起こり、「不幸な出来事に」繋がっている事が多いと考えられる。多くはこの思考差の違いの無理解が起因していると見られるが、この家訓4はこの解決の一助となればと敢えて多面的に検証して長文とした。
この家訓4の内容の事は、現代に於いては科学的に証明されているが、明治以前に於いては未だ解明されていなかった事である。(家訓2で概略を記述した)悩める若者に対して先人の教えとして漠然と言伝えられていた程度の訓であっただろう。
しかし、この青木氏の家訓4は「先人の教え」程度のものをもう少し掘り下げて仏教的意味合いも含めて「人生訓」として遺されて来たものと観られる。
そこで、この「家訓4」が摂理であるのかどうか若い頃に研究に取り掛かった。
動物進化論、脳医学、精神医学等の雑学の関連書を長い時間を掛けて読み漁った結果と、自分の体験則と合わせて未来の子孫に判りやすく家訓論に添え書きとしてまとめて観た。そうすると家訓4の理屈の内容がほぼ一致して納得出来たのである。
その結果の概容を取りまとめたのが、次に記述する検証結果となる。
先ずは雑学論で有る事をご理解頂き、それを、早速、次に論じる事とする。

「性」の検証
人は、進化して知恵を持った事により問題が起こると、人の脳は、「計画し、目標決め(取りまとめ処理)し、実行する」という「3つの働き」を瞬時に、「無意識」の中で行う仕組みと進化した。この脳の働きにて、より「性」(さが:以下”さが”とする)の進化は進んだ。
その進化の結果は上記の「性(さが)の思考」へと成った。
この男女個別の「性」の進化が起こり、「体の仕組み」、「心の仕組み」とその二つに付随する「仕種の仕組み」に決定的な変化が起こり、個別の働きをする様に進化したのである。そして、その結果、脳の一部にこの個別の「性の働き」を管理する「脳」が発達し出来た。それが「脳幹」の後ろ左にある餃子のような形をした「脳陵帯」であり、「管理脳」として独立したのである。
この「脳陵帯」が存在する限りに於いて、男女の上記する「3つの性」(体の仕組み、心の仕組み、仕種の仕組み)は管理される。その事で、「性」は絶対に逆転する事は無く成ったのであり、恒常的に多数子孫を遺す事が出来たのである。(他に、男性のみに左脳の一部が「中紀帯」と言うものに進化し独立脳が出来た)
この「体と心と仕種」を支配する脳に依って、男女の「深層思考の原理」では、夫々の「生きる目的」は同じでは無くなり、別目的を果たす「性」として決定付けられたのである。
そして、その思考(脳)の基本的経緯は次の様に変わったのである。

[基本経緯]
生物は神から「二つの性」に対して「子孫を遺す事」を主目的としてこの世に「生」を受けている。その子孫を遺す「目的要素」を二つに分離してその役目(男と女の性)を夫々に担わせたのである。そして「体、心と仕種」(3つの性)を管理する「脳の働き」(無意識の思考)にもその目的に合わせて変化を与えたのである。それが「深層思考の原理」である。
基本経緯の一つとして、この原理を理解するには先ず「進化の過程」を紐解くと事が必要であるとする。

「性」の「進化の過程」
ではその「進化の過程」を概略に辿って観る。
進化の過程として、この世にミネラルを持つ海に生物が生まれ、特に、動物の単細胞として生まれた「ミトコンドリア」は、動物性プランクトンの様に、他の動物の格好の餌食と成り、子孫を多く遺せない定めを負っていた。現代も昆虫類に見られる仕組みの様に、それは一つの体の中である環境において突然に「性の転換」を起し繁殖して子孫を遺す仕組みであったからで、生きることでの利点はあるが、他の生物の餌食に成る事は両性を無くす事に成り子孫を遺す事に不利であった。
そこで、「ミトコンドリア」はその「生存競争」に対してより確実に子孫を遺す為に進化を起し、次にはミミズに観られる様に、繁殖期に於いて一体の半分を「他の性」として「性の合体」をして一体と成り強くした。しかし、結局、これも競争に負けると「2つの性」を同時に無くす事となり、返って単細胞以上には子孫を遺す事が出来なかった。
そこで、「性の転換」「性の合体」の進化過程の極めて長い期間を経て、再び、どの生物にもある「生存本能」により、今度は夫々の子孫を遺す「目的」に合わせて分離して、それを「2つの性」にして「性の分離」方式とし「2体化」させた形で再び分離したのである。その事で、片方の「性」のバランスが生存競争に負けて大きく崩れても、全滅を防げれば、この中からも片方の「性」の一部が遺せる限りに於いて、交配にて他方との性のバランスを保つ事が出来る様に成り、絶滅を避けて生き遺す事が出来た。この仕組みが爆発的に子孫を拡大する事が出来る事と成り、終局、多くの動物、生物に観られる様に、これが最も「生存に適した進化」へと繋がりより「2つの性」はより発達した。
「2体化」とする「2つの性」である「性の分離」方式のその証拠には、動物の身体下部の「生殖機能」の「形状」では、その部位は全く同じである。その形状の機能もほぼ同じである。
男性(凸)が持っているものは女性(凹)にも持っていて、それが、凸に突き出るか凹に下がるかの差だけなのである。人の種は、女性(凹)の生殖機能部位より入口より9C程度の内部のところには親指1.0C弱程度の凸器官(医学名も同じ)を保持し、その周りに保護皮膚が覆っている形である。この凸器官が突き出れば同じと成る。同様に内外部の違いで卵巣精巣も同じである。異なる所は子宮の袋の存在だけである。
これが「性の合体」方式から「性の分離2体化」方式への進化の証拠(なごり)である。
又、これは「性の転換」方式でも、猿系には「なごり」の機能として存在する。その「なごり」は精子が卵子に進入後、細胞分裂が起こり、その40日後に突然、莫大なエネルギーを発しアルカリ性反応(海)を呈し男女の「性の決定」が起こる。
これは「ミトコンドリア」の2つの「性の進化の過程」即ち、「性の転換」と「性の分離」の「なごり」が遺されているものである。
その「性の転換」「性の合体」「性の分離」と過程を経て発達した「2つの性」はその知恵を以ってより安全な場所へと移動する事が出来、遂には、海と陸との間で生きられるように成り、これが「環境と適応機能」を発達させて順応して両生動物として進化と発達を遂げた事に成り、この域での天敵の減少も伴い大爆発的に繁殖が起こった。
進化した「ミトコンドリア」の原始動物は、この時、海に生存している時にはその必要性は無かったが、生存し続ける為には陸付近では海に居た最低条件(ミネラルの補充)を維持する事が必要に成ったのである。
ところが、この段階では未だ、「脳」と云う独立した機能帯は無く、「脳」で管理する部位の進化は大きくは起こっていなかった。この時点では現代呼称の「腸」が管理源として働いていたのである。つまり、現在に於いてでも、その「なごり」が厳然として遺されている。
人間に於いては「脳」は「腸」を管理していないのある。今だ「腸」は独自の「脳」に匹敵する管理力を保持している。つまり、余りにも大きい進化と発達の為に「腸」の一部が管理力を独立させ「新たに進化発達させたのであり、「体の機能の部位」を管理する「独立帯」を創造したのである。
これが「脳」なのである。但し、この「腸」より独立した「脳」で管理する「体の部位」には「海の条件」を保持させる3つの要素の必要性が起こった。
それは、先ず自らの独立した「脳」の機能を働かせる為にNaイオン(キャリパー)の補充を必要とした。次には、その「独立脳」で管理される「体の部位」への「栄養の搬送」とその「体の部位」を保持する「骨格」を維持する為にCaイオンを必要とした。
更には「独立脳」を働かせる為の栄養源(Naイオンとエネルギー)を含んだ搬送液(血液)が必要と成り、その為に「脳」はポンプ役としての「心臓筋」を働かせる為の刺激の電気信号を送り、刺激反応を受けるMgイオンを確保する「3つの進化」が必要と成った。
この「3つの進化」の「3要素」を陸で補充し確保する事で、大きく進化を起し長期に陸に上がる事が出来たのである。これらは所謂、海に居た「なごりの機能」である。この脳の発達に伴ない「3つの栄養源(NaCaMg)」を分解する酸素を供給する「肺機能」も発達進化したのである。この両生期の名残として肺機能を持った海洋動物は現在でも沢山存在する。
この様に、「腸」から「独立脳」へと進化し「ミネラル」の3要素の大進化が起こったのである。
更に、この結果で、「酸素吸入力」が増し「肺」「心臓」などの臓器がより拡大し進化したのである。そして、未だより安全であった陸にあがり、子孫を大きく伸ばした。
そして、「進化と良環境」による臓器拡大は、この時点で、陸では超小型「原始ネズミ」の様な小動物から進化分離して徐々に大型化し、その「拡大体力」と「陸環境」の適合に依って進化し得るエネルギーを確保出来て、超小型「原始ネズミ」からその2つに適した異なる分離が起こり多くの「種」が誕生したのである。
機能としては充分ではないが、「生存に適した肺臓等」と「2つに分離した生殖機能」を夫々の種は独特な発達と進化をさせた。より豊かな陸上には、今度はその「環境に合せた進化」が起こり多くの種の動物が生まれたのである。これ等の原始性機能を保持した超小型「原始ネズミ」から性機能を進化させ「原始猿」そして「猿系類人猿」へと進化したここが人間の単純な性機能の原点(基点)である。

「性の基点」
この時、「腸」から「独立脳」と進化した単純な管理をする「脳」は、更に、この家訓のテーマである「性の進化」へと発展して行った事に成る。「腸」を進化させ「独立脳」を保持して発達させ陸に上がった両生動物は、超小型「原始ネズミ」へと進化したのである。
その「原始ネズミ」の「なごり」として特有のものを保持している。それは、現代でも「三角耳」が原始猿等に観られる様に、人間にもその丸い耳の頂上部位の最上部に耳が尖っていた跡形が1箇所5ミリ程度のものとして小さく存在する。これがその名残の証拠なのである。
又、馬などはこの「原始ネズミ」が環境に適した形で大型化の「突然変異」が起こって生まれたもので、これが種として拡大したものである。所謂、「突然変異による進化」した「原始ネズミ」の直系子孫である。つまり、平易に云うと、「馬」と「人」は猿以前のルーツは親類であった事に成る。
これより、爆発的に増殖した種の動物は、陸に於いても夫々の生存競争が激しく成り、ここでも弱い小型猿類と成った種は、食の豊富な森から、食の欠乏と危険が多くある見晴らしの良い平原へと追い遣られた。ここで止む無く危険を察知し易い様に、より高い視界を得る為に「2足歩行」が始まり、目の位置は物体を立体的に捉えられる様に平行の位置に移る様に進化した。その結果、この二つの事で「脳の集約性」が高まり、他の動物に較べて急激な「猿類の進化」が始まった。
特に、他の動物に較べてその「脳の進化」、即ち上記の「性の分離と進化」の継続が続き、それに伴なう「2つの性」の完全分離の進化が起こった。
結局、「増大化し繊細化する性」の傾向に対して、「脳」はそれを「管理する独立した脳陵帯」というものを拡大創造したのである。そして、より確実に子孫を遺す仕組みへと進化した。
この「増大化し繊細化する性」から来る情報量と合わせて、リンクして「感情」と「理性」を司る「前頭葉」「側頭葉」が発達拡大し進化したのである。
当然、そこで起こる記憶を収納する部位の左脳には、この著しい「増大化繊細化」の「情報の収納化」が起こり、その記憶量に基づく「脳」はより「性の進化」と「性の分離」と「性の整理」をして進めたのである。
必然的に、その情報の種類は、「脳陵帯」に管理されて、夫々の「性」に由来する物が多くなり、結果として「脳」の整理方法は「3分轄の方法」と進化して、「体系化」が起こった。
その「体系化」、それは「計画的」な「基本思考」と、「処理的」な「標準思考」と、「実効的」な「現実思考」とに、3分離されて記憶保存する形(3段階の体系化)へと進化したのである。
当然に、女性はその「性の目的」から「感情的な情報量」が多くなり、必然的に「感情主観」を中心として「3段階の体系化」が成され、男性は「性の目的」から「理想的」なもの即ち「合理主観」を中心とする様に「3段階の体系化」が起こった。
ここで、この「脳陵帯」に管理された情報の「3段階の体系化」で、男女の思考原理が完全分離したのである。
生物に於いて、特に動物に於いて、この体系化の緩やかな種では思考原理の分離も緩やかになり違いが少ないと成ったのである。「脳」の変化要素(増大、拡大、発達、進化、変異)の差異、即ち「知恵」の差異で、この「思考原理」にも差異が生まれた。脳の変化要素の最も多くなった「猿系の人」はその最たるものと成ったのである。

更に、人間には、他にその最たるものとして、より優れた「独立脳」を創造させた。
陸に於いても海と同じく危険性は極めて増し、今度は「体の機能」からそれを「脳の進化」で対応したのである。「脳の進化」の最もその増大し拡大した左脳の「線状帯」の中間部に、「未来予測」する機能を持つ「中紀帯」という部位が、進化分離し「独立脳」を造り、それを進化させて「男の性」を守る為にだけに独立して出来上がり発達したのである。
当然、頭部も、目と耳と鼻と口と皮膚から入る情報源を管理し記憶する為に、「連鎖反応」が起こりその「五感の機能」は進化発達した。その結果、運動量も増大し、頭部は「大脳」を含めた「脳の拡大」が起こり、左右前後に拡大し大きくなった。
ところが、この時、「進化」に伴ない「退化」が起こった。
上記の「情報量と左脳の進化」がある一つの「原始機能」を低下させてしまったのである。
それまでは、額の中央部の「前頭葉」と連動する予知機能としての「第3の目」」(原始動物に存在する「複眼機能」:「テレパシー機能」)を発達させていたが、「前頭葉」と「側頭葉」が拡大するに従い、「前頭葉」の真後ろに追い遣られて「脳幹」の前の下側に小さく存在する事に成ってしまった。そして、必然的に奥域に移動したその「第3の目」の必要性が低下して、何時しか機能は低下したのである。それまでは、特に、女性はこの機能を「2つの目」と連動して「感情と理性」を司る「前頭葉」と「第3の目」」(複眼機能)を使って、その「性」(子孫を育てる)を護っていたのである。しかし、ある時期から、上記の進化と人間社会に起こる知恵により、科学による付加価値の増大が起こり、その奥に追い遣られた「第3の目」(複眼機能)は必然的に機能低下が起こった。
現在に於いても、この「複眼機能」を連動させられる「深層思考(感情)」を持つ女性に限り訓練すると、その能力をある程度まで復元出来る能力を未だ持っているのである。
女性にはその差はあるが、「テレパシー性」が強いのは、この「第3の目」の「複眼機能」から来る「なごり」ここから来たものである。
ところが、「感情」の精神を一点(元複眼のあった額の中央上)に集中させて「2つ目」と「前頭葉」と、この「脳」の奥の未だ死んでいる訳ではない「第3の目」との間にアルカリ性のNaイオンの「キャリパー」を飛ばし、「神経細胞」を繋ぐ訓練をする事で、神経回路が復元できて退化したこの「複眼機能」を復元出来る事が判っているのである。
古来から、邪馬台国の卑弥呼やこの占い師の巫女などの役目は女性が行っていたのはここから来るのである。迷信的なことではなく根拠あるもので、このトンボや原始的な動物に未だ存在する「第3の目」」(複眼機能)を使った能力なのである。
そして、機能低下したのはそんなに古い時代では無いのである。紀元前後はまだこの能力を保持していた女性は多く居たのである。
”原始的な方法として「占い」で全てを見極めていた”として、現代に於いて、その行為を現代的な視点から観て軽視する傾向があるが、実はこの様に「複眼機能」が未だあった事での自然な社会行為であった。この様に化学的根拠はあるのであるし、今だ、女性が占いを信じやすい事や、この詐欺まがいなものに騙されやすいのは、まだこの「なごり」が「性の遺伝子」の中に、左脳の記憶の中にあるからに過ぎない。
男性はその「深層思考」が「合理主観」に左右されているので、この様なものには納得しない傾向があり、従って、この「第3の目」」(複眼機能)は著しく低下、又は消滅に近い事に成っている。
その機能を「左脳データ」を使っての別の「中紀帯」の進化過程を採り、発達させた事による低下(退化)なのである。
ところが、最近は、科学の付加価値の増大による障害(ストレス)に依ってか、男性のこの「中紀帯」の活用の低下が起こっていると云われていて、この機能を活用している個人差が大きいとされている。男性の特有の未来を見据えた機能、即ち「性」が低下して、場当たり的な行動(フリーター、女性化)の様相を呈しているのはこの為であろうと考えられている。
男女に於いて同様の事(退化)が起こっている事に成る。
男性にはこの「中紀帯」、女性には「第3の目」の機能が存在し、その「訓練と活用」が必要となる。況や、「訓練と活用」の如何ではより「退化」へと進む事になる。
その事からすると、女性はその「性」の目的の「子孫を育て護る」という手段機能を一つ失いつつある事を意味する。科学進歩により護られて「第3の目」の必要性が低下して、機能低下が起った事であり、これも明らかに「科学の付加価値の増加」による弊害(ストレス)とも云うべきものであろう。
「性」と云う観点から見れば、「母性本能」の低下で、これも場当たり的な行動が目立ち、結婚願望の欠如、離婚、男性化などの様相を呈しているのもこのためであろうと思われる。
所謂「科学に適応した進化(退化)」であり、現代は未だその途中であろう。

「性」の「進化と退化」
事程左様に、上記した過程に示すように「生存に適した進化」と「環境に適した進化」と「科学に適した進化」による3つの「性の進化」は何れに於いても現代2000年代には例外では無い。
「家訓3」でも記述したが、直近の1800年代の「産業革命」をきっかけに、再び下限域から「Nパターン」のサイクルは繰り返されて、約200年毎に起こると云われている「Nパターの摂理」は、200年後のこの2000年代には積分域と上限域に既に到達しているだろうと考えられる。
その現代に於いては、そして、更なる「科学の付加価値の増加」は起こるだろう事が予測出来る。
それは集積回路(コンピータ)の論理的な進歩が起こり、特に更なる「時間の進歩」が起こるだろう。当然、それにより歴史に観る「進化と退化」は起こると観られる。
依って、女性の「性」の目的「子供を育て護る」と云う事で「育てる進歩」と、周囲の「時間の進歩」の差異が生まれ、上記の「テレパシー機能」とは別に、更に「性」の手段機能の一つの機能の低下を起すだろう事が予測されている。
その一つとして、「時間の進歩」の一つの現われであるファーストフードの様に、作る事無く何でも既に揃っている「食の進歩と進化」の時代により、女性だけが特別に保有する「育てる機能:乳房」の一つが低下するだろうと言われている。現在もそれが進んでいて、その「対の目的」は低下して傾向として対の片方が縮小していると云われている。これは体の一部の変化であるが、これに伴なって「心の性:本能」、つまり、その「母性本能」の低下と欠如が連動しているのである。その為に、最近、この「母性本能」低下欠如の事件が多発している。
女性は、その「感情主観」の「性」を持つ為に、「科学の付加価値の増加」のストレスに敏感に反応する。この事と合わせて、「退化」はこの原因である「性」の働き(3つの性の一つの「体」部の低下)からではと見られている。 
それに較べて、「中紀帯」があるからとしても、男性には、複雑でスピード化してより尖鋭な「合理思考」が要求され、且つ、その左脳の情報量より「時間の進化」が早く成り過ぎて、その経験側のデータが間に合わないと云う事が起こる。結果はその思考機能の限界に来ているとも云われているが、より「左脳」を大きくし、「中紀帯」を進化させ無い限りは同じくストレスで潰れることが予測できる。
現代ストレスにて女性と同様に、過労死の社会問題化しているのもこの現象から来ているのであろう。又、男性の寿命の延長も進まないのである。これは、現代の社会現象である自然を求め、自然に帰ろうとする傾向は、「脳」(前頭葉と左脳連動)の中に「性の限界」の「拒否反応」が無意識の内で起こっているのであろう。

「性」の機能の検証
そこで、では、その「性」がどの様に反応しているのか、更に、より詳しく「性」(さが)の機能に付いて検証して見る。
人間は先ず問題が起こった場合には、無意識の内に「脳」は次の3基本動作をする。
その先ず最初に動作する脳の「計画」思考とは、
男性では「理想的」に計画する。
女性では「感情的」に計画する。
この動作は「無意識」の中で行われる。それが出来ると、瞬時に「有意識」となる。
そして、それがまとまれば、再び「無意識」と成り、
次ぎは取りまとめの動作、即ち「処理」(目標)思考と移る。
男性では「理想」を「合理的」に取りまとめて考え動作する。
女性では「感情」を「勘定的」(数理的)に取りまとめて考え動作して「有意識」と成る。
この取りまとめられ動作した思考は、再び「無意識」と成る。
脳の動作は最終の思考として「実行」へと移る。
男性では合理的に「現実的環境」を洞察した上で、思考の行動は「実行」へと移り、「有意識」の中に入る。
同様に、女性では勘定的に「周囲環境」を洞察した上で、思考の行動は「妥協的」な実行へと移し、この段階で「有意識」の中に入るのである。
これが、「脳」が行う「深層思考」の「無意識」の「原則パターン」である。
そこで例を挙げてみると次の様に成る。

 「性」の思考の例
例1の場合
例えば、ある問題が目前で起こったとする。
男性は、その状況を観て、先ず「理想的な形」で解決すべきとして「無意識」に脳の中に描く。
そして、それをその「理想」から導き出される方法として、「無意識」に「合理的」な「解決目標」を引き出す。
その「目標」を達成する為に、周囲の実情を検証し考察して、「無意識」に「現実」の中であり得る手法を採用する。この段階で「有意識」の行動として働く。

文明の付加価値を除いた人間の一場面の問題として観てみると、次の様に成る。
ある男Aが居た。そこに他の部族の男Bが生存競争で直前に襲撃したとする。
男Aは、先ず、脳は「無意識」に働く。そして、先ず、男性は「理想的な形」での最も「戦いに叶う」とする解決方法を思考する。先ず絶対に避けられない生存競争であると認識する。敵の弱点を志向する、そして、衆敵を圧して自らの安全を確保する姿を描く。
次に、そのための具体的で合理的(目標:手段)な危険の少ない「捕縛」作戦を考えるように働く。そこで、それを実行する。行動は「状況判断」(過去と現実を対比洞察)をして、先ず身を隠す、引き込む。捕らえる等の戦術を実行する。そして、自らを「戦い」から護る。
女性は、何とか戦わず仲良くする「感情的な形」を思考する。戦わずして仲良くし犠牲(勘定)を少なくするには、先ず引いて可能の可否は別として、「相手との話」等と考える。そのまとめ方は「損得(勘定)」で計算する。そして、「道義、正義、勧善、懲悪」に拘らず「妥協」してまとめ様とする。
例2の場合
この思考原理の差異で起こる最たる例は「夫婦喧嘩」であろうが、これで観てみると判りやすい。
「計画段階」では、男性は「理想」を描くが、女性は「感情」で事を描こうとする。「理想と感情」では「次元」が異なる。これでは、性格が合うかどちらかが引くかしない限り、余程の事でなくては話は絶対に合わない。そこはどちらかが何とか逃げてたとする。
次ぎは「目標(処理)」の議論の段階と成る。
男性は「論理の合理」で思考する。女性は「数理(損得)の勘定」で思考する。
「合理」と「勘定」とは一見同じであるかに見えるが異なる。
男性の場合は、「理想」に基づく「論理性の合理」である。
女性の場合は、「感情」に基づく「数理性の勘定」である。
「論理」と「数理」との違いである。つまり、論理は縦と横と巾の立体(過去、現在、未来)で思考する3次元性、数理は+(縦)と-(横)の面(過去、現在)であり、+と-には巾に相当する要素が無い為に思考するものは2次元性である。

男性の場合の論理性は1次元多い思考範囲で処理するという事である。
この世の現実の出来事は「3次元要素」に依って起こっている。故に男性の「性」は「現実的な実行」となる。この世の現実の最良の状態を「理想」と描く事であるので、「理想」には中間の思考も最良のものであれば存在する。従って、「理想」のメカニズムは「思考の和」に依って生まれるのであるから、中間は含まれる。故に、思考の「理想」は現実の世の出来事(3次元)から生まれたものである事になる。
この事は、「現世の3次元」と「理想思考の3次元」の次元が一致して「理」が合う事になり、つまり「合理」で決める事となる。
(この事は上記した様に左脳の理想の経験則の記憶収納方式から起こる。)
因みに、この思考の「理想」には考えの個人差が生まれる為、この「理想」とは、「三相」(人、時、場所)の「3つの要素」が、同時に、合わせて、「最良の状態」を意味すると定義されるだろう。

そうすると、「3次元」の3つの要素と「三相」の3つの要素が絡まって思考される事に成る。
つまり、「脳」の中ではどの様に働いているのか、この事を解析してみると、次の様に複雑に働いている事に成るだろう。
「未来」の事に付いて決める議論が及ぶ場合、人間の脳の中では、「過去、現在」の2つの要素に合わせて、「三相」の3つの要素を絡めて思考している事に成る。

方程式であらわすと次の様に成るだろう。
「未来」の決定(C)=(「過去+現在」)*「三相」=「過去の三相(A)+「現在の三相」(B)
解説
「過去の三相」の理想(A)はこの様であった。「現在の三相」の理想(B)はこの様である。
故に(A)の理想と(B)の理想の2つの理想形から、未来の理想(C)は”この様にあるべきだ”と論理的に思考する。
「過去」と「現在」の決定の関係式も代替して同様に式が出来る。

男性の場合は式にすると次の様に成る。
思考関係式 「理想」=3つの対比する「思考の和」 故に「3思考和」=「論理」の構成=「合理」
(「3つの対比」とは「過去の三相」、「現在の三相」、「未来の三相」を言う)

この関係式からも「理想」を論理で描いたものである為に「目標(処理)」はその延長上の「合理」で決める事になるのは当然であり、これが「感情」や「勘定」で処理する訳は無い。もし、そうだとしたら、「精神分裂」とも成る。思考の面では「精神分裂」とはこの様な現象を示す事ではないだろうか。従って、「実行」の段階では「過去、現在」までのこの「世の現実」から来る「理想形」を描いた訳であるから、「現実的」に実行する事に以外には無いだろう。
只、男性の場合には、「理想」の中には「中間的思考」もあり得ると考える思考形態である筈で、故に、「戦略的」に「理想」を叶える為には「妥協」と云う一時的な「戦術」を採る事もあり得る。それも最良の三相「人、時、場所」の条件を整える為には、男性の思考には「現実的」と捉える思考形態を持っている。それは過去の歴史的史実を見てみると判りやすい。
この多くの史実の中で、古来より、この「世の処理」は「6つの戦術」と「3つの戦略」に依って分類されると考えられている。
「世の処理」=「3つの戦略」+「6つの戦術」と成る、その事を多くの人が知っている例として次の事が良く判る例ではと思う。
彼の有名な「諸葛孔明」は敵を「欺く手段」として良くこの手(妥協)を使ったと言われている。だから、敵は”何をするか判らないので、警戒して動かない”と言う行動を採り、良く勝利に導いた。
例えば、「諸葛孔明」が死んだ時、云い遺して、”全ての城壁の城門を開け放ちかがり火を焚けと。”
つまり、「戦い」の 理想の両極の「戦う事」、「退く事」のどちらとも取れないこの策は、軍師の居ない時の「妥協」の戦術である。敵は、結局”、何かの仕掛けであり、何が起こるか判らない”として警戒して引いてしまったのである。これこそ”戦わずして勝つ”の「理想」の戦いの達成である。
「理想、合理、現実」からでは、次にうつ手の戦略戦術は、”将棋の様に次にはこの様に来るだろう”と完全に読める。しかし、これでは軍師ではない。それを「妥協」と云う一時的手段で欺いて、「戦う事」と「退く事」の両極を、より効果的に「理想」(勝利)を導けるのである。
故に、この女性の思考の「妥協」は、男性にとっては「実行の補助手段」と認められるのである。
つまり、男性の「妥協」は「実行の補助手段」であるので、「諸葛孔明」の様に、有意識の中で「戦術の訓練」で補える。

逆に、男性の「現実」を女性が用いるとすると、元が「感情主観」であるが故に、「実行の補助手段」の思考としては「脳」の中で、無意識で拒絶して用い難いものであろう。
あくまでも、この「実行の補助手段」は論理性から来るものであるからだ。
例外的に、女性がこれを思考として用いるとすると「脳」の訓練で左脳に「合理と現実」で創り上げた経験則のデータを蓄積して引き出し、有意識の中で故意的に使う以外に無かろう。
同様に、男性が女性の「感情主観」を利用するとすると、かなり難しいものがあろうが、感情主観の経験則のデータを蓄積して引き出し、有意識の中で故意的に使う以外に無かろう。
あらゆる男性芸術家はこの域の例であろう。只、男性には3次元思考の形体であるが故に、描かれる芸術はより「豊」「深」をもつ事であろうから、芸術家は男性に多い事となるのであろう。

従って”誰でもが”と言う事ではなく例外的ではあろう。ここで云う論処は例外を含めてのものではない。例えば、女性では「6つの戦術」と「3つの戦略」を駆使する女性政治家の様な例外的なものであろう。
同様に、女性は好き嫌い良い悪いの「感情主観」であるので、「感情」には中間の思考は無い。”どちらでもない”と云うものは「感情」では基本的にないので、中間の思考には「感情」は生まれない事に成る。つまり、「感情」のメカニズムは2つの対比する「思考の差」に依って生まれるのであるから、中間との差は少ない。故に、「小さい感情」と成り、左脳の思考の保存には留めないものと成る。
故に、中間を含まない両極差の感情と成り、女性は「2次元要素」と成るのであり、現実の世の出来事(3次元)から一次元を差し引いた思考で主張する事と成る。
つまり、結局は「目標段階」では、結果としては、「思考差」の多い少ないの量的な「勘定」で決める以外に無くなる訳である。
(これは上記した様に左脳の感情の経験則の記憶収納方式から起こる。)

方程式で表すと次の様に成るだろう。
「未来」の決定(C)=「過去+現在」*「感情」=「過去の感情(A)」+「現在の感情(B)」
解説
「過去」の感情(A)はこの様であった。「現在」の感情(B)はこの様であった。
故に(A)の感情と(B)の感情の2つの感情形から、未来の感情(C)はこの様にある筈だと思考する。
「過去」と「現在」の決定の関係式も代替して同様に式が出来る。
ここで、女性の「三相」の取り扱いであるが、基本的には、「一相」(人)と成るであろう。
男性の場合は「理想」であるが故に「三相」の重要度は同等と考えられるが、女性の場合は「時、場所」の「二相」は「感情主観」であるが故に、「時、場所」の二相にはその主観は生まれ難いであろう。その重要度では「人」に較べて低いと考えられる。

思考関係式 「感情」=2つの対比する「思考の差」 故に「2思考差」=「数理」=「勘定」
(2つの対比とは過去の感情、現在の感情、を言う。未来への感情は論理性で無いことから低いと考えられる)
女性には、「左脳域」の未来を予測する「中紀帯」が存在しないのはこのことを証明している。

 性の相違の考え方(三相)
これは良し悪しの問題ではない。この世は3次元で思考しなければならない時、2次元で思考としなくては成らない場合もある。事は「人、時、場所」の「三相」に依ってその最適な処理方法は異なるであろう。だから夫婦の主張はここでも平行線と先ず間違いなく成る。
この「三相」を排除した思考ではどちらも正しいと思い込んでいる。「計画」「処理目標」の2段階の議論も平行であれば、両者の感情はどちらも高ぶるであろう。普通は殆どここで喧嘩となるであろうから話は次へは進まない。
しかし、そこで、無駄であるが、止む無く無理に「実行」の段階に話は移るとする。
男性は現実の環境から洞察して「左脳」から過去の「論理的経験則データ」を引き出し、類似的な「現実的データ」で実行しようとする。
女性は感情に基づく蓄積データの「数理的経験側データ」を引き出し、損得の「勘定思考」に基づき「妥協的」な計算方法を見出す。
「良い悪い」と「多い少ない」では中間の思考差は無い為に、2次元の「妥協」での実行以外に無くなる。例えば、この場合は本来は5:5であるが、感情論を持ち込んで6:4でまとめようとする。
ここでも平行線となる。
男女間の議論は適時適切に正しい判断を導くとすると、「三相」[人、時、場所]によりまとめる以外にはないが、しかし、この仏教説話でもある「三相」の考えは、男性の「論理思考」に基ずくものであって、女性には「感情主観」であるので、「不得手」とするものであろう。
多分、この段階で「感情主観」を超える思考と成り、パニックに近い状態(脳の思考停止状態)となるのが普通であるだろう。
この思考原理から考えれば、女性は「議論」そのものを受け付けなくなるだろう。

「家訓4」は、上記の関係式から、このポイントを深意として誡めている一つのものと考えられる。

[思考の傾向]
この様な男女の思考原理をある一つのものに当てはめて考えてみると次の様になるだろう。
例えば、この「思考原理」で「義」と云うものに対する思考採用度に付いて考えて観る。
この「義」は女性には理解され難い難物である。
男性では、「理想」を描き「合理的」に思考し「現実問題」として処理しようするため「義」が無くなることは論理的に考えれば人間としての「根幹」を失うと考えを重んじる。
人間は、他の動物と異なり、その「差」を「軌範」と云うものを以って「人」としている。
然し、女性では、「感情主観」を求め「勘定的」に思考し「丁度良い具合」で処理しようとするため「義」が人の根幹を占めているとは考えない。多少、「軌範」が崩れても、仲良く傷つかないように成るのであれば、譲り解決しようとし、「義」は思考の「根幹」としては女性は重んじない。
同様に「戦う」「争う」とか云う事に対しては、よりその思考原理の違いは顕著に現れる。
男性は解決する為には「戦う」[争う」も一つの解決手段としては決着がはっきりとする事から必要と考えるが、女性は、女性本能(母性)が働き醜い犠牲のある事を避けて「皆仲良く」とする「感情論」を引き出し、双方が傷がつかない手段として「妥協的」に納めようとするだろう。
結果的には抜本的な問題は解決していない訳だから、「一時的な手段」に過ぎないとして、合理的、論理的に考える為に男性は納得しないだろう。
(注 母性本能は子供が産む前に於いても、「思春期」という急激な経緯(体と心と仕種の変化)を経て以降は、母性本能は基本的に育つ事に成る。同時に女性のこの思考パターンも育つ。産む事に於いて「体の変化」で全て整う仕組みと成っているのである。)

男女の性を決める脳の「継電機能」
女性の性の代表的なものとして、「母性本能」がある。この医学的メカニズムは、次の様に成る。
「前頭葉」や「側頭葉」に対して、マイナス電位0の地球とその人の身長差分だけの電位が「脳幹」に働き、その結果「電源」と成った「脳幹」から発した電気信号は、回路となる「脳神経」を通じて流れ、「前頭葉」や「側頭葉」の直前で、この部位との神経の繋ぎ目にNaイオンから成るアルカリ性のキャリパーという呼称の液体が飛ぶ。この液体の+Naイオンに電気信号が載り、「前頭葉」や「側頭葉」に繋がる。通常は通電0.2秒間程度である。しかし、女性は一般的にこの通電時間が長く約2-3倍程度であり、この通電時間が長く繋がった状態に成るのが、「感情」の最たるものの「母性本能」である。「母性本能」は産む事だけで起こるとは限らず、それに近い状態の刺激が起これば通電状態と成り、「母性本能」は発生する事と成る。だから女性は、幼子でも、男性より「可愛い」と云う感情をより示すのはこの通電時間の長さに起因する。
他に、「うつ病」はこの繋がった状態である。次第にリードする神経が疲労し、「脳」も通電状態と成っているので、エネルギーが莫大に必要とし、それを補う為に、栄養素や、Naイオン等のミネラル分を多く必要となる。これは無意識の中で起こる現象なので、自己の意識能力では直せない事に成る。外部から電気信号を切る手立てを考えなくては成らない。最も良い方法は「環境」を変化させてこの信号を切るのが効果的である。
電気回路学では「自己保持回路」と云う方法である。別の神経回路から信号が入り、回路は目的とする負荷の脳の感情部を繋ぐ。するとこの刺激でこれと同時に感情部から自分で神経回路を作り、元入って来たの所に繋いで感情を維持させる方式である。元来た回路信号のON-OFFに関係なしに保持されてしまう方式である。
女性は男性に較べて脳医学的ではなく電気回路学的にも、この回路方式を強く持っている。だから「感情主観」が主体と成るのである。
女性は「感情主観」を原理としている以上、この現象になる可能性が高いのである。逆に言えば、この機能があるから、「感情主観」の証拠と成るとも云える。
男性では、これではその男性の「性」を達成できない為に、「側頭葉」で感情を抑える機能が働き、この自己保持回路の現象を出来る限り防いでいる。
「戦いの殺戮」を平然としてできるのは、この「抑制機能」が働くので、出来るのである。女性はこの「抑制機能」が無い為に「戦いの殺戮」等の行為は出来ないのであり、必然的にも、「体」も必要が無い為にそれに順応して筋肉質ではない。脂肪質である。男性はこの逆である。
ところが”男性のうつ病は何故起こるのか”と言う疑問がある。
回路としては同じ自己保持回路である。
しかし、ここで違う点がある。それは、男性の場合は同じ事を何度も繰り返すとその回路の保持状態が容易に成る。つまり、同じ事を悩んだりすると、何回もこの回路が入る。癖に成る。最後は自分の脳で事故保持が切れなく成る。これが男性の「うつ病」である。女性は「感情」の思考原理から、この回路が入る事を「性の機能」(産み育てる)として「心と体」の機能を維持するために本来出来ている。
もし、女性がこの自己保持回路の状態が「性」以外の所で起こったとすると、「妥協」と云う手段でこの回路を外す思考原理を持っているのである。その問題が合理的に完全解決にならずとも「妥協」という手段で逃げられるように脳の機能は出来ているのである。
男性から観ると、女性のこの意味の無い日常の「しゃべくり」がこの最たる行為であろう。この「シャベクリ」が「うつ」を抑える役目をしている。
男性のこの「うつ病」は厄介である。
「妥協」は解決もしていないのに、”中途半端で済ますのは卑怯だ”と男性は考えるだろう。それは男性の考え方であり、男女の共通の思考ではないのであり、「正悪」(性悪)の問題ではない。
それは、その様に「神」が創造したのである。文句をつけるのは「神」に文句をつけるが如くであり、人間として不尊そのものである。
男性の場合のように「論理、合理」とすれば、その問題の合理的に解決しない限り、回路は外れない。

「戦いの例」
男性にとっては、次ぎの様に考えるだろう。
この2000年の有史来、感情的にはそうあって欲しいが、「仲良く」で解決したものは無いし、「戦い」は常に起こっている。人間の生存競争はそもそも「戦い」である。種の「民族」がある限り民族間利害が起こる。「利害」は争いを起す根源である。この根源がなくならない限りは「戦い」の「仲良し」の解決方法では絶対に納まらないとして、以上の「経験則データ」を割り出して、論理的に納得しない様に脳が働くのである。
脳の働きは、兎も角としても、先ず、未来に於いても「戦い」はなくならないだろう。進化がどんなに進もうと、この「世の摂理」である「種」の存在は無くなる事は無い。依って、男性の論理的結論はこの摂理がある限りに於いて正しい事に成り、「現実的対応」が必要となる。故に、男性の「現実的対応」の思考原理は正しいことを意味する。
女性はこの「戦い」を最悪として考える。多くの感情が渦巻く最たるものであるからだ。
男性に於いても、「戦い」が好きな者はいないであろう。居るとすれはそれは思考錯乱者であろう。
男性の「戦い」は事の終局的解決の最終手段として「論理的な合理思考」の中に置いているに過ぎない。「戦争反対」と叫ぶ女性の多くは、自分を「正の位置」に置き、他を「悪の位置」に置いて他の責任を叫んでいる感情傾向がある。「思考原理」から止むを得ないのであるが、「戦争」に成る原因の一端も民族社会の中で同等に担っていることを忘れて叫んでいる。「叫ぶ」と云う事は、他の者が恣意的に「戦い」を選んで好んでしているとして、その「責任の所在」を叫んでいる事になる。
そんな人間は居るのか、自分の責任は何処にあるのかとなる。これが女性の感情主観の男性側から観た理解に苦しむ言い分となろう。
この様に「戦い」と云うキーでは「性による思考」の差は異なるのである。

思考データの体系化
つまり、男性は、今まで長い間の「遺伝と体験」で「会得し学習」した「知識:データー」を左脳に一つの形で「体系化:理想」して主体的に記憶して置くのである。
目標として、この記憶の「体系化(理想)」に沿って、一つの「構成要素(系列:ツリー)」の最も良いもの(合理)を導き出す事を行うのである。
得られた「合理の目標」を実現するために、「学習経験則:ウェーブ」に従って、その過去の類似する経験則を選択して、意識の中で事に当り行動するのである。
この思考パターンを採る事から”「皆仲良く」「傷がつかない手段」”と云う形では、過去の「遺伝子的データ」にも、「個人の経験則」からも系統化されていないので、割り出されたデーターで解決しない事と成る。多少の犠牲はあるとしても、男性思考は本来の抜本的な理想的な解決を求めようとする。
女性の場合は、この「理想」(計画)の記憶領域は、主体は「感情主観」として分類化、系統化されて「勘定理」(目標)に基づき収納されている。従って、論理的な思考は原則的には採らない。
採らなければならない時は、「訓練」してその経験側を左脳に記憶量を多くする以外にない事に成る。感情的で勘定的に処理しなければならない時は男性も同様である。
従って、女性はその感情思考のデータ以外の出来事(感情主観を超えて理解できない出来事:災害や悲惨事)が起こるとパニックになり易いのはこの事に成る。
この様に「深層思考の原理」が、元より下記の様に、元来、「脳の収納方式」そのものが異なるのであるから、「男女の思考」は完全一致は難しい。無理にまとめ様とすれば対立し、何とかまとめ様とすれば何れかが譲歩する以外にない。
何はともあれ、この世の神が創った摂理は、男女「6つの思考」があってこそ、この世の出来事に対応出来る様になっているのである。
神の成させる仕組みである。

「性」の差異の解決策
神仏が創ったこの解決策は「三相」(時、人、場所)を「適時適切」に採用する事以外に無いのである。
男女は「三相」を「理解、認識、訓練」し「性」の弊害を超える事が必要と成る。これに尽きる。
しかし、実生活ではこの事「三相の認識」が核家族で忘れ去られている。
昔は、三世帯家族が主体で有った事から、自然に「三相の認識」が教えられていたのである。
祖父母の年寄りは、口癖の様に日常生活の中で、「時が悪い」「相手が悪い」「場所が悪い」等を云ったものである。時には好んで、占い、八卦、方位、祈祷等を駆使して決めたものであった。
今でも遺されていて、結婚、建前、慶事、祝事にはこの「三相」を選んでいる筈である。
これは過去の「仕来り」の中に「性の弊害」を取り除く為に、「先人の知恵」として戦前まではこの「三相による解決策」が自然に生活の中に組み込まれていたのである。
不幸にしてかこの「先人の知恵」はアメリカナイズされて消えうせて行ったのである。
「家訓4」に遺されているのは、この「先人の知恵」として、上記の論理的根拠を得ずしても、それを忘れさせない為に、先祖は書き記していたのである。「自然の摂理」の弊害を克服する術として、人間の「性の弊害」を克服する術として、「深層思考と三相」を併用して教えているのである。
裏を返せば、今ほどではないが、先人達の時代にも徐々にではあるが、「性の弊害」が起こっていた事を意味している。
先人達の長い歴史の中にも有ったとすると、男女はこの上記する「性の深層思考」が有る事を認識し自覚する事、即ち、家訓4を知ること以外に無い事になる。
知らなければ、自然に男女の「対の相性」が合わない限り、又どちらかが引き下がる事をしない限り、「歪みの無い解決策」は有り得ない事に成る。

古来に於いての「日本的解決策」は、この”どちらかが引き下がる策(特に女性)”を「社会の掟」(謙譲の美徳)として採用されてきたが、現代に於いては、アメリカナイズされた社会でありながら、又、科学による付加価値も急激増大している社会でありながらも、未だ「男性の思考」に於いては、この「掟、慣習」が強く遺されている。地方によりその慣習、掟が遺されている気がする。否、全ての男性の心の奥底に持っているものであろう。表に出すか出さないかの違いであろう。
従って、この過渡期の社会では、男女はこの「家訓4」を知ること以外に無い。
そして、その「三相」を「採用する訓練」、男女の「人間性を磨く」必要がある事に成る。
先祖は、問題の発生原因は別として矢張り多くあったのであろう。
多分、先人は平安初期から江戸初期までの長い期間の「戦い」から来る問題、現在人は1800年代からの「付加価値の増大」から来る問題と成ろう。

どちらにしても。この思考形態を理解する事を根拠として、この家訓4はこれを説いているのである。

「脳の収納方式」
そこで、この事に付いてより理解を深める為に、「脳の収納方式」を解いて見るとよく判る。
人間の脳は進化して、脳の中は、判りやすく云うと、「幹、枝、葉」の形の3分類の形でデータ-化されて収納する仕組みと成っている。
(コンピータもトラック、クラスター、セクター、として最低8進法でこの仕組みを使っている。)
「幹」の収納庫は、論理的に組み立てられた形(理想:感情)で収納され、「枝」は幹を構成するものとしての要素群(合理:勘定)がまとめられて収納さる。幹枝を生かす「葉」に相当する収納庫(経験:個別データー)には内容別が収納される仕組みに成っている。
男性の場合は、この男性の「感情」(計画)の記憶領域は、経験側の領域、即ち、葉の部分に別々の収納庫に保存されていて幹枝として体系化されていない。

この様に、脳の動作原理は、先ずは無意識の中で起こり、次に意識へと戻る仕組みと成っている。
それは、「無意識の中」即ち、”人は自分の意識で「管理出来ない意識」がある”という事である。
そして、この「管理出来ない意識」は男女共に異なる意識を持っていると言う事である。
この意識の「有無」を認識しないで行動する事は、人生にとって「本道」を歩めないと言う事なのである。
つまり、究極、人間は他の動物と寸分違わずして、この世に生まれて来た目的は「子孫を遺す」事に有る。その過程での「喜怒哀楽」は目的ではない。
従って、この「管理出来ない意識」の存在有無を認識しない事は、人本来のこの世の目的の[子孫を遺す」と云う事に障害を生む結果と成るのである。その障害の過程は「喜怒哀楽」の「怒哀」の割合が人生の中で大きく占める事となり、結局、最終、「子孫を遺す」と事への確率は低下する事に成る。又、人生上の問題を起す事に成る。

最近、世情が近代化と科学化に依って付加価値が急激に増大して、人生を全とうする事に難しさが生じて来ている。そして、結果として人心に余裕が無くなり、且つ、人間性が低下する現象が生まれて来ている。
この様に成れば、思考に余裕が無くなり必然的に人の思考は仏教で云う「刹那思考」と成って来る。
この「刹那思考」から、人間本来の生の目的「子孫を遺す」と云う事よりは、「目先の喜楽」にその目的を見出そうとして来る。「刹那思考」つまり、「子孫を遺す」と云う長い目的ではなく、死を直前にして起こる「追い込まれた心情」と成り、人は「目先の享楽」とその継続を追い求める心情事に成る。
この様に成れば、必然的に人本来の目的から離れ、「歪みの人生」が生まれる。
特に、この様になれば、家訓4の云うその「深層思考」からすると、女性の思考が大きく左右される。
恐らく、未来はより近代化(付加価値の増大)が起こり、「人、時、場所」の「三相」の内、「時」が大きく変化するだろう。その「時」はより「加速度的な速度の進化」で起こるだろう。
必然的に、「科学」による「速度の進化」で有る事から、「合理の進化」と成るだろう。
そうすると、女性の「深層思考原理」の「感情主観」からすると、大きな「ストレス」が生まれるだろう。当然、女性に起こる以上、この影響が男性にも影響が出て来る事は必定だろう。
この事は、これからでなくても、家訓が遺された頃からも同じ事が云えたのではと思える。
つまり、「原始の生活環境」から男女の役割は、次第に「進化と付加価値の増大」が進み、より変化して女性側にストレスが掛かるものと成ったと見られる。故に、日本社会は女性側に対して女性の弱点を補う為に、且つ、本来の女性の幸が存在する場所を求める為に、「女性の慎み」を求めたのであろう。決して、女性蔑視から来るものでは無かったと「家訓4」の意味として理解している。

青木氏の「家訓10訓」の深意は概してはこの一点に通ずると理解している。
多分、主にこの「家訓4」は鎌倉末期頃の下克上と戦国時代の激しい「戦い」の中で生まれ追記されたと観ている。全体の家訓群は平安末期から鎌倉末期頃までの乱世の「訓や戒め」が追記されてきたものであろう。

その影響の典型的なパターンは、人間本来の目的とする子孫を遺すと云う行為「子育て」であろう。
「子を産み育てる」という事からすると、女性の思考原理ではなくては「産み育てる」は無理であろう。世の常として、災難や災害が起こると、先ず、女性と子供を助けると言う行為はこの事から来ている。男性が多くあっても子孫は遺せないが、女性が多く遺せれば子孫は再び蘇る摂理はここにある。昭和の大戦を始めとして、有史来2000の戦いの結末は男性が多く死するが、子孫は再び蘇っている。この摂理からすると、神は女性に「人間の本質」を与えたものであろう事が判る。遺伝子的にも卵子の中に人間の種の遺伝子を保持しているのはこの証明であろう。
決して蔑視差別から来る「慎み」では無い事が判る。神もこの「慎み」を以ってより安全に長く生き延びさせる「性」を与えたのであろう。

その証拠に、医学的にも女性には「女性ホルモン」で45歳程度まで病原体から体を保護する仕組みにも成っているし、「脂肪」で外的環境からその体を護っている。男性にはこの仕組みはまったく無い。神は”勝手にしろ”である。
それどころか、現代脳医学では、「側頭葉」には、「戦い」などの「人間の殺戮」の際には、この「感情」を司る部分の感情を停止する機能もある位である。つまり、「戦い-死」のシステムは本能的に出来ているのである。そのために神は更に重ねて、都合良く左脳の記憶集積回路と連動する「中紀帯」という小指の先ほどの「独立脳」を創り上げているのである。「戦い-死」と言う行為をより効率よくするために「未来を予測する脳」である。「原始社会」(食うか食われるか)の環境を「2足歩行」に成った事からより確実に生き抜く為に、この二つの脳は備えられた機能である。

男性が、養育期の子供を「育てる」と言う事に成ると、男性的な思考で「良悪、優厳、仲良く」の人間的な基本感情を教えると成ると無理が生まれる。逆に、成長期、思春期の子供に対する子育てとなると、女性には「良悪、優厳、仲良く」では厳しい世間を渡れる力を付けてやる事は無理であろう。
雑である男性ものと違い、女性の「心」細やかで伝えるものの養育でもこの様に成るだろうが、「体」の面でも「筋肉質」の男性では養育期の子供に伝わるものも本来のものとはならないだろう。同様にして「仕種」の「滑らかな仕種」でない男性のものは養育としては難しいものが一般的にある。
思春期(13歳頃)までの養育としては女性の「性(心、体、仕種)」でなくては成らないだろうし、15歳以上は男性の性が必要に成る。
昔の成人は寿命の関係もあるが、15歳と成っていたのは社会に出て鍛えられる「現実感覚」をこの時期から必要とされていたものであろう。
つまり、「養育」という言葉を分析すると2つに成るだろう。1つは「育てる」、2つは「鍛える」と成るであろう。そこで、女性は「性の思考」は「育てる」に有って、男性の「性の思考」は「鍛える」にあるとなる。本来2つの「性の思考」はもともとこれで「一対」なのである。
子孫を遺すと云う本来の「性」の目的はこの様に異なるのであり、神はそのように創造したのである。

家訓の活用具合例
事程左様に、あくまでも思考原理の「善悪の問題」ではなくて、「人、時、場処」の「三相」に対して、「適時(適切)」に、その「思考原理を保有する事の特長」で対処する事が必要である事に成ろう。
上記したが、現代に於いては、この「適時」(「適切」)が狂って来たと観られる。
言い換えれば、人間本来の目的「子孫を遺す」という前提に於いて、この世の「万事万象」に対して、この「二つの深層思考原理」が必要で、初めて「万事万象」に対応できる事に成り、”「合わせて一つの思考」”となる。
つまり、「男女の深層思考原理」は夫々が一つではないのである。その役割を分担しているのである。神はそのように定めたのである。
「家訓2」にも記述しているが、例えば、男性は成人まで母親に育てられ、父親に鍛えられて養育されるが、その後、嫁に引き渡されて婚姻後の養育を任す事に成る。
筆者は家訓の意を重んじて、かねがね嫁娘に3人の孫を含む「4人の子供」を育ててくれるように頼んでいる。そして、息子の結婚時には、”これからの社会に通じる養育は我々から、貴方が息子を自分の子供として孫と共に任せて育てるのであり、バトンタッチしたのだ”と、そして、”その心は「お釈迦様の掌の中で」としてお願いする”と、”決して一人の男性のみに偏らないでと、親としてお願いする”と懇願した。そうすれば、”貴方は貴方の育ての素晴らしい母親以上の「天下の母親」になる”と、”天下の本当のあるべき姿の女性になる”と付け足したのである。”何時しか貴方が我々の役目を果たす時がくるまで”と。いつも理解してくれて嫁はこの事(4人の子供)を云い笑い話に成っている。何よりも有り難きかな、そのように嫁は息子と孫の養育には社会に通じる様に育ててくれている。
我が家では、「家訓10訓」の前提として、”孫は息子夫婦だけのものではなく、先祖を含む家族のものである。息子夫婦はその養育に主責任を担っている。それに必要とする「経済的負担と精神的負担の軽減」は家族全体が担う。と云う考えにしている。
その考え方から、全ての思考が出ている。端的に云えば、孫が素直に元気に育ってるとすると、「ありがとう」と嫁に云う。
現在は、夫を只の男性と見なしている事に問題があり、女性のその人生での働きの重大さを認識していない所から来ていると思っている。
しかしながら、むしろ、本来は、男性よりは女性の方が難しい「人生負担」を担っていると考える。男性の難しさは本質は「単純無比」で、女性の方が「複雑繊細」であろう。
その思考原理から見ても、「産み育てる」と云う機能原理に思考形態が出来ているが故に。現在の社会では苦労が多いであろう。
先人も時代は異なれど、家訓10訓から観ても同じ考えに至っていたと思っている。

この言い分は「家訓1-4」を一まとめにした筆者の結論であった。

[結論]
ところが、この家訓4には、次ぎの事が簡単に書かれている。
”この家訓4に拘ってはならない”としている。
これを理解するには大変な時間を要した。
「性」に違いがあることは医学的にも調べても理解できたし、その解決策も理解できる。
知っておいて対処すれば、男女共に問題は無い筈だ。別に蔑視している訳ではない。
後で気がついた事であるが、大きな落とし穴があった。
先祖は科学的根拠は何も無いのにここまで摂理を的確に見抜いてまとめられたものであると驚いているのに、しかし、確かに拘っては成らない事である事が判った。
これは難しい。仏教禅宗の禅問答である。”家訓4は摂理である。しかし、摂理に在らず。これ如何に”である。昔は先祖は邸に禅僧が常に長投宿させていたし、代々漢詩や漢文による禅問答をしていたので”禅ボケか”とも感じたが違った。筆者は根からの理屈の技術屋だから、”それを理解しそれを「三相」を以って適応すれば、それはそれで良いのではないかとも思ったが。後は、個人の資質の問題であろう。”と考えていた。
”むしろ人を理解すると言う点では良い事で一歩も二歩も前進では。”とも考えた。
では”何故拘っていけないのか”を検証して見る。

1 仏教の説法の「色即是空、空即是色」から如何なるものに対しても「拘り」を誡めているのか。
2 「性」の摂理と解決策では何か問題が出るのか。
3 男女の何れかから不必要な反発を受けるのか。

究極は、1の答えとしては”「拘り」を誡めている”事に到達する訓であろうが、この2つの「深層思考」はともに脳に依る無意識の中での事であるのだから、例えば、男側が女性側に争いを避ける為に、この摂理の「理解」を受ける様に説得しても、男女にはそれぞれの思考を持ちえていないのだから、「理解」を得られる事は出来ない理屈となる。つまり、「永遠のテーマ」となる。
なにせ、「論理的思考」をベースにしている男の「性」と、「感情的思考」をベースにしている女の「性」では”根本的に相反する位置に”あるのだから、”「理解」を求めて一致させ様とする事態”が間違っている事になる。融通利かせる別脳があるのであればいざ知らず、無いのであるから、止む終えず少なくとも間違いであるだろう。
むしろ、この家訓4では、”一致させない事”が本来あるべき姿であり、”相反している事”で”物事が6つの思考から正しく導かれるのである”としているのだろう。
それを”如何にも正しい行為かの如く無理に「理解」という形の解決策に持ち込もうとする事”が”その行為に歪みを生む事になるのだ”としているのだろう。これが2の答えであろう。
この「行為」そのものが、過去の社会では「慎みの美徳」として女性側に求めていたが、何れかの「性」の方に「我慢、妥協、諦め」を生む事になり、それが何時しか「ストレスと成って爆発する事」(不必要な反発)の結果を生み、「営みに失敗を被る事」になるのだろう。これが3の答えであろう。

伊勢青木氏に於いては、この「慎みの美徳」を「社会の掟」の様に、当然の如くに求め理解を強いた結果、「900年も続いた紙問屋」や「伊勢青木氏の家柄」の大母体を維持する事に目が向き、”女が青木を潰す”という「一方的な戒め」として伝えられ来たのであろう。
明治35年に「慎みの美徳」の歪みが出たのか、”女が青木を潰す”(松阪大火の火元)の結果がまたもや出てしまったのであろうか。先祖伝来のステイタスの生仏像さまの戒めであろうか。
伊勢青木氏の失態は、家訓4がありながらも、この事に拘った為に、この訓の本質を見失っていたのかも知れない。
では、この「拘っては成らない」の本質とは、どの様に解せば良いのかということである。
幸い筆者の時代では、先人の失敗を繰り返したくない事から、この「性の摂理」の科学的根拠を探求して得ることが出来た事から、先人と違う「慎みの美徳」とは違う本質なるものを得たと見ている。
幸い時代と環境が違った事から得られたものであるが、未来に於いては、再びそのような環境が生まれて、「慎みの美徳」の方式に戻る事もあり得るだろうが。
何れが真実かは知り得ないが、兎も角も、”「拘り」の戒めの解釈”の答えは、現代では少し違うと考えている。

本「家訓4」の「拘りの誡め」の結論は、次の様に成るだろう。
そこで、つまり、”何れか一方が永遠に「理解」の得られない「性の摂理」がある事を知り、その「性の知識」を以ってして上手く処理せよ”という事であろう。

そして、現代に於いては、”過去の「慎みの美徳」環境から脱却して、その事により、「我慢、妥協、諦め」の環境をより少なくする様に努めよ”としているのであろう。

”世の「理解」というお題目は、「性の摂理」にだけは通用せず”と認識し、”「性の摂理」があるからと言って拘らず、””「性の摂理」を決して相手に求める事は相成らず。としている事になる。
兎角の「理解」の「衆生の論」は金科玉条の様にもてはやされるが、決して「家訓3」でも誡めている様に「性の摂理」に関しては惑わされては成らないものであろう。

「性の摂理」は上記した通りであるが、少なくとも、この「家訓4」の「性の知識」を知る事で、より相互に「求める理解」ではなく、「自然の理解」(「自然に生まれる理解」)が生まれるであろう事を期待する事であろう。

しかし、不幸にして、この「自然の理解」が得られにくい社会環境に成っている事は否めない。
まず、「性の摂理」の知識が、現代社会の相互間のコミニティーが低下して、伝わらなくなっている事で、この「自然の理解」が得られず、男女間のトラブルが多発しているのもこの原因であろう。
そして、再び、日本的という言葉を使い、「慎みの美徳」が短絡的に叫ばれる様に成っている事も事実であろうし、両極の「求める理解」もマスコミでは誠しやかに論じられているのには疑問を感じる。
そこで、少なくとも、「家訓1」から「家訓4」では、この知識の提供の一助になればとして家訓だけを期する事だけではなく、その理を論じている事に理解を得たい。

性[さが]には、次の様なポイントがあった。

[重要ポイントの整理]
A [性による深層思考]
脳の無意識の3基本動作 「計画 処理(目標) 実行」
B [性の無意識の思考原理]
女性の無意識思考 「感情 勘定 妥協」
男性の無意識思考 「理想 合理 現実」
C [性の働き]
「3つの性」(体の仕組み、心の仕組み、仕種の仕組み)
D [性を管理する脳]
「脳陵体」「中紀帯」
E [合理と勘定との差異]
男性の場合は、「理想」に基づく「論理性の合理」である。
女性の場合は、「感情」に基づく「数理性の勘定」である。
F [性の目的]
男性の目的は、子孫を「鍛える」にある。
女性の目的は、子孫を「育てる」にある。
G [性の進化]
「生存に適した進化」
「環境に適した進化」
「科学に適した進化」
「突然変異による進化}
H [性の過程]
「性の転換」
「性の合体」
「性の分離」
I [性の管理源]
「腸の管理」
「脳の管理」
J [性(脳)の管理]
「性の進化」
「性の分離」
「性の整理」
K [性(脳)の3つの進化(栄養素)]
「Naイオン」
「Caイオン」
「Mgイオン」
L [脳の性情報の体系化]
「3段階の収納体系化」
「幹、枝、葉」の形の3分類
M [性の変化要素]「増大化」
「拡大化」
「発達化」
「変異化」
「進化」


次ぎは「家訓5」に続く。

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