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藤原秀郷主要5氏と家紋の研究 史料 9/10(家紋分布の分析)

藤原秀郷主要5氏と家紋の研究 史料 9/10(家紋分布の分析)
投稿者:福管理人 投稿日:2009/01/25(Sun) 08:23:27


史料 9/10(道別、国別、地域別の家紋分布の分析)

主要5氏の家紋の地域分布の状況
(青木氏121家紋を含む主要5氏家紋数361とそれに関連する家紋)
(作成要領と注意は史料 7/10と同じ)

A 全体綜合(道別の詳細は下記参照)
東北地方 14  2.6%  
北陸地方 13  2.4%
関東地方 103 19.2%
中部地方 180 33.5%
近畿地方 88  16.4%
中国地方 57  10.6%
中国地方 3   0.5%
四国地方 42  7.8%
九州地方 39  6.9%

合計   539

この各地に分布する秀郷一門の血縁族の家紋を各地(66国)にプロット(B)し、それを上記地方(A)にまとめた。
その時代を「氏家制度」の社会システムが崩れていない江戸中期までのものとして使用した。
但し、同じ家紋が国地方を跨ることはあり合計539と成る。

このデータで利用の仕方如何では秀郷一門の「生き様」のさまざまな事が判る。
秀郷一門の主要5氏の血縁分布では、上記の様に成る。

東北、北陸地方は代々鎮守府将軍として赴任した土地柄である。
「秀郷一門の血縁戦略」即ち、その土地での血縁族を増やし、地固めをして行った結果によるが、この地方ではそれなのに意外に少ない。
この地では小山氏、小田氏、花房(花山)等の多くの土豪と血縁氏しその血縁族が関東に出て勢力を伸ばした。
その中でも代表的な氏として、足利、武田、小山、花房(花山)、小田氏等が関東豪族としてあるが、他の土地との比較からすると少ない。全体の5%に過ぎない。
秀郷より発祥11代までで大体6ー7代頃まで続いたこの官職で、尚且つ、前発族である土地柄であって、宗家の土地柄血縁族である。その後も進藤氏や利仁流が引き継いで行った土地であるのに不思議に低い。
このデータは一門の各地での勢力分布としても観られるデータである事から観ると、史実、殆ど疎遠だった中国地方の山陰地方のデータから比較しても「鎮守府将軍」として務めた土地柄とは思えない数字である。これは何故なのか疑問が大いに湧く。何か子孫を遺せなかった出来事が起こった事を物語る。

つまり、血縁が進まなかった事になるが、末裔が広がるチャンスが無かった事を意味するのであるから、結論的には”時代の変化”に対応出来無かった事に成る。
そうすると、末裔を遺せなく成るような事が次ぎの様な「時代の変化」によって起こっている事に成る。それはどのようなものなのか先ず史実を拾い出してみる。
その中から何かが見えてくる筈である。

陸奥地方の秀郷一門の子孫存亡の時代の経緯は概容は次ぎの様な事に成る。
一つは鎮守府将軍から征夷大将軍に権力が転換した事にもよる。
二つは源氏勢力と藤原勢力が勢力を後に二分した事にもよる。
三つは鎌倉幕府樹立後の秀郷一門の失職離散と国換えなどの体制整理に基づくものによる。
四つは室町幕府樹立後の「下克上戦国時代」「足利氏探題」として大きく勢力を伸ばした事による。
五つは安土桃山時代の「全国平定」の変化(殺戮戦)に上手く対応する事が出来なかった事による。
六つは江戸時代の安定期に仕官等の対応が上手く出来なかった事による。
この程度であろう。

そこで、この中から史実から観てみると、藤原秀郷一門の基盤をこの陸奥の地に固めた時期としては「鎮守府将軍」と成ろう。
「鎮守府将軍」は多賀城に724年から軍政府を置いた時期からと始まる。
802年に胆沢城、志波城に移して4等官制にして運営されたが、これ等の政治的支配を嫌った地元の「伊治砦麻呂の反乱」が起こり、更に「征夷大将軍」の坂上田村麻呂が藤原氏と合力して当地域を支配していた「アテルイ(阿弓流為)」を破り811年頃までに征圧した。その様な土地柄である。
その後、この「朝廷軍」の「征夷代将軍」の勢力が大きく成り、かなり静まったが依然としてその土地柄の「独立性の強い反骨性」は残っている。史実を細かく見ると各地で燻っているし、北海道の彼等の勢力は以前として維持されている。
第一彼等の首魁アテルイを攻めて討ち取ったのでは実質ない。4度戦ったが勝負が着かなかった。そこで、「一時停戦」を理由に天皇に合わせると云い名目で引き出し、途中で「騙まし討ち」をしたのが史実である。この間約90年経っている。首魁を失った彼等は一時勢力を落としただけである。彼等には大した勢力の低下は無い。
その中で、一方征夷代将軍を含む全体としての「朝廷の軍事力」の低下も起こり、各地で反乱が頻発する。朝廷は陸奥の反乱を何とか押さえ込む為に苦慮していた。
一方の関東では、この5年も掛かっても誰も平定する事が出来ずに居た「独立国反乱」を打ち倒した秀郷に対して、朝廷は「威信低下」の窮地を救ったので最大の讃美を送った。
940年に秀郷が、「独立国反乱」の「平将門の乱」平定後、その中で、その勲功からはこの陸奥の地の治安を「鎮守府将軍」としては藤原秀郷一門が再び担う事と成り結果は陸奥は盛り返した。そして、彼等との血縁族を広げて懐柔策にでて成功する。
そして、この勢いは秀郷5代目「頼行」の処(1050-75頃)まで続くが、その間この秀郷一門は9人、利仁流は2人がこの役目を担ったのである。
ところが、渕名氏の始祖と成った兼行(1080頃)のところからは一段下の官職の「押領使」に留まり、秀郷一門は関東以西赴任地の各地にシフトされる事と成る。この時期が事の「変曲点」と成っている。
その後、官職は北陸道7国の「押領使」に変化していて、この地域は秀郷流が手を引き引き上げて信濃や甲斐や美濃や阿波などへと赴任地を移している。この時期から北陸東北地方を利仁流が担う事と成った。当然に、この時期、陸奥の血縁族の分家筋は秀郷一門の護衛として同行したのである。
そして、中部山岳地方にその勢力を伸ばす事と成ったのが陸奥血縁族の花房氏の足利氏であり、同じ陸奥血縁族の小山氏の武田氏でありその後の常陸の小山氏でもある。
ところが1185年の「鎌倉幕府樹立」で秀郷一門は足元をすくわれて失職離散で衰退したにも関わらず、頼朝に合力した秀郷5世孫の「朝光」が藤原秀郷一門の元の領国の常陸「結城」等を本領安堵(1192頃)され一門は下総結城の「広綱」の下で息を吹き返し復活した。
その息を吹き返した朝光の孫の弟の結城の「裕広」が、この陸奥白河に移り「白河結城氏」として再び陸奥で勢力を盛り返した。150年後の1335年頃である。
室町期に入り、更に秀郷一門、特に秀郷流進藤氏は足利氏の大老として活躍し「陸奥出羽国探題」に同行して再び陸奥出羽国に根を降ろす(1365)。陸奥は結城氏と進藤氏が固める事と成った。
しかし、この後、この秀郷流進藤氏は跡目継承に恵まれず子孫をおろか本家の血筋さえもを拡大する事は出来なかった。
そこで遺された陸奥の白河結城氏は南北朝末期(1370頃)に陸奥に下向した南朝(後村上天皇)に加担したにも関わらず、陸奥白河氏結城氏の秀郷一門は北畠氏の援護も受けて生き延びる事が出来ている(200Y)。ところが安土桃山時代(1573年頃)に成って全国平定の秀吉によって末裔末孫まで尽く潰される。これで陸奥には秀郷一門の息は途絶える(1590Y)。
この時、結城の結城氏は足利氏に合力(伊勢長嶋北畠家を軍師として迎え入れた)し勢力を持ち返すが、更に窮地に陥った秀郷一門の残存勢力の陸奥の結城白河氏は、秀吉にとっても暦戦上ただ一つの汚点となる過酷な戦いとなり、秀郷一門陸奥の勢力挙げての必死の戦いにも関わらず「末孫まで尽く滅ぶ有名な過酷戦」をした。ここで子孫は滅んだのである。この時、天正17年(1590)義親の時であった。
所謂「天正(17)陸奥の戦い」で有名であるが、秀吉は北畠氏をも「天正伊賀の乱」(伊賀攻め、長嶋攻め:1-3次)の「伊勢長嶋攻め」(1579-1591)で滅ぼしてしまった。
(注 秀吉2つの失敗の一つで「焦った無理押しの戦い」で大きな犠牲を払ったがこの後この反省から秀吉は2度と「無理押しの戦い」をしなかったがその反省の基になった苦い戦いであった。)

この時、陸奥では差し向けられた藤原秀郷一門の近江の蒲生氏と、陸奥白河氏の藤原秀郷一門との藤原秀郷一門同士が戦う悲惨な結果と成ってしまったのである。結果として秀郷一門の蒲生氏は陸奥と伊勢の「一門同士の戦い」を2度強いられたのである。
このために、進藤氏の跡目継承問題を始めとして結城白河氏の秀郷一門の子孫を潰してしまい多く遺せる状況では無かった。「時代の変化」に翻弄され陸奥一門は滅亡したのである。
950年から1591年に及ぶ「時代の変化」の期間である。この史実が低いデータと成っている。

しかし、陸奥の血縁族の小山氏、花山(花房)氏、足利氏、武田氏、佐竹氏は、信濃、甲斐と、常陸では「関東屋形」と呼ばれるほどに勢力を伸ばし生き延びたのである。
只、足利幕府と鎌倉公方との戦いで鎌倉方に味方し「関東屋形」は「永享の乱」(1439)でこの下総結城氏、下総小山氏ともに一時、「結城合戦」で没落した。その後、「政勝」の代で盛り返す。
結城氏、小山氏、佐竹氏、宇都宮氏の4氏の「関東屋形」は反対に勢力高めたのがこの「時代の変化」の経緯である。この様に明暗を分けた陸奥と結城で血縁劇が起こったのである。
時代としては、恐らく「鎮守府将軍」から「西域に赴任地を変えた事」が「子孫繁栄」に大きな基点を作り出した事が「時代仕儀の変わり目」と成ったのである。

では何故、陸奥一門滅亡のきっかけの原因と成った「一門が戦略上で西域に移した決断」をしたのか疑問である。
この決断が滅亡を導く事は誰でもが判るに、あえて決断したのは秀郷宗家とその一門に何かこの大きな事件が起こったからであろう。

本文の史料を読むと理解されると考えるが、事前に少し背景を述べる。
そのキーは「阿多倍一門」の知識であろう。未だ把握していない方は多くのレポートで記述しているので参照されたし。これを説けばその決断した理由が浮かび上がる。
兎も角も、それは阿多倍の長男の坂上田村麻呂の朝廷軍の「征夷代将軍」と、藤原氏四家の最大勢力を誇った北家秀郷一門の「地方統治軍」(押領使)の違いにあろう。

(参考概容 後漢末帝献帝の子(石秋王)の子阿智使王とその子阿多倍は200万人の職能集団を引きつれ大化期に帰化、66国中32国を無戦支配し政治経済で桓武天皇の律令体制を完成、日本の第1次産業の基礎を築く、朝廷政治の6割を官僚支配する。桓武天皇の母で阿多倍の孫娘高野新笠、阿多倍は敏達天皇の曾孫芽淳王の娘と結婚し、准大臣を拝命、3児、伊勢伊賀と大隈半島の半国を割譲、桓武平氏の祖、九州の「遠の朝廷」歴史上只1家の「錦の御旗」を正式に与えられた氏と呼ばれる、大蔵氏の永代太宰大監、中国地方の支配者陶族大内氏、関西以西支配者の桓武平氏と坂上氏、九州支配の大蔵氏、出羽支配の内蔵氏、伊賀阿多倍の末裔の阿倍氏等の一門末裔末孫大きく、藤原氏の勢力をはるかに凌ぐ一門。阿倍氏は政権では藤原氏と均等する勢力を保持した)

当時は、この様に「3つの軍」に依って軍構成が成されていた。
もとより、青木氏の天皇を護る親衛隊の「近衛軍」後には北面武士と呼ばれた、朝廷の征夷代将軍の「国軍」、と各国を護る「地方統治軍」(押領使や大監や探題や鎮守府将軍)に分轄されていた。
(このシステムは室町末期まで実質的に維持された)
そして、この朝廷の「征夷代将軍」は坂上氏の通り後漢の帰化人の末裔が担う軍であった。況や、その坂上氏ら3氏の末裔の66国中「関西西域32国」を支配統治する「平家軍」である。
方や「関西以東域」に勢力を張る藤原秀郷一門の地方統治軍である。
(北九州の大蔵氏の太宰大監や九州探題、中国地方の陶氏も平家一門)
この「時代の変化」は室町期までその様に動いた。
この勢力分布から、秀郷一門等にとっては「生残り」の為にも必然的にシフトを変えるが戦略と成ろう。まして、この帰化人末裔の平家を含む阿多倍一門の坂上氏等の末裔は朝廷の実権の3つ中2つまで(6割)握り、且つ、官僚の6割までを阿多倍一門を占める状況となり勢力を高めた。
更に、ここに坂上氏の親族の内蔵氏血縁族一門がこの北陸道と東山道に浸透しその実権も握り始めた。
鎮守府将軍としてアテルイ一族をほぼ鎮圧した形と成ったが、別の阿多倍の平家一門を含む大勢力が既に北陸道7国まで主に内蔵氏と阿倍氏が浸透してきたのである。
32/66国の関西以西勢力圏域だけでは無い。
これ等の勢力に依って秀郷一門は戦略的に「挟み撃ちの形」に填ったのである。
この時の勢力圏の陣形を纏めてみる。

言葉を整理する為に、次ぎの表現とする。
平家一門を含む後漢帰化人の首魁阿多倍の末孫一門を阿多倍一門と呼称する
坂上氏一族、大蔵氏一族、内蔵氏一族、阿倍氏一族、技能集団の首魁陶氏一族とその末裔の大内氏、そして、平氏(たいら族)一族等。
(内蔵氏や阿倍氏の末裔子孫の詳細は別に記述する。)
(秀郷一門(主要5氏)利仁一門は既に本文に記述)

陣形
A 関西以西勢力圏を阿多倍一門が保持 
B 中部関東以東の秀郷一門の勢力圏を保持
C 北陸道は秀郷一門に阿多倍一門の内蔵氏と阿倍氏が侵蝕進出。
D 北陸道を秀郷一門から利仁一門と進藤氏に任す。
E 中部地方以西域に秀郷一門進出 
F 関西以西の阿多倍勢力圏を四国地方の讃岐籐氏等の秀郷勢力圏が中国地方の沿岸域を侵蝕進出
G 九州北部地方の阿多倍一門の大蔵氏勢力圏に秀郷一門の永嶋氏(青木氏、長谷川氏)が侵蝕進出

陣形の動静
この2つの陣形の本拠地 阿多倍一門のA、秀郷一門のBは勢力圏安泰
本来Cが秀郷一門の勢力圏域に阿多倍一門の内蔵氏と阿倍氏が末裔を広げて侵蝕して進出。
本来Dが阿多倍一門の勢力圏域に秀郷一門の永嶋氏と青木氏と長谷川氏が末裔を広げて侵蝕して進出

CとFで互いの末端勢力圏が侵蝕される「氏存続の戦い」となった。
この様に、互いに侵蝕しあっていた。しかし、ここに愕然と勢力の違いがある。
それは、支配国数から 阿多倍一門>秀郷一門*2 式に成る。
この数式から、明らかに秀郷一門は領国を護るために陸奥を捨て中部関西東部域にシフトを余儀なくされたのである。この中心と成ったのが勿論護衛軍の青木氏であり主要5氏に号令を出して統治したのである。

この侵蝕CFの結果、次ぎの事が起こった。
A 北陸道の陸奥出羽から秀郷一門手を引く。後を進藤氏と利仁一門に任す
B 阿多倍一門は秀郷一門の背後に北陸に二つの氏の基点を置き血縁子孫を増やす
C 阿多倍一門は近江滋賀に坂上氏、伊勢伊賀地方に阿多倍末孫が進出する。
D 秀郷一門は、阿多倍一門の北進を食止めるべくCの力をEに振り向ける
E 秀郷一門は、関東以北の勢力圏を関東以西に方針転換する。
F 阿多倍一門は秀郷一門の本拠地の関東勢力圏の北側の背後を突く。(内蔵氏、阿倍氏)
G 阿多倍一門は秀郷一門の陸奥出羽の北端勢力圏域を侵蝕する。
H 逆に秀郷一門は阿多倍一門の関西以西勢力圏の本拠地を四国の秀郷一門の勢力を以って瀬戸内沿岸域を突く。

つまり、「時代の変化」に対する動静は次ぎの様に成る。
1 末端勢力圏を両者が突く。
2 中央域では北進西進で衝突。
3 両者はその本拠地を側面から突き合う。
この勢力の3つ動静の陣形が出来上がったのである。

藤原秀郷一門と阿多倍一門の2つの陣営の勢力争いはこの様な形で動いた。
しかし、これには未だもう一つの勢力が考察されていない。
阿多倍一門から観た動静だけでは無く、秀郷一門から観た動静では無く、又両者二つから観た動静では無く、これにもう一つの勢力が考察されて加えられて真実の動きのある史実通説が生まれるべきである。しかし、現実の現在の通説はこの一方からが多い。それは、その3者の全ての血縁から含むあらゆる史実を掴まなくては出来ない。しかし、阿多倍一門の事や藤原秀郷一門の事にしても研究発掘の史料は殆ど無いのが現実である。
幸い青木一族に関する史料と関連氏(秀郷一門と阿多倍一門含む)のは何とか網羅できる程度に保有した。依ってより正しい史料が出来ていると考える。

さて、そこで、もう一つの勢力である。
当然、近畿域圏を勢力範囲として持っている氏は、主に3氏である。
既にお気づきと思うが、第6位皇子より発祥した皇族賜姓青木氏5代5家5流と、同族賜姓源氏11代4家である。16代の皇族賜姓族である。これ等の末裔末孫である。
そして、天智天皇第7位皇子の賜姓族の佐々木氏、宇多天皇の第6位皇子の賜姓滋賀佐々木氏である。つまり、皇族賜姓族3氏である。
この他に、清和源氏配流末孫大島氏と嵯峨期の皇族青木氏3氏であるが、史実上勢力圏を云々する程の氏力(子孫繁栄)を保持しなかったのでここでは除外する。

即ち、上記の勢力式 阿多倍一門>秀郷一門*2の2を補う勢力と成った氏である。
この結果、勢力式はまだ 阿多倍一門-0.5=>秀郷一門 式に成った。

この阿多倍一門と藤原秀郷一門の2大勢力と、上記3つの皇族賜姓族3氏の1勢力との考察が加えられて始めて「正しい動きのある史実」が観得て来るだろう。
既にこの皇族賜姓族の詳細はレポートされているので参照されたい。

先ずそこで、この皇族賜姓族3氏の勢力が上2つの勢力図にどのような変化を与えるであろうか。如何お考えか。

さて、この勢力圏は言わずもがな、当然、天智天皇からの親衛隊を担う近畿圏の中央である。
皇族賜姓族3氏は賜姓青木氏は5国(伊勢近江を含む東山道中部)を勢力圏としている。
源氏は当然、畿内5国である。実質は清和源氏が支配する。
(11代の源氏の中、嵯峨、村上、宇多源氏が一時勢力保持するが後に消える)
佐々木氏は近江滋賀を2勢力圏とし清和源氏の畿内5国と協調する。平家との軋轢で北陸道に移る。

この近江伊勢2国と東山道中部3国の5国と、畿内5国が勢力圏と成る。
以上を、「皇族賜姓族3氏10国」と呼称する。
この地域は阿多倍一門と藤原一門の勢力圏外である。明らかにポケットに成っている。
「皇族賜姓族3氏10国」には子孫は拡大していない。
これは大化期よりの詔「不入不倫の権」の保持による原因と観られる。
当然、この「皇族賜姓族3氏」(10国)藤原秀郷一門との血縁族と成っている。

平安末期
「阿多倍一門」(32)><「藤原秀郷一門」(24)+「皇族賜姓族3氏」(10)の構図と成る。
上記の説明による勢力圏のこの陣形は平安末期まで続く。

陣形
末端勢力圏を両者が突く。
中央域では北進西進で衝突。
両者はその本拠地を側面から突き合う。

鎌倉期に入り、次ぎの様な陣形と成る。
1185年に平家が滅亡する。中央域の「皇族賜姓族3氏」(10)は安泰と成る。
頼朝は「平家没官僚」策を実施する。関東域の平家領地は秀郷一門に本領5国安堵される。
源氏と藤原氏への2度の「本領安堵策」を実行する。阿多倍一門は中国9国を失う。
北九州の大蔵氏の支配は元寇の役で崩れる。阿多倍一門九州5国を失う
北九州3国を藤原秀郷一門が支配する。
大蔵氏と永嶋氏は血縁する。阿多倍一門と秀郷一門の末端勢力は共に崩れ始める。

鎌倉期
各時代の全国の大名の家紋から観た氏系列と土地の血縁豪族数から計算

一門の末裔実効勢力の陣形
「阿多倍一門」(13)<「藤原秀郷一門」(17)+「皇族賜姓族3氏」(10)

室町期
「阿多倍一門」(13)<「藤原秀郷一門」(19)+「皇族賜姓族3氏」(3)

安土桃山期
「阿多倍一門」(4)<「藤原秀郷一門」(9)+「皇族賜姓族3氏」(1)

江戸期
「阿多倍一門」(3)<「藤原秀郷一門」(7)+「皇族賜姓族3氏」(0)


関東地方103を領国として、中部地方180はその主勢力を西に進めて「西固め」していた事が判る。最大の勢力圏を示している。
当然であろう。上記の勢力分布を示している以上は当然にこの域を先ず固めることが必要である。
関東が20%で固め、出先の勢力圏の中部地方は34%で最も勢力を割いている。
秀吉に依って全国を完全に軍事統治出来た中でも、関東と中部は陸奥の様な衰退は起こっていない。
室町期、安土桃山期のそれは「転封」と云う形で行われても、既に各地に分布する一門を率いて新興勢力の上級武士として仕官する体制に成っていた事により末裔を減らす事無くむしろ増やせる状況にあったからである。むしろ、新興勢力は藤原一門を挙って家臣の上位に据え、その勢力を根こそぎ集めて自らの勢力の安泰を図ったのである。
徳川氏はそれを行ったその最たる氏ではないか。
甲斐の諏訪族を中心とする武田軍や東国の藤原秀郷一門をごそりと雇いいれたから秀吉は関東にその勢力を強く伸ばせなかった事だし、江戸に追い遣ったのもこの事からである。
私は、秀吉はこれが判断の失敗したと観ている。
中部から関東に掛けての勢力を持つ藤原一門の根拠地である。信長も決して手が出せなかった地域である。それだけ主要5氏の一門で固めた大きな地に根づいた勢力を保持していたのである。
北陸東北中部関東地域を観ると60%である。これだけ60%で主要5氏で固めた氏を最早「氏家制度」の中では余程失敗しなければ潰されないだろう。まして、陸奥では失敗している。
秀郷流進藤氏では跡目の問題を持っていた進藤氏では維持出来ない事から利仁流進藤氏の血縁で固め様とした策を労したが時代では追い切れ無った事を提示する。
その後もこの関東以北は大きく犯されなかった事が勢力を温存する原因に成っている。
それが、新興勢力に入り勢力維持が出来子孫を遺せたものであろう。
一門の6割を使って生残れたのである。

近畿関西地方は88と16.5%と割いているのはもとより北家の地元からであり、皇族賜姓青木氏との連携もあっての事でもある。四国を除き姓の「藤」の字の着く一門の西限が紀伊半島の伊藤氏を始めとして以東地域である事も物語る。
後は、中国地方は四国地方との連携に依って勢力圏が起こっているのである。単独ではない。
藤原秀郷一門が中国地方に赴任して血縁を拡げたのは3国で周防3代と美作1代と安芸1代である。
この地は陶族を始めとする室町末期まで最大勢力として第1の平家末裔一門の統治地域であった。にも関わらず、血縁を遺せない筈であるのに主要5氏の幾つかの氏を出している。
これは一体何故なのか疑問がまたもや湧く。
その答えは二つ挙げられる。
瀬戸内を中心として「2足の草鞋策」を採った「讃岐籐氏」がこの海を廻船問屋として支配し続け抑えていた事である。
そして、平家末裔の水上水軍と渡り合いながら、この経済力を背景に中国地方に神紋寺紋の連合集集団を形成していた事による。

四国討伐は秀吉も手を焼いたが深追いはしなかった。地元から這い上がった四国を支配していた藤氏秀郷一門長宗我部氏に土佐の国を与えて最終統治した位である。
もし最終まで長期戦で戦ったとしたら一門の動きでは時代はどう変わる判らない「経済力と武力」を持っていたのである。
もし、長期戦となれば、私は秀吉は負けたと観ている。
最大の敵の藤原一門を家臣に抱えた徳川氏が動くからである。又、四国全土に長期戦を行える「氏力」を持っていたからである。「讃岐籐氏」の青木氏を中心として瀬戸内の勢力を動く事に成れば秀吉とは同じ「経済力」を背景とするから戦いの実力の差はないので互角に戦える。
あるとすると、動向に依って利点とする場合は「徳川氏の動向」であり、弱点とする場合は「単独攻撃戦」であろう。秀郷一門の「絆」がこの弱点を補っている。
とすると、秀吉には不利と成る。その不利を招くのは長期戦である。秀吉もこの同じ考えに成っていた筈である。だから秀郷一門を潰さない形から勝利とする形式上ものとして処理したのである。
両者それを納得して軍師の条件を呑んだ。だから四国は生き延びたのである。

この二つの結果から、阿波の片喰族と剣片喰族、讃岐の青木氏、土佐の青木氏、愛媛の藤氏が海向こうに血縁族を広げて瀬戸内の水際に勢力圏を張った。この勢力は史料から昭和初期まで勢力が維持されていたと言われるくらいである。
多く青木氏が中国地方瀬戸内に多いのはこの事から来ている。
四国の7.8%と中国の10.66%と合わせると19%程度である。
秀郷一門の2割の勢力をこの一点に絞って集められていたのである。
中国地方の10.6%の数字が大きい。
3国の赴任地であるにしては。これはこの結果から来るのである。
四国の勢力からすると7.8%も低いのも2つの同じ結果ら来る原因である。
その勢力は山陽地方57まで届いていた事が判る。山陰は殆ど届いていない。
四国42と瀬戸内を武力と経済力で抑えていた「讃岐籐氏」の青木氏の支配下にあり固い地盤である。当然、平安期からの赴任地でもあり歴史的地盤もある。5氏の共通血縁族主要8氏の主力で領国から来た片喰族、剣片喰族の土地柄である。最も青木氏の強い勢力圏である。最終、秀吉に依って潰されたが、長曾我部氏末裔一門の土地柄である。

特長あるのは、九州地方37は北九州の4地方であり、「飛び地勢力圏」で赴任地の影響でもあるが、この4地方の豪族が関東に移動し、秀郷一門と血縁を広げた九曜紋族の末裔の紹介で拡がったものでもある。
北九州と西中国に分布する巴紋族と、下総上総等に分布するその末裔の秀郷一門の佐野氏、結城氏、小山氏の巴紋族から出た永嶋氏と、長沼氏の関係も働き、更に、近江の長谷川氏の支流族の「釘抜き紋」の移動末裔の北九州族もあり、この勢力圏から外れた土地に青木氏の「縁者血縁紹介」でこれだけの勢力を築いたのである。
北九州3国赴任地の肥後、豊前、豊後には秀郷流青木村を形成するくらいに定住している。
あわせて、大蔵氏の永嶋氏の存在もあり、約7%の勢力築いていた事に成る。
この形の勢力圏を保持して現在の末裔子孫を維持したのである。
子孫存続のあり得る条件が「時代の変化」に秀郷一門が一部では潰されたが、相対的にマッチングしていた事を意味するが、「氏家制度」の中で、青木氏の主導があったからこそあり得たのである。
この様に史実に基づく「時代の変化」と「秀郷一門の血縁族」の研究とを比較するとその「生き様」を観得て来るのがおもしろい。これが「動き」のある「真実の史実」ではないかと思える。

この様に本節本文を含み検証すると「通説の史実」と違うものが出て来る。それがおもしろいのではないか。
上記の結果の主要5氏の勢力内訳は次ぎの通りである。

B 個別綜合(地方別の詳細は下記参照)
青木氏       永嶋氏      長沼氏      長谷川氏      進藤氏
東北地方 3   東北地方 3  東北地方 3   東北地方 3    東北地方 2 
北陸地方 2 北陸地方 2 北陸地方 1 北陸地方 7    北陸地方 1
関東地方 33  関東地方 8  関東地方 25  関東地方 23   関東地方 14
中部地方 60  中部地方 16 中部地方 22  中部地方 66   中部地方 16
近畿地方 27 近畿地方 12  近畿地方 14 近畿地方 26   近畿地方 9
中国地方 18 中国地方 2   中国地方 11 中国地方 17 中国地方 9
中国地方 0 中国地方 0 中国地方 0 中国地方 3 中国地方 0
四国地方 15  四国地方 2    四国地方 3   四国地方 15  四国地方 7
九州地方 14 九州地方 3  九州地方 1  九州地方 14 九州地方 5

主要5氏の地方別の分布を分析したものである。
上記の史料8での役割もこの史料でも確認出来る。
関東の入間を中心に神奈川横浜を半径に「青木氏116氏」の本家筋を螺旋状に置き護衛をし、武蔵下野に領国しながら、「青木氏」は中部地方を中心にピラミッド型の血縁族を築いていた。
四国、九州地方は上記の綜合で記述した通りの特長である。それだけに他の主要4氏とは血縁力が高い。
この「青木氏116氏」とほぼ同じ血縁力分布を示しているのは、矢張り殆ど同じ「氏力」111氏を持つ「長谷川氏」である。兼光流と文行流の主力領袖の所以である。
丁度、「青木氏」と「長谷川氏」のその中間の血縁力の分布とレベルを示すを示すのは、長沼氏58である。やや関東よりの分布である。
これは史料8/10-2の長沼氏の地元を固める「政治的役割」を明確に示すデータである。
武蔵7党の「西党」を統括して地域の地侍の集団をまとめていたとすることを証明するデータでもある。
ここには、秀郷一門の神紋寺紋の氏子檀家の連合集団体と相まって大きな秀郷一門の「血縁戦略」が観えて来る。
血縁族を只羅列しただけではなく、この様に血縁をし、それを「組織化」してその「血縁の力」を最大に発揮出来る体勢も採っていたのである。
同じく関東地方には「武蔵7党」、
中部地方には「伊川津7党」等の「地方豪族の連合体」
史料8の広域的な「氏子檀家の連合集団」との血縁族にて固められ、尚、本筋の「主要共通血縁族8氏」とがある。
主に組織的にはこの「3つの集団」で守られていた事に成る。

永嶋氏35は長沼氏48と違い中間の血縁力の分布を示すが、やや関西よりに分布である。
青木氏と長谷川氏、長沼氏と永嶋氏とは対照的な特長に「戦略上の違い」がはっきりと出ている。
そこで、進藤氏52は中部に主力を置きながらもやや関東よりであり、永嶋氏と同じレベルの逆に成っている。
5氏の関係が不思議なほど戦略的に理屈が分けられている。「第2の宗家」の青木氏の「恣意的戦略」が働いているとしか観えない。
このデータは色々な分析に使用できる。本文の考察を証明する最大の史料ものであろう。
その内訳の内容は下記のデータを参照。

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藤原秀郷主要5氏と家紋の研究-史料 8/10-2(時代の変化に対する役割)

Re: 藤原秀郷主要5氏と家紋の研究-史料 8/10-2(時代の変化に対する役割)
副管理人さん 2009/01/02 (金) 10:43
史料8/10-2

次ぎは史料2(時代の変化に対して5氏の繋がり具合)の付いて考察する。

「共通血縁族」
史料2

     2氏の場合       3氏の場合       4氏の場合
長谷川氏:15/22 68%   14/17 82%   06/7 86%  
進藤氏  :03/22 14%   09/17 53%   07/7 100%
永嶋氏  :02/22 09%   06/17 35%   03/7 43%
長沼氏  :02/22 09%   02/17 12%   04/7 57%

5氏の場合:「家紋4大血縁族」(7氏)
長谷川氏:100%
進藤氏 :100%
永嶋氏 :100%
長沼氏 :100%

(氏の家紋数/全家紋数)=X%
{但し、2(3、4)氏とは青木氏と他1(3、4)氏を云う}
(史料5/10より統計による算出)

参考
「共通血縁族」「秀郷一門性」
5氏共通:「家紋4大血縁族」=・丸に片喰、・丸に剣片喰、・丸に違い鷹の羽、・丸に梅鉢族
4氏共通:「家紋4血縁族」=・九曜、・抱き茗荷、・丸に桔梗、・丸に立ち沢瀉。


史料2
4氏の内では、「長谷川氏」が「青木氏」と最も関係を深く持っていた事が判る。
2氏(68)、3氏(82)、4氏(86)、5氏(100)の何れの場合もこれを証明している。
特に、全体的に高いレベルであるが、「共通性」の高い方に行く程に高くなっている。
つまり、「共通性」即ち「秀郷一門性」(「共通血縁族8氏」)が強く成ると、更に「長谷川氏」との繋がりが強く成っている。
これは兼光流のリーダーの「青木氏(116氏)」と文行流のリーダー「長谷川氏(111氏)」の2氏が強く繋がっていた事を示す証拠である。
2氏の場合(青木氏と他1氏)の「共通血縁族」までもが段突であると云う事は、「長谷川氏」と「青木氏」はそれも末端の氏とも相互に「血縁関係」が深く繋がっていた事を示す証拠でもある。
何れもトップで高率であるので疑う余地はない。「青木氏」が「第2の宗家」であるなら、「長谷川氏」は「第3の宗家」とも云えるレベルである。実際、そうであっただろう事がこの数字の高レベルで想像出来る。
況や「氏数」が「青木氏116」と「長谷川氏111」と同じである事からも、240年経ってもこの兼光流と文行流の二つのリーダーが間違いなくスクラム組んで共に一門のために働いていた事の証明と成る。
本文で、北九州の「大蔵氏系永嶋氏」との繋がりに付いて仮設1-4で説明したが、その時、「長谷川氏」が介在したとの仮説を有力視したのはこの事からである。
「青木氏」は「長谷川氏」との連携で、「永嶋氏」を一門の常套手段の「血縁戦略」で北九州に発祥させたが、その「青木氏」は、豊前と肥前に未勘の藤原秀郷流の青木村を形成している史実がある。(地名地形データ等に記載:豊前が有力)
入間の青木氏宗家からの指令でこの「血縁戦略」を「長谷川氏」と進めるには充分な連携の数値であると観ている。この史料の最も明確な特長である。

二つ目の特長は、「永嶋氏」、「長沼氏」はほぼ同率でレベルを上げている。従って「一門性」が高く成っている事である。ただ、「長谷川氏」とは少し違っている。
その違いは、これは秀郷一門の主要な「家紋大血縁族4氏」(5氏)と「家紋血縁族4氏」(4氏)の「共通血縁族8氏」だけで主に強く繋がっていた事を示すものである。
2氏の場合、3子の場合では、共に低い数字である。ところが4氏になって急に50%台に成り、5氏ではいきなり100%と成っている。
これは、「青木氏」が、主要な「共通血縁族8氏」とで緊密に「永嶋氏」、「長沼氏」とより繋がっていた事を示すものである。どちらかと云えばやや「永嶋氏」の方の「繋がり」が強く成っている。
その一つの例として、「関東屋形」と呼ばれる様に、「長沼氏」より、「永嶋氏」の方がより積極的に青木氏と「血縁戦略」の面で協調していたことを示すものである。
例えば、上記した北九州の「永嶋氏」との血縁は、関西に向けて西域方向に勢力を伸ばしていたが、関西域を飛び越えて「永嶋氏」が北九州で血縁族を作る事で、一門にとって、戦略上、中国地方の「平家末裔の一門」と「其の他の勢力」を北九州の背後から牽制する事が出来る。この様に「第2の宗家」としての青木氏と「協調戦略」を採っていた。
又、九州全土には、「平家(たいら族)」の先祖の阿多倍一門が率いてきた「後漢」の集団の帰化人の多く住む地域である。特に、これ等の末裔が統治していた北九州の大宰府には「太宰大監」として「遠の朝廷」が置かれていた所である。その「大蔵氏」との血縁に踏み切ったのである。つまり、大蔵氏系長嶋氏である。敵陣の本部の土地に楔(くさび)を打ち込み、敵陣の指揮官の家との血縁を成し遂げたのである。「背後からの牽制」どころの話ではない。敵陣の懐に入り、敵の「主」に成ったとほぼ同じである。既に、帰化から500年以上も経っているが、藤原秀郷一門の敵である中国地方の平家一門末裔の分断孤立が起こったのである。
この「永嶋氏」の「歴史的な血縁戦略」が起こったのだが、後発の「永嶋氏」だけの勢力でこれを成しうる事ではない。この戦略には「一門総出」でなくてはこれだけのことは出来ない。
”戦わずして藤原一門の勢力の拡大と安泰の戦略が成し遂げられた”と云っても過言ではない。
そうなると、当然、「一門総出」とは、一門の「第2の宗家の青木氏」と「文行流の領袖長谷川氏」がこの「裏打ち」をしたことには疑いない。
即ち、この”「主要5氏の役割」をはっきりさせたこのデータがそれを物語っている”と述べている。
しかし、データが示す様に「永嶋氏」にはその役割を生かした戦略が見えるが、「長沼氏」との間にはこの様なはっきりとした「協調戦略」が見当たらないのである。その様に歴史は数字通りである。
この事に付いては、本文中にこの史料の分析結果が反映している。

この「永嶋氏」や「長沼氏」の兼光流としては、本来はむしろ強く繋がっている筈と考えられるが、ところが逆に成っている。
これは同流の「兼光流」と云う事が逆に左右した為に、「青木氏」の末端との「血縁性」を下げたことであろう。(下記 長沼氏には別の理由もあった)

その中の最大の理由は「同属血縁」が強く成ることを出来るだけ避けたものであろう。
その証拠に、文行流の「長谷川氏」と「進藤氏」は、逆に数字が、5氏は勿論の事、2氏、3氏、4氏共に高い。
「長沼氏」はその中でも一番低い(9、12、57)のは、兼光流の中でも「青木氏」と先発組で同系列で、より「同属血縁性」は高まるので一門にとって子孫存続と云う点で危険である為に避けたものであろう。むしろ、「長沼氏」はより高い「近親血縁性」の危険があったと観られる。
それだけに「主要共通血縁族4氏」に限定したのではないか。そして、文行流からの末端から入る他氏の血筋を入れる事で薄めていた事が云える。

ところが、「進藤氏」は「主要共通血縁族8氏」との繋がりのこの傾向をより強くしている。4氏と5氏では100%である。
この4氏、5氏の100%の意味するところは、特別に青木氏との何らかの繋がりを強力に持っていた事を示すものである。100%が2つ繋がっていることは、又、「長谷川氏」とは異なった繋がりを持っている事も示すものである。
これは、「青木氏」と一門との何らかの「繋がりの役目」を果たしていた事を示すもので、この4氏5氏のところで100%で強く血縁して、それを背景に一門他氏との「接着剤的な役割」を果たしていた事を物語るものである。
4氏5氏は青木氏の主要な「共通血縁族8氏」である。つまり、「青木氏」は「共通血縁族8氏」を総括する「第2の宗家」である。言い換えれば、4氏、5氏のデータは「共通血縁族8氏」の存在を証明するものでもある。
「進藤氏」に付いては、役割を判りやすくする為に数式で表すと、次ぎの様な関係を維持していた事に成る。
「青木氏」=「第2の宗家」+「共通血縁族8氏」=「進藤氏」=100% 
と成る。
故に、「進藤氏」=「第2の宗家」の代理
と成る。

この数式で表される「進藤氏」と「青木氏」とが強く血縁で繋がった「進藤氏」の発言は「第2の宗家」の「発言、指示」として「一門他氏」に伝わるであろう。
「青木氏」はこの「進藤氏」を「接着剤的役割」として動かしていた事になる証拠である。
「進藤氏」=「接着剤的役割」
「長谷川氏」=「文行流領袖」+「第3の宗家」
同じ高い数字を示す「長谷川氏」とは又別の意味の繋がりであろう。
兼光流と文行流の「2つの流」の領袖であろう。勿論、「第3子跡目」の慣習を持つ「第2の宗家」は「青木氏」であるが、2つの一門の「流」を保つ氏、つまり、「2軍の将」が「長谷川氏」であろう。
その「2軍の将」の「長谷川氏」と繋がりを強くする事は文行流一門を統括できる仕組みである。
その役割の違いは、「進藤氏」の「接着剤的役割」と「2軍の将」の「長谷川氏」と成ろう。
青木氏は文行流に対して、一門を固めるためにこの「2つの戦略」を採っていた事に成る。
この事から、「進藤氏」は「青木氏」、「長谷川氏」の「2つの領袖」の「軍師役」と読める。
だから、普通であれば世に言う「2軍の将 相立たず」の戒めの通りであろう。
しかし、ここに「進藤氏」の「接着剤的役割」が存在する事により「緩衝効果」が働き成り立ったのではないか。このデータはそのような「数字配列」に成っている。

もし、「長谷川氏」が逆に「接着剤的役割」であったとすると、2氏から5氏まで高率で繋がる必要がなかろう。その繋がっている必要性は「共通血縁族8氏」だけで済む事である。
まして、2つの氏流の領袖の片方の「長谷川氏」が「接着剤的役割」として「青木氏」に「物申す」は、真に「2軍の将 相立たず」そのものに成る。
それ程に「接着剤的役割」の役割であれば、無理に「長谷川氏」は子孫縁者を使って「青木氏」と血縁する余裕は無くそれを他氏の血縁に振り向ける方が得策であろう。
現に「進藤氏」は「利仁流進藤氏」の方が末裔を拡大し、本流の「秀郷流進藤氏」は代々跡目を何度も他氏から採らなければ成らない程に末裔の広がりは本家筋だけで殆ど無い。
故に、「進藤氏」は「長谷川氏」と違って「接着剤的役割」を果たす事に専念し、繋がりとして「共通血縁族8氏」に全精力(100)を注いだと見られる。
又、これで「長谷川氏」が「接着剤的役割」の働きを採っていなかった事が判る。

「長谷川氏」は111氏と大勢力を持つ氏力を保有している。必然的にその力は「接着剤的役割」に留まらず、「2軍の将」へと必然的に当然に進むだろう。又、その方が兼光流の「青木氏」と繋がって置く方が戦略上で補完関係を構築出来てより得策と成る。
だから史料では「2軍の将」の「悪の結末」に成っていないから、藤原秀郷一門の末裔は遺したのである。
故に、この「2つの領袖」の「青木氏」と「長谷川氏」と「進藤氏」は、数式で表すと次ぎの様な関係であろう。
「青木氏(116)」>「長谷川氏(111)」+「進藤氏」----「永嶋氏」
「第2の宗家:兼光流領袖:第3氏家法」>「文行流領袖」+「接着剤的役割」--「先鋒的役割」

この数式が成り立っていて良かったから「悪の結末」に成らず現在まで末裔を遺したのではと考えられ、この数式を維持していたと必然的に成る。

この世の「役割の違い」は、「氏家制度」では、その「氏力」が起因して「自然の摂理」で定まって行くものである。
この「永嶋氏」、「長沼氏」、「進藤氏」も同様の「氏力の差違」、即ち「血縁の特長」で定まったものであり、この史料2のデータと成っているのである。つまり、「血縁の特長」で束ねていたのである。
「進藤氏」と「長谷川氏」とのその「中間的役割」として、「永嶋氏」、「長沼氏」があるが、「関東屋形」と呼ばれるくらいに後発の「永嶋氏」の方の勢力が高まり、その勢力を戦略的に一門の防御の為には、「永嶋氏」との繋がりを強くしていた事を示す証拠でもある。
「永嶋氏」が3氏の処で高い血縁数字を示しているのは、九州地域の豪族との血縁にその勢力を補完している事による。
「戦略的役割」が在ってもその働き手が無ければ「絵に描いた餅」である。
史実をよく観ると、この役割を実行している氏が居る。
それは上記の「戦略的役割」の数式に、「永嶋氏」の「戦術的役割」が働いていたと観る。

永嶋氏の本分でも強く述べてが、当時、永嶋氏が「関東屋形」と呼ばれていたのがその証拠であろう。
つまり、「戦略的役割」を実行し行動を起す「先鋒的役割」を担っていたと観る。
現に、後発でありながら中部西域から関西西から中国地方に向けて勢力を伸ばし攻撃的に進出していたし、北九州の大豪族の「大蔵氏」との繋がりを持ち「永嶋氏」を発祥させた。「六韜三略」の「鶴翼の陣」の最先端部の役割を果たしていたのである。「永嶋氏」の家紋群から見てもその役割が観得る。
しかし、長沼氏の事には不詳な点が多い。そこで、この長沼氏の系譜の事に付いて触れて置くことにする。
まず、結論からすると、「長沼氏」はこの「戦術的役割」の補完を担っていたであろう。
史実には強く出てこないし、血縁類も先発である事から、「先鋒的」な血縁類ではない。
系譜から考察すると、かなりこの氏は「貴族的」な感覚を保持していたのであろう。
しかし、主要5氏の一つであるのだから、長沼氏一門の誰かがこの役目を担っていたはずである。
そこで、考察すると系譜からそれを物語る。
結論から、「長沼氏」には「中沼氏」が存在する。
従って、この(支流)の「中沼氏」が当然注目される。しかし、主要5氏に成り得る勢力を保持したのであるから「貴族的本家」に対して、中沼氏がその役目を代行していた事に成る。
その氏が同系列の「中沼氏」である。
この「中沼氏」は子孫末裔を大きく伸ばしている処から観ると先ず正しいのではと考える。
現に、現在に於いても、歴史家の中では、実は、この「長沼氏」と「中沼氏」とは同じ氏とする説が大勢であるのはこの代行から来ているので誤解されていると観る。いや誤解ではなく解釈の違いであろう。しかし、この二つのルーツは「長沼氏」が出てそしてその系列から「中沼氏」が出ているし、始祖はずれているので系譜上は分派している。
先ず、古い文献資料を考察すると長沼氏は次ぎの様に成る。
1 長沼氏、
2 中沼氏、
3 仲沼氏、
4 永沼氏
1から4と4つ出て来る。

この「長沼氏」は室町期まで観ると「9つの流」がある。
藤原秀郷流をベースとして、次ぎの様に成る。
長沼氏9氏である。
渕名氏族、小山氏族、藤原秀行流、土岐氏族、日奉姓西党流、宇都宮族、桓武平氏族、島津氏族、織田氏族 
以上9氏である。

この中で、明確に「中沼氏」と称しているのは、次ぎの3つである。
小山氏族と宇都宮氏族と島津氏族とがある。
島津氏族は時代性と地理性から観て異なるだろう。

明らかに、小山氏族と宇都宮氏族である。
先ず、「小山氏」は「関東屋形」の1つであり中沼氏を出している。
「永嶋氏」の「関東屋形」の「先鋒的役割」の「関東屋形」である。
更に、この小山氏は秀郷一門が陸奥の鎮守府将軍として赴任した陸奥での最大血縁族であり、関東に同行して来て大きく勢力を伸ばした野戦的一族である。

同じ「関東屋形」の一つ宇都宮氏族の中沼氏もある。
秀郷一門より分流した宇都宮氏である。

「関東屋形」の結城氏系永嶋氏(長嶋氏)と合力して、秀郷一門を「先鋒的役割」を果たした小山氏、宇都宮氏の3氏である。

上記の長沼氏族4氏の内の中沼氏はこの2つである。
長沼氏一門が動くとしたら、この「関東屋形」の野戦的一族の経歴を持つこの「中沼氏」以外に無い。
後は「渕名氏」を除き、6つは支流分派族でもあり、第3氏性も強く仲沼氏や永沼氏や又どちらともわからない一族でもある。

この結論は上記の「渕名氏族長沼氏」である。
6代目「渕名氏」(兼行:第2位発祥)の子の7代目考綱の「長沼氏本流」は秀郷一門第3位の発祥氏であるから、貴族的な傾向が強いので、正流長沼氏一門のこの二つの野戦的一族「中沼氏」(祖宗政)に任したのであろう。
その方が、「永嶋氏」との関係からも同じ「関東屋形」として「先鋒的役割」の実行を円滑に行く。
逆に云えば、この3氏だから、「関東屋形」であり、その「先鋒的役割」を果たしたからこそ云われる呼称なのである。
つまり、ここに秀郷一門のその役目が隠されていたのである。「関東屋形」と云う呼称で。

「関東屋形」=「先鋒的役割」=「野戦的役割」
である。

「繋がり」から観れば、夫々の役割は持っていたであろうが、血縁データから「青木氏」、「長谷川氏」、「進藤氏」、「永嶋氏」、「長沼氏」の順となろう。
秀郷一門のを盛りたてる役割は次ぎの様な戦略を採用して一門を維持していたと考えられる。

秀郷一門の主要5氏の役割
青木氏の「第2の宗家」(兼光流領袖) 秀郷一門全体の指揮
長谷川氏の「第3の宗家」(文行流領袖) 青木氏と綿密に血縁戦略を展開
進藤氏の「接着剤的役割」(兼光流-文行流)「第2の宗家」の官房役 調整役
永嶋氏の「先鋒的役割」(実践的活動) 「関東屋形」
中沼氏(長沼氏)の「先鋒的役割」(永嶋氏の補完役) 「関東屋形」(小山氏、宇都宮氏)

では、主要5氏と呼称される位であるのだから、長沼氏は”何もしなかったのか”と疑問が湧く。

結論は”長沼氏は実は大きな「政治的役割」を果たしていた”である。

実は、その証拠が活動の史実として在るのである。
それは関東に「西党」と呼称される「土豪大集団」(20)が存在した。
その大集団が更に「武蔵7党」と云う「土豪の結束連合集団」に属していた。
これを「長沼氏」は20の土豪集団「西党」を率いて、この「土豪の結束大連合集団」を統括していたのである。

中沼氏の本流の「長沼氏」は史料から読み取ると、青木氏に代わって、主に「政治的組織」の「統括役割」を担っていたのである。
その理由として、関東の「武蔵7党」の「西氏」の「西党」の形成にある。
長沼氏は関東一円の小豪族を一つにまとめて、「西党」なる集団を形成し、更に武蔵一帯域にこの様な集団を形成させて「武蔵7党」の「連合組織」を形成していたのである。その一つを統括していた。

その「西党」とは20氏から成り立っている。
西党の構成氏
長沼氏、西氏、上田氏、小河氏、稲毛氏、平山氏、河口氏、由木氏、西宮氏、由井氏、中野氏、田村氏、立川氏、沼江氏、信乃氏、高橋氏、清恒氏、平目氏、二宮氏
以上20氏である。

「武蔵7党」の中の1つの「西党」は以上の20氏の小豪族で成り立っていた。
つまり、秀郷一門の主要5氏の一つ長沼氏は、関東一円の地元の小豪族を宗家に替わってまとめる役目をしていた事を示すものである。
それは、「青木氏」に継ぐ名門「渕名氏」の「長沼氏」であるが故に出来る事であり、「第2の宗家」の「青木氏」が各地に赴任する中で、地元から崩れないように政治的に固めていた証拠である。
そして、「長沼氏」の一門の中で、「中沼氏」を秀郷一門の戦略に参加させていた事に成る。
言わずもがな、これ等の集団と長沼氏を中心とする「血縁関係」を保持しての事である。
他にも、更に証拠があるが、ここではこの程度しておく。(別途機会があればレポートする)

つまり、長沼氏は本家筋は「西党」を形成して更に「武蔵7党」と連携しながら「政治的役割」を果たしていたのである。
確かに、入間を中心に円を描く様に青木一門が取り囲んで固めても、元は下野の押領使である秀郷が最終、この武蔵下野を始めとする関東を統括するには、古来から居た土豪集団を治めねば成り立つ話ではない。家の中に爆弾を抱えているようなものである。
当然、先ず領国とする以上はこの土豪を治める事から始めねば成らない。
青木氏だけでは成り立たない。当然、その役目は青木氏に継いで第2、3位発祥の古参の氏と成る。「渕名氏」か子供の「長沼氏」かと成る。渕名氏族「長沼氏」がこの役目を担った。
この渕名氏族長沼氏は、土豪を先ずまとめる事から入り、先ず自ら「西党」を構築し、次いで、各地で集団化を促し、最終、「武蔵7党」が形成されたのである。元々この地には丹治党などの幾つかの弱い集団が出来ていた。丹治氏系青木氏が存在するのはこの役目の所以の血縁である。
一口で”関東一円の土豪集団をまとめる”と云うが大変な事である。軍事、経済的だけでは離反する。秀郷一門の懐だけに実に固く固めておく必要がある。それには、血縁で何重にも固めることが必要であろう。これが、主要5氏の1氏2氏の血縁族の家紋群である。
血縁となれば、長沼氏だけでは一門との血縁もあり成り立つ筈が無い。
故に、データでは、長沼氏が一番低い数字と成っているのである。この長沼氏の役目の方に振り向ける必要があった事を意味する。
そこで、「青木氏」の指揮の下に、5氏の縁者を婿、嫁、養子を問わず振り向けて固めたのである。
長沼氏(25%)と青木氏(33%)の血縁族には、これらの関東土豪氏(武蔵7党と西党等)との血縁氏が他氏と較べて段突に多く観られる所以なのである。(史料9、10/10参照)
この様に、「長沼氏」は大きな「政治的役割」を果たしていたのであり、秀郷一門としての役割の責任は一門の「中沼氏」に委ねた。
これが「関東屋形」と呼称されるものであり、秀郷一門の本来の役目を果たしたと成る。

長沼氏はこの「2つの役目」(懐を固める「政治的役割」と先鋒的行動する「戦術的役割」)を果たしていたのであるから主要5氏としての地位を築いたのである。

この様に数字に示すように4氏に対して一門を血縁でも、「自然の摂理」とは云え、この偉大な青木氏は「第2の宗家」として、これらの構成の役割を見損なわずに指揮する者が居たからこそ成し得る血縁構成を後世に導いたのである。それは「青木氏」であったのである。150万と云う一門を現在に遺した誉れ高き青木氏である。

それにしても、この史料-8/10-1、2のデータから、後世の末裔の我々が驚くほどに、「世の摂理」を見抜いて「子孫を遺す」事に卓越した「人格保持」、況や「悟り境地」にあった事がこのデータと史実を照らし合わせて観るとよく判る。

史実だけでの分析からでは読み取れないが、「統計分析」して、その沈殿物を集めて、その内容を分析すると見えないものが浮き出て来る。
筆者の研究の本質は、史料をただ「突き合わせる事」ではなく「統計分析」のここにある。
つまり、「史実を数値化」する事にある。「沈殿物」にこそその「本質源」が潜んでいる。「遺伝子分析」もたんぱく質を遠心分離して特殊光を照射する事で遺伝情報を引き出す様に。
この史料は9/10、10/10とまだ続く。未だ未だ秀郷一門を浮き彫りに出来るだろう。

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給付金の景気議論の無駄と恐慌の時事放談

タイトル : 給付金の景気議論の無駄と恐慌の時事放談
投稿日 : 01/30-16:47
投稿者 : 福管理人

時事放談

景気刺激策の給付金に思う事

先ず始めに結論から云うと、”今国会でもめている給付金の議論は無駄である。”と言う事だ
給付金が無駄ではない。議論が無駄だと云いたいのだ。
”他に廻せばもっと効果があるだろう”とか、そんな事云い続けたらきりがない。”景気に対して効くか効かない”とかは問題ではない。やってもいないのに主観で判るだろうか。
「人、時、場所」の「三相」で考えたら、先ず実行する事に意味があるのである。そして、その「三相」で観て、仮に”あるか無いか”と聞かれたら、私は意外にあると観ているが、その理由は後に述べるとして、兎も角も、「恐慌」になりかけている現在何と馬鹿らしい事か呆れる。

そもそも「恐慌」と云うものの人間社会に与える恐ろしさを知らないらしい。
いや、96年も過ぎると人々の意思伝承からはそれを忘れてしまうらしい事だ。要するにバカに成るらしい。
念のため、給付金は先ず後にして、その恐ろしさを認知して頂く事がそれをわかって貰える最も近道だろうか。この為に過去に起こった「恐慌」のその時の経緯を先にどの様なものかを述べる事とする。
そうすれば、この給付金の議論が無駄である事がわかって貰えるだろう。先ずは実行するのみである。実行に価値があるのだ。2兆円等は問題では無くなるだろう。
この2兆円がその「恐慌」のもたらす恐ろしい人間の「性(さが)」を抑えてくれるのだ。
それで済むのなら安いものである。
それを次に縷縷述べるとする。

「100年一昔」と人は云うが、100年も過ぎれば何事もその恐ろしさが人々の脳裏から消えて忘れさられる。
結論から「恐慌」のもたらすものは生活の貧窮だけではないのだ。それは、歴史が物語っている。
では、その「恐慌」と云うものがどの程度起こっているかかが問題と成ろう。
そして、どのような経緯から起こるのかも気に成る。
どのような恐ろしいことが起こるのかも知りたいと思う。
最後にその経済的なメカニズムはどうなっているのかも知っておく必要があろう。
前回と較べて今回の起こりそうな「恐慌」はどのようなものかも、ここで知らねば「給付金の議論」の良悪の持つ意味が理解できないだろう。
そこで、これ等の事に付いて経済論ではない可能な範囲で論じる。

その恐慌は先ず日本では最近では3度起こっている。
1890年の「企業恐慌」  (1)
1894年の「資本主義恐慌」(2)
1907年の「植民地恐慌」 (3)
筆者らの年代であれば、当時と同じ生活環境にいたためにより実感としてこの程度の事はまだ聞き学んだ記憶として脳裏に残っている。

1880年後半の「企業恐慌」は、何れも、1860年前後に西洋で「産業革命」が起こり、日本では第1次は日清戦争期、第2次は日露戦争の時期に2度の「産業革命期」があった。
この時期はその産業革命を下にした生産を主体とした新しい体制の企業勃興期でそのブームが起こった。未経験のその企業が勃興してきた新しい「資本主義」の中で起こる「経済恐慌」を誘発した。
初めての経験であるが故に対処に手間取った。
つまり、「資本主義」では「産業革命」で大きな「生産活動」が起こる。
そこに「生産の変動」が起こる。当然にそれに伴なって「消費の変動」が起こり、遂には「景気変動」は起こる。これは当然の人間社会が起す「経済メカニズム」である。
何れも「需要と供給」のバランスが原因で起こる。
しかし、ここで「資本主義」の中では大きな欠点が起こる。
それは人間社会の生活から来る「消費の限界」である。
どんなに人間社会がある一定の生活レベルで維持した場合でも、「産業機械」による「生産活動の増大」にあわせての「消費活動」の拡大は出来ない。そこである一定の限界が起こる。
一方、科学、即ち「機械革命」による生産(供給)には限界が無い。ここに矛盾が起こる。
つまり、資本主義には、次ぎの原理の数式が生まれる。

「生産活動の増大」>「消費活動の増大」 「消費活動」=一定 「生産活動」=無限大・・・X 

その矛盾が「社会変動」を起して、それが起因してこのギャップが大きい時に「恐慌」が起こるのである。
「生産活動の増大」ー「消費活動の増大」=MAX=「恐慌(デフレ)」  A
「消費活動の増大」ー「生産活動の増大」=MIN=「恐慌(インフレ)」 B
当然に、ギャップの大きい時、ギャップの小さい時の2種類の「恐慌」が起こるだろう。

そして、この「2つの恐慌」の連鎖の末に起こる経済システムの崩壊現象の「第3の恐慌」が起こる。
「消費活動の増大」<=0 「生産活動の増大」<=0 A-B<=0 :C 

先ず、1880年末頃に起こった最初の「企業恐慌」は、「産業革命」による「機械革命」に依って「資本主義」では「企業の勃興」が起こる。当然に「供給」が大きくなり値段が下がり「デフレ」となる。株は暴落する。資産価値は低下する。勃興した企業は直ぐに倒産する。
この為に経済メカニズムが狂い「恐慌」となる仕組みだ。

人は、当然に、一度味わった「生活レベルの享受」を求めて下げる事をせずにその対応策を求めようと走る。それはその溢れた供給物を外に求めようとするのだ。これは人間の本能である。
そして、それを産み出すその「エネルギー源」を維持しょうとして、「力」(軍事力)の増大を図りその武力で以って自国のものとするためにその「資源の確保」を外に求める。
要するに、「資本主義」に起こる「必然のシナリオ」の「植民地政策」である。
時には、「軍事力支配」、「経済支配」、「政治支配」、「資源支配」、「思想支配」と重複しても使う事と成ろう。この時は、「軍事力支配」の植民地であった。
「植民地」と云う言葉はこの時代の「軍事力」における言葉でありいいイメージを起さないだろうが、現在に於いても、「軍事力」以外にも、実質、同じ支配を受けているのであって、消えたわけではない。
何時の「時代」にも、どんな「思想主義」でも「人間社会」である限りこの「必然のシナリオ」から逃れることは出来ない。
更に、この「必然のシナリオ」が起こった歴史を考察してみる。

先ず、次に起こった1894年は、今まで経験した事のない始めての「恐慌」と云う「経済システム」に戸惑い、慌てて、維持しようとして、この「植民地政策」を基本とした「資本主義」の反動が起こる。
つまり、「産業革命」以後に「新しい生活スタイル」が急に蔓延したが、今までの「古い生活スタイル」を捨てて一種の「+の拒絶反応」が人間には起こるのである。
その行動が引き金に成って社会が沸騰し過ぎ、金融バランスが崩れて、折角に勃興した企業、銀行が倒産し、再び「恐慌」へと走ったのである。
今まで苦労して得ていた資源は易々と手に入れられる事になり、商品も植民地でさばける状況が生まれる。この結果、「植民地政策」の勝利で得た海外からの利益で、国内は過激に景気沸騰して物が不足して物価は高騰して「インフレ」を起こし、「恐慌」へと向かうのである。(B)

この資本主義の欠点でもある「需要と供給」のバランスにより、片方に行き過ぎてしまった時に「デフレの恐慌」と「インフレの恐慌」が起こるのである。
この時までの未熟の資本主義はその産業革命の時から15年で「企業恐慌」(A)が、更にそこから11年間で「資本主義恐慌」であわせて26年間で「インフレ」と「デフレ」の両方がめまぐるしく起こり「恐慌」を起した。

そして、その13年後の1907年の「恐慌」は、この「二つの恐慌」を解決清算する為に、上記2つの恐慌(「経済活動でのアンバランス恐慌」)を避ける為に、それ以外の経済活動外で行う「景気刺激策」やむ終えず採用した。それが「植民地政策拡大」に乗じて「軍事物資」の需要を喚起させ、特殊な限定した分野での「軍需景気」を誘発させて解決しようとしたのである。
その活用地を求めてより海外に出て広める事に向かう「必然的な現象」が起こったのである。
これが本格的な「植民地恐慌」(C)であった。
植民地政策で世界は荒れ、資本主義を邁進する先進国は争って植民地獲得へと動いたので、各地で紛争が絶えず、先進国同士で、また、先進国と後進国(当時はこの様に呼ばれていた)との間で紛争と戦争が起こったのである。
この為、生活は疲弊し、挙句は各国の経済活動は低下し輸出入が激減し、遂には農村部格差の問題、都会貧困層の社会問題を誘発させて、「需要供給」に無関係に「恐慌」へと突き進んだ。
同じ事が殆ど同時に世界の先進国で起こっていたのである。

(A)と(B)の連鎖による経済システムの崩壊現象(C)を誘発させたのである。
これでは経済手法では手の打ち様が無く成ったのである。

この様に人間社会に於いて資本主義の欠点とも云えるこの三つの循環性のある必然的な「連鎖的な恐慌」が起こるのである。

最初に先ず「企業恐慌」が起こる。そして、反動として「資本恐慌」が起こり、最後には経済外の「植民地恐慌」までへと必ず走る性質の「連鎖反応」とも云うべき欠点を持っているのである。
一度、何れの「恐慌」が起ころうとも「連鎖の恐慌」が起こるのが資本主義の欠点でもある。
否、人間社会の「生活意識の欠点」ともいえる。
それは、一度知った果実の味「安楽の享受」の本能である。この本能がある限りこの恐ろしい必然の連鎖は解消できない。

そこで、しかし、この3つの「ただの恐慌」だけが怖いのではない。
この「恐慌」の上記する「3つのスパイラル」が怖いのである。
そして、その「3つのスパイラル」に陥る時に必ず起こり引き金と成る「煽り現象」、即ち「人間の性(さが)」が最も怖い事なのである。
この中には目を伏せたくなるような熱動する「非人間的な現象」が内蔵しているのである。
資本主義における「恐慌」とはこの様な「恐ろしい過程」を持っているのである。

そこで、その時のことを認識を高める為に再現して見よう。
直近の96年程前から昭和初期に掛けて「世界恐慌」が起こった。
先進国はより植民地政策へと動いていた。その事が昂じて決着の為にその時はその解決策として武力に訴える戦争へと動いた。
世界は、特にドイツは恐慌の嵐に喘いでいた。そこに、当初その発言と行動で異端児扱いされていたヒットラーが、国民は”何とかしてくれるのでは”と救世主として、熱狂的に幻想して引き出した。
怖いのはここである。
この様なときには人間の社会は現状の生活レベルを享受しようとして、「盲動的に、幻想的に」それを解決してくれるヒーローを仮想して作り出してしまう事である。
そして、その現象が一度起こると「悪のスパイラル」が起こり止まらない。
ドイツではこの「恐慌」の結果、この過ちを起してしまったのである。
そのヒーローのヒットラーはそこで「最後の切り札」を直ぐに使った。
ドイツを中心とした「統一ヨーロッパ」を作る事を名文に、本音はエネルギー源の確保を忍ばせて、先ず、フランス等ヨーロッパ域とロシアを侵略して「軍需景気」を起こし、ドイツは半年で恐慌から脱出して景気を回復させたのである。その狙いは意外に脆いフランスが落ちて半ば成功した。
そして、その勢いで今度はその「科学力」を大いに発揮してドイツは今までに無い新型のロケット弾を開発し、それを対岸からイギリスロンドンに向けて攻撃した。
無抵抗で戦わねば成らないイギリスは慌てた。
そこでアメリカに助けを求めた。飛び火してアメリカは軍隊を送った。
その反動でドイツとイタリヤは同盟、アメリカ、イギリスフランス、ロシアは同盟し、第一次大戦のへと突入。
その頃、一方日本は「恐慌」から先ず、西アジアにそのエネルギー源を求めて侵略、植民地としていた。
当然、そこを植民地支配していたアメリカとイギリスと衝突、対抗手段として相手は経済封鎖を実施した。
そこで、ある2つの目的(白人社会に黄色人が伸し上がることを好まない事も含む)を同時に持っていたアメリカは「戦いで日本を潰す」事を狙った。
もう一つは、同時に資本主義では15年程度で経済恐慌が繰り返し起こる経済政策では解決が困難と見て、経済外の政策として国民を煽動、喚起して「軍需」による景気回復で解決を狙った。
そのアメリカはわざと真珠湾に海軍をわざわざと集積させながら、日本海軍が太平洋に出てきても無防備の近い状態にしていた。即ち外国製の「鶴翼の陣」とも云うものであろう。
「経済封鎖」で窮地に至った日本は「勿怪の幸い」とその戦略に引っかかり日本軍は突出して真珠湾攻撃をしてしまった。つまり、懐を無防備に広げて相手に攻めさせて「戦い」の大義名分を得たアメリカ、イギリスの連合国側は「国民に反発の勢い」を着けて第2次大戦へと突入させた。
そして、アメリカ側はその本来の目的としての先ず「軍需景気」を起して「恐慌」を克服させたのである。後は、白色人種の領域に侵蝕し成長して来た黄色人種の「日本潰し」である。
日本は、次第にアジアから後退し昭和17年の4月18日の本土空爆から2年後に敗戦となった。
これで、第2の目的は達成されたのである。
しかし、敗戦占領後、直ぐに朝鮮半島で共産主義者の動乱が起こる。
アメリカは始めは共産主義者を引き入れて、白人先進国の中にアジアの黄色人種の伸張の大きな力と成っていた戦後の日本の「国粋的思想」の一掃を試みた。
しかし、朝鮮半島で共産主義が台頭して拙い事に成った。
そこで、共産主義から日本を護るために、その「軍需景気」を日本で起こし「戦後復興」と「経済力」をつける作戦に出た。そのために驚異的に日本は戦後の荒廃から脱出して立ち直らせ国力を回復させてたのである。そして、弱い所に巣食う共産主義の浸透を防いだ。
しかし、アメリカは日本の植民地であった朝鮮半島は失敗した。
一方、ドイツは極寒ロシアで大失敗し、次第に後退し、ドイツ国内はアメリカの「財力の元」と成っているユダヤ人を警戒して「ユダヤ人抹殺」の「修羅の世界」と成ったのである。

この様に、「恐慌」の結末は「窮鼠猫を噛む」の如き「最後のあがき」が起こり、必然的にその生きる「エネルギー源確保」のために、「歴史は繰り返す」の例え通りで、資本主義の経済活動の欠点を除くために最後手段の「軍需景気」で以って全ての国は「恐慌」から立ち直っているのである。
そこに起こる弊害や修羅を無視してである。
ここで、この様な時、「人間の社会」は「盲動的、幻想的」に「良悪を鑑みず」「ヒーローを仮想」して作り出してしまう事である。これが「恐慌」での最も怖い事である。
しかし、日本でも第2次大戦へと突入していった時も日本軍陸軍はこの悪のスパイラルに入っていたのである。
そのヒーローを「神国」「神風」に求めたのである。
そして、ドイツの「ヒットラー」と同じく、日本ではそれを煽ったのは矢張り、記者上がりの当時のトップ評論家で「ヒットラー的なヒーロー」として、「神がかりした人物」として見られたこの人物の度重ねる発言であった。それは通説の東条や近衛の指導者ではなかった。
日本も全く例外では無かった。全く同じ事が起こっていたのである。
その者の云う事は国民は皆信じた。国では、「神国」「神風」で煽り、人ではこの人物の「煽り」の影響を諸に受けたのであった。
この者の「煽り」が無ければ国民は盲動しなかっただろうと云われている。
この人物は戦後、その「煽り」の反省や謝罪も無く煽られる方が悪いといわんばかりの強気で生き延びたという事である。第一この本人も自らが洗脳されて熱動していたのではと考える。

真に恐ろしきは仏教で云う「縁無き衆生動し難し」とはこの事である。
「人間の社会」とはこの様なものである。だから盲動するのである。
今、恐ろしい「恐慌」の連鎖に真に陥らんとするこの社会では、この人物になる「煽り」人物は一体誰なのかとフトと考えることがある。
何せ、歴史的に学ぶと、今、一番怖い事はこの「煽り」である。人間の性(さが)を突く事実に基づかない「煽り」である。

そこで、資本主義が上記「3つの恐慌」の「連鎖の欠点」を反省して成熟し、それから96年経っているが、今度はその資本主義の自由市場を標榜する大元のアメリカ発の恐慌である。
これは以前のものと違う。今回は特殊な原因である。

2大国の冷戦時代は終わり、そこから、ブレーキが効かなくなったその一方に「無制限な自由の経済」の行き過ぎが起こり、走り続けなければ倒れる自転車の様な、貯蓄をしない連続の「消費経済」を作り出したのである。
「貯蓄」は、「悪のスパイラル」の「消炎剤」「冷却材」と成るが、貯蓄なしの「消費経済」では論理的に欠点を解消する事はできない筈である。
そして、そのために再び経済の証券、株、住宅などのものを、「自由」の旗の下でいじ繰り回し、それを「自由」と標榜して、その熱動のためにアメリカの「基礎的科学力」は軽視されて、その反動の低下が起こった。これは恐らく現世代のコンピータによる管理が成せる技であろう。
そして、アメリカでは、科学的な付加価値を怠り創造せずに「国力の低下」が起こったのである。
この時、アメリカでは、データでは「インフレ」と「デフレ」の現象が同時に起こると云う今までに無い不思議な現象であった。資本主義の経済システムに無い現象が起こっていたのである。

この現象は、1907年の恐慌のときに起こった社会現象と、時代の内容は違えど、同じ社会反動の条件に類似する事に気づくであろう。

この原因が2年程前のその時点では掴めなかったのである。
中国の安い製品がアメリカに入っていて、「生産過剰」と成っていると前世代の論理で考えた。
しかし、それであれば、インフレの現象は何なのか疑問であった。
それは、原因追求せずに、トップの自負の下で、アメリカ政府が承知の上で、危険であることを承知で、大リスクの下で、無理に低所得層の住宅ローンを喚起させ景気を維持させようとした。そして、あらゆる手段でドルを自国に引き込んむ応急政策を採った。
それでも駄目と成ると、世界の原油資本の6割を抱えるアメリカは、「先物市場」で「原油価格」の吊り上げに入った。しかし、この手も長く続けられるものでは無い。
当然、住宅(サブプライムローン)、原油ともに無理が露見してしまった。
そうすると、それに資金を出していた金融機関も破綻してしまったのである。
そこで、予想もしなかつた「証券(派生商品)」の「捻くりまわし」の「からくり」が見えて来たのである。

遂に、「生産活動」をせずに「濡れ手で粟」の「消費経済」が破綻し露見と成った。
そして、歯止め策の無い「恐慌」へと向かう危機が進行しているのである。
それも「貯蓄なしの消費経済」は自転車の如く止まらないのである。
果たして、この「猪突猛進」と見えるものはどの方向に動くのであろうか。
兎に角は、止めなければ成らない。貴方ならどうして止める?。過去に使われた秘策はある。
普通なら、「特効薬」となるのであれば、「秘策」を使うのでは無いだろうか。

上記した生産活動の歪みから起こる「3つの恐慌」の連鎖ではなく、全く別の「自由、資本主義経済」の盲点である「濡れ手で粟」の「行過ぎた経済」が侵蝕していた事に成る。
その盲点はコンピータが起因した。
だから、一種の「詐欺行為」(派生商品)をしてのけたアメリカの自由の行き過ぎた消費経済が、市場からの信頼が、絶壁から落ちるが如く一挙に落としてしまった。
これが今回の一国から出たアメリカの失態の結末である。
丁度、その時、国民の70%を占めるアメリカ社会の「白人優越主義」が崩壊の暗示をするが如く、黒人の大統領が生まれると言う、タイミングよくサプライズが起こった。
この歴史的なタイミングをどう見るかである。

そのタイミングで選ばれたその大統領の発言が、今までのアメリカとは違う歴史的演説をしたのである。
しかし、他方の黄色人種の世界第2位に踊り出ているその日本では、必要以上に事実無根の「煽り」を目的として批判する評論家が続出している。
今に至って、その間に日本は基礎的科学力の発展に力を注ぎ世界第2の力を持ち得たのである。
其処に、証券、株、住宅、原油で生きたアメリカと、基礎的科学力の発展に力を注いだ日本との間に大きなギャップが生まれたと言う事である。
そこをこのオバマの黒人大統領だからこそその拘りを捨てて日本を歴史上認めたということであろう。
況や歴史的なアメリカの失敗を認める演説したのである。

しかし、有史来、アメリカは国民の70%が白人社会であるが、白人の彼等は彼等の特長でもある「白人優越主義」からアメリカの経済運営の失敗を認めようとしなかった。この金融危機が起こったときにも。
当然に、日本のその科学的なファンダメンタルな繁栄も認め様としなかった。否”したくなかった”というのが正しいだろう。
ところが、黒人のオバマは就任1週間前の演説でこの2つの事をはっきりと認めたのである。
白人社会の権位失墜を意味する70%の抵抗のある中でのこの大変な演説であると考える。
日本の「科学に力を入れた政策運営」とアメリカを大きく凌ぐその「科学の発展」を認めたのである。

つまり、「金融危機」を起したアメリカをその反対の「科学政策の失敗」で言い換えたのである。
そして、それには何と「日本」を例に挙げたのである。
今まで決して無かったプライドを許さない白人の「日本認め」をオバマは言い放ったのである。

言い換えれば、アメリカ発の恐慌に成ろうとしている危機は、オバマが云うように、間接的にはその大きな原因は日本であるとも言える。
もし、日本が次ぎに挙げる「科学のリード」が無ければ、アメリカは今回の危機を招いてはいないと考えられる。それ程に日本の科学政策の進展が大きいものである。

それは次ぎに挙げる代表的な物品に例を挙げられる。
二輪車ヘルメットから始まり、ホンダ、ヤマハの大型バイク、電卓、テレビ、自動車、原発、高能力エンジン航空機、テレビ、高性能測定機器、ソーラーなどのエコ機器など全てアメリカ発の主なものを日本のものとしてしまった。
科学では、国をリードする自信を無くし、今回のような住宅、金融、原油の目先にあるものに走ってしまったという事であろう。本来、自動車に例を挙げられる様に「科学のアメリカ」である。
筆者は技術系であるので、そこの所は良く判る。
鉄鋼等の科学に絡む殆どの技術は「日本」の実感がある。少なくとも負けているものは無いのではとも思える。技術的視野から見て現在、科学の点では少なくとも先ず無いであろう。

恐らくはアメリカ人の心の片隅に”日本にしてやられている”と感じているのではないか。
アメリカはこの点で失政しているので、残るは証券、ファンド株、住宅となる。
必然的に其処に走るが自然の摂理である。
そして、「証券と住宅」で崩壊したのである。そこに残るのは「自由の根源」の「消費社会体質」(ファンド)が残るだけである。
そうなると、さて、”特効役はあるのか?”と疑問が湧く。結論は無い。
そんなに簡単にあるのであれば「人の冷えた心理」の挙句の「景気恐慌」は起こらない。

普通は「恐慌」は、通常景気の平均株価(14000円)の半分に陥ると「恐慌」と見なされるが、現在、8000-7600円である。殆ど「剣が峰」である。
「剣が峰」から落ちるには、アメリカはその景気を維持する為にドルを無理やりに自国に戻す為に、そして、ドルの信頼度を護るために、”金融、株、住宅、消耗品、原油”の全ての{切り札}を既に使ってしまった。
これは、消費経済の享楽の上に胡座をかき、上記の「科学的ファンダメンタル」の低下を招き起して、アメリカの「国力の低下」から、更にドルの「信頼度の低下」へと「悪のスパイラル」が起こった。
その結果から、アメリカは自国にドルを戻す事を無理やり起して景気を維持させていたのである。
原油資本による原油相場操作などをしたが、結局は、その結果、持ち応える事は出来ずに景気は低下し不況に突入してしまった。
其処に、自由資本主義の行過ぎた「経済の歪み」が起こり、一度味わった高い生活程度を求める人間の本質、アメリカの権位を護るために是が非でも何らかの手を打つ筈である。

前の「恐慌」どおりにその徹を踏むしかない筈。人類が発達しても人の考える事に大した違いはない。余り騒がれていないが、上記に書いたとおり、技術者であった私の目からは、現在の人類の享楽の大元は「科学の進歩」によるが、アメリカの反面、逆に日本の「科学進行への投資政策」が円高を産み、ドルの低下を招いていると見ている。必然性がある。

昔であれば、上記した様に、アメリカは日本の締め出しをヨーロッパの国と組んでしてくる筈であった。
しかし、ここまで、ヨーロッパと「4倍の力差さ」が出てしまった「科学の日本」を締め出す事は無理であろう。むしろ、味方に引き入れて、その力を利用する方が得策であろう。
いまやそれを決断するのはヨーロッパでは最早無い。アメリカである。
アメリカは、戦略的に「日本」を無視出来ないところに追い込まれているのである。
痛し痒しであろう。しかし、日本ではどうであろう。

自民党による国政の運営は全体とて、オバマが認めるように、アメリカの資本主義の行き過ぎの徹を踏んではいなく、「高度な科学」による「生産」を主体とした経済運営であり、相対的に見ればM党の様な「失政の非難」は当らない。
確かに、抹消政策のところでのゴタゴタはある。与党としての腐敗もあるだろう。官僚主義の行き過ぎもあるだろう。
しかし、国政の方向は、高度科学による生産主体の運営は、上記の資本主義の欠点のスパイラルからは逸脱していないし、現在まではオバマが認めるように、極めて近い資本主義体制でありながらも、「アメリカの徹」を踏んでいないし、そこを認めたオバマであるが、日本のその政策は相対的には功を奏している。
多分、未来のどの政権に於いても、”重箱の隅を突付けば粗は出る”である。
その重箱を手の上に掲げて、”これ見よがし”に政権与党を”悪政”の如く「煽る」のは次元が低い。
そんな、”オバマが褒める政権与党の科学政策”を隠しての「煽り」は、むしろ「搾取」行為であろう。

一部の左傾の2つのマスコミが「煽り」を目的として、オバマの演説を隠して”アメリカは日本を無視”として毎日煽っている。
挙句は「麻生氏の政権」の能力低さを喧伝する「煽り作戦」に出ている。そして、”M党に政権を”と狙っているが。
これにも、”戦前のあの記者上がりの評論家”らしき類似する者が「煽り評論家」として熱弁を奮っているのである。

丁度、ドイツのヒットラーの時と日本の戦争直前の状況によく似ている。
一方への不満が片方の良悪(M党)に拘らず傾く「人の心理」に託けて6割の無責任者を煽っているのである。
先の参院選では多くのこの6割の国民は”自民が悪い”からと云って、盲動、且つ、熱動してM党に入れて”衆参のねじれ”を作り出し、政治は滞る同じ現象で起こったのである。こんな時期に。

この「6割の無責任者」のために「ねじれ」で政治が上手く行く事は無い事を知りながらも片方に傾いてしまったのである。
所謂、「ヒットラー現象」とも言うべき日本製の現象が3年前から起こり始めたのである。今その過程にある。
其処に来て、この危機である。この現象の条件は揃っている。96年前と類似する同じ条件が。

さて、そこで、掘り下げて見ると、一番警戒して見て居なければ成らないのは、現在ドルに継いで円であるが、まだ世界をリードできるのはアメリカ、ドルであろう。
日本の主導は憲法改正が成らなければ少なくともむりであるし、トップである必要はない。
むしろ、セカンドが好ましい。今回の様に”トップの過ち”を反省点として進む事が国力、体質、国民性から観て好ましい。

とすると、後は残された特効薬は只一つ「軍需景気」で先ずトップ体質のアメリカを立て直す事にある。
それで無ければ自転車は倒れる。
そうすると、世界で見て観ると、連鎖の危険はあるが、秘策の「軍需物資」を使える紛争地はどこかであるが、3箇所ある。
イラク、アフガン、北朝鮮であろう。イラン、パレスチナは小さすぎる。

「軍需物資」を使える現実的なシナリオは只一つアフガンである。
しかし、「大量の武器」を使うには「シナリオ」は不十分である。
それには、イラクから軍を撤退、現イラクでは再び、テロリストが盛り返す。それに乗じて”テロリストの根拠地を潰す”を理由にアフガンに大量の武器を注ぎ込むだろう。
これは、テロリスト撲滅は大義名分であり、本音は大量の武器を「雨霰の如く」に使う事を目的とするだろう。
それには、先ず先立つ金が要る。それを日本に出させる。
何故ならばEUの1に対して4の日本の効果があるからだ。

アメリカはインド洋に軍艦を出す事と、日本はその燃料の提供、物資の輸送、ある程度の高性能艦を出す事に成るだろう。
日本も「自衛艦海外派遣」の為のその前の「お膳立て」が必要である。
これからは、政府はその「お膳立て」を別の目的でする事を合策すると見られる。
アフリカ紛争地、インド洋沖、インドシナ近海などへの「自衛艦隊派遣」をする法改正を検討する段取りが必要である。ソマリヤ沖の海賊の事も絶好の名文が立つ。
この様にして、止められるシナリオが無い今、恐らく起こる「恐慌」に対して、この様なシナリオとなると観られる。
北朝鮮は難民の流入が中国、韓国で起こり、中国では「恐慌」で内乱が頻発しているが窮地に陥っている中国との摩擦が起こりやり方では大問題と成るので避けるだろう。
韓国は国の外貨準備額が底をつき、IMFから断わられ2度目の日本からの「てこ入れ」(借金)で何とか国の破産を防いでいる最中にこの様なことを隣りで起されては困る。それこそ滅亡である。

そこで、他に手は無いかと云うことだが、表向きはアメリカは大義名分は「グリーンニューディール」として「環境策」で回復させるとしている。
上記した様に、「日本認め」からの「政策変換」である。それをオバマはこの様にタイトル化させた。

この根拠は、就任1週間前に行った演説で、日本、ドイツ、スペインを例に挙げて、特に日本の科学の進歩に対して高く褒め景気を維持している事を挙げて、このことから、日本を見習いこの政策を進めるとしたのである。

ハイブリット車、ロケット、航空機、原子力、エコ発電、など全て日本が完全に勝った。
ハイブリットはトヨタホンダの事で衆知であろう。
原子力のアメリカのNO2の会社を買収し、三菱とパナソニックがアメリカに参入し受注した。
航空機はロッキードが次期の航空機を短距離発着のジェット機の完成機を作った三菱ートヨタ系列富士重に発注、
今までアメリカに発注していた自衛隊の高性能次期輸送機と偵察情報機は川重のジェット機が受注。
ロケットは三菱が20機受注、アメリカが真似の出来ない高精度の4つの偵察衛星保有の日本に。
エコ機器は日本の独断場で、アメリカに架設されているエコの殆どは日本製である。ノーベル賞でも明らかな様に、この背景をオバマは日本を見習えと国民にけしかけたのである。
それがグリーンニューディール政策としたのである。
しかし、直ぐに効く特効薬では無い。今後の方針である。
この様に、アメリカの威信を保つには、当面直ぐに「軍需景気」を使う以外に無い。
それには日本を巻き込むことが必要である。
問題なのは、上記した「恐慌」のスパイラルが起こる事である。
しかし、その日本では、一部のマスコミでは、知らない煽られやすい6割の大衆を相手に”日本は無視されている”と上記の演説の事実を隠して煽っている。M党の政権奪取のために。
マスコミは知らないはずが無い。筆者でも知っているのであるから。
しかし、隠している。この歴史的、画期的な演説なのに。紹介したのは右傾の一つのメディアのみである。
仮に上記のアメリカのシナリオどおりに進んだとすると、仮にM党が事実無根の「煽り発言」で政権を奪取したとしてもM党の政策では無理が来る。
なぜなら、アフガンの日本の義務に対して、国連が認めたもので指名され場合の自衛隊の出動となり、アメリカ主導の今回のアフガンテロ攻撃では国連は動かない。
とすると、アメリカと方針の違いが起こり、同盟関係にヒビがはいる事は必定である。
多分、矛盾が生まれて短命に成るだろう事は判る。
ここで、幾らM党の政党方針としても同盟を今壊す事は国策ではない。
ましてや、給付金の是非を論じているくらいの党である。

この様に給付金を論じること事態が今の状況、恐慌寸前では無意味である。

そこで、まあ、兎も角も、この日本のこの給付金額はどの程度のものかと云うと、フランスの平均国民所得の1月の給与の1/3なのである。
フランス人が新聞を読んで驚いていると書かれていた。”給与の1/3の金額を貰って何が不満なのか”と。その効果の有無は問題ではないのである。
因みにアメリカは一律3万円であり、既に配布されたが「景気の効果有無」は論じていない。
「恐慌」前の「出す事の無形効果」に意味があるのであって、実質の「景気の効果」では無いと。
このことは誰でも、わかる事であろう。

その”「恐慌」に対する「心構えを喚起」するだけでただ良い”であり、智る人は判るはずであろう。
それを、M党は、政策如何で国会を止める騒ぎをしている。
恐らく、真意は判っているのだが、政権をとる為に、国民の6割を占めている者を煽動する事にあり、あまり考えの持たない国民層を狙って煽っているのであろう。オバマの演説の「日本認め」を隠して。

この「M党の煽り」がドイツで起こったヒットラーの如く「恐慌」の一番怖く弱い所である。
戦前の一人の評論家の神国神風の「゜煽り」で戦争突入になった弱い所である。

既に「衆参ねじれ」の盲動、熱動のスパイラルに入っている中では「M党の煽り」が最も怖いのである。

第一、M党は国会で漢字テストを議論する位である。議論するところではない事は承知で、麻生氏を誹謗し、この層を明らかに煽っているのである。
人間少しくらい漢字を間違えたからと云って、その人間の能力評価するとでも言いたいのか。では自分はどうなのか。胸に手を当てて自分に聞いてみよといいたい。
総理だからと云って万能ではない。むしろ万能でない方が独裁者となるので困る。
今はこの様な時期である。「適時適切に出来る人」ある範囲でその資質を持った人であれば良い。
失言や漢字などは全く問題ではない。
国会議員だからと云って、今や、明治のときと違う。普通人であろう。
そんな議論を国会でする程度のM党の方がおかしい。
第一そんな事で政権を奪取して上手く行くか疑問である。
また、自民が悪いからと云って、M党が良いというわけは無いだろう。
M党にどれだけの自民と違うすごい能力を持っているというのだろう。
漢字テストをするくらいの党で、すごい能力があるとは到底思えない。
むしろ無いとする方がより真に近いのではないか。
給付金に70%が反対しているのであれば、その人たちは、M党は貰わないのか。
”反対するが貰う”では筋が通らない。
反対するのであれば、”M党はその前に貰わないと宣言せよ”である。
”麻生は何もしていない。”と一割程度の人が云うが、それでは、M党やこの様な意見を出している人は麻生さんが出した以上に出来るのか。アレが精一杯のことであろう。
よく考えて欲しい。この国は資本主義である。共産国ではない。”何でも政府”はいい加減にして貰いたい。”政府には湯水の如き金は出てくるのだろうか”。”それならば、もっと税金を払え。”と成る。
社民党、共産党は「社会主義」で「資本主義」の日本社会の考え方ではないのだから、この「煽り」の考えに揺さぶられては困る。それこそ、ヒットラーの二の舞に成る。
まして、マスメディアの「煽り」の最たるのは他にもある。

例の国民から無作為RDDで意見を聞いているが、あれもおかしい。
支持率等で大いに自説を喧伝する材料としている。ある事を隠して「煽り」の材料として。

少し煽りを証明する為に論じる。
統計学では国民1億2000万に対して1800人では信頼度は殆ど無いのである。
統計学では、出た数字に「バイアス」と云うものがあり、そのデーターの信頼度を表す。
又、他には、データー採取では標準偏差法と云う方法がある。
これには平均値と偏差値が伴なう。この偏差値がそのデータ採取の信頼度を表す。
通常皆さんが良く使われる「単純平均法」でも、本当は信頼度の一覧表があるのだ。
皆さんは実際には使われていないが本当はあるのだ。

では、その時、統計では信頼度(指数能力)CP=1.0以上なくては殆ど信頼できないと成っている。
CP=1.33以上は全く信頼できる。
CP=0.67以下は全く信頼できないと成る。
マスコミやNHKなどが行っている電話でのデータは1800人ー2000人位であるから、信頼度は0.67以下0.3ー0.4程度に相当する。つまり、”殆ど信頼できない”と成るのである。
皆さんは、この「バイアス」とか「CP」とか「積分偏差値」の事を知っていましたか。
つまり、NHKは知っている筈です。しかし、この事を隠して発表していますね。
つまり、騙されて煽られているのです。
「知る、知らない」では上記の「煽られる煽られない」のより個人差が出るのです。
しかし、この様な統計的なことを知っている人は10万人に1人或いはそれ以上であろう。
だから声にはならないから隠しても問題に成らない。だから「煽り」が効くのであるが。


さて、ここで皆さんに少しお聞きしたい。
統計学にはデーター採取方法は10程度ありますが、全てに信頼度を表す方法があり、この条件が適用されるのです。常識です。
でも、もし騙されていないと云うのであれば、「6割の人」はこの事を知っていましたか。”信頼度幾ら”と発言していることを聞いたことありますか。データ採取幾らと聞いたことがありますか。無いですよね。

例えば、麻生さん支持率20%と出ます。このデータの採取量は2000を超えていません。
先ず、電話で、信頼度のCP=1.00と成るには無理と思いますよ。
それは電話を掛ける量が大変過ぎて時間が掛かり過ぎて、経費が掛かり過ぎて、国民から迷惑がられて多分出来ないでしょう。
統計学には、「時間」がある一定を過ぎると、「環境」が変化して正しい資料が取れないのです。
それが「時間の制限」と云いそれを超えてしまいます。
せいぜい、やや信頼できる程度CP=0.67以上CP=1.00でも、最低10000以上は必要です。
だから、RDD方式では無理なのです。

皆さんがいつも使われる「単純平均法」でも、「データ採取量」が本来は表から決められているのですが使っていますか。例えばサンプル50個で採取は最低15個程度で信頼度80%程度ですよ。
そして、統計的データ採取のデータとして扱える最低はサンプル15ですが知っていましたか。
この様に、騙されているのです。
更に、最も良い方法の適用はそのサンプルで異なります。
その採取するサンプルの内容で、10程度ある統計法の中から最適な統計法を選ぶのが普通です。
マスコミで扱っている統計法は適切であるかを疑問を持った事がありますか。
専門的に観ると疑問が多いのです。
どれでも使えるとしたら「標準偏差法」と「CP」ですね。
しかし、マスコミで使っているものは最もエラー性の大きい信頼性の低い「単純平均法」です。
これは、人、時間、場所から経費がもっとも安く簡単に出来るからです。
マスコミやテレビではこのことを隠していることを知っていましたか。

この様に、巧妙にし煽る事、怖いのは、この「煽り」なのです。
「恐慌」の様な時には、この「煽り」の「悪のスパイラル」が起こるのです。
それは統計的には「6割の無意識層」の存在がこの「煽り」で間違いを起してしまうのです。
これがこの世の宿命であり、「恐慌」や「政権委譲」時などの「極めの所」で問題となるのです。
では、この「6割の人」を少なくし無くす事は出来無いかと云うと出来ません。
ここでは、詳しい事は説明しませんが、「脳の本能的な事」から起こってこの層を作り出しているのです。
学問的に少なくとも絶対に5割以下は下がりません。人間が人間である限り。

仏教でもこれを認めているのです。「縁無き衆生、動し難し」と。
つまり、どんなに説法しても説法を受け入れる能力の無い者がこの世には居ると言うことなのです。それが「性」(さが)来るものだと云っています。

M党はこの層6割を狙って「煽り」をしているのです。国会で漢字テストする様に。
だから、データを取ると、”麻生は何していない”とする層が1割程度居るのです。
アレだけの補正予算案や色々と出しているのにもう他に無いだろうと思えるのに、、”麻生は何もしていない”と答えるのです。
これは「煽り」の「洗脳」と「盲動、熱動」から着ているのです。
6割の中には1割の人は「煽り」でこの様な反応をしてしまうのです。この6割の人は直情激情型に多いとされています。感情主観の強い人と言う事に成ります。逆に言えば論理性の少ない人です。

統計学でも、この様なデータはサンプルを表にすると、必ず先ずほぼ直線的に延びて比例直線が起こり、そして、変曲点があるところ(60-65%)で、表の直線は緩やかなカーブを示す事に成ります。
このカーブは変曲点以後は積分曲線と成ります。
これをSパターンと言います。
その比例直線の傾きはそのサンプルによって異なります。その傾きが大きいほど信頼度は増します。
この世の全ての統計データはこのパターンを示すのですが、さて、この1割はこの6割(60-65)の直線の初期にあるのです。
この様に煽られやすい層は6割も居るのですから、「煽れ」ばドイツのヒットラーや日本の第2次大戦のような(神国、神風)一種の洗脳状態が起こり、「悪のスパイラル」の方に走るのです。
これが、3割とかであれば洗脳されても暫く時間をおけば解けて元に戻るのですが、日本人は更に、国民性があり、この傾向が強いのです。
つまり、比例直線の傾きが小さいのです。表ではラインは横に寝ていると言う事です。7つの融合民族の為です。この状態では6割ですので時間での洗脳状態の解消は無理と成ります

そこで、アメリカはどうなのかですが、今のアメリカのオバマ旋風では、多少この傾向が起こっていると見ています。
そこで、「恐慌」の非常策のオバマのシナリオは成功裏に走ると観ているのです。
しかし、オバマ本人はグリーンニューディール政策を唱えているのですから。
日本の科学政策と比較対照して、実に冷静にアメリカの駄目な所の失政を認めて居るのです。
そしてそれを方針として、日本のような”本来の高度な科学活動による生産活動の資本主義の経済活動に戻したい”としているのです。

さて、そこで「剣が峰」から落ちる力、又は「決め手」は何なのかと云うと、それはアメリカの象徴が崩れる時だと見ます。
それは、明らかに自動車産業のビッグ3の倒産でしょう。アメリカの意識は完全に低下する事になりますからね。そうすると、間違いなく6割のアメリカ人はシナリオを求めるでしょう。
従って、このビッグ3をなんとしても倒産から護ることを当面すると見られますが、永く続ける事はできないと観ます。高度な科学が遅れているからです。
とすると、この救済策をアフガンとは別に日本に求めてくる事が考えられます。
何とかトヨタ系列に入れてくれとか。トヨタも大変だが。何か条件をつけて、円高を利用しての策かと観られます。高度な科学を即座に吸収する手段として、同盟を全面に掲げて。
この辺が今後見ものです。

さて、「給付金」は、この「世の摂理」の恐ろしい「恐慌」がその「剣が峰」に来ている時に、景気に効果の有無ではなく、必然に起こる「煽り」の「冷却材」に成り得るのである。

アメリカの「軍需景気」の動向では、「悪のスパイラル」に入りつつある今、この「煽り」の「冷却効果」になると考えられます。
政権与党は日本の舵を握っている。「煽り」等の低次元のことは言っている暇が無いだろう。
アメリカの「軍需策」を待って、任期ぎりぎりまで続けることが先ず戦略として考えられる。正しい舵取りの為に。さすれば、「6割の煽り熱」の解熱剤はこのアメリカの「軍需策」と成ろう。

兎も角も、「煽り」の材料としての「給付金」の景気議論は是非避けてもらいたいもので、6割の人たちに、その「給付金」の先に起こる可能性の高い恐ろしい「恐慌」を示して、それを知らない若い人々に詳しく知らしめて少しでも冷却してほしいのである。政治性を超えて、故に、敢えて、時事放談をした。

否、とすると、「給付金の景気議論」続けた方が良いのかな。戦略的に観て。

乱筆、乱文、散文の至り謝罪
念のため、本当投稿はあくまでも「放談」である。
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監修 : 副管理人 青木研究員さん

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