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写真技術と色理論 中編(副題 自然美のある綺麗な写真を撮る方法)

写真技術と色の理論 中編
(副題 自然美のある綺麗な写真を撮る方法)

色理論(CCカーブ)


中編
科学的な物質の影響
ここで、「酸素」(O2)やオゾン(O3)なのですが、写真性の影響外と思われたでしょう。
ところが、あるのです。
酸素は化学的に周囲の温度を下げる効果を持っています。つまり、酸素は他の物質と酸化反応を起します。その時、その反応に必要とするための熱量を周囲から吸収します。ですから、森や林や木々の下では涼しいのです。あれは影だからだけではないのです。論理的には一般には2度ほど下げる効果を持っているのです。
では、”温度が下がるとどうなるか”ですね。
空気中の水分量が下がります。つまり、絶対湿度(その温度が水分吸収するの限界能力)が下がるのです。上記の理論から「空気中の澱み」の水分量が下がりより澄んだ光を多く通すことを意味します。
又、周囲の浮遊物質を酸化させるために余計な澱みが少なくなる事を意味します。まして、オゾンは酸素より一つ酸素が多いオゾンO3のイオンですから酸化反応は抜群です。(因みに消毒剤のオキシドールは(H2O)より酸素一つ多い過酸化水(H2O2)です。それが一部空気中にあるわけですから。当然に、より赤外線領域の光が通る事を意味しますから、撮影には、赤外線の効果の「深みの色合い」が増す事になる訳です。ですから、山で撮った写真には良い綺麗な写真が撮れるのは景色だけでは有りませんね。

では、「深みのある写真」を撮ろうとすると、論理的には次ぎの様に成るでしょう。
雨上がりの後に埃が落ち、
暖められて湿度の少ない、
温度の高すぎない、
お昼までの朝方の、
カラットした日
以上の条件を選ぶ事に成りますね。

この様にして上記した知識を論理的に活用する事で目的の良い綺麗な自然美のある目で観た写真が撮れる事になるのです。

では、次ぎは上記した中で、”後述する”とした二つの事です。
この二つの事は一つを説明する事で解説出来ますので、それをこれから進めてゆきます。
この理論は最も大事です。この事を知る事でマスターすると写真家専門家に負けない知識を習得した事を意味します。意外に専門家は芸術家であるので技術者ではないので知らない基礎的知識なのです。

「CC理論」(Sカーブ)
先ずは添付ファイルの図を見てください。
写真技術はこの論理により成り立っています。
上記した「顔の肌色の影響」の解説と、「BGR:YMC」の関係と、「CC理論」とを合わせた「CCカーブ」と云うものがあります。その解説ですがこの二つのことでしたね。

では、解説を始めます。
Sカーブの経緯の見方
人の綺麗さの評価はある基準がありそれをベースにして脳では印象記憶として持っています。それが人種に依ってその先祖の生きて進化した環境から若干理論的な色合いに較べて異なっているのです。そして、それはある「光或いは色の濃度」と「光或いは色の強さ」との関係から違いの差が判定できるのです。
当然に、「BGR:YMC」の関係です。
先ず、縦軸に「光、色の濃度」を取り、横軸に「光、色の強さ」を取ります。
これをエネルギー(E)として考えても判り易いかも知れません。
そうしますと、添付ファイルのような図表が出来ます。
これをCC理論の通称Sカーブと云います。

取り敢えずは、面倒ですが、数理に苦手な方が多いのですが、でもより良い写真を撮るという意気込みからこの図表の論理的なことを覚えてください。数理に苦手な芸術家の写真家は意外に知らないのはこの事から来ているかも知れませんね。余談は兎も角も。
このデータは各メーカーのノウハウの基となるものなのでこの理論は公表されていないかも知れません。その共通の理論を解説します。

先ず上記した特長を持つ「BGR:YMC」を夫々この二つの関係をとると次ぎの様に成ります。
先ず、大まかな推移として述べます。
光の色YMCがBGRの色に変化して行く過程のEの変化を基に解説します。
そこで、縦軸の濃度を(Ed)とし、横軸の強さを(Es)とします。
光が弱い事は当然に色の濃度も低い事に成ります。当り前の事で光が弱いのに濃度が高いと云う事は有りませんね。ですから、朝の光は弱いですから、朝の色は濃度が低い事に成りますね。
当然に、写真ではこの理屈を利用する事で目的の柔らかくてスッキリとした趣は叶えられますね。
この様にカーブの変化を論理的に観てその理屈を使って写真に利用して自分の思う趣を表現すればよい訳です。

左から次第にYMCは右の方に強さ(Es)を変えて行きます。
ところが、低濃度で弱い光は余り濃度が上がらずにほんの僅かに上がりながらほぼ右に平行移動して行きます。
これは、高低と強弱の関係は余り無い事を意味しますので「安定している事」を示します。もっと云えば、Edが変化しないのですから、環境条件の諸条件に影響され難い事ですから、更に云えば、写真性として”問題なく綺麗に撮れる”と成りその領域が実に広い事になりますね。
「濃度の変化」と「色の強さ」の変化が変わらないのですから、この何処の範囲で撮っても同じ様に取れると言う事です。
YMCは下記にも書いていますが綺麗に撮れる光の色媒体ですから、朝の薄暗い時から色として確認出来るまでの明るさまではYMCの綺麗な色で写真は撮れる事なのですね。

そして、あるポイント付近(3)に来ると急激に高低のバランスが崩れて強さEsの変化比率に対して濃度Edの方がより上がるのです。EdとEsのバランスが崩れると云う事です。
ある光の強さEsの時期で強さよりも濃度Edが強く出る事に成りますから、明るさよりも濃度がきつく出る事ですので、写真では昼前後域には思ったよりも強い色の写真が出来る事に成りますね。
当然に何時もでは有りません。
曇り、塵、埃、水分などでも変わりますね。その時はこの障害物に依ってBGRの透過率が低いのですから、濃度は低いし、光の色合いYMCの方が透過率が良く成りますのでこの色合いの強い写真が出来る事に成ります。

色の出現
そして、そのポイント付近(3-4)から、光が色へと徐々に変化してゆきます。そして、遂には「色」らしきものが出てきます。
その「色」又は「光に近い色」は白に薄い淡い白に澱み、濁りに近い色合いを示してきます。それが次第にある程度の速さではっきりとしてきます。
YMCの色に近いその3つはその間隔の差が無くなりひとつに融合して行くのです。
一点化が進みます。その全ての「色の中心色」付近(4)に来るとYMCの高低同比率では一つに成ります。
YMCが同率である事は元々濃度Edの差がないのですから、それが理想的なYMCで撮影する領域である事がいえますね。
つまり中間色が理想的な色合いを示し、それでいて、写真撮影をすれば濃度も丁度良いころあいでBGRもある程度はっきりとして来る部位ですから撮影としては良い所に入ったと云えます。
ポイント4の中心とその右側での撮影より、私は、YMCの強さがまだ残っていて更にBGRもはっきりとして来るこのところの方が癖の無い部位としては良いのではと、考えます。
この様な時期は環境が好条件であるとして、昼過ぎから14時頃までのところであろうと思います。
「春夏秋冬」でその時期がずれますが、凡そ感覚的にですが、真夏では1-2時間手前、真冬では1-2時間後と言う事になるのではないかと思います。

季節の選択
真夏では日差しと紫外線量が最大の傾向がありますし、逆に真冬は日差しが弱く、夕闇は速く成ります。
秋では冬傾向にあり、春は夏傾向にありますが、一日の撮影時間の長さとYMCの量の多さか
から考えると、春がこの部位の領域を示す傾向が一般的な好みから一番ではと思います。
しかし、秋には春に対して逆に撮影時間とYMCの量が少ない事ですが、環境条件は秋晴れの空高く空気が澄んでいますし、色彩豊かで環境条件で良い事では一番となりますので写真性は高まりますね。
結論は「YMCの春」か、「環境条件の秋」かを選択する事に成ります。

K18グレー
「CCカーブ」はこれ等の環境条件等の全ての影響要素を無くしての試験世界標準適用(22℃RH50%etc)で作成されているので、この領域を使う場合は「春夏秋冬」「朝昼晩」の時期を選べぶ必要があります。

さて、上記の左側から移動して、次ぎは中心(4)ですが、ここが大変意味のあるポイントなのです。
色と光、つまり、YMCとBGRの中間点又は融合点なのです。その光(YMC)と色(BGR)の融合点は通称グレーと呼ばれています。
グレーには沢山のグレーがありますが、この点はそのグレーの中心で、G=「18K」と呼ばれるところです。
上記した左側YMCの写真性とその右側のBGRの写真性の良い部位、領域の特長の中間であると云う事に成ります。
右側のBGRの部位、領域は当然に左側より時期では14-16時、或いは夕日までの時間帯です。
環境条件としては「春夏秋冬」としてでは、夏では「光の強さと量の多さ」からBGRは段突ですね。その反対は勿論冬となるでしょう。
YMCは少なく、右側ですのでBGR域だけの域ですから、中間色は紫外線の強い夏のC(シアン)だけと成るでしょう。
「春のYMC」と「秋の環境条件」はその中間と観るのが妥当でしょう。
「春のYMC」では、右側のBGR領域ですので、BGRの品質の根幹と成るYMCで「はっきりくっきり感」等良く出る領域となるでしょう。
春の緑豊かなこの時間帯で写真を撮るとすると、春は「BGRの品質」と云う事に成りますね。

「秋の環境条件」は当然に光の透過量が大変良くなる訳ですから、写真は空気が澄んでいるので赤の色合いが強く成ることを意味しますね。ですから、紅葉写真は最も適合している訳です。

この様にこのCCカーブを使えば、写真撮影ではその目的に合わせて撮る事や、その時期の特長と時間帯を選べばより綺麗な写真が撮れることが約束される事に成ります。

時期と時間帯の特長
撮影の時期
凡そ次ぎの様に成ります。

「夏のBGR」
「春のYMC」
「秋の環境条件」
「冬の白黒」
以上の4つの条件を覚えて置く事がこのCC理論のSカーブを利用する事が出来ます。

撮影条件を考えてCCカーブの特長をのポイントを選ぶと云う選択方法もあり、逆にこのCCカーブの色のEsとEdの状態の特長を念頭にして、撮影条件を考えると言う事も有り得ますね。
上記の時期に対して、今度は時間帯はどの様に分けられるのかと云う疑問が出ます。

撮影の時間帯
CCカーブの特長から詳細に分けると次ぎの様になります。
一日の時間帯を次ぎの様に分けられます。
「朝日の3光(6-9)と時間帯(5-6)(7-8)(9-10)、(10-12)」
「昼の3つの時間帯(12-14)(14-16)(16-18)(18-19)」

(0-5)(19-24)は黒の特殊な領域です。
(0-5)の領域の黒と(19-24)の領域の黒とでは黒の傾向は異なります。
これは光の環境条件から起こる結果です。
(0-5)は空気が澄み、気温は低下します。結果、論理的に光の透過は良く成りますので、YMCは勿論の事、赤と赤外線領域の透過は良く成りますので、黒はB系の黒が出てきます。
(19-24)は空気は澱み、まだ地熱より気温は高いです。結果、光の透過は悪くなりますので、もとよりYMCは悪く、逆に黒は赤系の黒が出る事に成ります。
G系はこの何れかの時間帯の中で起こることですね。それは季節の変化にも大きく左右される所ですが、空気の澱みと気温の程度に依ります。

この時間帯での写真は全て光と色のEdとEsの変化から異なってきます。
この「8つの時間帯」を考えCCカーブの色のEdとEsの特長とを合わせて撮影するとぐっと写真性が良くなるのです。
この様にして、季節の時期と時間帯を使う事でも的確にその被写体の特長を引き出し、自然美をより効果的に演出し再現できる事に成ります。
このCCカーブの理屈を利用して綺麗な写真を撮るにはこの特長は大切です。
未だ細かい判断記憶があるのですが、後は後述で説明する事にします。先ずややこしくなるのでここまでにします。

次ぎは、ここK18では、ご覧の様にYMCとBGR全てが一点に合流しているのですから、論理的には撮影には最も良い事を意味しますね。

この中心点、合流点、K18、グレーポイントのポイント4は、左側部位、領域と、右側部位、領域から”推して知るべし”でどちらにもマッチングする領域と成ります。
しかし、当然、理想的な領域ですが、残念ながらその領域は小さい事に成ります。
ここで撮影出来れば綺麗な写真が撮れる事に成ります。無難で綺麗な写真が問題を少なくして撮れる事に成ります。
K18のグレーを背景にして写真を撮れば、自然美のある人間の目で見た綺麗な写真が撮れる事が出来ます。YMCとBGRの左右の領域に偏らない問題の少ないバランスの取れた撮影が約束されると云う事ですね。でもその綺麗な中に更に綺麗さの基を成している「趣」を強調するとした場合は左YMCの領域だと云う事なのです。

上記した「春YMC」と「夏BGR」と「秋の環境条件」と「冬の白黒」等の条件が絡んでも綺麗な写真が取れます。しかし、「趣」をより強く出すとかの工夫をする場合は、その特長と云う点では賛否両論の出るところです。写真でなくても世の中の事は何でもそうですよね。
この条件を見つけ出すのは自然界の中ではなかなか困難でしょう。
プロのスタジオでの「作り出し条件」では問題はありませんし、プロのスタジオでは凡そ世界標準に成っていてこの領域で撮影をします。ですから、商業写真は綺麗ですよね。なかなか欠点を見つける事は困難ですね。
では自然美の撮影では”どう言う時にこのチャンスはあるのか”と云う事に成りますね。
それを発見するには、先ず、CCカーブを使って論理的に考えます。

理想条件
時の要素
CCカーブは標準的で理想的条件の世界標準の中で出来ていますので、これに先ず、自然の全ての環境条件が絡んで来ると撮影時の要件は悪くなる一方ですね。
とすると、その中でも理想条件を叶えるものとして、この最高の領域となると、経験から観ると次ぎの領域ですね。
先ず「秋の環境条件」の一番良い時で時間帯は「昼前後」と成ります。

では、”そんな時は秋にあるのかな”と知りたいとして疑問が出ますね。
実はあるんです。その例として、皆さんは次ぎの言葉知っていますか。
”「秋の台風一過の青空」”昔の人は良い言葉を遺してくれていますね。
この言葉は写真だけに対してだけではありませんで多くの事に適応されるのです。
「台風が来た半日ほど経った時かあくる日」です。

台風のよく通る地方の人は知っている筈ですね。
このポイント4域を再現すると、この日がこのYMCとBGRの合流点なのです。抜群の写真が撮れますよ。環境は標準条件に近いでしょう。
ただ、”絶対に秋だけでは”と言う事ではなく、他の季節にもこの様な標準的な環境条件が無いと云うわけでは有りませんね。
このCCカーブの中心点に相当するYMCとBGRの総合的な好条件を再現する環境条件は”秋だけに限って”とする意味合いでは有りません。他の季節にも再現される可能性はあります。少ないと云う事だけですね。

そこで、「時、人、場所」の三要素の内、上記のこの「時の要素」の「季節、時期の問題」だけでの考察では無く、「場所の問題」で観て見ると、この標準条件の好条件に近い場所があるのです。

場所の要素
何れの季節に於いても再現しやすい所が在ります。多くの良い写真はこの場所から撮っていますよ。
其処は山間部の「山」なのです。
「山」は酸素の様な科学的な要素、温度湿度の要素、塵埃の要素、風の要素、光の透過、周囲のYMCとBGRの豊富さ等が際立って良い事が云えます。
これは季節の夏でも、気温を大きく下げる事や風等の要素が働き、秋の環境条件を再現出来るからです。
当然、春も同様ですが、冬だけは除外しなくてはなりません。冬は雪もさることながら、上記した様に白黒の再現域ですので、このポイントの好条件の発見と演出は困難となりますね。
従って、次ぎの様な事に成ります。
「秋の時期」の台風一過の様な天気、
「山間部」の山の様な場所
以上2つが撮影にはこの中心点ポイントの好条件を再現する事に成ります。

この中心域はEdがEsに対してその比率が高くその領域が狭い事を示していますので、ある限られた範囲でしかこの好条件は成立しない事を示しています。

「台風一過」の様な好条件を頭にしっかりと認識して、”さて、今日はどうかな”と空を見上げてCCカーブを思い浮かべてその日の撮影に合った被写体を模索する事が必要ですね。

中心域最右側
次ぎはこの中心点から上記した右側の域を越えての領域でのCCカーブです。
そして、其処から強さEsの変化比率に対して放物線で一挙にBGRの色の濃度Edは急に上昇してBGRの夫々の強さにその差が出てきます。
次第に拡大して行きます。
ある中間位に来ると色として最も際立って明確な色調を示します。
色としての色合いを最も幅広く使えるところでBGRそのものの特長を顕著に出す所です。
其処から放物線は最大点を迎えます。
この点付近からはポイント5の領域の特長を持ちながら、よりその特長の強さを写真性に出し”ドギツイ”と云いますか”過激”と云いますか、余り色として使われない所で自然の「美の感動」を表現するには問題が出てきます。しかし使えない所では有りません。これは何度も云っていますが日本人の話ですね。ヨーロッパ系人種は使えるところです。
日本人と比較すると、彼等はポイント1つ右にズレていると概して云えますね。

更にそのBGRの強さの差違は拡大しながら今度はその放物線は下降を始めます。
この領域は”下降する"と云う所に問題があるのです。
下降するは”Esに対してEdの比率が下がる”と云う事ですから、最高点に較べて”何か濃度が薄らんで来た”と感じるところです。
マア、その様な趣を出す被写体があればこの域のポイントを使う事に成ります。
夕焼けより少し後の”太陽が落ちた頃合”の時間帯となりますかね。
当然、写真にするのであれば、フラッシュを焚く事に成りますよね。
”何か濃度が薄らんで来た”は無関係に成ります。
”夜の線香花火”の写真でしょう。

この範囲では自然美の追求としては黒ずんできますので普通では使える程度では有りません。
黒をバックにして対比的に被写体を浮き出させその色合いを誇張する写真などがあり、夜景のスナップ写真と成ります。
そして、最後はBGRの綜合色の黒と成り、BGRが一線状に無く別々にR>G>Bで拡がっていますので、その黒がBGRのB系の黒、G系の黒、R系の黒となる黒系が出来ます。
R>G>BからR(赤)系の黒が強く出てきます。
G系、B系の黒は”鬱陶しい”と云うか”物寂しい”と云うか”物静か”と云うか基本的には”被写体の目的に応じた黒を選ぶべき”とするべきですが、現実にはR系が好まれるのです。
これが白から黒までに変化する「CCのSカーブ」と呼ばれる変化です。

「3つの要素」(撮影3要素)と「CCカーブ」
これを自然美の追求からすると、次ぎの様に成ります。
「撮影季節」と「撮影時間帯」
「撮影場所」
「撮影被写体」
以上の「撮影3要素」の「3つの要素」です。

このCC理論に当てはめて考えると「自然美に融合した綺麗な良い写真」が撮れる事が出来るのです。
逆に、写真展などで綺麗な写真を判定評価するとしたら。この「3つの要素」と「CCカーブ」が合致しているかの評価をすればよい事に成ります。
写真展や展覧会などで「3つの要素」と「CCカーブ」を下に観た事がありますか。
余り少ないと思います。
そうですね。プロはこの「3つの要素」と「CCカーブ」で観ているのですよ。
この「3つの要素」と「CCカーブ」の視点で観る事でその写真の撮った人の「努力」や「技量」の奥のものも垣間見る事が出来て楽しさや観覧の有意義さが出るのではないでしょうか。
この様に、「3つの要素」と「CCカーブ」が働いていますから、絵画の芸術性と違い写真は「技術の領域」を多く占めている事を物語る事ですね。
本文は故に「芸術写真」を論じていないのです。

ポイントの詳細(ポイントの解説)
それでは、更に深く理解を深める為に、そのポイントのところを更に詳しく考察する事にします。
さて、復習しながら進めますが、そこで、このポイントの”写真に対する効能がどの様に働くか”を解説します。

ポイント1-4
先ず、太陽の光が人間の目に届いた時点のところです。YMCの左側のスタート点と云う所ですね。
この点をポイント1としますと、このポイント1この所が、YMCの完全な綜合光、即ち灼熱の太陽に見る「白」ですから、その白つまり、ポイント1の所です。人間の目に見えうる僅かな色合いを示す限界の所です。
従って、写真には影響の出るポイントと云う事に成ります。
つまり、最も光の領域に近い色合いですよね。BGRも光が物体に衝突した時に発する閃光色と考えられますから、その最初の所と云えます。

最初とは云え、実は無視の出来ない大事な大事なポイント1なのです。
それは”何故なのか”と云う疑問が湧きますね。
太陽のぎらぎらの光が写真に無理だと思うでしょう。目にも見えないくらいの光の領域の白なのですから。ところが、人間に見えない光線が人間社会に働いているからなのです。
つまり、可視光線外に色があると云う事に成りますね。よーく知られている言葉の紫外線、赤外線の境界領域なのです。
特にこのポイント1の場合では、紫外線の働きがあるのです。
写真には、人間の目に見える限界です。
その限界に現れる白を持つ植物や自然現象が多くあるのですよ。
では、それを説明します。
元々BGRも上記した様に光の色のスタート点(ポイント1)からEsが進んだものなのですからね。

先ず、植物では「淡く薄く青じみた光輝く青」とも確認が難しいほどの色合いを示す白の花があります。
当然にこれは自然界には物理的にもあり得る事です。無いとは云えませんね。巾のある自然界ですから。
太陽から可視光線外の紫外線などの光を受け付ける細胞を持ち得るものがあればその限界の白ともいえる色合いを示す事になりますから、自然界にはある事に成ります。
もっと紫外線外の光をも受け付けている植物が在るかも知れません。しかし、如何せん人間の目にはその限界があるからそれを確認出来ないだけの事なのです。
この様に考えれば”なるほど”と納得出来ますね。実は意外にこの世の中には物理的に観るとこの事が多いのです。知られていないだけの事なのです。

自然界でははっきりと観られますよ。先ず「雷」の光を見た事の無い人はいませんよね。又は物と物とが高速で衝突した時に出る閃光も光の領域ですね。
BGRは光の透過量(YMCは衝突閃光)を原理としますが、要は元は振動磁波と浮遊物質との衝突ですね。その時に出る閃光ですからね。雷の光の色も原理は同じですね。他にも沢山あります。

最近ではプラズマ光線、レザー光線など良く知られるように成りましたが、あれは太陽で起こっている核爆発の光に近いケルビンを持っていて太陽で起こっている光そのものでもあり、小さい太陽そのものの光線ですね。
普通には鉄等の鉱物を溶断する時等に使う建築現場の酸素と窒素の溶断バーナーなどの火炎が身近に在りますよ。火炎は光りですから
水晶の結晶に超高速の高周波を通すと起こるレーザー光線などは明らかに青色がはっきりと見えますよね。レーザー光線は目でも飛んでいる光の色ははっきりと青として観えますね。

プラズマ光線ははっきりとやや赤味を帯びた感じがしますし、酸素バーナーなどはやや黄色味を帯びた色をしています。
この様に例でもわかる様にこれらの光に「色合い」を持っていますね、確かに。これがYMCのスタート点のポイント1の所です。つまり、YMCは光の領域の色合いですね。
そうすると、もうそのものから考えると、YMCは光又は色の基に成っていることが判りますから、この「光の色」(YMC)が無くては全ての色合いは成り立たない事は判りますよね。
太陽が色の根源なのですから当然ですね。
では、この光と云うか色と云うか「YMC」の融合色には3つのものがある事も判ります。
Y傾向の閃光、
M傾向の閃光、
C傾向の閃光
と云う事に成ります。

この白の色合いが完全に融合した所が白ですから、しかし、このエネルギーを分析すると本来理論的なところでは「一つの白」と成る筈ですね。
ところが、光は鉱物の核爆発の振動磁波でしたね。そうすると、鉱物には人間の指紋と同じく特長を持っていますから、当然にその持つエネルギー(E)も違う事が考えられます。
この地球上の「鉱物の周期律表」と云うものを習いましたね、あれは言い換えればエネルギーの違い差ですから、その差がズレとなって出てくるのです。YMCの3つの形で。
ですから、ご存知の上記した閃光をよーく観ると、Y系、M系、C系の白の光の色合いを示すのです。そして、そのレベルは高い順にY>M>Cと成ります。エネルギー的には一つに成っていないのです。但し、メーカーに依ってはEdがYとMが接近か或いは同等である様に編集している場合があります。これは人はM傾向を一般的に持っているからなのです。当然に日本人ですが。

つまり、その閃光の基の鉱物はNa>K>PorBs=Y>M>Cと成ります。
そこで、理解を深めてもらう為にC(シアン)の例をもう一つ挙げます。
昔の人から墓所で「火の玉」「人玉」を観たと聞いた事があるでしょう。これは現実なのです。
これは夏場に虫や生物が死んだ時に出る肉質の根源のP(リン)が静電気の現象(「スキンエフェクト」と云う現象)で引っ張られツルツルとした冷たい墓石の角にイオンの形で集まり、塊となるとそしてそれが空気の酸素と反応して酸化して燃え軽くなった塊が石から飛び出した現象なのです。
昔は人は土葬でしたからね。
余談はさて置きこの(P)が燃えた色合いがシアン色を発光するのです。

Y(イエロ)のNa(ナトリウム)は夜の道路やトンネルの外灯です。ランプガラス管の中でNaガスイオンに放電管から出た電子が衝突してYの閃光を発しているのです。これも太陽からの飛んできた振動磁波が障害物に衝突して閃光を発した光の色と同じ事ですね。それがガラス管の中で起させているのです。

M(マゼンタ)のK(カリウム)は料理の時に塩が鍋からこぼれてコンロの火に当り燃えた時の色です。このマゼンタの光の色合いが自然界では多いのですがよく認識されていない為に気が付いていないのです。そして、このマゼンタが中間色としてBGRの色に融合していないと写真では納得しない色合いなのです。勿論、前提は日本人ですが。
赤い夕焼けなどもよーく観るとマゼンタの場合が多いのです。
秋の紅葉を赤と観ていますが、あれもマゼンタのものもあるのです。
このマゼンタは最も多いのですが、赤に間違われやすい色合いだからです。
これはマゼンタのEd(濃度)が高くなった領域ポイント3-4のマゼンタを観ている事なのです。
中には、人間の肌色やピンク色を「マゼンタ」では無く「赤」として観ている傾向があるのです。
ピンク色はマゼンタのポイント3域付近の色合いですね。人間の肌色はポイント2域付近と成るでしょう。
プリントする際に補正を要求する傾向の強いのはこのマゼンタの色合いが多くこの認識の違いから来ているのです。
極端な人では、道路のアスファルトは黒か黒系統の灰色と普通は観ているでしょうが、違うのです。マゼンタ傾向のアスファルトと認識している人が日本人に実に多いのです。
決して色盲ではありません。印象記憶がその様に思い込まれて記憶しているだけなのです。

この様に印象記憶になるほどにYMCは身近にある光或いは燃えた時の光の色として多く存在しています。ですから、念の為に聞きなれない光の領域の色合い「YMC」を確認して覚えてください。
これ等は全て「YMC」=「光から出る色合い」ですね。

さて、これでその原理は判ったとして、次ぎは、この「3つの光、YMC」の色はそのエネルギーの僅かな差でほぼ平行移動して変化して行きますが、写真撮影ではどの様に働くのかが問題です。

色を左右させる根幹のものですから、人間の目には色では無い色ですから、光とBGRの色との中間ですから、このの融合色は「中間色」(専門用語でハーフトーン)と云う事に成りますね。
例えば、YMCの融合色のピンク色などが中間色です。要するに肌色の様な感じの特長を持った色合い等です。中には中間色でもEd(濃度)の濃いBGRと見間違える中間色もありますよ。
ポイント4域手前と、ポイント3域付近では慣れていないと見間違えます。
この共通する感覚としては次ぎの様に覚えてください。
「YMC」=「淡く薄い光輝く色合い」
以上の共通する特長を持っています。

それを覚えるには上記した説明です。
「YMC」=「閃光色」です。

そこで、上記した「閃光」の色合いを少し濃くした色として思い起こしてください。
そのYMCのマゼンタ傾向の強い「融合色」のピンク色はプラズマ光線の色合いを濃くした色がこの中間色です。

このポイント1の部位域での色合いの濃度、つまり、エネルギーの量Edを上げて行くとその中間色は濃くなって行きます。そして、その領域(量域)がポイント3まで続く事に成ります。
ここまでは「中間色域」で「光の色合い域」と云うべき所です。
厳密にはポイント4域までが論理的な域ですが、このポイント3からポイント4域は中間色とは云え特長をやや異にして来ます。
当然、写真性でも同じくその効能と云うか特長として出て来るものが異にしますので、ポイント3とされるのです。
兎も角も、ポイント3域まではポイント1からのスタートのYMCのEd、Esの差違は狭まりながらもやや濃度Edを上げながらもほぼ平行に推移します。この域を「中間色」(YMC)なのです。
「YMC」=中間色

余り変化の無いという事は光の色としてである為に単独(単属)では「安定している」と云えるのです。従って、ポイント1に対してポイント2までの域は強さEsと濃度Edに対する判定能力はやや出来る程度(0.5)である為に写真性に大きく差が出て来る領域では有りません。
その「安定性」の面ではポイント4より右のBGRの障害物に依って変わる色に比較して「安定」な特長を示す領域です。

ポイント1域は「極めて淡い薄い色合い」で光輝く「光の色合い」程度で、自然の中では探せば見つけることが出来る程度の色合いです。
ポイント2域では「淡い薄い色合い」で自然色の中に多く観られる色合いとなり人間の印象記憶の始まり程度の「光の色合い」です
ポイント3域では「淡く薄い色合い」では人間の判定能力から色BGRの濃度の薄い色合いと見間違える人が出て来る色合いです。印象記録は誰でもが共通の色合いを示します。
しかし、未だこの域は光輝く特質は持っています。自然の中には大変多い色合いです。
淡い透き通るような花の多くはこの域のものが多いのです。

撮影では、条件さえ整えば「安定」して表現出来る色合いであると云う事ですので、この3つの目で観た情景を的確に捉えて。撮影に反映させればよい事に成ります。
その反映とは上記した
「撮影季節」と「撮影時間帯」
「撮影場所」
「撮影被写体」
以上の「撮影3要素」の「3つの要素」でこれを検討すればよいことに成ります。
この逆の事も「撮影3要素」で「情景」を探せば良い事に成ります。

まとめますと次ぎの様に成ります。
撮影要領=「撮影3要素」><「自然の情景」

その安定域はポイント4或いは3まで続く事に成りますので撮影には好条件です。
かなりの”環境条件にも左右され難い色合い”という事に成ります。
但し、上記したBGRのフェリヤー(補色反応)が働かないとい云う前提です。

ですから、このピンクの色の花の群れがあるとして、それを被写体としてアングルの6割以上(科学的な論理的根拠あり下記に記述する)の中に入れると、目で観た色としての感覚は保たれると云う事に成ります。
この事からすると、写真技術としては、そのピンクの色合いだけでも「安定して且つ感覚が保たれる」だけでも、「アングルや周囲の景色」の如何を問わずそれはもう綺麗な写真と成ります。
更には、光の色YMCは光が衝突して発光したのがBGRですから、この理論からすると、このBGRの色を持つものの根底にはこの中間色YMCが含むことを意味しますから、撮影にはこのYMCをより多く出す工夫をする事が秘訣と成りますね。
そうすれば、YMCのBGRに対する効能として「くすみ、澱み、濁りの無い色合い」を引き出す事が出来るのです。

よって、論理的には「YMCの中間色」は、ポイント1からポイント4までの中間色域と、BGRのポイント6までの域まで(このYMCは色合いとして)働いていることに成ります。

前はポイント3域までは「直接的な影響」です。
後ろポイント6域までは「間接的な影響」と云えます。

当然に、このYMCは直接、間接で「自然美の綺麗さ」を表現出来る最高の色合いである訳です。
更に言い換えると、このポイント3域までのところで撮影をする事が秘訣です。
最高撮影域=ポイント3域

では”どうしたらその様に出来るか”ですね。
何度も云っていますが、「自然環境」です。撮影の「環境条件」です。
振動磁波が地球の障害物に衝突した時に発する「閃光色」ですから、「障害物」つまりは論理的に地球の「環境条件」と成りますね。
光の色のYMCは光の状態に左右される事に成りますからね。地球上でこの「光の状態」を変えるのは「自然環境」以外には有りません。太陽から飛んできている訳ですからね。それが地球の障害物に衝突しているのですから。その障害物は自然そのものですね。

障害物=自然環境
その光を左右させる自然条件は上記で述べた様に、温度、酸素、風、湿度、塵、埃、朝昼、紫外線量、赤外線と影域等に成る訳ですから「被写体に合わせた良い条件」を選べばよい事に成ります。

更に、シビヤーにするとすれば、上記した様にYMC(中間色)の場合は次ぎの要領です。
光の強さのガンガンのポイント1域なのか、
量的な領域のポイント3域なのか、
その中間のポイント2域を使うか
以上3つに拠ります。

これ等は日本では、季節、時期の選択と成ります。
環境の広域変化の四季を使うか、
狭域の一日の変化を使うか
この2つによる事に成りますね。
光の色合いYMCですからね。

例えば、ガンガンのポイント1域では真夏を使えばよいでしょう
ポイント3域では秋冬間を使えばよい事に成ります。
ポイント2域では晩秋か春盛を使うことで表現出来るでしょう。

狭域では、朝の光(3つもあります)のポイント1域、
11-15時の昼の2つの光のポイント2域、
夕暮れの16-18時の夕焼けが起こらない手前のポイント3域
を使うとなるでしょう。
復習
「朝日の3光(6-9)と時間帯(5-6)(7-8)(9-10)、(10-12)」
「昼の3つの時間帯(12-14)(14-16)(16-18)(18-19)」

(0-5)(19-24)は黒の特殊な領域です。
(0-5)の領域の黒と(19-24)の領域の黒とでは黒の傾向は異なります。

これだけでも、良い写真を撮る事は出来るでしょうが、上記した幾つかの環境条件を駆使する事でも更に短期に撮影できる事に成ります。

温度の心得
先ず、温度ですが、
一季節の温度、
月単位の温度、
週単位の温度、
一日の温度の「温度の高低」
以上でも大きく変わります。

特にこの温度の要素は、湿度、乾燥、空気の移動、酸素量などの変化が起こします。
これは光の透過量を大きく左右させます。又、花などでは植物にも変化を与えますし、そもそもその色合いにも微妙に変化が起こります。

酸素の心得
酸素は意外に認識は無いでしょうが大変に影響があるのです。
酸素量はその周囲の温度を2度以上に下げる能力を強く持っています。
風は温度を2度程度下げます。もとより、塵埃類を飛ばします。

湿度は推して知るべしで空気中の水分量が光の透過を左右させます。
後はこれも推して知るべしで被写体に合わせて選ぶべきですね。

これら一度に全部の条件選択とはいかないでしょうから、その被写体に合わせたより多くの条件を選択して撮影する工夫が必要でしょう。

撮影前の心得
写真撮影は撮影前のこれを考え設計するのも又楽しみの一つとすべきです。これがこのCC理論をマ
スターする秘訣ですね。
設計する楽しみ
当然に撮影時の楽しみ、
撮影後の設計の検証考察の楽しみ
この3つだと思います。

言わずもがな、この「3つの楽しみ」が、上記した「写真技術の習得」と「その腕前」を上げる基となるでしょう。
一度には覚えられない理論に苦手な人も居られるでしょうから、何度も読み返しながらも訓練と経験を通して得られるものです。慌てる事は有りません。

条件のマスター
誰でもが通る方法は、写真撮影ではこの理論を一つづつマスターしながら多くを覚え、遂にはいくつもの条件を瞬時に配慮した撮影の成功に繋がるのです。その時の喜びは飛び上がらんばかりです。
実は、筆者も撮影の際には出来るだけ前もって設計し、それを現場である程度の範囲で瞬時に条件を考え出し、それを再現する努力をします。どちらかと云うと設計が楽しみなのです。
これはボケ防止によい様に幸いにも働いていていまだ忘れぽくなると云う事が少ない様に思いますね。何をか況やこれは父親が手本です。

さて、余談が過ぎましたが、”YMCの光が色を発する?”はこの以上の理屈から来ているのです。そして、それがBGRの色域のところまでその影響力を伸ばしているのです。

この「中間色」には色々と理論が多くありましたね。
ここら辺で一休みして又別の日でも読みますかな。
しかし、説明は続けます。

次ぎはポイント4域ですね。
中間色YMCのポイント1-3の説明はこの程度として、次ぎは大事な色の3原色のBGRの色への入り口です。
「光の色YMC」から「BGRの色」へと入るには、エネルギーEを持っていますからある変化が必要ですね。
この世の何でもそうですが、その脱皮には莫大なエネルギーEが必要です。物理学でもこの点のところには言葉が付いているくらいです。降伏点とか変態点とか分岐点とか分離点などの言葉がありますが、この色の理論では「K18ポイント」(K18)と呼ばれています。
そして、このEの「変換点」には全てのものに云える事ですが、その変化にエネルギーの加速度が起こり軌道を一時「ズレ」を起す現象が伴ないます。これを通称他の物質(水等の液体)ではス-パーヒーティング(加熱時)とかス-パークーリング(冷却時)と呼ばれています。
要するに過熱現象、過冷現象(通称ラップ現象)などの言葉が付いています。(スーパー:過)

YMCの過色現象
YMCからBGRへのこの「脱皮点」の「K18」付近では全てのEが集中しています。光が色に変化する時にも全ての物質に起こるようにこの様な「変位現象」が起こるのですね。
普通の理屈なら集中しなくてもそのままで変化しても良い筈ですね。
しかし、例外なくCCの理論のカーブでも集中現象が起こっているのです。
集中してEを蓄え「変位現象」が起こっているのです。明らかに脱皮現象ですね。
そして、そのカープが双曲線から放物線へと一挙に変化します。
物理学ではE的に観ると、この地球上の全ての物質の「変位現象」はこの「ラップ現象」と「BGRの集中現象」が起こる事に依って成立していると成ります。
そうするとCCカーブでは「集中現象」は再現されて起こっていますので、過色現象(ラップ現象)も当然にある筈です。

そこで、多分、自然摂理からこの変曲点ではこのスーパー現象(過色現象)が起こっている筈です。
つまり、どう言う事かと云うと、K18の直ぐ右側でYMCの現象も一定の領域で平行して起こっていると云う事です。本来なら理論的にはYMCはBGRの根幹要素として働く事に成ります。
しかし、このK18右側一部領域では根幹要素ではなく左側の「YMC効能」をも示す筈だと云う事に成ります。
ですから、K18の所での撮影が最も綺麗に撮れるポイントだと成るのです。
それ相当には、K18の左右のCCカーブの集中領域では綺麗に撮れる領域ですが、文句なしの完全に綺麗に撮れると成れば、理論的には、K18のその一点の領域だけと成りますね。
そんな芸当は現実に困難ですよね。しかし、テストでは確認すると現実に多少ずれても可能なのです。
最高の撮影ポイント領域だとする事はこのYMCの「過色現象」が起こっている事に成ります。
CCテストでは現計測器ではCCカーブのこの「過色現象」を取り出す事(この色としての再現)は無理だと言う事に成ります。水などははっきりと大きく長く出て来ますよ。
「YMCの過色現象」がBGRの領域にあると云う事は綺麗に撮れる領域である事の証明なのです。
当然ですよね、綺麗に撮れるYMCのポイント3の領域とBGRの領域の二つを持ち合わせるのですからね。文句なしですね。
そこで、では撮影に際してどのような時かと云う事に成りますね。なかなか難しいですが。
YMCの濃度Edが急に3-4倍に成っていますから、その事から考えると
BGRの色が情景に観られる所で、且つ、その濃度が「YMCの淡くて薄い色合いを持つ濃度」よりはっきりと数倍の濃度に成った所ですので、BGRの色合いの情景が着いた領域で、時間帯で云えば季節にも依りますが、平均して昼前ごろですね。
カンカン照りのEsEdの強い15時以降の時間帯では無い事ははっきりしていますが、季節では春の桜の咲くころ前後かなとも思います。この時期に「目で観た自然美」の「完璧な色合いの写真」が撮れる事に成りますね。これは基本的には経験で体得して頂く事に成りますが。

先ず、桜が綺麗に取れるのは桜の花の色合いをお考え下さい。
主にYMCの中間色のピンク系でEdが少し進んだところですね。桜の花がピンク色であるからだけでは無く、このK18の直ぐ右側の過色現象が働いている所も大きく左右しているのです。
写真館にこの桜の時間帯に分けた写真の3枚組写真を添付していますが、この時間帯を過ぎるとフェリヤーが働いて色合いが変化していますが、時間帯の早い桜の写真は自然の色合いを示しています。
(写真館にはこのCCカーブの各ポイントでの例題写真を展示していますのでご覧下さい)

さて、少し難しく成りましたが、そこで、これを覚える事のためにも、もう一度K18の意味合いが深いので復習を兼ねてこれに付いて考えて見ます。

各メーカーで独自の分岐点を持っていますが、これでは国際的な統一が出来ません。そこでこの微妙な点を何処の国のどの分類方式のものにするかが新理論を確立する上でも何れの時も問題に成ります。
この際は一番進んでいる2つの国の日本のポイントとするか、米国のポイントとするかに成りました。結局、この理論化の発祥元の米国のものとする事に成りました。
それを確立したメーカーのコダック社のものを使うことになったのです。
その為に、Kを使いました。そしてその分岐点の階層分類の内の18番目のものを使うと云う事に成りました。
それが、この「K18」ポイントと成ります。カーブではポイント4に当ります。
「K18グレー」と呼びます。
そうなんです。このK18は光の色のYMCとBGRの中心で、K18のグレーより左側は薄くなるグレーで中間色の色合いです。ポイント3付近半ばから起こる極めて薄い色合いのグレーです。
右側のグレーはBGRの色のグレーと理論的には云えます。
「左の中間色のグレー」か「右の色のグレー」かの判別は上記した「淡く薄い光輝く色合い」で判別が出来ます。慣れるとそう難しくは有りません。
その為に、色に変化するためのカーブの傾きが最も高く成っています。
つまり、この事は「量と質の変化」のEが同率で比例的に起こる事が示されています。
「中間色」には「YMCの色合い」以外に、この「グレー系統の中間色」があるのです。
綺麗なグレーですね。
この左側の中間色のグレー色の領域での撮影では、「色合い」の表現では、大変難しい作業と判断が伴なうことが論理的に云えます。難所である事が云えます。
それは次ぎの「質と量」の変化が原因しています。

「質と量」のE
K18での「質と量」のEが急激に同率で変化するのですから、その領域は小さい事が云えますので色合いの表現は難しいのです。
逆に、その色を表現出来たとすると、その写真は抜群の出来栄えと成る事を意味します。
被写体に中間色の薄い淡い輝くようなくすみの無いグレーがあるとすると、上記のYMCの撮影の環境条件が限定されてくる事に成ります。
逆に云うと、このグレーを背景にすると前に来る色合いはYMCとBGRの中間付近にある訳ですから最も補色関係の差が有りませんので、フェリヤーが働き難い領域と成ります。
そうすれば、我々素人範囲ではそのタイミングを取る事が難しいですし、この自然美が自然界に少ないことが考えられます。主にはプロが撮影するスタジオなどで再現できる環境条件です。
ですから、身近では祝時等でスタジオ撮る写真には後ろにグレーの背景の膜を張り撮影しますね。あれはこの原理から来ているのです。
プロが撮る商業写真などをよーく観てください。この域の中間色域のものを選んでいます。
難しいですがその環境条件を再現できれば出栄えは抜群で誰でもクレームをつける事が出来ない綺麗な写真が撮れる事が出来るからです。
当然に上記したフェリャーや紫外線の影響などの問題は起こりません。この過色現象とK18の左ですから周囲にBGRの色を使っても印象記憶の差違も出ません。
ですから、環境条件を再現出来る様に計器が多く存在するスタジオなのです。

商業写真の被写体の目的にも拠りますが、次ぎの領域を使う事に成ります。
第一には「K18の左側」=「ポイント4の左側50%付近まで」
第ニには「K18の右側」=「ポイント4の右側15%の過色現象領域まで」
第三には「K18の右側」=「ポイント5の左側50%付近まで」
成ります。

ポイント4の右域(50%以上)は既にYMCの領域では有りませんから、BGRの単一色の欠点を補う間接的なYMCの影響と成り、商業ベースでも綺麗な写真とはなり難いのがこの域です。
しかし、それを敢えて撮影に出すという技法も有り得ます。最近は美以外に人を引き付ける目的で、強い「個性出し」とか恣意的な「意外性」を出す為、又は「芸術性」を出す為に用いられる事が多いのではと考えますが。ここではその域であるとして知る事で充分ですから対象外とします。

このポイント4域の左右は撮影の良い環境ですが、変化し障害の多い自然界にはそのタイミングを捉える事には少し難しさを感じます。
先ずはこの中心点をK18と覚えてください。色合いを文章で表現するのは困難ですので、専門書等で「K18」でお調べに成ってください。

そこで、現実には更に突っ込んで、撮影では被写体が「YMC」と「BGR」のどちらの比率が高いかの問題が出ます。それを解決する事が必要ですね。
それは、被写体の中心に置くものがどちらの領域のものであるか判別する問題です。
下記にそれを解説する理論がありますので、そこでより詳しく理解してください。
答えは撮りたいものを、画面の中心を原点として、その領域の「60%の範囲」の何れかに置く事で解決します。
つまり、その「60%」の中にある被写体に合わせて、YMC、BGRのポイント5まで左の域ですので、「YMCの環境条件」を考えて撮影する事に成ります。
YMCの条件下にして被写体を60%以内に抑える事です。(60%の根拠は後述する)
そうする事で「自然美のある綺麗な写真」が撮れる事に成るのです。


次ぎは後編です。
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写真技術と色理論 後編(副題 自然美のある綺麗な写真を撮る方法)

写真技術と色の理論 後編
(副題 自然美のある綺麗な写真を撮る方法)

色理論(CCカーブ)

「写真技術の現状」
むしろ、極端に云うと、この理論から云うと、一般的にはマニアを除く素人域では”YMCの色合いを出す努力”で大方の良い綺麗な自然美の写真を撮るのには充分だと成りますよね。
そして、ポイント4域右の領域は”プロとマニアに任す”と成るのでは有りませんか。
つまり、2分化ですね。我々は「光の色域」の中間色の所での撮影に重点を置く事ですね。
カーブもそ「光の色域」が広く安定した様に成っているのは太陽、否、神の成せる業(技)ですね。特に、色理論のCCカーブは日本人好み向きと成りますね。そこで次第にCC理論の腕を挙げて来れば挑戦すればよい事になるのでは有りませんか。しかし、このCC理論を知っておく事は絶対に必要ですね。腕をより挙げるのであれば。
昔は、外国で”カメラを首から吊るして歩いている人は日本人と思え”と云われていました。
ところで、この日本の2分化は写真技術の発展に大きな効果を示し、カメラのみならず写真媒体関係も発展させたのです。何れもが世界のトップに成ったのです。
非常に美的感覚の強い繊細な日本人の為にはCCは最適であり、YMC域があり、好みの範囲であり、その領域が綺麗に撮れる領域で、且つ、撮影には安定しているのですから、故に日本で写真技術は進んだのですね。
そこで市場の現状を観て見ると、昭和の時代はコダック社が日本の市場の寡占状態でしたが、次第に日本のメーカーもカメラ好きの日本人の後押しもあり、上記した様なCC理論の技術革新と開発をして、平成に入って日本のトップメーカーのF社はアメリカに上陸し、優れた繊細で綺麗な写真技術を背景に瞬く間に2大写真媒体メーカーを買収したのです。現在はカメラ本体、写真の技術媒体の何れもがアメリカ市場を大きく寡占する状況に成っているのです。
当然に、上記した米国人の印象記憶の問題がありますが、これはポイント4-5域のところですからCC全体からすると20%程度と成るでしょう。
最近では、日本人好みのG傾向が理解されて来て日本ソフトも好まれるように成りました。
これは日本の景観の観光の効果と、米国の多様人種化の影響、米国人の「飲まず嫌い」の為でもあったと考えられます。丁度、寿司が世界に広まった事と同じではないでしょうか。
これは、ただし写真を撮るのではなく、上記CC理論の様な写真技術を理解して撮る事により進歩が生まれて、それが物心両面で何時か我々の生活を豊かにさせる要因と成っているのではありませんか。

話をCC理論に戻します。
上記して重複しますが、ここで、「色調」を示す「色の階層」というものがあります。それを知っておく必要がありますので、長文と成った為にも改めて上記の復習をします。

色の無い白が次第にやや色じみたものが出て来ます。このポイント1が大事な写真の良悪の判定となるのです。これがある程度の平行状態で進みポイント2のところに来ますと、YMCの色合いが強く出てきます。
この辺まではポイント1と同じく自然色の色合いの判定が出来又、その写真性の修正も幾らのYMCを足せば自然色なるかの判定が可能です(説明する)。
YMCのバランス関係が一定で推移します。
ところが、更に右に進むと、つまり、このポイント3付近ですが、このポイントから急激に濃度は上がります。又このポイント3当りからYMCの相関関係が崩れてきます。
同時に光の関係が崩れて色の関係へと進むのです。融合すると薄いグレー色を示してきます。
そして、ポイント3から4付近で全てのYMCが一点に集中して来ます。ここがポイント4です。
所謂、融合色のグレーです。このポイント4が「K18」と云われるところで、「光と色の中心」即ち(YMC)と(BGR)の中心と成ります。「K18グレーポイント」と呼ばれるところです。
「BGR:YMC」の光と色の中心、又は光と色の分れ目、分岐点、分離点です。
このポイント4が世界で統一されたグレーでこれを基準に色の種類の判定が出来る様に成っています正確に、そのK18の中味を分析すると、YMC、BGRの数値がバランスの取れた形で存在して色合いが出来ています。

では、その階層が判るとして、写真技術では「色のレベル」を判定して調整する事が必要に成ります。
撮影時には環境条件やカメラ技術で調整する事に成りますし、プリントではペイントソフトで編集する事も必要と成ります。
兎も角も撮影時の調整として考えるとどうしても「色レベルの判別能力」をつける必要が出てきます。
そこで、人間には色に対する判別能力が実にシビヤーに持っているのです。

色判別能力
そのレベルはどの程度なのかの疑問が湧きますね。
もとより判別が出来なければ撮影の環境条件を左右させられません。
目で観た自然との違いを表現するにしても数値的ものが無くてはこの位と云っても抽象的では判りません。
世界共通の何かの基準が必要です。
そこで、そのために色理論では「色の階層」を定めています。そのレベルに付いて述べます。
そして、それに依ってYMC、BGRの個々の色の階層と云うものを定めています。

その方法を簡単に述べますと次ぎの様に成ります。
人間の色の濃度(Ed)或いは強さ(Es)の判定のレベルを統計的に、色の範囲を十進法で先ず10階層に分けます。そして、その1の色の濃度の変化を更に10等分してどの程度に見分けることが出来るかを観ます。
(注 ここでは写真性という観点から判りやすくする為に「濃度Edと光の強さEs」と云うエネルギーの定義の枠で説明している)
そうしますと、統計的に実験では、カラーチャートを使うと次ぎの様な能力を持っています。

人間の判定能力は次ぎの様に成ります。
普通の人でD=0.5です。
プロではD=0.2です。
D=1であると判り易いのですがそうでは有りませんでした。

この判定能力を機械的(濃度計)に再現しても一致しますし、写真の中での濃度を見ても0.5と0.2ですので、これを根拠に再び階層を分け直しますと次ぎの様に成ります。
0.5では10のものは、中心と両サイドを計算すると12階層と成ります。
プロでは0.2ですから24階層と成ります。
更にプロ域が使えるために作った0.2は確実なので「感の領域」のために進めると36階層が出来ます。この様に分ければ人間の判別能力に一致します。
簡単であれば現実でも6階層でも充分可能です。
これで”何色が0.5足りない”とすれば直ぐに対処できます。
当然、縦と横の階層の判別はその色がK18の基準が決められていますので縦の位置と横の位置の判別には問題はなく成ります。

本文では、縦のその色の変化をポイント1から7までとしての6階層として説明しています。
しかし、この6階層を更にその微細な特長毎に分割すると12階層に分けられます。
当然この域はプロの域です。そうしますとYMC、BGRの一階層に対して、6、12、24、36の単一の階層が出来ます。
そうしますと、最高の識別では縦横の階層に分けた色の種類は1300程度成ります。
現在では機械的に更に分ける事は出来ますが、それに付いて来る人間の判別能力が追い付きませんので意味が有りません。
多くして超微妙な「色合い」を変化させてもそれを観る人が居ないのでは同じですね。(中には10進法で階層を作っているものもある)
これで、YMC、BGRの色の分類をしています。
我々では6階層でも綺麗な写真は上記理論を駆使すれば充分に撮れます。
ですから、出来た写真を観て、1程度の濃度等の判別能力があれば充分です。
色見本を観ながらでは経験して慣れますと、この写真の出来栄えでは”少し濃度が現実の自然より高いな”とか、”色がずれているな”と評価して一眼レフのカメラ技術で修正撮影をする事が出来ます。
又、プリントする際はカメラ写真店で”Mを0.5程度引いて下さい”と云えば自分の好きな色合いを弾き出す事は出来ます。
当然、目で観た「自然の美」に合わせることも出来るし、「趣」を表現し誇張する事もこの操作で出来る事に成ります。(デジタル、アナログともに可能)
今はデジタルですので目で観たものとモニター写真とで直ぐにこの評価が出来ますね。
しかし、ところが、このデジタルにも多く問題を持っていて万来の信頼を置く事は出来ません。
デジタル写真では、家でのプリンターでの操作は、先ずはそのソフトの持つメモリー容量から来る再現能力で決まります。その再現の品質が悪ければ、後は画像修正のペイントソフトで行えますね。
ところが、実はデジタルは色を出す事に対して「大変な問題」を持っているのです。このことは詳細は後述します。

「店頭プリントの問題」
ここで、自然の美を追求する立場から、デジタルとアナログ共にプリントに付いて少し予備知識として持っておく必要があるのです。
デジタルはインクジェットでプリントしますが、なかなか思った様な再現プリントが出来ませんね。
微妙な色合いは出ません。それはそのインクジェツトが噴射するソフトのメモリーが左右します。
充分な色階層を再現出来るソフトメモリーでなくては実態の自然美を出す事は出来ません。
そうすると、マニアーはデジタルカードを銀塩写真の現像器にセットして処理しますと400万画素と成りますので充分な色合いを正しく出す事が出来ます。
しかし、現像液の管理が正常に出来ている事を前提としています。これには管理の問題があるのです。
デジタルを直接PCに映像にすると、それを再現するソフトのメモリーが左右してしまいます。
今は多くはインクジェツもソフのトメモリーの低さが左右しますので同じです。、これを放置するとどんなに撮影で写真技術を駆使して微妙に表現しても、思ったような写真は出来上がりません。

メモリーでないこの店頭プリント(家でのプリントも含む)で解決できるのですが、この管理の問題点を理解していないと再現出来ません。
それを説明します。
店頭のプリントは現像液で処理しますが、このシステムは簡単に云いますと次ぎの様に成ります。
デジタルアナログ共に同じです。
「現像]「定着」「水洗」「安定」「乾燥」の原則5つのプロセスで出来ています。
ところが、これは化学液ですから次ぎのことが起こります。
「処理液の反応差」
「反応による劣化」
「自然の劣化」
「機械のCCソフト差」

先ず、反応差です。
反応は処理すると反応前の原液が一定量で処理量に合わせて補充されます。従って処理液は原則的には劣化しません。ところが、この処理液はメーカーに依って微妙に異なるのです。
この「微妙」がまずは問題なのです。0.2以下の違いであれば問題有りませんね。しかし、それでは反応差をメーカーがつける必要がありませんから、少なくとも0.5程度の差を付けています。
当然に、ポイント4-7までの域での差と成ります。
この差は次ぎの様に成ります。
CC全体に及ぼしている場合
限定したポイント域で及ぼしている場合
以上2つです。

それは上記したCC理論で記述したメーカー独自のノウハウで調整されています。
上記での人種の差も含みますから、米国の処理機械と処理液では日本人であればクレームを付けられる範囲です。
先ずは、ここで出る「0.5程度」の「色の差」と「濃度の差」を認識しておく事です。
ポイント5-6域では1弱程度は出るでしょう。
日本のデジタルカメラで日本の処理機であれば0.2程度以下ですのでほぼ問題が有りませんる
カメラと処理機のマッチングが違った時の問題です。日本に居ますので殆どはマッチングしていますが、米国製であると、上記した様にR系で出てきます。そうするとテストプリントを見て「R0.5引き」を要求する事に成ります。
この事を知っていれば自然美の写真を再現出来ます。この時にはこの色の判別能力が求められます。

次ぎは「反応による劣化」です。
処理すると反応による処理劣化が起こります。劣化した分の液の補充は行います。しかし、反応によって起こった反応廃棄物は機械的に除去されながらも発生して沈殿し、さらに攪拌されて印画紙に付着等の現象を起し、紙の表面の反応が不十分と成り、自然に劣化が起こります。
定期的に交換が必要に成ります。これを忙しさとコスト意識で遅らすと出てきます。
この時に、全体に先ず濃度が低下します。個別の色ではM(マゼンタ傾向)が多くて出来ます。
これも、液の交換が怠り長引けば0.5程度の「色の差」と「濃度の差」は出ます。
劣化はマゼンタですので、写真でマゼンタになったのか、現像劣化でマゼンタに成ったのかは左右しますので、兎も角も少なくともこの劣化では「マゼンタ引き」M0.5引きは起こるでしょう。

次ぎは「自然の劣化」です。
処理されていれば「反応劣化」の程度で済むのですが、一日の処理量が少いと充分に補充が行われませんので、化学液は空気、湿度と温度の影響も伴ない自然劣化します。
標準的には一日20本以下であると発生してきます。8本/1日ですと劣化退化を起すのです。
このレベルは20本では0.5程度で、8本以下であれば1程度起こります。
起こる「自然劣化」の色合いはこれもはっきりとしたM(マゼンタ傾向)です。
当然にそのプリントの店頭の繁盛さが響きます。
本来であれば、モーニングチェックでK18のグレーチャートをプリントして補正を掛けます。
処理量が少ないと補正が届きませんし、経費が大きく掛かります。
最近ではデジタルのインクジェツトプリンターに成りましたので銀塩の処理機ではこの問題が大きいのです。マゼンタ引きM0.5から1.0は起こります。

次ぎは「機械のCCソフト差」です。
処理機ではCCカーブのソフトが入っていますが、次ぎの問題が出ます。
ソフトメーカーのノウハウ差
店頭のノウハウ差(顧客の要望傾向の反映差)
以上の2つがあります。

CCカーブの事に付いては上記で論じて来ましたが、例えば米国メーカーの機械で日本のカメラで撮影したものを米国の処理機械でプリントした場合はどのように成るのかという疑問が出ます。
上記した様に米国はR傾向と日本はG傾向の違いによる「色ズレ」なるものが起こる可能性があります。実際、目で観た被写体に較べてRとGが強く出ると言う事に成りますね。
この逆の事も起こりえます。どの程度かは判断は困難ですが、0.2では無い事が云えますから0.5程度の差は出る事はCCカーブ差でも判ります。
店頭では顧客の満足度を高める事が「市場命題」(至上命題)ですから、その統計的な傾向を汲み取りセットアップの時にK18グレーに対してこの分を補正を掛けてスタンダードとします。
当然、気に入らない人も出てきます。統計では8割程度の時に実行します。
ですから、2割程度の人は不満足と成ります。この人が自然美を追求していると、補正分を引く事を指示しなくてはなりません。8割とは写っていれば良い一般の人です。
そして、この補正の色合いは上記しました様に
矢張りM(マゼンタ)なのです。元々日本人はマゼンタ傾向を要求しますので、補正分とすれば補正値は(0.2要求分)0.5程度です。
中にはCCカーブの両端の白と黒の色合いを要求します。白にマゼンタが入ると「白さ」が低下しますので余計に嫌われると言うことに成ります。
白を強調するのは上記した様にC(シアン)ですからね。

対応策
「処理液の反応差」「反応による劣化」「自然の劣化」「機械のCCソフト差」が最悪の場合重なると、2程度の差が出て来る事に成ります。何度も経験しています。そして、その都度、主にM引きを要求するのですが、問題はその店のオペレーターの「技量」の問題、つまり、「目の判別能力」の問題ですね。その為に、メーカーが各店を廻ってセットアップをK18にする様に指導するシステムを採用しているのですが、徹底されていないのですね。上記した様に、”アスファルトにマゼンタ”のオペレータとか、”市場がM傾向が多い”とか成りますと最悪ですね。
修正を要求するとそれだけ儲けが無く成りますからね。ですから、「いい店」を見つけて置くか、主人と「知り合い」に成っておくか、その店の傾向を観て「何時もM引き」とするかの対応策が必要です。マァ2度程同じ修正をすると、”何時もの様に”で通りますがね。
故意的にM傾向にしているのは別として、上記「4つの問題」からでは他のYCも多少狂っていることを意味しますから、処理量20本/日以上と0.2-0.5の判別能力の持った「いい店」を選ぶべですね。
何せ上記した様に1で誰でも明らかに違和感が起こりクレームが付くのですからね。これは絶対に無視する事は出来ません。少なくとも0.5-1は起こっているのです。
0.5は普通の人の判別能力がありますからね。
この様な画素数ではよい処理機でありながら上記「4つの問題」ですから、”インクジェツトのプリンターに”としたいと成りますし便利ですが、一般の人は上記のPCの画像ソフトメモリーの問題が伴ないますしね。最近は大分高いものはよくなりましたが、プリンターの画像の解像度の問題も起こりますしね。余り使わないプリンターに高額も無いと思いますから。
そこで、私は”これぞ”と思う写真は溜めておいて「行付けの店」で「何時もの」でプリントしています。要は「CC理論」は「400万画素」と「画像ソウトメモリー」の問題で揺さぶられるのです。ですから、展覧会とか展示とも成ると、是非にも「店」ですね。
さぁ、どうしますか。
こんな事が起こっていると云う事を想像した事はないでしょう。アマチュアでも否プロでも知らないかもね。恐らく、このズレに慣れている為に、”これが「当り前だ」”と認識していると思いますよ。不幸にしてか「上記4つの問題」と「CCの傾向」から、全てM系かR系に走りますからね。”何か赤っぽい”とか思う程度で終わっていると思いますよ。
この「4つの問題知」の知識と「画素数とメモリー」の知識を覚えておくことが必要であり、自分の問題として「判別能力」を養って置く事が自然美を再現する「隠れた秘訣」です。
 
デジタルのメモリー
上記に”後述する”としたメモリーの問題です。
改めて、更にメモリー(画素数含む)を解説します。

兎も角も人の判別能力を持ったとしても、その外側では先ず「上記4つの問題」で「色のズレ」が起こります。この「色のズレ」を何とかしなくてはなりません。しかし、未だ「色の問題」が外側であるのです。
それ等を知ってこそ「自然の美」を、吟味し観察し、撮影して再現できると云うものです。
難しい面倒と思えばそれまでの事です。しかし、その物事の「追求」とはその様なもので、それを会得する処に「面白味」や果てには「侘寂」の様な何か「悟り」の様なものを得られるのでは無いかと思うのです。当然その面白味も倍増すると云うものですね。
もとより、「色理論」等と難しいものと観られがちな事を長々と解説するのは本文の目的ですので敢えて論じることを続けます。色にはさて未だ問題があるのです。

先ず、次ぎの事がソフト上で出ます。
先ずは、「YMCの表現力」と「CCカーブを含む理論」を記憶させる「メモリー容量」の問題が出ます。
次には、上記の「色の階層」をメモリとして反映する容量の問題も出るのです。
更には、困った事には、画面の「画素数」(後述します)にも問題が出来ます。
以上「3つのソフト問題」を抱えています。

幾ら写真技術で「自然美」を表現してもこれ等の「メモリー」がそれに追いついて来なければ何の意味も有りません。
ですから、6階層程度でも良い事に成ります。それ以上であると、その1300以上の階層の色合いを先ずメモリーにしておかねば成りません。CCカーブをメモリーにするだけでも大変な要領を必要とします。そうなるとPCでは無理ですから専用器機のプリントや画像にするプロ用の高容量の高額のソフトを使う必要があります。
そこで、これ等の3つの事は後で解説します先ずは予備知識として知って置いて下さい。

再び、話を元に戻します。
前まではポイント4の説明でした。
これからの説明にはメモリーに直接関わってくることだから重複して詳細に掘り下げて置きます。

さて、ここからが問題です。ポイント5域です。
上記しました人種の印象記憶の違いが出てくる域です。
そして、BGRの色合いのバランスは大きく差として出て来ます。
この事は、撮影では大きく影響します。では”どの様に出てくるのか”ですが、YMCの様に”撮影の環境条件をコントロールすれば自然美を出す事が出来る”と云う事では無く成ります。
それは次ぎの原因です。もとよりBGRは「透過」と云う現象を乗り越えてくる事から、「環境条件」に左右され易いことは説明をしました。ところが、これだけでは今度は済まないのです。

そもそも、CCカーブより”BGRの色の差が大きく差が出る”と云う事は、本来であれば同率である筈ですが、そうであれば問題ありませんね。次ぎの様な事柄です。

自然界では縦軸と横軸に微妙な(E)の差でズレが出る事、
更には人種の印象記憶から来る「好みの違い」を演出している事
この2つから厄介な事が起こります。

先ず、YMCの様に環境条件を合わせたところが、このポイント5域は撮影すると、自然に合わせて撮ったつもりでも極端にRが強く出たりして、目で観たものと違う現象が画像上に起こる事に成りますね。
BGR同率で有ればバランスが取れていた場合は目で観た通りのものが再現されますね。
しかし、BGRとしての色としては「はっきりくっきり」と出る事に成りますが、当然に、突出した色に対して、画面にフェリヤーが更に働く構成の画像に成っていたとしたらこれは大変です。
先ず見られる写真では有りません。色が突出してフェリヤーが働くのです。
しかし、故意的、恣意的にその様にしたいとすれば好都合ですね。その場合、この領域を使って撮影する事で解決出来ます。但し、フェリヤーがそれだけに働きやすいのですから注意が必要です。
人種による印象記憶の好みの国ではこの現象の2つは普通の事に成るでしょうが。日本人では先ずは普通では無いと思います。(日本人はマゼンタ好みでG)
では”日本人のこの2つはどの様に成るのか”と疑問が出ますね。
日本人は統計的に「G」にあるのです。
これは問題が出ますね。
このポイント5での日本人好みは、CCカーブでは、エネルギー(E)的にはRが強く出ます。其処に印象記憶の好みの「G」が要求されて来るのです。
つまり、RとGが衝突です。さて、どうするのか。解決策はただ一つです。
Eの順序からするとR>G>Bですから、RとGを同率扱いにソフト上操作する事が必要に成ります。
これは論理的に同率で本来の形ですからいい事です。でも、そうも行きませんね。
RとGが良くても、今度はBとの差が同率であれば問題ありませんが、しかし、Bとの差が単独で大きく(-)で出て来る事に成ります。R=G<Bと成ります。
つまり、日本人の場合は、Bに問題が出て来るのです。
この場合は、RとGが同率ですから、Bが低い写真として出て来る事に成りますね。
Bの少ない何となく思惑より青味の少ない写真が出来る傾向が出てきます。
乾いた様な写真が出来る事に成りますね。
つまり、ポイント5域付近で撮影した写真はBが引けている写真と成ります。
日本人の目の印象記憶の目の感覚からすると”自然美と少し違う”と云う感覚ですね。
D0.5の領域を越えない範囲であれば問題視しないでしょう。色の判別能力外ですからね。でも、プロD0.2では困りますね。(D:濃度差)
しかし、このポイント5の域は断念ながら0.5域では有りません。明らかに違うのですから、概して1.0-2.0はあると思います。

困りました。そこで”何か技術的工夫は無いのか”ですね。
幾つか考えられますが、次ぎの方法があります。
フェリヤーを使う方法です。
このポイント5域付近はDがフェリヤーを起しやすいDに成っていますから、この技術を使えますね。
先ず、被写体の「背景をY傾向」にします。
その「被写体の位置を画面60%の中央の中」に入れます。
且つ「Yの多い背景の位置に写す」様にアングルを考えます。
これで補える理屈に成ります。

或いは、
その被写体に「日差し」を強く取り込みます。
そして「紫外線」を多く取り込む事です。
「C(シアン)」の薄い青味の色合いを取り込みます。
太陽のハレーションとで何とか見た目を直す事が出来ます。

この様に、写真技術の論理の展開でカバーが出来る様に成ります。経験と訓練が必要ですがね。
この様な「Bの低下現象」は、季節の傾向としては、次ぎの様に成ります。
「青味豊かな夏」は目立ちます。
「秋は色の綜合色が蔓延する時期」ですから、写真としては元々は青味が少なくなる時期ですから「紅葉」が進んだのかとも観えますね。
反対傾向では
「冬は落ち葉」で目立ちません。
「春は緑」は徐々に目立って来ることに成るでしょう。
「春と夏」にはこの認識を持つ必要があります。

特に、ポイント5域はBGRの最も撮影の良い所ですからね。色がくっきりと出る時期ですね。

では、この時は他の人種にとってはどの様に成るでしょう。
例えば、アングロサクソン系はRが強くなり濃度を上げて来ますので、ソフトもそのバランスを組み込んで作られています。「R傾向」に「R好み」ですからR>G>Bはそのままでも問題ないことに成ります。
本来はYMCもBGRも同率比であるのが理論ですが、つまり、一つの曲線で推移する筈です。本来は。自然界のEはそう上手く出来ていません。
復習しますと、しかし、自然はそのように出来ていなくて、地球の環境により太陽から飛来し届いた振動磁波は、3段階の成層圏を経て地球に到達するまでに、振幅の細かさの影響でこの定率の関係は崩れて、先ずYMCでY=M=Cであるはずのものが、はそのY>M>Cの順序で成り立ちが変わります。
そうしますと、Y>M>Cであるのですから、理論的にはB>G>Rとなる筈です。
しかし、R>G>Bと成っています。逆転していますね。上記の説明の通りでRは振幅が細かいのですから「可視光線」の順序からすればRが強く成るのは当然ですね。
ポイント1でのYMCではYの濃度が最も高く出ます。それほどに大きな差を示しませんが。これがポイント2までの領域です。
ところが、ポイント3からはその濃度が急激に上がる事で差は再び縮まります。
ポイント4では左側から集中が起こり始め遂には「一点に集中」(K18)します。
これは濃度がこのYMCの少しのバランスの違いを埋める事になる事を意味しています。この事は、写真は撮りやすく成り、思ったように自然美が撮れる傾向が改善され事を意味します。
そのポイント4からはBGRのバランスがRの濃度が高く成ります。
この様に品利色の変化の経緯は上記したようにポイント5域と成りますので、Rが突出して、次にGと成り、Bと成ります。
逆転したRGBであり更に大きな差を示しますので、写真にすると「色の違い」が完全に判別することが出来ます。

ここで、その前に、「色の違い」が出るのですから、「判別能力」が必要です。何度もと言っていますが、「判別能力」が無ければ「色の違い」は出来ませんから自然の美の再現は出来ません。
従って、更にそれを説明します。
一つの色を機械的には10段階(基本12段階)に分類する事に成っていますね。
一般の人の色の差の判定能力は0.5で違うと判別する事が出来ます。
プロになると0.2でも判定する事ができます。
普通の人では0.2では”違うかなー”との程度と成りますが計測器では違うのです。(この判定はデンシティー計で計測する事がで来ます。)
この様に、人間の脳の能力は素晴らしいものがあります。

そこで、この判別能力が特に働かせなくては成らない領域と成るであり、これなくして「目で観た自然美」を再現する事は不可能ですね。
このBGRのポイント5の処から、人種の違いが出てきて「印象記憶」から「本当の色合いと違う」のですから、夫々「希望的色合い」を主張するように成ります。
つまり、CCの理屈以外のところの「美意識」で「自然美」に対する違いが出てきます。
日本人からすると、基準から”何でこんなに違うのに”と思うくらいです。
統計的に日本人はこの基準に極めて近く理解に苦しむ範囲がこの辺から起こります。

「日本人はG」ですが、「彼等はR」が強い訳ですから、この域のカーブはR>G>Bと成っていますので、”更にRが強い”と成ります。
日本人はGで下のBが低くで、彼等は上のRですから、これは反対に成りますよね。
日本人からすると、”何だこれは”の印象ですね。
季節から観て見ると、彼等にしてみれば、日本の秋の紅葉はBGRの祭典ですね。喜びますよ”ワンダフル”と。「日本人はGですから春」ですね。

この様にポイント5域ではこの様な傾向を持ちながら、次ぎはその傾向を維持しながら、ポイント6付近ではその状況のバランスが最大と成ります。
マァこの辺までが写真にする事が出来る範囲です。それがポイント6と成ります。BGRが「はっきりくっきり区域」です。
その最高点に来ています。逆に云えばポイント5の拙い現象は最高と云う事に成ります。
写真性で云えば、極めて「BGRの色合い」を出すには最高の所ですが、自然美の演出では危険性も失敗も起こり易い所と成ります。
念の為に、YMCを忘れない事ですね。前述した様に、YMCは光の色で、その光がBGRに変化するのですから、その基本又はベースに成っていますね。
つまり、「BGR」の色合いを良く見せるのはこの「YMC」なのですから、「くすんだ、澱んだ、濁った、冴えない、映えない等の色合い」を無くすには、「BGR」にこの「YMC」を多く加える事が論理的に必要ですね。日本人には。

それには、次ぎのことが必要です。
可視光線外に「紫外線や赤外線を多く取り込む事」
上記した「撮影の環境条件を最大限に引き出す事」
以上の2つの工夫が必要に成ります。

YMCはBGRの根幹
画面全体が綺麗であるのですが、”何となくスッキリしない、パッとしない”はこのYMCの不足から来ている事が多いのです。
逆に云えば、”素晴らしい”と成るのはこの「YMC」を多く取り込み含んだ写真と成ります。
この判別は次ぎの様に成ります。
夏の「夕日の写真」
秋の「紅葉の景色」
以上での2つの季節ではっきりしますよ。

この様な現象が顕著に起こるのがポイント6なのです。
春は原色を持つ西洋花などで起こるので「夕日」と「紅葉」とのその中間域ですね。
ポイント5からポイント6はこの季節域にこれ等の現象が主に働きます。
被写体によっては他の季節では起こらないと云う事では有りませんが。

そこで、この域ではBGRの綜合色は黒ですから、黒域に近づいている訳ですから、この域の特長としては「黒の色合いにも変化」が出てきます。
写真では黒を演出する場合もありますから、その黒の色合いをこの域では多少論理的に意識する必要が出ますね。その現象が顕著に出て来るのが、次ぎのポイント6です。

ポイント6域
ポイント5域を基本に説明してきましたが、改めてポイント6を勧めます。
Ed(濃度)としては最もピークに有る訳ですから、即ちポイント5の特長が最大に成る事ですから、写真では「色合い」がはっきりし、濃度もよく出ると云う事に成ります。
自然の景色では、この域ではこの被写体は季節的に限定され少ないと思いますが、あるとするとYMCによる「はっきりくつきり」の特長と黒の特長が出し易いと云う事ですね。

このポイント6域前後はカーブではRGBの全体が下がる傾向を持っています。
「下がる」と云う事は縦軸と横軸の「Eが下がる」と云う事、主には「濃度が下がる」と云うことですから、撮影では思ったより薄く写ることに成ります。
しかし、もとよりこの域では黒の傾向が強く成りますから、撮影には大きく影響しません。この辺からは黒く暗くなり過ぎて最早、写真とはいい難いものと成ります。
黒を基調とする被写体であれば問題と成りますが、「自然美の綺麗な写真」では殆ど問題外と成ります。マア、「夏の夜空の花火」の写真や「夜景写真]や「影の多い写真」くらいでしょうか。
この領域の黒味を使って、YMCの中間色の色合いを出すと言う技法もありますね。日差しの強い所でのYMCの色合いはカラーフェリヤーが働き自然美を表現し難いということが起こります。そこでこの技法を良く使われるのです。
つまり、青葉や緑葉での多い背景の中での自然のYMCの色合いを持つものが多いですから、影にして、斜め上から柔らかい朝の日差しを部分的に入れて被写体の花のYMCを表現するのです。

そして、次第に今度は黒の領域が始まりほぼその濃度差は一定で少し下がり始めますので黒の基調が(R)赤気味に成ったり、(G)、(B)の黒が目だって出て来ます。
BGRの強さ、即ち「明度」とか「彩度」とかの特長が良く出て被写体の中の黒に特長が出ると云う事ですね。
全体としてはR傾向の黒が出ます。画面全部が真っ黒な写真と云うものはありませんから、その中に被写体の灯りが出てきますので、赤傾向(R)又はG傾向(緑に含まれるY)であれば問題はなく成ります。むしろこの特長を利用して撮影をすると云う事もあり得ますね。

この様な特長を維持してポイント6からポイント7と成り、ポイント7では黒のレベルの領域です。
そして、急にその濃度は下がります。
これは黒はエネルギーを他から吸収する性質を持っている事から起こります。
依って、その黒の持つエネルギーと濃度との対比関係に狂いが生じる事に成り、吸収した分の差だけ濃度が下がると云うEに関する自然現象が起こる事に成ります。
ですから、下がったところで印象として赤みがかった黒とか、緑がかった黒とかの印象領域と成ります。
当然に、次ぎの様に成ります。
BGRの黒の末端には「Eの色を吸収する」の性質があります。
YMCの白の初期部分にも「Eの光を反射する」の性質があります。
以上2つですから、その分のEの濃度比率が僅かに上がることが起こります。

しかし、この白と黒のこの末端領域で印象領域と成りますので、殆ど使用しませんので、全く問題はありません。マァここの域はスタジオでの写真技術ですから何とでも成りますのでプロ域でしょう。

この様に、「YMC」と「BGR」は定率で変化するのでは無く、且つ、バランスよく差の無い形で変化しているものでは無い事を物語ります。
論理的には光(YMC)と色(BGR)はある一定の傾きで直線として伸び、且つ1本線であるはずのものが、上記の様に縦軸と横軸のEd、EsはYMC、BGRのポイント毎に異なる巾を持ってこの様にSカーブを示します。
其処にポイント4域付近からポイント6域までは厄介な「印象記憶」が働くと云う事が起こるのですが、この部分には本来Eに依って起こるカーブの傾き(積分係数)より高めの印象記憶(R等)が追加されてソフトに組み込まれます。

現在ではアナログでのプリントと云うものは少なくなりましたが、アナログの現像器機ではこの印象記憶を「現像液」と「マニアル操作」で反映されるように成っています。
デジタルではスキャナーでの読み込み、プリンターでの読み込みのソフトに反映されているのです。
(詳細は後述)

撮影の変化
例えば、撮影では”どの様なことが起こるか”と云う事ですが、次ぎの様な事に成るでしょう。
まず、中間色のハーフトーン領域だけの写真撮影であれば、多分考えた通りのものが出来上がります。
しかし、BGRだけの写真撮影であれば、一律で無い為にその被写体の濃度Eに依って少し思ったものと違う色合いのものが出来る事に成ります。そうすると自然色の美は遠ざかります。
更に、ハーフトーン領域(YMC)とBGR領域とを入れた被写体とすると、脳がYMCに持っている基本的な正常な記憶(YMCは広域で定率変化する事から脳で基準と成っている)から対比感覚が起こり微妙に判定して”違う”としてしまいます。

アマプロの判定領域
これ等の微妙な判定領域は、上記した様にYMCとBGRでの横軸は、本文では判りやすく6階層に分けましたが、プロ域ではこれを更には12階層、24階層、36階層と分けられています。
プロ域での分け方では微妙な色(E)の階層域です。
普通、簡単なもので普通は6階層(0.5)ですが、マニア等やや専門的に成ると12階層で留まりです。これ以上は上記したプロの判定能力(0.2)に掛かりますので一般の人は無理と成ります
上記した事は色の三属性(色相、彩度、明度)の変化がどの様に変わるのかを簡単に判り易いE(縦横のエネルギー)として観た場合の変化で説明をして来ました。

ハーフトーン
YMCの領域のポイント1から3まではほぼ平行領域ですので階層を分けても余り意味を持ちません。このポイント1から3の領域は「ハーフトーン」(中間色)と呼ばれるところです。
上記した肌色などの領域です。この「ハーフトーン」で色の良悪の判定が確実に出来るところです。
当然に濃度の変化の無い一定率で平行領域のところですから、ポイント3までのかなりの範囲で同じ基準で判定が出来ます。ですから、逆に云うと広範囲でのBGRの”フェリヤーの影響を受け易い”と成ります。
この理屈から背景をYMCのハーフトーン(中間色)にしてBGRの原色でない人物など被写体を撮れば綺麗な写真となりますね。これがスタジオのハーフトーン中間色の背景の理由ですね。
逆手に取れば、フェリヤーを含む写真全体の自然色の判定が出来ることを意味します。
濃度の差がないのですから基準は一定と観る事が出来ますので、その基準に照らして見れば0.2或いは0.5の差で判定が確実に出来ます。
概して云うと「空気の澱み」等の影響を余り受けていない領域だと云えます。
例えば、花や肌色などのハーフトーンを画面から探し出して、その色が変化していないかを見る事でわかります。一度テレビ等の画面をよく見てください。
あまり、金額をかけていない質の悪い番組等はこのハーフトーンが全く出来ていないのが多いのです。フェリヤーなどはもう無視の場面が実に多いですよ。
矢張り、NHK等のそれなりの写真性のある番組を見るとこの理論が出来ている事が判ります。勉強に成りますよ。その場面のハーフトーンのところを見る事ですね。一番いいのは顔ですね。化粧していても原色で化粧する人はいませんからね。

このCC理論のSカーブがソフトに組み込まれて連動して画像ソフトは出来ています。
画像を作りだす機器にはこのソフトが組み込まれているのですから、人種の印象記憶からアメリカ人の好みに合わせたソフトでポイント5から6のカーブ域は手を加えていて、その域は日本のそれと違って来ますね。日本人から観ると何時も”赤みがかっている”と云う印象を持ちます。
彼等からすると、”Gがかっている”と見えるでしょう。
最近では、この域はデジタルとなりましたので、更に難しく成ってきました。
上記のYMC、BGRのCC理論だけの問題では無いのです。

実は色に関してここに大問題があるのです。次ぎの事を認識する必要があります。
上記の「YMCとBGRのCC理論」とこの「デジタル大問題」のどちらの問題が起こっているのかを判別する必要があるのです。
折角、YMCとBGRのCC理論の写真撮影で工夫をしたのにそれを低下させる問題が起こるのです。

デジタルメモリーの不足
その問題とは、次ぎの事です。
「人間の感覚」をいかに忠実に「デジタルソフト」に組み込み反映させるかの技術です。
当然に、今までの「経験」と色の階層等の「CC理論」と2つをソフトに組み込みますが、この2つ全てを組み込みますと膨大なメモリーと成ります。とても出来るものでは有りません。
このメモリーでPCに乗せると大変な事に成ります。
PCには「ROMメモリー」と「RAMメモリー」がありますが、PCの容量を高ギガ(G)レベルに上げておくことでROMメモリーは解決しますが、PCを立ち上げた時に、ハードディスクから呼び出した表に出て来るその操作用の動作メモリーは小さい(全体の1/10程度)ので、「完全なCC理論」と「色の多階層」の情報の大きいものを入れると動作メモリーは不足して他のものに支障を来たします。
場合によっては動作メモリーは動かない事になる程度と考えられます。
従って、単独に使える専用画像ソフト器機となるでしょう。
インターネットでは現実にPCに関わる事ですから。動作メモリーにマッチングしたソフト容量と成ります。人間の感覚に忠実に自然美を反映させられるソフトにでは無理で容量を落としたソフトに限定されますね。
この事は一応納得したとして、更にこのメモリーに更に問題を持っているのです。

そこで、このメモリーには次ぎの2つの問題を持っています。
一つは、画面を出来るだけに細かくして人間が観て自然と見られる画像を入れる事が必要です。
これを「画素数」と云います。

普通アナログではこの画面の細かさ、即ち画素数が400万画素です。
この400万画素で人間の脳、又は目は画面に異常性を認めません。
問題が起こらない「基準画素数」(400万画素)です。
ところが、デジタルでは画面を細かく分けて、その分けられた個々(マス)にメモリー(2ビット)を配分して行かなければ成りません。そうしなければ、その分けられたマスに写った情報を反映させられなく成ります。又、更には、そうしなければ実際の被写体をところどころを削った写真となってしまいます。これでは自然美どころの話ではありませんね。
一度PCの自分の写真の登録したものを倍率を200-400倍程度に拡大して見てください。
四角いマスで囲われています。これはそのマスの中に入る情報が区切られていることを意味します。
多くの情報があったのが削られた結果です。
特に中心から外れた上下、左右、対角線状の4隅にはこの現象が目立ちます。
当然、全体としても画像の細かさやその輪郭等がスムースに表現出来ないし、ピントも甘く成りますね。目立つ所はYMC、BGRなどの色の繋がりなども突然に色が変わる事や悪く成ります。
それには輪郭でははっきりと放物線等の曲がったものや線などにはスムースに繋がらない線や輪郭が出来てしまいます。これを専門用語では「パラセーション」と呼びます。
中には直線部分が突然消えたように表現されないと言う事さえ起こります。
ここでは色ですから、例えばYMCの白からBGRの黒までの領域を細かく分けて、それに光と色の階層を割り振り、それを情報として画面の画素に入れる事に成りますと、大変なメモリーのバイトに成ってしまいます。
400万画素で正常にパラセーションなど事が起こらない域ですので、メモリーから考えるとせいぜい200万画素程度が良い所です。
ところが、最近ではデジタルカメラでは最高で400万を超えて1200万画素までのカメラが出来ています。
プリントソフトや画像ソフトの反映力が、「200万画素」で、「色のメモリーバイト」が低いとすると、幾らカメラが1200万画素でも1/6ですので、「画素メモリー」と「色のメモリー」が低いので反映力は悪く成ります。
つまり、折角、綺麗に取れたカメラでの映像はPCなどの映像ソフトに載せると1/6の綺麗さに低下すると云う事です。
「趣」を充分に撮影出来た写真が普通の以下(400万画素)の趣の写真となると云う事に成ります。これは、難しく云うと、当然に三属性(色相、彩度、明度)にも影響して来ます。
そこで、その画素問題をより詳しく説明します。

上記2つの問題
「画素」に関係する問題
「色」に関係する問題
以上の2つに品質低下の影響が出て来ると云う事です。

当然にプロが使う専門の専用画像ソフトは、一眼レフカメラに対してこれを反映出来るの程度400万を超える様にメモリーを配置されているのです。ですからデジタルカメラ1200万画素のカメラがある事に成ります。
画素数ではテレビでもデジタルハイビジョンのテレビとアナログのテレビの違いですね。

簡単にこれ等の判別が出来ます。
1番目は、それは放物線の線や輪郭を持つものを写すのです。
電線などですね。これを観るとその「線や輪郭が不連続」に成っています。これを「パラセーション」と云います。
2番目は、これが起こるのはメモリーが画素だけでも400万以下である事を意味します。
慣れますと、人間は色判別等でも0.5の能力を持っていますので「カラーチャート」を撮影する事で「色の違いのズレ」が判別できます。
3番目は、YMCのポイント1のところの白の白さがフェリャーが働いているか働いていないかの判別です。
上記のメモリーの不足でCCカーブのメモリーが低いと白が白らしく出なく成ります。
フェリヤーを防止するソフトを組み込まれていないのでフェリヤーが働いています。
組み込まれたテレビと組み込まれていないテレビを2台並べて観れば一目瞭然です。
最近のテレビは安価廉売と原価低減でこれ等のソフトを外しているからか知れません。

上記して来ました理論の様に、確実なのは「YMCの白」を見抜く事で自然美の良悪が判るのです。
写真もさる事ながら、デジタルテレビも画像なので同じなのです。
さすがパラセーションは400万を超えている為かなかなか発見出来ませんが。
カラーフェリヤーとYMCの白だけは一目瞭然で見抜く事が出来ます。
デジタルにはこの様にそのメモリー上の問題を持っていますので注意が必要です。
さて、これで問題は全てだと思われたでしょう。
ところが、未だ大変なことがあるのです。
それは画面の画素に対するメモリーの配分なのです。
これはどうしようもありませんね。人間の脳の働きと目の働きによる訳ですから避けられません。
それが「画面比率」と云うものです。

画面の比率
写真画面は全体を同比率でメモリーの配分を構成している訳では有りません。
人間の脳とそれと連動する目は、ピントや色合い等はその被写体をほぼ画面の中心に置く確率が高い為に、その中心の写真性をよく出す様に仕組まれています。
これは人間の目の能力に起因しています。脳が目がその様に判断して見ているから同比率配分よりはむしろ合理的であると云えます。
人間の目は捕らえた被写体のものを中心に据えて、観てよく観察して脳にその信号を送り印象記憶として保管します。従って、対角線の4つの隅は意識と記憶が低く、記憶としての量と記憶の確実性は低いのです。
当然に、写した写真を観る時もその中央のものを先ず観るという傾向を持っています。
又、画面を同時に全体を観ると云う能力は無く、ある時間を置いてこの対角4つの隅を見て中心と上下左右の6つを綜合的に写真を考察するようにも成っています。
同じくその「記憶の量」と「記憶の確実性」は低い事に成ります。
「撮る時」、「観る時」の脳の記憶の原理がこの様に成っています。
従って、その被写体の中心に評価が主に集中する訳ですから、4隅が良くビンと色合いがよくてもその評価は脳の仕組みから出て来ません。
その為に、次ぎの様に成ります。
その脳の仕組みの為
カメラ、プリントのメカニズムとメモリー上の制約の為
以上2つが働きその理由で9つの分類を画面に施しています。
いずれにして脳と目は兎も角も元はレンズなのですから。

そのメモリーの配分の仕組みは次ぎの4つに成ります。
A 脳の記憶の仕組み
B カメラの仕組み
C プリントの仕組み
D メモリーの仕組み

先ず、分割の部位は次ぎの9ヶ所と成ります。
1 画面の中央部位 1ヶ所
2 左右の部位 2ヶ所
3 上下の部位 2ヶ所
4 上の両隅 2ヶ所
5 下の両隅 2ヶ所

この1-5はA-Dが同等の配分とは成っていません。
そうすると、どの様に成っているかと云うと、次ぎの様に主に成っています。
配分
1>2、3>4、5と成っています。

その比率は概して次ぎの配分です。
比率と領域
6:3:1(1域:2、3域:4、5域)
この様に仕組まれて被写体が構成されているのです。
これはアナログ、デジタルの遺憾に関わらず脳の仕組みもさることながら、カメラ機能やプリント(映像化)機能にも仕組まれている大事な基本機能なのです。
人の脳又は目はもともとの事ですが。
ですから、この仕組みを配慮して撮影をする事がその撮影の効果、即ち本文の自然美の綺麗さを最大に引き出すコツと成りますね。
主にはメインとする被写体を何処に置くかに関わる事に成ります。

意外にもこの事は各メーカーのノウハウに依るものなので一般に知られいません。
しかし、脳科学では認知されているのですから、さして、多少より工夫を凝らした特長の持った違いはありますが、我々にはそのノウハウの違いを特別に意識する必要は何もありません。

そうすると、では写真技術ではどの様にするかですが、次ぎの様な工夫をするでしょう。
当然に、先ずは撮りたいものを中央付近に置く事が必要ですね。
そして、それは全体の6割の領域の中に納めることが必要です。
その6割のどの程度の領域を恣意的に使用するかを決める事かに掛かります。
その領域の占める割合でもその印象記憶は変化します。6割の全域を使用するのか、その中で何割の被写体にするかに依って写真の綺麗さも違ってきますね。
当然に、左右、上下、中央の何処に置くかでも違ってきます。大きな違いですよ写真では。
「趣」などはこれで一変に変わりますよ。

これは更に追求すると、その被写体を表現する度合いが、広域な意味として「時、人、場所」の何処に重点を置くかにも拠りますね。
例えば、撮りたい被写体を6割の領域内でやや左右、上下のどちらかにずらして撮る事もその思惑を表現する事にも成ります。ど真ん中とする場合もあるでしょうし、6割全部を使うと云うこともあり「場所と割合(比率)」の問題を持っていますね。
マクロなどのカメラレンズを使うとこの6割全部を使う事に成ります。
と云う事は、”どの様な色の問題を引き起こすのか”と云う疑問に突き当たります。
上記での解説の理論を使うとどうなるでしょうか。
先ずは、
画面比率から画素数が高いためにピントやYMC、BGRはよく写る。
綜合色から単一色傾向になる為に反面カラーフェリヤーが強く働く可能性が出る。
パラセーションが起こりやすい。
6つの3の領域は当然にピンとは甘くなるので全体に色に関するイメージが落ちる。
この6つの3の領域では、これをカバーする為に、色や影やアングルで中央の被写体を際立たせる工夫ポイントとする必要が出ます。

それは、上記3つの思惑条件「時、人、場所」(TMPと呼ぶ)に関わって来ます。
ただ、この領域を外れて、上下左右と4隅に置く事はA-Dの表現力の差違で写真としての効果は無いと成りますのであり得ません。
取り込んだとしても1による影響ですから全体の表現力には必然的に成り得ません。その前に脳がその様に動かないので1が0と成り論理的に無い事が云えます。
芸術写真は別として「自然美の綺麗」とするテーマではあり得ません。
当然に、本文のYMC、BGRをより効果的に問題(フェリヤー)無く取り込む為にもこの配慮も必要に成ります。
例えば、
イ 太陽の光の影響、
ロ 日差しの方向や強さや時期の取り込み
ハ 影の配置で強弱の表現力
ニ 明暗の区分けによる説明力、
ホ アングルの比率やバランス、
ヘ 全体の色合い、
ト 背景の色合いとフエリヤー
チ YMC、BGR配慮
の特長を配慮等をし、この仕組みのどの所に置くかを、それも出来るだけ瞬時に閃かせるかで決める必要があります。
これはこの条件を撮影時に訓練し経験しする事で可能に成り、この「成行き」が写真の面白みに成っていると思います。そして、次第に表現力が伸びることへの喜びに浸たるのですね。
この表現力は「CGS(長さ感、重さ感、速さ感)」を引き出す大元と成るのです。
出来た写真を観る時もこの「思惑(RPM:理由、目的、手段)」がどれだけ多く表現できたか、或いは限定した思惑がこの仕組みの中で上手く反映されたかの結果が楽しみであり、且つ、「出来栄えの喜び」か楽しみと成るのですね。
目で観た自然の美の綺麗さが表現出来、且つイ-チで「趣」をも引き出す事が出来るのです。
TMP、CGS、RPMをより引き出したかの評価が決まります。

この写真の配分比率の知識も知る事で、より綺麗な写真が脳の印象記憶と連動して、綺麗な趣のある写真が出来る事に成ります。
これはひとつ一つを使いこなす経験と訓練で成し得る事ですね。
当然に、写真の観る目もより養えて来る事に成ります。この様な目で観ればそうすると展覧会に行っても”面白い”と成る事でしょう。

まとめとしては、「6:3:1」と「1>2、3>4、5」の仕組みは「TPM、CGS、RPM」を引き出すために「A-Dとイ-チ」に大きな影響を与えるのです。
 
以上 ”目で観た自然美を如何にして綺麗に撮るか”をテーマとしてその影響する写真技術を解説してきました。
意外に多くの問題と云うか技術があるのかを知ってもらったと思います。技術ですので論理的である事は否めません。しかし、何とかより高いところを目指す意思をお持ちであるのなら、何とか繰り返し呼んで頂き少しづつ理解して経験と訓練で獲得して頂きたくレポートを致しました。

最後に私は写真を撮る時は何時も「絵」として捉え、日本画、南画のような景観を思い浮かべ被写体を決めています。このポイントが写真が写真だけでは無く成る接点ではないかと思っているのです。
「写真技術」と「色理論」が「絵」として変わる点である筈だと考えています。そして、そこに「芸術写真」との接合点が生まれると思うのです。その為には、日本画や南画の誇張の無い自然美溢れる絵を良く見る事も必要です。
芸術絵画や芸術写真には、否定するものではありませんが、何かそのものの持つ「趣」と云うものが少ない気がするのです。
写真が芸術写真でなければ、それは「趣」を表現して人にその「軽やかな印象」を与え「懐かしき思い出」を引き出すところに意味があると信じているのです。そして、それを最大限に引き出す技法が「自然の摂理」から来るこの「写真技術と色理論」にあるのだと思うのです。

折角ですので、この青木サイトには「一時の癒しの場」として写真館を解説していますので、一度ご覧下さい。
最近ではこの館に訪れる人も多く成りましたので、敢えて「昔取った杵柄」で思い出してその資料を史料とすべく遺す事にしたのです。
本文は理論を説いていますので難しいとされる方も居られますから、一度に全ての理論を記述するのではなく、何度も同じ論理を繰り返して少しづつ別の要素からの理論を書き足して行く方式を撮りました。従って、散文と成っている事は否めません。
理論の言葉や用語も平易にして出来るだけ判りやすく配慮したつもりです。
専門的な立場では多少の語弊はあると思いますが、あくまでも上記の趣旨の範囲での技術として頂きます様にお願いします。
そうして、この技術を使って撮った写真を写真館に展示して頂ければ幸いです。
その方法は次ぎの方法に依ります。

展示登録方法
雑談掲示板1580より

写真データの登録システム開設のお知らせ
この度、携帯などから直接青木ルーツ掲示板に添付したい写真がある場合、その登録する保管庫が出来ました。

パソコンなどに登録した写真の場合は青木ルーツ掲示板の投稿欄の下から添付ファイルにて出来ます又、カメラ、携帯から直接する場合、先ず一度保管庫に登録し、その後、管理人室から代理添付の作業を行います。
この場合は、保管庫に登録されたかは判りませんので、雑談掲示板などから先に連絡を頂きます。

保管庫メール先はaoki@aoki.ccです。
QUANP.NETが出ます。
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甲斐青木氏の研究(花菱紋)-後編

甲斐青木氏の研究(花菱紋)-後編
投稿者:福管理人 投稿日:2009/09/29(Tue) 15:21:16


[花菱紋から丸に花菱紋]
親族の豊定の柳沢氏の菩提寺は常光寺-光沢寺-永慶寺-護国神社となります。
その柳沢氏は上記の理由で曹洞宗常光寺から引き上げて浄土宗光沢寺を開山しました。
同じく兄の正定の本家筋を継がした青木氏の菩提寺は常光寺-源空寺(末寺 明治廃寺)を開山しました。そして、自分の青木氏は山間部の「国衆」の防衛団役として住んでいた北巨摩郡の菩提寺松源寺を開山したのです。
柳沢郡青木村の人の青木氏の菩提寺は結局は有りませんから甲斐に戻った後は「丸に花菱紋」の曹洞宗常光寺としたのです。
”何故、柳沢郡に青木村があるのか”と云う理由は信定が臨終の間際に採った父子の「路線争い」と「宗派争い」の苦肉の策と観られます。
14代目兄弟正定、豊定の親族では特に豊定自身が継ぐものと思っていただけに苦々しく思っており、止む無く伝統の無い柳沢氏を発祥させられる羽目に成った事に成ります。
後刻、末裔は花菱紋の別家を起こした兄と共に、この養子信之の末裔(長男元忠襲名)に対して異議を申し立てた事になります。
事実、この伝統ある皇族青木氏の柳沢郡青木氏を血縁の無い青木氏が継いでいる事に対して甲斐全体の青木一族には、継承の経緯もあり、決着を付けるべく”伝統ある青木氏を血縁の無い者が継ぐ事は罷り成らん”と申し込んだと観られます。
”事実、血縁が無い事は否めない事実”として”「花菱紋の使用」と「浄土宗派」をやめるが、「系譜」と「青木氏」を改める事は拒否する”として決着を図ったと成っている訳です。
果たして決着を見たのかは疑問です。
取り敢えず、「花菱紋」から伝統の無い分家的な扱いの「丸に花菱紋」に変紋した事で一応は納得した事にして”様子を見る事にした”としたと思われます。

と云うのは、この事は次ぎのことからも覗えます。
1 寛政の史書(1800頃)にも「寛永第三の青木氏」(1635頃)と示されていた事。
2 花菱紋青木氏元祖の正定の9代目末裔信政(1735頃)が、この「丸に花菱紋」の系譜を当時の口伝から偏纂し添書を詳細にして違いを表し、伝統を正確に遺した事
以上等で末裔は先祖の錯誤行為を一時納めたと観られます。
3 この時、末裔信政は”この「丸に花菱紋青木氏」は違うのだ”と後世に示す為に、年代も故意的にみえみえにずらして居ることもその憎悪の程が良く判ります。
4 9代目末裔「信政」が編集し直したとされるその養子「信之」を祖とする「丸に花菱紋」の系譜には、その添書もさることながら、「信正」の所が「某」と記されているのがその先祖に対する「遺憾の意」を表現している所で、その経緯が面白いと見られます。
自分先祖の系譜には「信正-信定」と明記していながら、信之養子の系譜には「某」-「信定」とし添書を記しているのです。これでは直ぐに判ります。
これは遺憾の意を後世に表すために故意的に判る様にしたのです。

常光寺に祭祀されている「信安(11)」の弟「信生(11)」の次に「信正」(12)が来て更に「信定」(13)が来て養子「信之」(14)-養子「信茂」(15)....(20)として、この系譜は明らかであるのに、わざわざ「信正」を「某」とするのも故意的です。
この末裔信政は自分の系譜も添え書きの追記編集していてそこは正常に記載しています。
末裔信政は信定(13)よりは信正(12)に対して「遺憾」の感情を持っていた事が割ります。

当然、この様に系譜は明治までは花菱紋一族は、親族柳沢氏と同じ対応をしていた事に成りますが、源空寺の廃仏毀釈で、「お墓と仏像と過去帳と記録資料と石燈等」の「花菱紋青木氏の遺産」を何れかに移す必要に迫られた事になります。
その理由は、上記した「丸に花菱紋」と「常光寺曹洞宗」の経緯にあります。
南北の巨摩郡青木村青木氏と一門一族は、この歴史的史実を寛政の史書から少なくとも(1800-1900)年頃まで知っていたと思われます。少なくとも本家筋の南巨摩郡の浄土宗派は。
「丸付き紋」とした為に分家となった派は曹洞宗に入信し、宗派争いは3宗派で燻り続けて明治まで続いたと見られます。
養子続きの系譜上の経緯から「丸付き紋」青木氏の一部が浄土宗のお寺にする訳には行かなかったのでしょう。”止む無く、曹洞宗とし、南明寺を墓所とした”と云う事に成ります。

ところが、「丸に花菱紋」曹洞宗の青木氏(第三氏)派に対して、明治初期に発祥した「第3の青木氏」の存在が更に複雑にして、廃仏毀釈廃寺の浄土宗源空寺の「歴史遺産」に複雑にしている様子です。
恐らくは、この歴史遺産は明治初期頃までは承知されていたとすれば、昭和の末期に不明に成ったとすると、その廃寺後の処置から紛失経緯を鑑みた場合、現存する花菱紋本家分家筋に引き取られている可能性があります。
現在、源空寺跡近在の歴史家等によって市の文化遺産にした事や、曹洞宗などの対応から観て、この「第3氏」等や「宗派問題」の解消又は区切りを図ったと見られます。
実は地元がこの「第3氏」の問題に苦慮するには理由があるのです。それは甲斐の「第3氏」の青木氏の問題は「特別な背景」と云うか事情を持っているからなのです。(後述)
もし、これ(第3氏の主張)を認めると文化遺産の所有権の問題が更に複雑になることが予想できるからなのです。
兎も角も、1573-2009年頃まで続いた甲斐花菱紋青木氏の問題はこの研究レポートが一助になることを期待しています。
この「特別な背景」を理解する前に必要とする経緯を復習したいと考えます。

「柳沢青木氏の復習」
経緯
武田氏系青木氏と同じく、柳沢郡の青木氏は「長篠の戦い」(天正3年)で敗戦しました。
(武田勝頼に奇策を提案したが受け入れられなかったので、武川12騎は勝頼から離れ戦線から離脱した)
その直前(1567)に、信定(巨摩郡青木氏と柳沢郡青木氏の父 常光寺を曹洞宗に改宗した人物)の妻の実家(安芸国桜井安芸守)を頼り一族は安芸に移動します。
この柳沢郡の青木氏は元は織田信長に攻められる前は和泉守(高尾氏)でした。(和歌山と大阪の境の国 後に毛利氏から浅野氏になり紀州徳川氏に移る)
柳沢郡青木氏はこの後、母安芸の実家の安芸守の縁で「毛利元就」(中国地方の覇者)に仕官します。
そして、勲功で安芸の尾引城の城主となります。
毛利氏の勢力拡大に著しい勲功をあげます。
更に元亀4年の元の和泉守を取り戻します。
しかし、この者は(初代養子信之)尼子の戦いで戦死します。
そこで子供の次男毛利氏の伸張で志摩守と成り信之の跡目を天正5年に継ぎます。
ところが、この次男は毛利氏の配下で讃岐元吉城の合戦で戦死します。(長篠の敗戦から2年後)
この志摩守の兄(青木助兵衛元忠)が跡を継ぎ父の名信之を襲名し、その後、三田尻(山口)に移りそこから一族は甲斐国韮崎(1582)に帰ります。(墓は安芸、三田尻近在になしの記載あり)
この毛利で3代続いた養子一族の柳沢郡青木氏一族は、和泉守、志摩守等をして大きく財を築きました。1577年頃、その勢力と財力で先祖の曹洞宗常光寺を再興し先祖祭りを再び開始します。
この時(天正中頃:寛永に記録)、北巨摩郡青木氏から家紋と系譜の使用で協議します。
この時期の北巨摩郡の青木氏を含む「武川衆」は「武州鉢形に国替え」は起こっていないので、丁度柳沢郡の養子青木氏も戻った所であり協議と成ったと考えられます。
協議結論は家紋は丸付き紋に変紋と改宗で妥協、系譜は譲らずと成ります。(慣習は原則丸付き紋は不使用)
これが、曹洞宗常光寺の寺紋「丸に花菱紋」の所以で、「丸に花菱紋」の発祥理由です。
系譜には末裔に対して理解を得る為に経緯の詳細を書添に遺した事に成ります。
次に、理解する事として「尾張守」に対する知識です。

「尾張守の意味」
さて、ここで、この「尾張守」の持つ意味はどのようなものかを歴史の変化で述べます。
官職で職位です。尾張の守護職で尾張の守護地から取れる石米を糧としていた事を意味します。
史料から次ぎのものが観られます。
甲斐氏一族には武田氏本家の「甲斐守」があります。
菱紋青木氏、割菱紋青木、花菱紋本家青木氏は「尾張守」です。
武田氏が最大勢力を張っていた時期はここまでです。軍制にも「尾張衆」とあります。
残る家紋の一門柳沢郡青木氏は「和泉守」(高尾氏)と一部の史料に記載されています。
花菱紋の別家青木時光は「摂津守」です。
甲斐でいながら尾張の守護とは変ですが、平安時代、鎌倉時代、室町時代前期は自分は朝廷の仕事をし領地には朝廷、幕府から国司、地頭、守護を送ります。この国司、地頭、守護が守護主に代わって勤めます。自分は朝廷、幕府の仕事をします。
鎌倉時代からは守護の代わりに地頭を送りますが、殆ど自分が赴く制度です。

平安時代は守護は公家と貴族と朝臣、宿禰族が領地を持ちましたので、公家貴族は采地には軍事を持ちませんので護ることが出来ません。そこで「国司」「地頭」を送ったのです。
江戸時代に成ると、この守護は無くなり領主となり自ら当ります。そして家臣に任せて幕府に仕えます。
ところが、しかし、次第に江戸中期以降、中級以上の武士は金品を天皇家に送り名誉職の実質の伴なわない官位官職を貰う事に成ったのです。衰退した朝廷の経済的財源と成りました。
むしろ、幕府はそのように仕向けたのです。天皇家に僅かな経済的な潤いを与えて幕府の経費を削減して朝廷が幕府に歯向かわないように縛り上げたのです。
当然、幕府の職位と天皇家の名誉職とダブル事に成ります。
この事で争いが起こっています。
ですから、ある時期を通じてこの官職に対する見方評価は別にする必要があります。
平安期、鎌倉期、室町期はほぼ正等に評価して史料史実として考察する判断材料に成ります。

というのは、この武田系青木氏にはこの尾張守が大きく左右する疑問点があるのです。
下記で系譜上の最大疑問点であるこの事を論じます。
その前にもう一度「一条氏」の事に付いて検証します。

「一条氏呼称の疑問」
次ぎに”一条氏と武田氏と青木氏とで家紋が変わるのか”の疑問です。
一条氏は一応武田氏では母方です。忠頼の母一条郷出身であると云う前提に立っています。
本来は「氏家制度」は男系継承です。
武田氏の血を引いた源の時光ですので、前編と中編で述べた様に身分と家柄という点では弟より落ちる事に成ります。
そこで、忠頼の一条氏をとりわけ誇張したのであって男系の一条氏では有りません。
この一条氏の系譜継承で名乗るにも問題があり過ぎるのです。
本来は一条氏は藤原北家筋の摂関家です。藤原秀郷は北家です。その秀郷の血筋も陸奥の小田氏(武田氏は)で血筋を引いている事に成ります。
武田氏は源氏末裔を名乗っていますが、清和源氏の頼光が本家筋です。
弟の頼信系の分家で河内源氏の更に傍流と成ります。更に、陸奥小田氏(秀郷一も門杜血縁)から豪族となった甲斐の武田氏にこの傍流の跡目を送り込み源氏系としたもので、藤原秀郷一門の支流に源氏の跡目を入れたことを意味します。
よって、この血縁は氏家制度の中では下の氏との血縁を源氏がしたことを意味します。本来は源氏は下の氏との血縁はしないのが慣習で殆どが青木氏を含む賜姓族、皇族16氏の同族血縁が主流なのです
しかし、止む終えない事でした。源氏の16の一門は平家一門に圧迫を受けていましたので、なんとしても子孫を遺す必要があったのです。そこで下の氏との血縁をした事に成ります。
ただ、武田氏には藤原秀郷一門の筋が流れていますので、源氏としては建前は護れた事を意味します。従って、武田氏は源氏の跡目が婿として入ったので、源氏の血筋の良い方の家柄身分の方を誇張したのです。
この時光系の一条氏を名乗るものと同じです。
清和源氏の河内源氏の傍流からすると、支流の直系ではない末端の源氏です。(史実が取れているので未勘氏にならない)それも頼信系の分家筋の賜姓清和源氏です。
ですから、女系側の清和源氏には藤原摂関家の母方一条氏の血が流れていますので史実の如何を問わずより一条郷を作り出し忠頼の一条氏を名乗りたかったのでしょう。
同じ清和源氏の分家本流の河内源氏の頼朝に謀殺された初代忠頼も甲斐一条郷の出身として名乗っていますが、一条郷に一条氏が流れ着いたかの確証は見当たりません。
そんなにあちこちに一条氏が逃がれるだけの一族が居たのでしょうか。これは明らかに疑問です。
これは清和源氏母方の一条氏の誇張ではと観ています。
時光の末裔の仕組んだ誇張宣伝ではなかったかと観ているのです。
この時代大変にこの風潮が蔓延した時期なのです。第3氏と未勘氏の発祥もこの時期が多いのです。
(江戸初期前後の2期目混乱期)
ですから、家紋は笹竜胆ではなく、武田氏の菱紋で、更に、分家のその分家筋の花菱紋なのです。
武田氏一門は厳密には6つの菱紋、概して8つの菱紋を一門としています。
氏として分けると、花菱紋はこの第3番目です。
1番は本家武田菱紋、2番は割菱紋、3番目が花菱紋です。
これでは時光の気持ちは判ります。まして、弟の源光系は1番2番で、朝臣族皇子の甲斐賜姓青木氏との血縁を主流としていますから兄としてはたまりませんね。
ですから、武田氏は笹竜胆紋は使えませんし、宗家から認められません。ですから使用していません、武田氏の家紋類だけです。
甲斐武田氏が直系の源氏であれば笹竜胆紋の筈ですが、同じ分家頼信系列でありながら、義経、頼朝等は「笹竜胆紋」ですし、甲斐の皇族賜姓青木氏も笹竜胆紋です。
甲斐源氏と名乗っていますが、分家の支流の分家の武田氏です。(公表している史料は誇張)

信濃足利氏でも、陸奥から藤原秀郷一門と血縁して護衛団として足利の赴任地に同行した花房氏が地元に定着し勢力を得て土豪と成り地名を採って足利氏と名乗りました。
その後、藤原秀郷一門がこの足利氏の絶えた分家に藤原秀郷一門の者を入れて分家を興して、最後はこの本家を排除して足利氏を乗っ取ったのです。
其処に清和源氏頼信系本流との跡目血縁を2度して清和源氏系足利氏が出来たのです。
後にはこの様によく似た事件が起こっていますが、武田氏ではこれ程では有りません。
足利氏の場合は藤原秀郷一門が大きく足利氏に関わっています。
清和源氏の時光は下の家柄の武田氏と繋がります。

そして、清和源氏は第6位皇子の経基王の子孫で甲斐賜姓青木氏も第6位皇子です。
源光自らはこの清和源氏(清和天皇第6位皇子系)頼信系の末裔であり、且つ、甲斐国守護王の皇族賜姓青木氏(光仁第6位皇子)と血縁をした賜姓族系であります。
時光は甲斐武田氏に跡目として入った一族の血縁朝臣族として単族で皇族青木氏を名乗った訳ですから兄でありながら身分は下と成ります。

この時光が名乗った青木氏は「嵯峨期の詔」によるものです。
嵯峨天皇期の詔とは ”皇族者が平民になる事の「下俗」する時に青木氏を名乗れ””その青木を他氏は名乗ってはいけない”の天皇の勅令の命令です。
父桓武天皇の賜姓青木氏に対する反発から、子供嵯峨天皇は賜姓をこの青木氏から氏名を変えて賜姓源氏としたのです。
この命令に従い清和源氏は第6位皇子ですので(「朝臣族」ですので)青木氏を名乗れるのです。
この詔を使って下の身分の武田氏と血縁した時には身分家柄が下がりますので「青木氏」を名乗ったのです。
この詔を使える資格者は歴史上18人居て内確認出来る範囲で4-5人です。
本来、時光は源光に対抗して詔を使ったと云う説を採用しています。。
しかし、弟の源光は、尚且つ、武田氏でも本家筋の上の家紋2つの菱紋と割菱紋と笹竜胆紋との血縁ですので差が大きく出ています。この二つは賜姓青木氏系と成ります。
同じ武田氏系でも家臣ではなく客人扱いです。座る位置は全く兄弟と言えども時光は家臣となってしまいますので下座下末座です。これでは面子が有りませんので、だから母方一条氏や詔の青木氏を持ち込んだと成ります。
これが青木氏や一条氏の名乗りの背景と成ります。

しかし、この末裔の正定らは更に下の扱いと成り、「国衆」と云う驚くべき階級なのです。
しかしながら、その家柄では朝廷が嵯峨期の詔が認めている証拠として次ぎのことがあるのです。

「源空寺と吉田氏」
そこで時光系の正定(14)では浄土宗源空寺を菩提寺として建立しますが、この寺の位置付けを示す事柄があるのです。それはその住職に吉田氏を迎えて居る事なのです。
何故そのように成るのかと云う事なのですが、その住職吉田氏に付いてお話します。

先ず、源空寺をどれだけ大切にしていたかと云う事を意味しその寺の位置付けが判るのです。
つまり、この吉田氏住職は源空寺の寺院の威厳、権威、又はレベルを示すものなのです。

「吉田兼好」徒然草の作者を承知されている事として、吉田兼好は朝廷の役人(官僚)をしていましたが、役所勤めが嫌に成って放浪の旅に出ました。
その役所の勤めとは何であったかと云う疑問です。
吉田氏は日本書紀に出てきます古い伝統の藤原氏に負けない氏です、
つまり、朝廷の祭祀を司る斎蔵の藤原氏の下役人だったのです。
中臣鎌足、つまり、藤原鎌足は大化改新の功労者です。
その仕事は朝廷の官僚機構の3蔵の一つの「斎蔵」の祭祀を司る官僚でした。
昔奈良期-平安初期の政治機構は3つの機構で出来ていました。

1 「斎蔵」です。朝廷、天皇家の事務一切を取り仕切る政治機構です。
2 「大蔵」です。朝廷の財政全般を取り仕切る政治機構です。
3 「内蔵」です。天皇家の一切の財政全般を取り仕切る政治機構です。
これを「3蔵」と云います。
これに軍事が着き「斎蔵」が指揮する形です。

そこで、この「斎蔵」は事務一切の中には、朝廷の祭祀行事(政治を含む政所:まんどころ)が主な仕事ですが、斎蔵の藤原氏はだから摂関家なのです。
これを藤原氏の下で専門に祭祀だけを行っていた官僚が吉田氏です。
この吉田氏は奈良時代からの氏です。
吉田氏は朝廷と天皇家の神社仏閣の専門祭祀役人です。
全国に最も多い神社の宮司は吉田氏ですが、この関係から来ているのです。
また、寺社も吉田氏が多いのです。余り知られていないのですが吉田氏は祭祀の名門族なのです。
関西の神社には吉田氏は大変多く、とりわけ熊野権現社を始めとして万葉の世界が残る紀州には吉田氏が多く宮司として現在も任官しています。

(参考 世界遺産の熊野権現第1社の藤白神社は吉田氏です鈴木氏の発祥社です)

青木氏、佐々木氏も浄土宗菩提寺を自らの氏で運営をしていましたので多いのです。
独自の菩提寺と氏神を持つ身分でしたので、身内の者がそれを勤めました。佐々木氏と青木氏の家紋で見分けが着くのです。その伝統が今でも続いているのです。
吉田兼好はこの祭祀役人でした。藤原氏の下で役人勤めが嫌に成ったのは今も同じですね。
これ等の事は「研究室」の「鈴木氏関係のレポート」2つに書いていますので参照して下さい。

どう言うことかと云うと、常光寺の曹洞宗改宗の時に浄土宗源空寺を開基しました。
この時、この寺に対する肝いり具合が判るのです。
藤原氏を通じて朝廷関係者から吉田氏を迎え入れた可能性があると云う事です。
源空寺の元墓には現在も住職吉田氏の墓があると云う事はこのことを意味しています。
つまり、それだけに花菱紋の青木氏は皇族系ですので、藤原氏を通じて吉田氏派遣を願い出たという事に成ります。
”何時から源空寺の住職は吉田氏か”は現在、私も未確認ですが、恐らくは最初からではないでしょうか。まだ今でも、吉田氏の墓があると云う事は、昔から吉田氏系統の住職であった可能性があります。だから廃寺になっても吉田氏の墓があると云う事に成ります。
吉田氏を住職、宮司としてある神社仏閣は位の高い神社仏閣と言う事を意味します。
吉田氏を迎えるだけの氏柄、身分でなくては派遣されません。
まして、京や奈良ではなくて、甲斐ですので、余程の氏身分では無くては北家の藤原摂関家からは派遣される事は有りません。
時光系は賜姓源氏で皇族朝臣族青木氏ですので、文句無く派遣される事です。
武田氏の元は、源信義が跡目に入る前は北家の藤原秀郷一門と陸奥小田氏との血縁族でした。
筋目から全く問題はありません。

「吉田氏」の住職で「源空寺」は最高の組み合わせです。
時代的に”吉田氏は何時からで、青木氏の住職は合ったのか”の確認が必要です。
研究課題として調べていましすがまだ見つかりません
この様に吉田氏の史実一つでも源空寺の時光系青木氏の確証が取れます。

「系譜上から観た武田氏系青木氏の系譜経緯」

さて、次ぎは時光系青木氏の実系譜を記述します。
これは上記した系譜上の疑問点の解決に必要とするもので、公開されている誇張された史料とは一部異なるところがあります。

寛政までの系譜(割菱紋 葉菱紋 時光系本家)
信義-信光-信長-信経ー時信-時光*-常光-信連-貞義-義遠-安遠-義虎-信種-信親-信時信安-信就-信幸-信峯-信祐-信任-信*-信考-某

(割菱紋 時光系分家)
義虎-信正ー信定-正定-正重-信久-信知-信秋-信富-信保-正蜜-信政
累代です。


さて、この系譜では、信正は8代目、信定は9代目となる筈です。
ところが、本来の本家と分家の系譜では、信安11の義弟落合氏養子の信生11系列に成っているのです。
信生11は信安11の義弟ですから、本流の系譜の中には有りません。又、常光寺には祭祀されていません。
どの様に系譜の位置付けに成っているかと云うと次ぎの様に成ります。

北巨摩郡青木氏 信生11-信正12-信定13-正定14-正重15・・と成ります。(後述)
柳沢郡青木氏 信生11-信正12-信定13-信之14-与蔵15(次男)-元忠16(長男:襲名)-信茂・・・(後述)

上記二つのどちらにも系譜には11代目の信安の義弟の信生11が8代目、9代目の信正とその子の信定の前に来ています。最大の疑問です。
先ず年代的に観てみると、信正は信虎と信玄、信定は信玄と勝頼に仕えています。
信生は勝頼に仕えて徳川氏に仕官しています。
信生の経歴は信安の実父信時に養われています。
武田氏家臣で落合常陸守信資の三男です。
子供の居無かった信時は落合氏から養子として縁組し小さい時から養ったが、その後に実子が生まれ信生の扱いは部屋住みと成りました。

次ぎに、この信正に付いて考察します。
信正は青木氏本家の義虎の子供で嫡子は信種であるので、嫡子外の子供で妾子です。
しかし、信種は尾張守と成っています。信正も尾張守です。同時期に尾張守に成っています。
ところが、嫡子外妾子の信正には後継ぎの通名の「与兵衛」が与えられ尾張守にも成っています。
何れも信虎と信玄に仕えています。

疑問
1 同時期に尾張守
2 世継ぎの通名「与兵衛」は信正に

これを”どの様に理解したら良いのか”の「信生の系譜の位置」と合わせて2つ目の最大疑問です。

これから推理すると、先ず考えられる筋目としては、次ぎの様な事に成ります。
1 信種は信正であろうとする説が成り立ちます。つまり信正=信種説です。
年代共に一致しある一点を除いては疑問は解決します。

次ぎの事も成り立ちます。それは信種の子供嫡子信親は尾張守で通名の与兵衛が着いています。
2 信正が信種の子供嫡子の信親であろうとする説です。信正=信親説です。
年代もほぼ一致しある一点を除いては疑問は尾張守と通名の点で解決します。

信親の子供の信時つまり、信安の実父で信生の義父です。尾張守ですが通名の与兵衛は有りません。
3 信正が信親の子供嫡子の信時であろうとする説です。信正=信時説です。
この説では年代は何とか一致しますし信生が先代に据える事は可能です。

先ず、ここで通名が大きなキーワードに成っていますので、中編でも記述しましたが、系譜上からこの通名を名乗った人物をもう一度引き出します。

「通名の考察」
義虎は弥七郎-信種は無し-信正は与兵衛-信親は与兵衛-信時は無し-信安は与兵衛-信就は与兵衛-信幸は与右衛門-信峯は与右衛門-信祐は与兵衛-信任は与兵衛-信*は与右衛門-後は与右衛門
義虎以前には与兵衛は無い。尾張守は嫡子は代々継承している。

このことからすると嫡子であれば与兵衛の通名を継ぐ事に成っているとすると、信種と信時の2人は通名が無い事が不自然であるので、1番の尾張守でもあり同一説が納得できる事に成ります。
では、信種なのか信時なのかを考察すると、次ぎの様に成ります。
しかし、上記した様に、正定ルーツの系譜(花菱紋)と養子柳沢郡青木氏の信之ルーツ(丸に花菱紋)の系譜の二つはこの1番の説では起こらないことに成ります。しかし、子孫は現存しています。
ある以上は1番の信種説と3番の信時説は成立しません。

2番の信親説には信親は、又の名を「信立」であると添書に書かれています。
この「信立」は全ての系譜上には出てきません。
つまり、しかし、「信立」は柳沢氏の系譜から公開されている史料では初代人物の元祖であるとしています。
しかし、柳沢氏は系譜では豊定を初代として明らかに系譜にありますので、信生-信正-信定-豊定としていますので本流の信親の「信立」ルーツでは無くなります。
とすると、”この「信立」は一体誰なのか”を解く必要が出てきます。

一種架空の人物の「信立」は本来系譜の信正の子供の信定であろうとする説です。
つまり、系譜を作る際、或いは信政が再編集する再に、信定の「定」の字の行書を「立」と観てしまった、又は書いてしまったのではないかと考えられます。
系譜資料では字体の崩し様で確かに「立」に読み取れるのです。

そうすると、123の説は消えますので、信種の腹違いの弟妾子信正は別家の割り菱紋を起こした事に成ります。これが正しい答えと成ります。

では、次ぎは尾張守と与兵衛の件を解決する事です。
先ず、信正と信種の年齢です。
明確な史料は有りません。そこで、戒名を特別に調べました。(個人情報に関わるので詳細不公表)

信正の戒名から死亡年は不明ですが、法名は信正は深見、信種は浄賢と明らかに異なりますので別人である事は間違い有りません。

考察経緯
A 信正の死亡年代は1548年頃、信種の死亡年代は不明だがこの僅か前と成ります。
先ず、当初妾子の信正が別家を興した。
B しかし、嫡子の信種が尾張守を名乗り死亡した。
C そこで、別家の信正が嫡子扱いとなり、それより以後「与兵衛」を通名として名乗り、跡を継いで尾張守に成ったが戦いで信正も死亡した。
D その跡を信種のルーツに戻しての豚ねの子供嫡子信親が尾張守に成り通名を与兵衛を名乗った。
E そして、嫡子信親が死亡した。
F これを再び別家信正の子供の信定が継いだ為に通名の無い尾張守と成った。
G この間20年程度の経緯で、その後、信定は長篠の戦い(1575)で戦死した。
H そこで、又本家に戻して通名の無い形式上信時が尾張守となった。
I しかし、この時は既に尾張守は有名無実のもので、2年後の1578年で滅亡の一時期であったので通名は後世滅亡か存続かどの様になるかは判らない為に名乗らなかった。
J その後、本家分家ともに徳川氏に仕官出来たし、本家嫡子の信安は真田氏の上田城攻めに加わる事に成ったし、分家正定は武州鉢形に国替えとなり徳川氏の旗本に成ったとすれば疑問は解けます。

因みに、尾張守は時光より3代目の信連から始まり、嫡子貞義-義遠なし-安遠-義虎なし-信種と続きました。
信種の親の義虎は無役でした。それだけに、信種に対する期待は大きかったとみられますが戦死したので嫡子信親にせずに別家の信正に移した。
この時代の信虎の武田氏はひどい戦いに明け暮れていたので嫡子を失う事を嫌ったのではないかと観られます。
この時には信虎と信玄の軋轢の争いが物語っていますが、信玄も結局40数回もの戦いをしたのでこの様な系譜と成ったと見られ、その影響もあって戒名等には詳細が書き込まれていないのもこの事から来ているものと思われます。この間20年であるので如何に難しかったかが判ります。
以上系譜の添書から割り出した系譜の経緯です。

次ぎは、信正の上に信生が来る系譜である。
A 信生は信時に養子嫡子として育てられたが実子信安が生まれた事から信安を嫡子とした。
B そこで、信生の扱いに不憫に思い苦慮した信時は別家の信正の跡取として据える事を考え系譜上で信生を別家の上に据える事を相談したのではと観られます。

この時は別家は信定の時代で上記の系譜の経緯からすると、本家側から見ると別家からの人の移動が無いが本家との区別が少ないと観ていたのではないだろうか。
信定の子供としては実子の正定や豊定や豊勝等が居て親子争いを起こしていたので、子供として養子にする事は難しいと観たのではないか。そこで、上にすえる事で、形式上何とか処理したのではと観られます。 
下にすえる事は1575年前の軍事的な連携から高尾氏との関係もあり、信之の柳沢郡の青木氏の養子もあるので、最早別家を興させる手が無く成っていたと観られます。
この時は1567年頃後の織田氏との戦いを前にした緊張時期でもあり、年齢は無視して5年程度の期間の系譜として扱ったと観られます。

これが、不思議な系譜が出来上がっている原因と観られます。
前編と中編の系譜はこの信生-信正-信定の前提に立っていますので、ここで、系譜や添書や史料や戒名などで検証しました。
このような20年の間に上記に近い経緯を持っていたと考えられます。
本来であれば、信正-信定-信生(落合氏養子)と成るのですが、信正-信定-信之(高尾氏養子)と成れば、実子3人も居る上に養子2人と成ってしまいます。
それでなくても実子との軋轢が起こっているのに、この上に信生の養子は幾ら戦乱とは言え受け入れ難いことだろうと考えます。
結局、この様な系譜に納まったのではと考えます。

「内容の整理」(重複)
参考
因みに、「与兵衛」の通名を使っている人物は次ぎの通りです。
割菱紋青木氏本家(義虎系)
信種(嫡子)の子の信親
信時(信親の子)の子の信安
信安の子の信就
信就、信幸、信峯の子の信祐
信祐の子の信任

割菱紋青木氏分家(義虎系)
信虎の子の信正(妾子:信種弟)
以上6人です。

参考
注 信種は信正と同人物との説もある。
注 信種は信定と同人物との説もある。
注 信親は信立と同人物との説もある。
注 信親は信定と同人物との説もある。
注 信時は信定と同人物との説もある。

参考
「尾張守」を名乗った者は次ぎの通りです。
始祖時光は甲斐守
時光系割菱紋の本家
A 時光-常光の子の信連
B 信連の子の貞義
C 貞義-義遠の子の安遠
D 安遠-嘉虎の子の信種
E 信種の子の信親
F 信親の子の信時

時光系割菱紋の分家
G 義虎の子の信正
H 信正の子の信定
以上8人です。

参考
注 信正と信種は兄弟で同時期に尾張守である。
注 信定と信親は従兄弟で同時期に尾張守である。
注 信時で武田氏は滅ぶ。

参考
疑問点
以上の「通名」と「尾張守」からの疑問点が浮かび上がる。
1 通名「与兵衛」が付く事は本流本家筋を意味する。しかし、信正だけは分家である。
2 官職名「尾張守」は本来は本流本家筋となるが、しかし、信正とその子の信定が引き継いでいる。つまり、本流本家の信種と信正は「尾張守」が重複している。(疑問)
3 更に、本流本家の信種には「与兵衛」の通名が無いが、分家の信正(妾子)には通名がある。
4 本流本家の信親と分家の信定は「尾張守」が重複している。(疑問)
5 本流本家でありながら信時は「尾張守」だが「通名」が無い。
6 分家でありながら信定は「尾張守」だが「通名」が無い。
7 重複人物説の疑問がある。
以上を複合的見地から解明しなくてはならない。

参考
信立
柳沢氏は4つの流れがある事は前述しましたが、青木と血縁を同じくする(柳沢)豊定を祖とする柳沢氏は青木氏との関連で源空寺に石燈を送ったという史実は間違いの無い事である事がこの石塔で証明されます。
「浄土宗源空寺」(南巨摩郡)と「浄土宗松源寺」(北巨摩郡)の二つの菩提寺と強い繋がりが合ったことを意味します。
送ったと記録されている柳沢家の柳沢吉保はこの流れの青木氏から出ていることを意味します。
それは「豊定-信立-信俊」系列である事を意味し、その中でも疑問又は不明人物と成っている「信立」の人物解明に付いて大きく前進する事に成ります。
「信生-信正-信定-豊定」の時光系の割菱紋副紋葉菱紋本家から分家した割菱紋系列である事に成りますので、「信立」の人物はこの4人の中の一人である事を意味します。


ところで話を戻します。
この様な事は話し合いによる訳ですから、この武田氏系青木氏の滅亡か存続かの瀬戸際に系譜がどうのこうのと云う単純事で、”この時期にこの事に付いての話し合いが果たして出来るだろうか”という素朴な疑問が湧くのです。
何らかの都合が一族間に起こらなければ出来る話では有りません。
”それは何なのか””何かがあったのか”です。

戦乱の世に於いては他にも宗派間の違いが兎角争いの元と成っています。
ところが、この武田氏系青木氏(時光系)には他氏には見られない程に宗派に拘り、挙句は別家を興すほどの事を起こしているのです。そして明らかに「争いの遍歴」が大きく起こっているのです。
中でも日本最大といわれる112年に及ぶ宗教界を巻き込んだ「天保騒動」が甲斐で起こっているのです。これではなかなか一族一門は納まりが付きません。
そこで、その経緯と宗派の競争の状況を調べて見ました。

武田氏系青木氏時光系の宗派経緯
信義-...-時光 浄土宗(明楽寺 宝林寺、前常光寺)
常光-...-信正 真言宗(常光寺の中興開基 改宗)
信定-.......曹洞宗(中興開基 改宗 天正3年まで)
正定-(割り菱紋).浄土宗(源空寺 中興開基 菩提寺解除 天正5年頃-明治廃仏毀釈廃寺)
正定(花菱紋分流).浄土宗(武川衆 松源寺 関東に武蔵鉢形に国替え移転と移設)
信之(丸に花菱紋).曹洞宗(武田氏滅亡で常光寺を再建)
廃寺後、......曹洞宗(第3氏 南明寺 信定派曹洞宗派)


以上の様に。甲斐武田氏の信義から5回の改宗が起こっています。
この事から次ぎの争いが起こったと観られます。

第1回目の信義の時
改宗時には青木氏の浄土宗の伝統を護ろうとする宝林寺派と、母方一条氏派の真言宗派との間で争いが起こったと観られます。
元祖時光を宝林寺に祭祀しようとする一族と、時光を常光寺に祭祀しようとする一族が争いを起こしたと観られます。(これに時光赴任先の摂津からも菩提寺説が出ている)
第2回目の常光の時
この時、常光派が勝ち皇族賜姓青木氏と皇族賜姓源光系武田氏系青木氏の2つの派を巻き込んで争いが起こり常光寺派が勝ち常光寺を開基しました。そして、亡き父時光を常光寺に祭祀しました。
そして、曹洞宗で上記の11代が祀り続けられたと観られます。(11代目信安まで祭祀)
浄土宗、真言宗の者が曹洞宗に祀られると云う前代未聞の事が続けられた事に成ります。
第3回目の信定の時
ところが、又再び、12代目の信正の死後、信正を祭祀するところを巡って、又争いが起こります。
元の真言宗派の一族と、現在の曹洞宗派の一族と、元来の浄土宗派の元に戻そうとする一族が争いました。3つ巴の争いです。話し合いで解決できる事などあり得ません。
結局、この時は信定が帰依する曹洞宗派が勝ちました。しかし、12代目の信正の墓は曹洞宗常光寺には祭祀されていません。11代目信安までですが、これも異常です。
曹洞宗が勝ったとは云え12代目13代目は常光寺には並べて墓は無いのです。
第4回目の正定の時
納得しなかった信正別家正定派本流は元来の青木氏の浄土宗源空寺を南巨摩郡に開基しました。そして、曹洞宗常光寺から脱退したのです。
この時正定は別家を興した青木氏、豊定も別付けを興した柳沢氏が父子争いを起こしたのです。
第5回目の正定の時
そして、本流は正定実子昌輝に任し、正定分流派は北巨摩郡に浄土宗松源寺を開基したのです。
恐らくは、親子軋轢の結果、宙に浮いた12代目と13代目は「御魂移し」をして源空寺に存在したとも考えられますが史実の経緯がありませんし、明治の廃寺で不明です。
尊たい寺と光福寺にあったと観られますが、武田氏滅亡により信正と信定の墓は関東に移動により墓、過去帳、仏像、記録等も含めて移したとも考えられます。
上記の様に、其れより光福寺と尊たい寺への祭祀が経緯から妥当と考えられます。
(現在でも一部はこの浄土宗派はどこかの浄土宗の寺に墓と御魂を移して祭祀している可能性があります。)
第6回目の信之の時
信之は毛利氏に仕官して戦死し、その後跡目を継いだ次男も戦死し、長男が信之を襲名し甲斐に帰ります。そして、武田氏滅亡で廃寺となった常光寺を再興して丸に花菱紋の寺紋とします。
血縁の無い養子一族が本来のこれまで本流本家の10代を祭祀している曹洞宗常光寺を再び興し割り菱紋から丸に花菱紋に寺紋を変紋して血縁性の無い信之一族の曹洞宗派の寺としたのです。
本来であれば本流本家の常光から信時まで祭祀されているのですからその割り菱紋の末裔一族が再興してこれを祀るが本筋です。
しかし、違ったのです。信正別家の養子の血縁性の無い信之一族(以後も血縁性の無い跡目養子縁組が続く)と成っているのです。

ここで、11代の信安は本流本家割り菱紋の嫡子ですし、信之とは同年代であり既に家は別家と成っているし、寺も信之の一族の丸に花菱紋の寺として再興されています。既に武田氏も滅亡しています。信安は徳川家の家臣として江戸に赴きそしてその後上田城攻めに参加しています。
その人物が死んだとして、全く血縁性の無い信之一族の曹洞宗常光寺に祭祀された史実と成るのです。
この浄土宗の信安11が最後の人物として信之の別族が運営する常光寺に、且つ異宗の曹洞宗に祀られる事はこの2つの大異常性がありながら、ここに何らかの大きい経緯があると観ています。
本来ならば、氏家制度ではありえません。
これは信安は絶っての願いとして2代目襲名信之に頼んだという事に成ります。そしてこの2つの異常性が認められたのです。

「協議の内容推理」
実は、上記した系譜協議の結末が、ここに、”系譜を其の侭に家紋を変更する事だけ”で治めた妥協の経緯があるのではと考えているのです。
「・・・・よりて各々のその見ゆるところを記して後勘に備う」とするこの一文を系譜に記され且つ文章の表現を考察すると「・・各々・・」の表現は多数関係者の同意に基づく表現と観えますし、「・・見ゆるところを記して・・」は衆議の意見を書き記して置くことにするとの表現に成ります。
更に、「・・後勘に備う」の表現は明らかに衆議合意の上での記述となると観えます。
この様な事から、「多数関係者」が存在して「関係する事柄」を「協議合意」したと成ります。

そうすると、別家の正定と、別家本流の昌輝と、本家本流の信安と、別家の祖と成った信生と、柳沢氏の豊定等の関係者を交えた協議が「常光寺」で行われて、「信安11の常光寺祭祀の約束」と「信生11の別家の祖」と「丸に花菱紋使用」と「信正系譜」と「常光寺の譲渡」等を正式に決めたのではと推理しているのです。
そして、この事が1578-1580年の2年間の間に行われたと観ています。
これだけの宗派の遍歴を起こしていて後に大きな問題が起こっていないのはこの様な協議の成立があった事を意味していると考えます。
それでなければ、普通本来であれば、氏家制度の中では、青木一族の柳沢吉保が甲府藩の領主と成り甲斐に対して権力を持った時にもめる筈です。しかし、揉め事は起こっていません。

これがより経緯とより立体的に理解を得る為の後編の冒頭からの説明に起因する事であったのです。

「花菱紋一族の証明」
ところで、第7番目の明治の廃仏毀釈による廃寺が問題です。
この廃寺に依って多くの資料と系譜の如何が複雑にしてしまっているのです。
4宗派の争いがあり、信之一族の「丸付き紋の花菱紋」の「第三氏」に、本来の丸付き紋を使った「第3氏」が入り乱れて信之の末裔に大して区別し判断する事が出来なくなっていることがあります。
特に、北巨摩郡の正定の花菱紋は武蔵の鉢形に国替えが起こり一族全て強制的に移動していますので判別問題は明確です。
南巨摩郡では第3氏青木氏が存在し主張している花菱紋末裔はこの歴史的史実を知らない結果に拠りますので判別は明らかです。
しかし、南巨摩郡の昌輝の別家本流と柳沢郡青木氏の甲斐帰国後の信之の末裔に判別が付き難い事が起こります。
南巨摩郡の昌輝の別家本流の末裔も徳川氏の仕官となり旗本と成った事から八王子近隣から江戸にかけて移り住みましたので、これも第3氏の主張が判別できます。
しかし、とりわけ、信之末裔との判別です。
信之末裔も本多氏の家臣と徳川氏の家臣と成って武蔵、常陸、上総、栃木の関東に最終移動していますので大方は判別が可能なのです。
しかし、この末裔一部が先祖の寺を守る為にか常光寺付近に残ったとする説があります。
この「第三氏」と「第3氏」の判別が困難のです。

更に複雑なのはこの「第3氏」には二通りあります。
一つは明治の苗字令による「第3氏」です。
二つは1575年前の農兵による制度から来る苗字帯刀を許した青木氏があります。
戦いの場合は家臣だけでは兵力成り立ちません。そこで「農兵制度」と云う組織があり、農民との契約で兵として参加する方式です。戦勝すれば契約報奨金と褒美が与えられます。
この時に、その農兵の庄屋や名主や郷士の長等に青木氏の苗字を名乗る事と家紋使用を許す事が在りました。特に武田氏は兵を多く集めましたので、この方式を採用したのです。
明治期の「第3氏」と異なりこの名乗る根拠のある「第3氏」があります。

この根拠のある農兵「第3氏」と武士の信之末裔の甲斐残存子孫の「第三氏」との判別が付き難いのです。
明治期には先祖が戦いに参加したこの農兵の長とは違う者等もこの「第3氏」を名乗ったことになります。何も経緯の無い「第3氏」が殆どですがこの中にはこの青木氏もあるのです。
つまり、甲斐では「第3氏」は4種ある事に成ります。

全国青木氏が定住する地域に対しては夫々異なりますが、甲斐での武田氏系青木氏に関する「第3氏」には4種もあり、それなりの根拠を保持していて、この様な経緯を持っているのです。

そこで、これ等を特別に判別できる事があるのです。これだけは同じくすることは出来ないからです。それは継ぎの事柄です。
そこで、これ等を次にを詳しく説明します。

俗名、戒名、法名、没年はこれ等の青木氏の独特の戒名を持っています。
宗派と寺と土地によって宗教的教義が違う為にまた、習慣が違う事から必ずしも統一している訳では有りません。
しかし、浄土宗青木氏では戒名と没年は必ず記載しますが、俗名はそのものを書くものと、俗名を戒名の中に二文字を読み込んで入れる習慣とがあります。
俗名そのものは仮の名として厳格に教義を護り書かない宗派もあります。
浄土宗と浄土真宗は原則として「俗名」と「法名」と「生き様」の3つを表すように書いています。

A 戒名にはその人物の現世の生き様が判ります。
B 戒名にはその人物の身分と家柄が判ります。
C 戒名にはその人物の財力勢力判ります。

花菱紋の青木氏であれば、その戒名は必ず「院殿居士」と云う最高級の戒名が付いています。
この「院殿居士」を観ることで、AからCを判別できます。
この「院殿居士」は次ぎの様に成ります。

「院」とは現世から離脱した時に庭園などを含む広域な住まいとする処で、その位を意味します。
天皇など皇族のものが「現世」の身分を離れ、「彼世」の御仏に仕える時に持つ最高級の院号です。
この住まいを「門跡寺院」と云います。僧化することを意味します。
仏教で云う「宇宙」であり教義では「立体」を意味しています。

「殿」とはその院の中の目的に合った「住居」とする処で、「院」に続く位を意味します。
この位の「殿」の位が敬称として使用されています。
「殿」のような処に住む貴方と成ります。
仏教では「立体」を構成する「面」を意味します。

「居」とはその殿の何処かの目的に合った「部屋」とする処で、「殿」に続く位を意味します。
住居とする所です。
仏教では「面」を構成する「線」を意味します。

「士」とは「居」に居住まいする者の身分を意味します。「居」に続く位を意味します。
「武士」とはその「院殿居」にて「武」を以って仕える身分の士者と成ります。
従って、「武」の意味する処は観仏に仕える者であり、「義」を基本としている事をされます。
「侍」は「院殿居」(寺院)に仕える者と「さむらい」(仕えるという意味の「古語さぶろう」の変意)です。
仏教では「線」を構成する「点」を意味します。
つまり、「氏家制度」では社会の力の尺度し「建物」を用いたのです。
この様に「彼世」の絵姿を描いた形でその建物を使って位階を定めたものなのです。

では、「院」では”どの程度の者が戒名としての「位」を付けて貰えるのか”と云う事ですが、氏家制度の社会の中では、「院」つまり、寺には「院殿居」に相当する建物がありますので、その寺を一つ建てられるだけの力のある者と成ります。
「殿」、「居」では「院」の尺度に推して知るべしで一段下の者が受けられる戒名と成ります。
「士」では階級として存在する最下位で「武」を有する者が受けられる戒名と成ります。
現在では社会に対してそれなりの勲功を収めた者が得られる位階です。
その勲功の大きさから「殿」の前にその勲功を読み込みます。
これ以下は階級なしの「院殿居士」の無い身分の者とし、俗名或いは法名のみと成ります。

「氏家制度」では、「氏姓」を持つのみの者が墓を持つ事が出来る訳ですから、庶民は河原の路傍のに俗名を書き込む習慣でした。
武士は尺度して「院殿居士」の「士」に当り氏姓を持ちますので、戒名と墓と過去帳がある事に成ります。
(氏姓を持たない事は時系列的に戒名を付け過去帳に記する事は論理的に出来ませんので、庄屋などが書き記す村の一時的な人別帳に「・・村・・」とする習慣でした。)
そこで、甲斐の武田氏系青木氏にはこの「院殿居士」の尺度に相当する事に成りますので、どの程度の戒名が付けられているかに依ってその立場や身分や貢献度や人物像が観得て来るのです。
現在に於いても、この「院殿居士」は相当な財力があり支払能力が無ければ付けて貰えません。
しかし、「士」は「信士」と「信女」として多くの戒名に付いているのは現状です。

この様に戒名や過去帳はその過去の生き様を表すものでした。
ただ古い時代にはこの習慣が徹底していなくて、また不明な事も多い時代でした事、戦いで判らなくなった事、大火、焼き討ちなどで消失したことなどで、完全に復元できない事などから、史料で観ると3つが何時も完璧という事は有りません。
特に室町時代の下克上、戦国時代では「寺は戦いの拠点」として使われましたので、一番に持ち出すものですが、遺されている可能性は低く、跡で復元したものが多いのです。
そのために不明な点が出て来るのです。

鎌倉時代初期、室町時代末期、安土桃山時代、江戸末期の混乱期の間はその寺がどのような災難にあったかによりますので必ずという事では有りません。
特に、江戸中期から明治初めまで、宗教を全面に押し出した一揆、村騒動な各地で頻発に起こりました。
特に曹洞宗や一向宗や時宗は農民や下級武士等が入信する宗派でした。ですから、この農民や下級武士が起す一揆、村騒動などの背景には曹洞宗寺等が必ず居て指揮していました。
よって、騒動を鎮める為に寺を焼くと言う行為で治める側は行いました。
当然、多くの犠牲者が出ますので、混乱の中、とても3つを揃えて書き記す事すら難しい事でした。
その意味では、浄土宗、真言宗、真宗などは比較的江戸時代中期以降には3つの原則は護れてたと思います。
ただ、この宗派は室町時代の下級武士が起した上級武士への(青木氏や藤原氏など)「下克上」の「焼き討ち」の対象寺でした。
また、戦国時代には氏寺は戦いの拠点(作戦本部)として使われましたので記録が消失している事が多いのです。
ですから、農民や武士はこの時代の人物には生年月日や没年がはっきりしないと云う事が起こりました。特に農民は姓を持ちませんので、過去帳は作れないのです。庄屋等が作るその時代の人別帳だけでした。
人別帳を使って復元するなどを寺は行いましたが、人別帳は詳しく記録しているものでは有りませんし系統的では無いのでそのような事が起こるのです。
そして、江戸中期までは、兵農の慣習がまだ残っていて分離せずにいましたので、農業をし、戦いの際は兵として参加しました。
戦死すると不明者が多く、記録は戒名どころか俗名程度しか書けかけなかったのです。
九州、四国、中部地方には明治前までこの兵農の仕来りはまだ残っていました。武士だけでは兵が足りませんので、この方式が採用されていたのです。
例として、西郷隆盛等は侍でしたが、農業もしていたのです。
明治維新の長州と土佐と薩摩軍はこの農民兵でした。”ちんらいさん”と呼ばれ強かったのです。
この寺の過去帳を調べる事でこの「第3氏」の判別がわかります。

例え、系譜や曼荼羅過去帳などは自由に作ることは出来ますが、寺が管理するこの過去帳は出来ません。
仮に作るとすると、過去の人物を調べ出す事に成りますので上記した様に記録が有りません。従って出来ないのですし、一人の過去帳を作っても親族縁者の統一した過去帳までも物理的に出来ません。
又、氏家制度は「国抜法度」ですので、何処からか流れてきても何々村移住と明記されますので出来ません。
ですから、どんなに飾っても過去帳を調べて戒名を見ると氏家制度の身分が一目瞭然と成ります。
過去帳の一番古い人を調べる事で年代が判りますので判別は簡単と成ります。

「甲斐の宗教戦」
さて、この様なことですので、甲斐は武田氏ですから、このシステムを用いていました。後に徳川氏の配下に入りますが、「武田の赤兜」で有名ですが、これに従ったのは地元の地侍と農民兵です。
だから強かったのです。
甲斐では、曹洞宗が多く一揆の多いところで100年以上も続いた「天保騒動」の例の様に、寺の焼き討ちも多く、明治維新前の徳川側として戦いの場にもなった地域です。
寺は寺の宗教的目的だけでは無く、軍事的拠点としても使われ、作戦本部としても使われましたし、その為に軍略上要衝地に建立しました。
甲斐ではこの様に宗派間争いが強く、次ぎに記述する日本最大の「天保騒動」が有名です。
これが起こったという事は上記したような甲斐のそのものを物語る物です。

「甲斐騒動(天保騒動)」
特に、「甲斐騒動」又は「天保騒動」と呼ばれ、1724年から頻発し1836年までの112年に及ぶ一揆で甲斐の国全域で起こりました。日本最大の一揆で広域一揆で、日本歴史上最も有名な一揆です。

農民、商人、下級武士らによる鉄砲刀等の武器を持ち焼き討ち、打ちこわしをし、食糧難から政治不満(米穀商と徳川甲府藩との癒着)に発展した甲府域を中心にした戦いでした。
商人らは経済的支えをし炊き出しまで行いました。
多分、家臣の宗家本家は別として、多くは農業と武士とを兼ねる生活をしていたと観られます。

仮に一部の者が武士を棄て甲斐に戻った武田氏系青木氏3氏6家の花菱紋らの一部の遺産は明治前の「維新戦争」に巻き込まれ、尚、「宗派争い」とこの「100年に及ぶ一揆」で全てを失ったと観ています。甲斐に武田氏系青木氏は残る事が珍しかったと考えます。
この様に記録や記録の遺し方は不完全であることが当り前の地域でした。
農民や下級武士にとっては甲斐の歴史上最も苦難の時期でした。
当時は氏寺に出来るだけ寺に証拠などのものを遺す習慣でしたから、寺の消失が起こると過去帳関係や歴史資料が消えてしまうのです。ですから不完全なのです。
花菱紋の宗派争いもこのことに大きく影響していると考察しています。

世の中には、「宗閥」「派閥」が生まれるのは止むなしです。自然の摂理です。
現在も、浄土宗派と真言宗派と曹洞宗派が出来れば、必然的にこの派閥が生まれ一致団結が難しくなる事は必然です。当然に、この宗派の派閥は「伝統」のレベルを弱めます。
その伝統が今も続いていると見られます。「因果応報」です。
祭祀するものが無く成った事に成ります曹洞宗常光寺は、結局、柳沢郡青木村の青木氏が直ぐ後にこれを再興しました。兎も角も、この2人(12、13代目)の墓所は不明確で無く「御魂移し」で済ましたと観られます。
この場合、一条氏を名乗る真言宗派は潰れたと見られます。それは一条氏を名乗る事に無理があり味方を得られなかったと考えられます。
その理由として、中国地方や四国でもこの一条氏を名乗る者が各地で出てその正当性を疑問視された事によると観られます。ここには、当時の社会システムの氏家制度の矛盾があるのです。
明らかに、時光らは清和源氏頼信系分家の源氏系統です。
しかし、一条氏は藤原北家摂関家四家の一つの公家です。
(藤原氏四家は北家、式家、南家、京家であり、北家が残る。この北家は更に2氏摂関家と秀郷一族に分かれる。その摂関家は四家の一条、九条、京極、鷹司氏に分かれる)
公家は元来、武力を保持しないのですが、武器を持つ一条氏です。
(秀郷は貴族に成った為に第3子千国を侍として護衛隊にした)
この源氏傍流が母方の一条氏を名乗ったのです。
武田氏は甲斐源氏と呼称していますが、一条氏を名乗るのであれば源氏では有りません。男系跡目の社会です。まして、時光は源氏として土豪武田氏に跡目として入り源氏と成ったと呼称しているのです。なのに一条時光は慣習の矛盾です。
正規の書物は源氏と成っています。そして武田氏は甲斐源氏支流と河内源氏傍系と呼称しています。
でも、河内源氏などの源氏は皆、本流笹竜胆紋です。武田氏は菱紋です。
一条氏といい、甲斐源氏といい、矛盾です。
慣習で源氏と名乗るのであれば、全て源氏になってしまいます。
ですから、一条氏はある時期のある人物の時に家柄を更に誇張する為に世間に対して偏纂したものと観ています。
甲斐には一条郷の一条氏を名乗り又他の村などに一条氏の子孫の繁栄は無い事から判断できます。
だから真言密教の宗派は消えたのです。まして、密教を教義としている真言宗です。
そして、明治になり、廃寺と成って、再び、浄土宗派と曹洞宗派との間で争いが起こります。
ところが、浄土宗源空寺の伝統を重んじる派がありながら、多くは曹洞宗に帰依する事を決めたものです。
この時、当然に、浄土宗派はその伝統とする仏像と墓を隠す手段に出たものではないでしょうか。
”歴史は繰り返す”と云いますが、過去5回も立て続けに同じ「宗派争い」の戦いをしたものと当時の慣習から考えられます。
他の国でも同じ事が起こっていることなどを考えると、この伝統と歴史を持って神奈川、横浜、栃木、常陸、鉢形、八王子、仙台手前域などには時光系、源光系の武田氏系青木氏が全て移動して子孫を拡大している事に成ります。
今回、青木氏としてのかなりの疑問を解決しましたが、甲斐武田氏系花菱紋の一族にはまだその「伝統」が明確に成らないこの宿命がまだ続いていると見られます。
5回の宗派争いの中に伝統を護ったのは、正定の弟の別家を興した豊定の柳沢氏で浄土宗光沢寺-永慶寺として伝統を明治まで護り続けました。
柳沢氏の発祥と元祖とが明確になり、更にこの柳沢氏も4つの柳沢氏がある事が確認する事が出来ました。

今回のこれ等の研究で甲斐の割り菱紋と花菱紋の青木氏の歴史的な史実が多く表に出す事が出来たと感じています。これからも、個人情報の難しさもありますが、青木氏の史料を整備しながらも各地の青木氏のより深い研究を続けたいと考えています。

ここで、もう一つ疑問があります。
それは、「信生」です。
「信生」は武田氏家臣落合常陸守信資の三男で、信時の養子となり、幼少の頃より養われるとあり、「信安」と義兄弟です。
「信安」は常光寺の最後の11代目として祭祀された人物で時光系本家割菱紋 葉菱紋の本家を継承している人物です
「信正」と「信定」より系譜上で上に来ています。
本来であれば、「信正-信定-信生-正定」と成る筈です。



史料
「甲斐の宗派別勢力表」(廃寺含まず)
甲斐百八霊場より宗派の影響がどのように成っているかを分析すると、次ぎの様に成ります。
浄土宗.. 3.7%
曹洞宗.. 33.3%
浄土真宗..2.7%
真言宗...16.7%
臨済宗...22.2%
日蓮宗...12.9%
時宗....2.7%
法華宗...2.7%
単一....1.8%
考察
3派(浄土宗、真言宗、曹洞宗)で全体の54%を占めています。

浄土宗は%が低いがこの宗派は朝臣族、宿禰族等の高位の特定氏がその菩提寺として独自に寺を建て運営する真言宗に近い古代密教に近い方式を採っていた事から、低いながらもその権力の座にいる者が支配していましたので、宗派を維持するためにも武力を背景に3派の争いに成る事が覗えます。

真言宗は密教を主体としている為に公家、貴族など自らは武力を持ず権力だけの層に入信を許す事と成ります。これは武士の生き方に合わない教義でもある事から特異な層貴族や公家の宗派でもあります。
その意味でも一条氏を名乗るのもこの真言宗で無くてはならない事を意味します。
2代目常光が浄土宗から開基して真言宗に帰依した事はこの一条氏を名乗った事に起因します。
又、真言宗は密教ですので16.7%の率は相当な甲斐での力を持っていたことを示します。
全体で54%と成りますが恐らくは70%程度の勢力を占めていたと考えられます。

浄土真宗は2.7%と低いですが、この宗派は浄土宗の代用宗派としての役割を担っていました。
浄土宗派は特定氏、特定域に存在する寺ですので、赴任する事などでは更に寺を建てると云う経済的な負担が掛かります。従って、その代用として藤原秀郷流青木氏などはこの中級-下級武士層が入信する宗派を一時的に利用し、領国に戻ると元の浄土宗派に戻るなどしたのです。

曹洞宗は33.3%ととして下級武士や農民層等を取り込み宗教とは思えぬ影の武力的勢力を持っていました。自らの力で寺を建て、運営をしそこを一種城郭的なものとして利用していたのでそのためにも農兵を動かす為にはこの宗派を見方にする必要時要件として必要があったのです。
信定が真言宗から曹洞宗に改宗したのは最早、名誉から力へと移っていた事からの処置と見られます。

臨在宗が目立っていますが、これは後発である事と農民層を主体としていた為に国府近在では拡がらない事が観えます。曹洞宗とあわせると55.5%にも成ります。

浄土宗と真宗と真言宗の3つの宗派を合わせると23.1%と成ります。

このA55.5%とB23.1%とは教義や信者や宗教的作法は全く異なり宗派対立の元と成るのです。
この意味から、信定の採った処置は晴天霹靂なのです。当然に正定との父子間の争いは起こります。
その証拠に、この結果1724年から12年に及ぶ「天保騒動」が起こるのは当然と云えば当然であったことに成ります。144年歴史を遡って史実を分析し観れば正定等が正しかった事を意味します。この父子対立は如何に激しい対立であったかを物語るものなのです。
柳沢吉保が甲府藩を去った直ぐあとに始まった事なのです。
仮に55.5の宗派連合をAとすると、A宗派は柳沢吉保等の武田一族が健在の間は静かにして置き虎視眈々と狙っていたと成ります。
このA3派が国府近在に集中しています。
ただ、浄土真宗が拡がらない事が不思議です。浄土真宗は藤原秀郷流青木氏が赴任地移動時は浄土宗の代替宗派として帰依していた宗派です。しかし、甲斐では全く見放されています。
其れと、臨済宗が近隣に接近してきていますが3派に入らなかった点が不思議です。
「後発、農民層」の2つが影響しています。
甲斐を揺るがした112年に及ぶ「天保騒動一揆」が明らかに間近に迫っている事が判ります。
この騒動の裏の煽動者(曹洞宗34、臨済宗22、日蓮宗13 下級武士と農民)70%が集まれば起こらない方がおかしいです。
武田氏滅亡と同時期にタガが外れた様に始まった事がこれで理解できます。
特記したい事は、信定の「曹洞宗改宗」の裏の事情はこの「迫り来る圧迫」に左右されていた事も考えられます。だから「宗派争い」なのです。
花菱紋浄土宗の正定派が親と対立した根拠は少ない浄土宗を「伝統」の意味から護ろうとした事が判りますし、源空寺の建立の意味も出てきます。
このデータが、信定-正定間の軋轢が手にとる様に判り、その大きな意味を持っています。

この様にして多くの史実を基に武田系青木氏花菱紋の遍歴を観れば、その当時の生き様が目に観る様に浮き出てきて真実の史実が出てくるのです。
他の青木氏と異なり宗派の問題は甲斐の武田氏系青木氏の研究に欠かす事の出来ない要素なのです。
以下にその史料を記述しますが、未だ多くの事柄を引き出す事が出来るのです。
しかし、又の機会に更に論じる事にします。

これら前編から後編までの研究論を通じて、お読みに成られた歴史ファンの方々に一辺の史料と成る事が出来れば幸いであります。
更に青木サイトでは全国の青木さんと本サイトのファンの方々に他の青木氏の生き様をも再現したいと考えています。

史料

近隣地域分布
浄土宗3 曹洞宗23 浄土真宗6 真言宗14 臨済宗18 日蓮宗0 時宗0 法華0

浄土宗75 曹洞宗64 浄土真宗0 真言宗78 臨済宗64


甲斐青木氏が定住していた近隣地域の分布
甲府
浄土宗3 曹洞宗4 浄土真宗3 真言宗2 臨済宗4 日蓮宗2 時宗0 法華0
山梨
浄土宗0 曹洞宗3 浄土真宗0 真言宗1 臨済宗2 日蓮宗0 時宗0 法華0
甲州
浄土宗0 曹洞宗1 浄土真宗2 真言宗2 臨済宗5 日蓮宗1 時宗0 法華0
巨摩郡
浄土宗0 曹洞宗5 浄土真宗0 真言宗6 臨済宗3 日蓮宗6 時宗0 法華0
笛吹
浄土宗0 曹洞宗2 浄土真宗1 真言宗3 臨済宗4 日蓮宗2 時宗1 法華0
韮崎
浄土宗0 曹洞宗4 浄土真宗0 真言宗0 臨済宗0 日蓮宗0 時宗0 法華0
甲斐
浄土宗0 曹洞宗4 浄土真宗0 真言宗0 臨済宗0 日蓮宗0 時宗0 法華0

宗派別寺数
浄土宗...4
曹洞宗...36
浄土真宗..3
真言宗...18
臨済宗...28
日蓮宗...14
時宗....3
法華宗...3
単一 ...2
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青木のルーツを研究しています。世界中の青木さん、ご連絡ください。
監修 : 副管理人 青木研究員さん

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