青木[アオキ] 名字 苗字 家系 家紋 ルーツ 由来

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藤原秀郷主要5氏と家紋の研究-青木氏121氏家紋に付いての研究 (分類)-3/10

史料3

青木氏121家紋に付いての研究-分類
次ぎの要領で分類する。
「家紋200選」を対象とする。

分類の記述事項とその条件は次の通りとする。
1 由来は文様種と文様の起源等とする。
2 使用氏は藤原秀郷流青木氏、並びに賜姓青木氏に歴史的に関連する氏で代表氏とする。
3 時代は紋様化の時期と家紋化の時期を記する。
4 地域は使用氏の発祥地域と末孫移動域とする。
5 特記は家紋情報に必要とする事柄とする。

「由来-使用氏-時代-地域-特記」

「青木氏と血縁族(家紋)」のレポートと一部重複する。
全体として本連載の7-10/10に関連する事項に対して参考となる事項を記述する。
青木氏を研究するには重要史料である。
各文様の主要紋を前提として分類する。

分類
1 ・笹竜胆 
由来は、竜胆の花葉を組み合わせた文様化、花の青紫(藍:紫色は高位色)(象徴紋・瑞祥紋)
使用氏は、皇族賜姓青木氏の綜紋(5家5流青木氏、佐々木氏(近江、滋賀)、11代の源氏)。
時代は、奈良大化期から平安中期の家紋化。
地域は、史料4参照(近江、伊勢、美濃、信濃、甲斐、滋賀、甲賀、駿河、伊豆、河内、摂津、日向)
特記は、この紫花を紋様化してステイタス(象徴の証)として、「大日像」と神木青木の樹木から「青木姓」と共に与え賜姓したのが始まりである。

2 ・下がり藤 
由来は、藤紫(高位の色)の藤の花と葉を図案化(瑞祥・象徴紋)
使用氏は、藤原(北家)秀郷一門の綜紋
時代は、奈良期の文様から始まり900年頃に家紋。
地域は、24地方(詳細研究室レポート参照)
特記は、笹竜胆紋に匹敵する歴史と権威を持つ。藤原氏四家は鎌足以来の下がり藤紋を嫌い上り藤に変紋した。秀郷一門9氏の家紋となった。

3 ・州浜、・丸に州浜
由来は、祝事の装飾具の「州浜の島台」を文様とした図案化(瑞祥紋)
使用氏は、常陸小田氏の代表家紋
時代は、室町初期
地域は、常陸、陸奥地方
特記は、陸奥から秀郷一門と血縁、同行して信濃甲斐地方に定住、常陸に大きく末裔を遺した。

4 ・抱き角、・丸に抱き角
由来は、兜の前立から尚武的な文様を図案化。(尚武紋)
使用氏は、諏訪氏(諏訪族青木氏)
時代は、戦国時代頃に家紋化
地域は、信濃諏訪地方、相模、下野、常陸
特記は、信濃青木氏と諏訪族が血縁し、諏訪族青木氏が生まれた。奈良期の時代に発祥。

5 ・違い鷹の羽、・丸に違い鷹の羽
由来は、鷹の勇猛、強靭な羽根を意味した文様を図案化(尚武紋)
使用氏は、浅野氏、、松平氏、菊地氏
時代は、鎌倉時代に家紋化、江戸初期に汎用
地域は、中国地方、安芸から美作
特記は、元は阿蘇神社の神紋、菊地氏より発祥

6 ・蔦、・丸に蔦
由来は、蔦の紅葉・唐草文様に擬似させて図案化(装飾紋)
使用氏は、松平氏一門の代表家紋(高安、富田、椎名)
時代は、江戸中期(享保・吉宗)
地域は、松平氏(代表家紋)11氏の領国(三木、石川、形原、大岡、仁科、山本、志賀等)
特記は、吉宗がこれを家紋化し高安家の家紋と成り一族に広がる。

7 ・木瓜、・丸に木瓜
由来は、御簾の布衿の帽額の文様が図案化、中国官服の文様(装飾紋)
使用氏は、徳大寺氏の家紋で、越前朝倉氏、織田氏、関口氏、平賀氏、野村氏、竹内氏、岸氏等
時代は、平安後期から室町初期
地域は、尾張から遠江地域
特記は、文様は古いが家紋化は1155年頃である。家紋中央に支流紋を入れた大変多い家紋群である。

8 ・片喰、・丸に片喰、剣片喰
由来は、鳩酸草とも云う優雅な形から図案化(草植・植物紋)、車文様。(植物紋)
使用氏は、代表は長曾我部氏、中沢氏、長谷川氏、等 剣片喰紋は酒井氏、
時代は、平安末期-鎌倉時代末期、 室町期-江戸初期
地域は、四国地方全域 安芸美作域、関東地方全域
特記は、四国は讃岐籐氏、関東は藤原氏の勢力圏、四国は助任、安芸の氏 関東は大胡、上泉、の氏 (酒井氏は秀郷一門下総結城氏が永嶋氏に成る前の一時使っていた氏名でその末裔)

9 ・三つ柏、・丸に三つ柏
由来は、古来、柏に職を盛り食す。神聖視し瑞祥信仰の対象 神職の家紋(瑞祥紋・神紋)
使用氏は、伊勢神宮久志本氏、熱田神宮千秋氏、宗像神宮宗像氏、吉田神社卜部氏、吉備津宮大守氏
時代は、平安中期の紋様化し、家紋は平安末期から江戸初期
地域は、大神宮域に存在、全国に分社、血縁関係で全国的
特記は、神紋で血縁から数え切れない氏である。主な氏は山内氏、牧野氏、中川氏、蜂須賀氏

10 ・梅鉢、・丸に梅鉢
由来は、梅の花の写実、図案化の2種 老梅から衣服や調度品の文様(神紋・瑞祥紋)
使用氏は、菅原氏系 代表は松任氏、筒井氏、平氏、斎藤氏、佐々木氏、前田氏、堀氏
時代は、奈良時代から平安末期の文様から、家紋は室町全期
地域は、春日神社域 畿内から中部西域に分布
特記は、菅原道真系の末孫氏を中心として各地に分布、江戸時代に大名移動で地域外の氏もある。

11 ・五三の桐
由来は、桐の葉と花を形象化 聖王の出現で現れる瑞鳥の鳳凰止まる嘉木(瑞祥紋)
使用氏は、特定できない。(特記)
時代は、平安時代の天皇家の象徴紋から鎌倉時代 江戸初期前後と明治期に庶民
地域は、特定できない。
特記は、元は天皇家の象徴紋で足利尊氏、豊臣秀吉が使用許される。しかし、豊臣家は大名に下賜し、大名は家臣に下賜し、遂には出兵に出た農民にも使用を無秩序に許可した。時代を通じて3度も禁令を発したが護られなかった。庶民の使える家紋と成る。

12 ・揚羽蝶、・丸に揚羽蝶
由来は、鎧兜、車、調度品の文様を図案化(尚武紋・象徴紋)
使用氏は、京平家(桓武平氏:六波羅党が車文様に使用した) 
時代は、平安末期に文様化 江戸初期前後に家紋化(末裔が京平氏の家紋化)
地域は大隈、中国地方、関西地方より西、四国地方、其の他は未勘平氏
特記は、本来、京平氏の正式家紋ではない。池田家の家紋(車紋の象徴紋で末裔が家紋化した)

13 ・九曜、・丸に九曜
由来は、星辰信仰の対象で北斗七星の方角と時間の指針 (天象紋)
使用氏は、細川氏
時代は、室町時代
地域は、西中国地方から北九州地方
特記は、九曜紋は細川氏系の10家紋がある。本家細川氏は細川九曜紋

14 ・三つ星、・丸に三つ星
由来は、妙見信仰から図案化(信仰紋)
使用氏は、児島氏、毛利氏、吉川氏
時代は、室町時代
地域は、中国地方
特記は、三つ星は将軍星と言われ好んで家紋化

15 ・桔梗、・丸に桔梗
由来は、桔梗の美麗な花を図案化 兜や薬効で出陣腹中にして戦勝したので後に家紋化(植物紋)
使用氏は、土岐氏系一門(小柴、榊原、太田、遠山、恒岡、安藤)各氏
時代は、平安時代の文様 室町期に家紋化
地域は、中部地方
特記は、着色文様では始めて 清和源氏支流

16 ・武田菱、割り菱
由来は、織文様で菱の形に類似(菱紋と唐花菱紋)、中国渡来の文様、(形象紋)
使用氏は、武田氏系一門の代表家紋(武田菱6氏、割菱9氏、花菱5氏)20氏
時代は、平安中期の文様 室町中期-江戸初期の家紋
地域は、甲斐、北関東地方
特記は、武田氏は武田菱(軍旗)と唐花菱紋(祭祀)を使い分。支流末孫が後に家紋群を広げた

17 ・橘、・丸に橘
由来は、橘の葉実の図案化 多遅間毛理が持参(垂仁天皇)「たじまの花」:「橘」 (植物紋)
使用氏は、橘氏(葛城王:橘の諸兄)系一門 薬師寺氏、井伊氏
時代は、平安時代初期の文様 平安末期の家紋
地域は、畿内 江戸時代各地に分布
特記は、皇族系で「源平籐橘」の4氏有名 藤原氏に潰され家紋嫌われる 

18 ・抱き茗荷、・丸に抱き茗荷
由来は、茗荷の花を図案化 「冥加」の同音で縁起  (植物紋)
使用氏は、二宮氏系一門(伊勢の鳥羽氏、稲垣氏 近江の小沢氏、山下氏)
時代は、室町初期(二宮氏)、江戸時代
地域は、近江地方、伊勢地方
特記は、天台宗の摩多羅神の神紋

19 ・三階松、・丸に三階松、抱き若松、
由来は、松の樹齢から慶賀、瑞祥の意味を持ち、調度器具に使用、松の形を図案化(瑞祥紋)
使用氏は、讃岐籐氏系一門 讃岐の寒川、福家、飯田、新居、羽床氏、安芸-美作の松田氏
時代は、平安時代の文様 江戸時代の前期の家紋化
地域は、讃岐を中心とする四国地方
特記は、この紋の氏は松、林を使った氏が多い、庶流の多い氏で20程度もある。

20 ・菊水
由来は、古来中国の菊と水の形象の瑞祥文様 延命の意がある 調度衣服の文様(瑞祥紋)
使用氏は、楠木氏系一門の独占紋(和田、松村、内田、橋本、竹村氏)
時代は、鎌倉初期の文様 南北朝時代の家紋化
地域は、紀州九度山、三重、奈良地域
特記は、楠木正成で有名

21  釘抜き
由来は、大工道具の「釘抜き」を図案化 後説では千金万金と九城を抜くの縁起の意 (形象紋)
使用氏は、松平大給氏、長谷川氏支流
時代は、室町末期
地域は、近江地方、下総葛飾、駿河小川
特記は、他説 大給氏、職能紋の説、宇多源氏滋賀佐々木氏の一門説、長谷川氏支流説があり

22 ・丸に根笹
由来は、歳寒三友(松竹梅)桐鳳凰の文様から独立 家具や調度品の文様 公家紋(瑞祥紋)
使用氏は、仁木氏、桜井氏
時代は、平安末期の文様 鎌倉時代の家紋化 江戸時代の家紋
地域は、上総下総地方 広くは関東地方
特記は、公家が文様を多く使用し象徴紋とした。後に、家紋化

23  立ち葵
由来は、葉を図案化 加茂神社の神紋 信仰的意義がある。(神紋:権威紋)
使用氏は、丹波国の神社氏子の西田氏が使用、神社神官(松平、本多氏)が家紋 徳川氏系
時代は、平安-鎌倉の文様 室町期に家紋化
地域は、丹波ー三河地域に分布
特記は、善光寺の寺紋 葵紋の禁令で分布せず、松平氏系の一代限の平井、山田氏等が使用した

24 ・丸に違い矢
由来は、武勇を表す矢を家紋化 (形象紋)
使用氏は、松平深溝氏系一門 矢の着く姓で武家紋として扱われた
時代は、江戸初期
地域は、中部地方-西関東地方
特記は、矢紋では家紋名も明らかでない物が多く一定せず。

25  丸に六つ矢車
由来は、武勇を表す矢を家紋化 (形象紋)
使用氏は、不詳(荒川氏)
時代は、江戸中期
地域は、関東地方
特記は、小氏で主に荒川支流域に分布

26 ・丸に隅立て四つ目、隅切り角に四つ目、丸に三つ目
由来は、染物文様の図案化 衣服直垂の文様 
使用氏は、佐々木氏(椎名氏含む)系の支流(高山、幸田、馬場、鍋島、千田、小島氏)
地域は、近江、滋賀地方
時代は、平安末期鎌期に紋様 室町期に家紋化
特記は、4つ目は近江、滋賀皇族賜姓族一門、三つ目(磯部、由井氏)等の支流一族が使用

27  抱き柊、蔓柊
由来は、古代この柊木で矛を作った 後に悪魔退散の意味になった (植物紋)
使用氏は、関東7党の丹治氏系一門の大関一門(末裔k山本、林、早川氏)
地域は、関東地方
時代は、平安末期の文様 江戸中期の家紋
特記は、柊明神の氏で家紋化した(大名 下野黒羽藩大関氏)

28 ・扇、・丸に扇
由来は、末広の縁起から図案化 (形象紋)
使用氏は、佐竹氏、松平深溝氏系庶流
地域は、北九州地方(筑後、豊後、豊前)
時代は、江戸初期
特記は、使用氏の庶流は副紋使用している。

29 ・立ち沢瀉、・丸に立ち沢瀉
由来は、水辺の白い花を尚美的図案化 兜、直垂、車の文様に使用し家紋化(装飾紋)
使用氏は、越中椎名氏、酒井、土井、水野、奥平、堀氏の徳川氏の重臣とその庶流
地域は、主に三河、尾張地域、一部に豊後地域
時代は、平安末期の文様 江戸初期に家紋化
特記は、この地方によく沢瀉草が繁殖自生、

30 ・牡丹
由来は、中国で富貴な象徴で、衣服と車の文様 観賞用薬用花 (象徴紋)
使用氏は、近衛家、九条家、鷹司氏、難波氏系の一門(公家)の家紋
地域は、京都 畿内地方 特記各大名の地域
時代は、平安中期の文様 江戸初期の家紋化 
特記は、武士では縁戚により伊達、島津、鍋島、本間氏 

31 ・丸に三つ鱗
由来は、織文様から図案化 (装飾紋)
使用氏は、北条氏の代表家紋 平野氏、江間氏、岡野氏 前北条氏と後北条氏の末裔
地域は、小田原、鎌倉、駿河、遠江の坂東地域
時代は、平安末期の文様 鎌倉時代に家紋化
特記は、戦国時代に衰退 家紋(末裔隆盛なし)少ない。(一族紋は25)

32  立ち梶の葉、隅入り角に梶の葉
由来は、古代、梶は和紙の原料、諏訪社の神紋 ご幣に使用した (神紋)
使用氏は、諏訪氏系一門、下条氏、山辺氏、西牧氏 保科氏 保科氏 松浦氏 有賀氏 安部氏
地域は、信濃地方(諏訪) 会津地方 高嶋地方 平戸地方
時代は、平安時代末期の文様 室町末期の家紋化
特記は、隅入り角に梶の葉は向山氏 信長の追討で諏訪氏逃亡先に定住して末裔広げた

33 丸に二つ引き、丸に一つ引き、丸に三つ引き
由来は、軍旗の横に5段の布を色染め分けて着け大将の所在を示した。図案化(形象紋)
使用氏は、足利氏一門 新田氏、今川氏
地域は、信濃地方
時代は、室町期初期
特記は、足利幕府一門とその豪族名家の幕臣が使用した。一族は添え紋方式を採っている。

34  三つ銀杏、二重亀甲に三つ銀杏
由来は、銀杏の葉を図案化した 銀杏は長寿命樹 公孫樹とされ形象の美から家紋化した(植物紋)
使用氏は、西郡氏 大石氏、大柴氏、長谷部氏、大柴氏、大岡氏
地域は、中国地方から関東地方
時代は、平安末期の文様 江戸初期の家紋化
特記は、関西以西の氏では土方氏、水島氏、坪内氏、間部氏がある。

35  隅切り角
由来は、衣服、調度品、建築物の文様 正方形を変形させ図案化 (図形紋:職能紋)
使用氏は、不詳、不定
地域は、不詳、不定
時代は、平安末期の文様 不定(江戸時代の中期)職能紋として発展
特記は、職能(匠)による伝統継承の証として青木氏を与え家紋とを継承した

36  枡、丸に隅立て升
由来は、穀物を計る枡の図案化 (34の角紋と同様)(図形紋:職能)
使用氏は、不詳 不定
地域は、不詳 不定
時代は、不定(江戸時代中期)職能紋として発展
特記は、職能(匠)による伝統継承の証として青木氏を与え家紋とを継承した

37  五瓜に違い鷹
由来は、中国の官服の文様 木瓜紋に唐花が基本 (植物紋)
使用氏は、渋江氏(浅野一門との血縁族)
地域は、中国地方
時代は、平安中期の文様 江戸時代中期の家紋化
特記は、横木瓜を基本 木瓜紋の変形紋4-8の一つ 五瓜の中央に血縁紋の鷹の羽入り

38  丸に青の角の字
由来は、字を角紋様化したもの  (図形紋:職能紋)
使用氏は、不詳 不定
地域は、不詳 不定
時代は、不定(江戸時代中期)職能紋として発展
特記は、職能(匠)による伝統継承の証として氏(青木氏)を与え家紋とを継承した

39  くつわ
由来は、馬の口輪「くつわ」を図案化 (形象紋)
使用氏は、不定 馬廻氏、馬場氏、大島氏 大草氏、馬上氏
地域は、不詳 不定
時代は、不詳(江戸時代-明治初期) 大名の馬周りの職能を引き受けた職人の家紋化
特記は、職能紋は農民では馬字を着く姓に集中 武士では馬役人(大草氏)家紋
 
以上青木氏に関する家紋情報である
(家紋は代表家紋を表す)
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藤原秀郷主要5氏と家紋の研究-藤原秀郷流青木氏の家紋群-2/10

史料2
藤原秀郷流青木氏116氏(121)の家紋類

綜紋 下がり藤紋 綜紋 下がり藤紋




(以下第3の青木氏の家紋、及び、皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏の家紋類含む)
(詳細説明は家紋掲示板か「青木氏と血縁族」(家紋)のレポート参照)
(各青木氏の家紋類は重複し合計121紋:不明紋含ず)
(・印 家紋200選 59/121 49%)

1 ・笹竜胆
2 ・下がり藤、・上り藤、・加藤藤、上り藤上一、対四つ藤
3 ・州浜、・丸に州浜、三つ盛り州浜、丸に三つ盛り州浜、三つ盛り陰州浜、五瓜に州浜、下り藤に州浜、
4 ・抱き角、・丸に抱き角、四つ又抱き角、隅切りに抱き角
5 ・違い鷹の羽、・丸に違い鷹の羽、並び鷹の羽
6 ・蔦、・丸に蔦、陰蔦、丸に陰蔦、鬼蔦、隅切り角に蔦、八角に蔦、二重瓜に蔦、五瓜に蔦
7 ・木瓜、・丸に木瓜、横木瓜、丸に横木瓜、糸輪に陰木瓜、五つ木瓜
8 ・片喰、・丸に片喰、・剣片喰、・丸に剣片喰、隅入り平角に片喰、子持ち亀甲剣片喰、五瓜に片喰
9 ・三つ柏、・丸に三つ柏、・牧野柏、・丸に蔓柏、・違い柏、二つ葉蔦柏
10 ・梅鉢、・丸に梅鉢、加賀梅鉢
11 ・五三の桐
12 ・揚羽蝶、・丸に揚羽蝶
13 ・九曜、・丸に九曜
14 ・三つ星、・丸に三つ星、亀甲に三つ星、扇に三つ星
三つ星一つ引き、・丸に一つ引き、・丸に二つ引き、・丸に三つ引き、八角に木瓜に二つ引き、五瓜に丸に三つ引き
15 ・桔梗、・丸に桔梗、
16 ・武田菱、割り菱、・三階菱、・丸に三階菱、抱き茗荷菱、丸に一つ目菱、・剣花菱、・丸に剣花菱、松皮菱、四方瓜に重ね菱、・丸に花菱
17 ・橘、・丸に橘
18 ・抱き茗荷、・丸に抱き茗荷
19 ・三階松、・丸に三階松、抱き若松、
20 ・菊水
21  釘抜き
22 ・丸に根笹、・九枚笹、3枚笹、二階根笹
23  立ち葵
24 ・丸に違い矢
25  丸に六つ矢車
26 ・丸に隅立て四つ目、隅切り角に四つ目、丸に三つ目
27  抱き柊、蔓柊
28 ・扇、・丸に扇、違い扇、丸に違い扇、・丸に日の丸扇、・並び扇、・丸に並び扇、隅切り角に扇
29 ・立ち沢瀉、・丸に立ち沢瀉、花沢瀉、・抱き沢瀉
30  牡丹
31 ・丸に三つ鱗
32  隅入り角に梶の葉、立ち梶の葉
33  三つ銀杏、二重亀甲に三つ銀杏
34  隅切り角
35  枡、丸に隅立て升
36  五瓜に違い鷹
37  丸に青の角の字
38  くつわ

以上38分類の121の家紋がある。
(家紋掲示板は33文様 5紋様は削除)

青木氏の家紋類と「家紋200選」に関する考察
(「家紋200選」は1/10の史料1参照)

青木氏の家紋類の全体の50%は「家紋200選」にある。
青木氏にに拘らず他の主要4氏もほぼ同じ程度である。

この事は青木氏が先ず大変隆盛を極めて子孫を大きく遺した氏である事が云える。
普通の氏では10%程度である事から観ると、格段の違いである。
これは「氏家制度」の血縁の慣習が原因していると見られる。
つまり、血縁の家柄身分の慣習の「吊りあい」を前提としていた過去の社会慣習が左右していたと観られる。
この慣習は昭和20年前の社会慣習では血縁と言う事では未だ多く遺された慣習であった。
この青木氏の家紋類の多くは藤原秀郷流青木氏(70%:200選で35%)の比率となるが、その内容は「家紋200選」の中でも全て大豪族が血縁相手である。
又、護衛と云う役目柄として大豪族と血縁する事でよりその任務が果たせるからに他ならないのである。この様に偏るのはあくまでも戦略的血縁(政略血縁)であり、決して恋愛的血縁ではない。
現在では、華々しく恋愛的血縁であるが、当時の氏家制度の中では「吊りあい」の家柄身分の範疇で行われる政略血縁である。

特に秀郷一門の「第2の宗家」と目される青木氏に関しては、一門(氏)が生き残るための条件を優先されるものがより他の4氏より強かったし、要求されたと観られる。
だから、この様な「数と質」の血縁族との内容と成っている。(これ等は本文で説明)
その「数と質」の血縁には特長があり、青木氏121の家紋から「第3の青木氏」の家紋6氏を除くと先ず全て本家との血縁をし続いて分家、分流、分派の血縁を行っている。
これは採りも直さず、固めに固めていると言う事が観える。これだけ固めれば崩れることはなく一族挙って離反する事はなくなるだろう。これは青木氏本家と血縁先本家がその一族をまとめる事が出来る戦略そのものである。

当時は、未だ群雄割拠の時代で、隙を見せれば潰される時代であり、青木氏の護衛の如何では藤原秀郷宗家の任務が果たせず、家の面子に関わる事でもある。
この時代では理想的な言い分は通らない。実績のみである。この意味からして護衛と云う役目は宗家=青木家である。だから、宗家から跡目を入れて、身内で確固たる体制を築き、下記にも出て来るが、護衛で足利の騒動を守り抜いた「藤姓の足利殿」と呼ばれる事になるのである。
(秀郷総宗本家は「平将門の乱」で武力を持たない貴族になった)

地理的に観ても、その青木氏血縁相手の家紋の氏が、藤原秀郷一門の赴任地にほぼ一致するし、5家の賜姓族の土地柄に一致する。この意味するところは、藤原秀郷一門が戦略的に勢力を高め確固たる基盤を築こうとする「大戦略」に他ならない。
つまり、藤原氏北家が最大勢力を築き、それを背景として政治を主導したのは、この事が大きく影響している。青木氏は秀郷宗家の赴任地に護衛役として同行し、そこで宗家と共に、上記の戦略を展開した主役である事を意味する。
この事は永嶋氏を始めとする主要5氏の7/10-10/10の本シリーズのレポートでも記述するが、藤原秀郷宗家と同格に扱われていて、他の4氏と較べて「第3子の家法」に基づき「青木氏の跡目」も殆ど宗家から入れているくらいである。

「第2の宗家」と当時は見なされていて、書籍では実力者「藤姓の足利殿」と呼ばれていた。
この時期は足利に着任した秀郷7代目の成行の孫の宗家有綱七郎(二郎:秀郷10代目)から跡目を青木氏に入れて、足利に有綱が着任、その跡目を受けた青木氏が護衛役に着いた。実質の実力者である。実質は「足利殿」とは「青木氏」である。この表現は青木氏も宗家と見なされていたことを意味する。「流」から観ても子供であるのでそう云うに呼ばれるであろう。

その後、宗家本流の有綱流より跡目が入り続け、更に有綱より8代目の行久(第2子)まで跡目は続いている。この青木行久が2代目千国から続いた直系青木氏を引き継いだのである。
更に、宗家本流の佐野氏流と同系となり その後、総宗本家以外の本流佐野氏からも跡目が入り青木氏が繋がり、これより青木氏は兼光流の佐野氏を含む秀郷宗家一門筋から第1子を除いて第2子から第7子までの形で跡目は続いているのである。
本論で記述するが、秀郷流とは異なる流の利仁流からも青木氏の跡目が入っている。

これは青木氏の直流の一つに入れたものであり、利仁流の流を組む直流青木氏が引き継がれて行くのである。
当然、直系青木氏からも直流青木氏へ跡目を入れているのであるが、この様にして青木氏は維持され且つ、主要9氏116氏の青木氏が拡大して行くのである。このことは本論で詳しく考察する。


「第3の青木氏」についても、完全にこの氏の掌握は困難であるが、この青木氏(下記:30氏程度)にある氏は藤原一門と賜姓族の青木氏のほぼ勢力圏内での発祥紋と成っている。
つまり、この史料外の史料とも合わせて観ると「第3の青木氏」は、赴任地24地方の域周囲に居た者が他の二つの青木氏に習って名乗った事をこの史料で裏付けられる。
その時期は、家紋の出てきた時期から観て、第1期の室町末期、第2期の江戸初期、第3期の明治初期の内、この青木氏の家紋類から観ると、藤原秀郷一門が鎌倉幕府樹立で失職離散した時より以後の主に御家人、旗本等の発祥期の第2期の江戸初期が主になるであろう。

皇族賜姓青木氏5家5流と24氏(史料3/10)にと、藤原秀郷流青木氏の主要9氏116氏との家紋が24家紋で重複する。そして、それは、藤原秀郷流青木氏116氏の中に全て25家紋(笹竜胆紋含む)は存在する。
秀郷宗家が引き継ぐ綜紋「下がり藤紋」が、秀郷の青木氏宗家にも「下がり藤紋」を確認出来る。
これは秀郷宗家と同じく青木氏宗家でも「第2の宗家」の維持を固くしている事を意味する。

賜姓族の青木氏(信濃青木氏)の笹竜胆紋も重複していることは、秀郷一門の青木氏に跡目を入れていてる事を示すものである。つまり、藤姓の足利の青木氏(下がり藤紋)と相互に跡目血縁し2つの青木氏で何れも男系不継承で秀郷青木氏の方で家紋が笹竜胆、賜姓青木氏の方で下がり藤紋と成った事を意味する。

その重複25家紋に付いては全て「家紋200選」にあり、その「家紋200選」の中でも主要氏の家紋類である。
この青木氏の家紋には、「第3の青木氏」の職能紋(職能の高い伝統を護るために匠と成った者に与えた氏)が2つ含む。主な職能外の「第3の青木氏」は4つ含み合わせて6家紋が含んでいる。

この「第3の青木氏(家紋6)」は、藤原秀郷流青木氏と皇族賜姓族青木氏の家紋116氏(家紋は重複)に対して、上記の「地理性」から観て同じ程度の家紋の数(下記:MIN30-MAX35)の氏があると見られる。
(秀郷一門20地方と皇族賜姓9地方:未勘と重複含ます゜:発祥していない地域もある)
発祥した「家紋と氏」では地理的には30(25-35)程度だが、第3期の明治期では村全体が突然に集団で名乗った事や、未勘の氏もいれて、第1期と2期では個別で名乗った氏が多かった。
この事から、個別の家紋化をして名乗りをした史実を考えると、(期間-氏-地方)の関係では、明治期を限界として(1125年-116氏:30地方=370年:?氏:30地方)の相対式の計算では?氏=38と成る。
相対式から観ても35(BIAS 3)氏(繁殖と死滅は同等とする)の「第3の青木氏」が存在すると考えられる。(地理的30:相対的35 結論30-35氏)
この結果、2つの結果を考慮すると、全ての青木氏は155-160の氏と家紋と成るであろう。

現在の全青木氏の人口を考察推定する。
全青木氏の数値を使うと、MIN95万-MAX100万(計算 155・5の5乗:家族5・5代=夜叉孫)と成る。これは概して日本の人口の1/120と成る。
家紋数8000として観ると、多い氏と成ろうし、ave50家紋<200で「家紋200選」から観ても主要家紋の氏と成る。

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藤原秀郷主要5氏と家紋の研究-家紋200選-1/10

史料1

「家紋200選」

「氏と家紋の経緯」
藤原秀郷主要5氏との家紋を中心として、血縁関係等を理解する上で、この「家紋200選」の事を検証し、考察する必要がある。このレポート全体は青木氏外の氏でも関係する内容となる。
そこで、先ずその意味からも次の内容から入る。

平安時代から明治初期までに約8000といわれる家紋類の中で隆盛を極めた氏の家紋である。
主に江戸中期までを主体としている家紋類である。
氏の家紋的扱いは、当初、「奈良時代」から始まる。
その目的は先ず「瑞祥文様」として使われ、式服や幔幕等の単純な装飾の「文様」して使われていた。
次ぎに、それが進み奈良時代末期では、律令の法体系化が起こり「八色の姓制」や「冠位制度」等が定められるに連れて、極めて限られた皇族賜姓青木氏などの一部の高位の身分や家柄の「ステイタス文様」として使用が許される様に成って行った。
この「ステイタス文様」は、天皇などから勲功や賜姓をうけた皇族が使うもので、誰でもが使用できる習慣ではなかった。

それが「平安初期」に入り、律令制度が整い、それを実行する皇親政治の天皇と云う権威から「賜物」を受ける事で、天皇家や皇族や公家や高官の「象徴紋」として使われるように成った。
依然として、皇族、公家、などの特定の身分の「40程度の氏」に対して特別の部分(源氏車等諸道具)などの「判別使用の目的」の為に許されていた。
依然、自由に使える慣習ではなかったし、一般の者もその必要性は生活習慣の中には無かったものである。

しかし、それが平安中期ごろ皇親政治で「氏家制度」と「律令体制」が完成するに従い、法順が整うにつれて次第に身分を表す「権威紋」と化して来た。
この頃、勲功に対して賜姓が多く発せられる等して、権勢のある者はそれを受けようとしたが、「八色の姓」制度や冠位制度等もありながら、遂には、皇族公家のみならず大豪族等も勝手に氏を名乗るようになり始めた。
その氏発祥に対して朝廷は危惧を感じて特定の使用を禁じる嵯峨期の禁令の詔を発する程になった。
「判別使用の目的」から徐々に勢力を現す「権威の標」として進み「家紋」の様相を呈するように成り「80程度の氏」が使用した。
しかし、「瑞祥文様」-「ステイタス文様」-「権威の標」とこの状況は進み、平安末期には武士の台頭勢力により、その軍団の武力による「力の象徴」として「氏の標紋」として使用されるように成った。
しかし、まだこの段階では「200程度」の限られた身分や軍団のものであり、源氏一門、藤原氏一門等の武力集団等の氏で家紋であったし、普通の家臣の上級武士はおろか庶民のものではなかった。

この経緯が、鎌倉期に入り、完全に武士の時代となり、地頭、御家人制度が始まり、武士は家紋の持つ統一された軍団に帰属して、個別の氏の家紋では未だ充分になかったが、「家紋化」が起こり始めた時期でもあった。
挙って、その軍団長の主な公家や上級武士などが使用するよう成り、急激に「800程度」と膨れ上がる事になった。
しかし、ここで必然的に膨張した氏の勢力争いの戦いが激しく起こり、軍団の破壊が起こり、個別化し夫々の小個別軍団化して軍団の印として家紋を持つ様に成った。

まとめると、この間の経緯は次ぎの様に変化した。
この間、大化改新の国体上の歴史期間は、約550年程度である。
「瑞祥文様」(1:天皇家)-「ステイタス文様」(10:皇族)-「象徴紋」(40:公家:身分)-「権威の標」(80:皇族と賜姓族:政治)-「力の象徴:標紋」(200:侍:武力)-「家紋化」(800:武士:氏家)-*

室町初期から始まった下級武士団の「下克上]で傀儡勢力の「打ちこわし」や、「戦国時代」での「氏の生き残り」の殺戮戦が繰り返される状況となった。
益々細分化の軍団化が起こり家紋は増加する様に見えたが、細分化は当然死滅する憂き目もあり、むしろ、この傾向が逆に起こった為に家紋の持ち主が変化して、家紋は細分化はしたが減少したのである。
つまり、新しい家紋を持つ軍団(氏の集合体)の再編成化が起こったのである。
逆に、「象徴と権威と武力」を示す家紋を持つ旧大軍団は分裂し衰退した。
「氏と家紋(標紋)」のこれ等の反動と変化は、長期間の戦いに突入し、再び、氏は激減し「400程度以下」に戻ったのである。この時は、まだ上級武士階級の「権威紋」であった。

室町末期では氏や家紋の持たない庶民の「立身出世」が起こり、武士から転進した商人や技能者等の庶民に於いても室町文化の影響を受けて、この時期には多くの転進武士の大豪商が増えた。
それらが商標として、又一部では「家紋的な標」として持つ様に成った。
それら2つの動きがまた何の制限もなく自ら氏を起し、その「判別と権威」を誇示する行為と出て、「家紋」はもとより軍事「旗印」としての「判別標」的なものとして用いられる様にも成った。
「判別と力と権威」(旗印、判別標:「家紋」)の幾つかの家紋と氏を持つ小軍団が組織化されて、再び大きい軍団の下に集約されて行った。

次第に戦いは安土桃山に入り終結期へと進み、氏は再び爆発的に増えて、何時しか「旗印」から色々な意味合いを持ち、未だ限定的であるが、本格的「家紋」的扱いの方えと重点へと移って行った。
これで激減した「家紋や氏」は再び「800から1000程度」にも成った。
この頃より家紋類が「族を表す手段」として意味を持ち、「下克上」「戦国時代」などで衰退した「象徴と権威」の「過去の氏」を引き出して、「家柄身分」の意味合いも持たして、名乗りだし誇示する様に成った。

そして、安定期に入った江戸時代初期には、各大名の家臣等や下級武士を含む旗本等が挙って自前の家紋を持つ様に成り、本格的な家紋として「2000程度」と爆発的に急激に膨れ上がった。
家紋は再び、新しい時代の「家柄、身分、族の証」として、又、出世の具としても必要性を増した。
この時点では、江戸初期前から中期以降は、下級武士の家紋のみならず、武士が商人に成ったり、郷氏、郷士、豪農に転進する事が頻繁に起こった事から、国民のかなりの階級まで「家紋」は広がりを示した。
むしろ、家紋を持たない者は立身出世のみならず、異端児扱いの風潮も起こっていたのである。
意味は大してないが、もつ事に意味があるという風潮が広まり、この傾向は更に明治維新に持ち越されて、明治3年と8年の「苗字令」、「督促令」に基づき、全ての国民は苗字をもつ事を「義務」付けられた。
この時の風潮に伴ない組織化、統制と目的のない自由な氏と家紋も平行して増えた。
この時点では最終「7000から8000」とも言われる程と成った。
しかし、この時からその氏や家紋は全く意味を持たなく成り始めたのである。
以上が家紋から考察した「氏の経緯」である。

「家紋・氏の経緯」

まとめると、この間(1240年)の経緯は次ぎの様に成る。
(家紋・氏数:種:目的:期)

1・「瑞祥文様」 (1:天皇家:単純文様:奈良期)
2-「ステイタス文様」 (10:皇族:真人朝臣姓:奈良期末期)
3-「象徴紋」 (40:公家:身分冠位:平安初期)
4-「権威の標」 (80:皇族と賜姓族:政治:平安中期)
5-「力の象徴(標紋)」 (200:侍:武力:平安末期)
6-「家紋化」 (800:武士:氏家:鎌倉期)
7-「判別と力と権威」 (400:武士と商人:旗印・商標:室町期)
8-「限定家紋」 (1000:中級武士と商人:家標:桃山期)
9-「本格家紋」 (2000:下級武士と豪農:身分出世の具:江戸期)
10-「紋」 (8000:国民:無意味:明治期)
11-「*} (2000:*:*:平成期)

現在は、氏は維持しているが、近代化と人口の低下や核家族化が急激に進み、個別の氏や家紋の必要性は失われて、意味を持たなく成り、意識の中に忘れ去られて「2000程度以下」に戻っているのではないかと考えられる。
しかし、これでも明治初期の人口(4000万程度)からすると、0.02%程度になる。
つまり、一つの氏では平均5000人の集団となる。家紋も同等と考えると、大した集団ではないと考えられるが、江戸初期では、更に数字外の事であっただろう。
それだけに明治初期頃に作られたこの「家紋200選」の持つ意味は格別である。

この家紋200選の選別条件は次ぎ様な事に成る。
選別条件を調べると、家柄などに拘らず、先ず、根底に、”隆盛し子孫を大きく残した氏の家紋”の条件が観える。
次ぎに、象徴的な歴史を残した氏の象徴紋、時の政治を主導した権威紋の条件が出て来る。
象徴や権威に関わらず、時代に一生風靡し名を遺した職能紋も条件として出て来る。
分家の家紋が選択されているのに、本家紋がない、この家紋があるのならこの家紋もある筈だ、この家紋が何故選択されている等の疑問が湧くが、調べてみると、良く「歴史」と「子孫」を遺した事が検証されて納得できる事が観察される。
江戸期と明治初期前は封建社会の最低の仕組みは遺されている時の調べであるから、現在から観ると「疑問」と観えるが理解が出来る。
まあ、8000に対して200(2.5%)であるので、統計的には多少のバイアス(10)は認められる事で頷ける。
分家、家紋があり本家家紋がなければ足して理解してもその信頼度は変化しない事に成る。

歴史を研究する場合には色々な判断に使えるので、この「家紋200選」はその様に理解して利用されたい。

家紋200選(順不同:数字は分類)
1 笹竜胆、丸に笹竜胆、石川竜胆、竜胆車
2 下がり藤、丸に下がり藤、上がり藤、丸に上がり藤、加藤藤、軸付き藤輪
3 桔梗、丸に桔梗、中陰桔梗
4 抱き角、丸に抱き角
5 武田菱(四つ割り菱)
6 橘、丸に橘、丸に三つ足橘、井筒に橘、隅切り角に橘
7 丸に花菱、丸に剣花菱、中陰花菱、丸に三つ割り花菱、四つ花菱、七宝花菱
8 丸に三階菱(三階菱)
9 唐花、中輪に唐花
10 片喰、丸に片喰、剣片喰、丸に剣片喰、四つ片喰、丸に四方剣片喰
11 丸に一つ引き、丸に二つ引き、丸に三つ引き、丸に縦三つ引き
12 木瓜、丸に木瓜、陰木瓜、糸輪に陰木瓜、四方木瓜、丸に四方木瓜、立ち木瓜、剣木瓜、庵木瓜
13 丸に州浜、(州浜)
14 揚羽蝶、丸に揚羽蝶、浮線蝶、向かい蝶
15 立ち沢瀉、向こう花沢瀉、丸に立ち沢瀉、沢瀉に水、抱き沢瀉、中輪に抱き沢瀉、(沢瀉)
16 抱き茗荷、丸に抱き茗荷
17 三つ柏、丸に三つ柏、丸に変わり三つ柏、丸に牧野柏、蔓柏、丸に剣三つ柏、丸に一枚柏、丸に並び柏、違い柏、抱き柏、丸に抱き柏、中川柏、三つ追い重ね柏、丸に尻合わせ三つ柏、丸に尻合わせ鬼柏
18 五三の桐、丸に五三の桐
19 鶴の丸、舞鶴、丸に鶴の丸、噛合い向かい鶴、向かい鶴
20 丸に三つ葵、(立ち葵)、丸に変わり花立ち葵
21 蔦、(丸に蔦)、中陰蔦、石持ち地抜き大割蔦
22 木瓜(丸に木瓜)、織田瓜、唐五瓜唐花、五瓜に桔梗、五瓜に丸に三つ引き、五瓜に四つ目、五瓜に立ち沢瀉
23 丸に違い鷹の羽、丸に右重ね違い鷹の羽、中輪に陰違い鷹の羽、阿倍鷹の羽、隅切り違い鷹の羽、丸に並び鷹の羽、亀甲に違い鷹の羽、
24 八つ鷹の羽車
25 梅の花、梅鉢、丸に梅鉢、星梅鉢、陰陽裏梅、剣梅鉢、中陰八重向こう梅
26 丸に雁金、(雁金)、丸に結び雁金、丸に二つ雁金、増山雁金
27 松皮菱、丸に松皮菱、三つ松皮菱、五つ松皮菱
28 丸に三つ星、渡辺星、丸に渡辺星、七つ星、丸に七つ星、九曜、丸に九曜
29 左二つ巴、右二つ巴、左三つ巴、丸に左三つ巴、尾長巴、左金輪巴、右金輪巴
30 丸に違い丁子、左二つ丁子巴、右二つ丁子巴、右に三つ丁子巴、丸に右三つ丁子巴
31 平四つ目、新四つ目、丸に隅立て四つ目、丸に平4つ目、十六目
32 中輪に三つ銀杏、向かい銀杏
33 丸に5本骨扇、丸に日の丸扇、三つ反り扇、丸に並び扇、中輪に地紙、檜扇
34 丸に九枚笹(根笹)、丸に根笹、丸に陰若根笹、仙台笹
35 竹輪笹に向かい雀、丸に竹向かい雀
36 丸に三つ鱗
37 櫛松、丸に左三階松、丸に荒枝付き三階松
38 亀甲花菱、亀甲剣片喰、三つ盛り亀甲に花菱、持ち合い三つ盛亀甲に花角
39 丸に立ち梶の葉
40 月に星
41 八つ鶴車
42 撫子、丸に撫子
43 唐団扇
44 陰源氏車
45 角田
46 並び矢、丸2違い矢
47 桜、丸に桜、三つ割り桜
48 半菊一の手、菊水、菊菱
49 丸に抱き花杏葉、別所鼻杏葉
50 左廻り一つ稲の丸、包み抱き稲、抱き稲、丸に抱き稲
51 丸に角立て井筒、丸に井筒、組井筒
52 石車
53 角立て稲妻
54 丸に輪違い、三つ輪違い
55 蛇の目
56 丸算木
57 丸に並び枡
58 細輪に三つ頭合わせ蛤
59 糸輪に向かい鳩
60 丸に笠
以上「家紋200選」である。

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