青木[アオキ] 名字 苗字 家系 家紋 ルーツ 由来

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藤白墨と藤白の紫硯石の研究(墨部の存在)

藤白墨と藤白の紫硯石の研究
墨部の存在

先ず藤白とは熊野古道の第1番目の鳥居のあるところが和歌山県海南市藤白でありますが、鳥居の有った所の北域を鳥居地区と呼びます。その南側の山手が古い藤白地区であります。
紀州南紀に行くには先ずこの地域を通る事に成ります。
奈良の古都或いは京都の平安京から熊野に向かうとするとほぼ此処までは平坦な街道を通って来ます。
そして、海南市の鳥居から山の手に入ります。つまり、熊野神社の社領(神社の領地)の入り口であります。此処からが熊野古道と言う事に成ります。
この熊野古道入り口からその最初の緩やかな藤白坂を登ると1千猶予年の歴史を持つ一番目の藤白神社があります。弁慶の親族の日高氏が宮司を務めた神社です。
この1180年頃の日高氏には子供が居なく、後醍醐天皇から賜姓を受けて鈴木氏を拝命したのですが、近隣の氏子の農家の子供の3番目の子供を養子に貰い受けて鈴木氏を継承しました。
此処が鈴木氏の発祥地です。この鈴木の三郎は、源義経と弁慶が熊野神社に平家から追われていたので熊野神社の庇護を求めに行く途中この親類の神社に立ち寄りました。
そこで義経を預けて紀伊半島の端の熊野神社まで弁慶は旅を続けました。
この時、この鈴木三郎は弟の九郎と共に世話をしました。
義経の人柄を慕い2人は2番目の家来になったのです。
鈴木三郎重家を名乗りました。これが始祖であります。
弟の九郎は神社の「紫の井」の青石の蓋の形が亀の形をしていたところから亀井氏を名乗ったのであります。これが亀井氏の始祖であります。
この2人が全国に移動して行き各地に子孫を残したのが鈴木氏や亀井氏の子孫が多くなった原因です。
そんな環境ですがこの環境の付近には日本最古の藤白墨が生産されていました。
さて、この付近には姥目樫から作る備長炭の炭焼きが古来よりありました。
今でも土を掘ると炭の欠片や昔の生活の廃品などが出てきますが、この炭から採れる煤を固めたのが日本最古の姥目樫から採れる「藤白墨」です。
当時は優れた技能もなく良い煤も見つかりませんでしたので中国からの輸入に頼っていました。
奈良期には何とか炭を生産しようと試み奈良の和束付近で松の煤から作る墨が何とか取れるように成っていました。しかし、到底中国墨より優れたものは出来なかったのです。
松の煤は粒にばらつきが多く荒いし墨の色や光沢も良くありませんでした。
朝廷や宮中ではもっぱら中国の高価な墨を使っていました。
この時、何とか自国で良い墨を作れないかと考えていた後醍醐天皇は全国に日本で墨を生産できるように調査を命じていました。そして、この調査に携わったのが高い技能を持った渡来人の技能師の「方氏」で、わざわざ中国から招き入れました。
熊野参詣の途中、案じていた後醍醐天皇がこの付近で採れる炭の煤の細かさと均一な品質から墨に適するのではと考えて全国を調査していたこの「方氏」にここで墨造りを命じました。
ここで、本レポートの研究テーマであります。
当時は物の生産は全て朝廷が命じて生産する方式を採っていました。
これが「部制度」であり、この職に従事する職人を仕事名の後ろに「部」を付けて墨であれば「墨部」と呼ぶ事に成っていました。
彼らは殆どは、中国の後漢国が滅んで全国17県の200万人の民が、その首魁の阿智使王とその子供の阿多倍に引き入れられて、日本に亡命して来た一族です。
奈良時代初期から平安末期まで続きました。この技能の民が朝廷の命で各地に配置しました。
従って、墨を生産していたのですから当然にこの専売品の藤白墨には墨部の姓を持つ一族がこの付近に定住している筈ですが全く発見されません。不思議です。

そこで、何度も研究しても出てきませんでしたが、この墨に付属する硯に着目したのです。
実はこの藤白では特産の紫石が採れるのですが、朝廷に納める紫石から作られる高級硯石が生産されていたのです。この「硯」から研究を進めました。
この地域には朝廷で使われる高級な「紫石硯」は、この地域で産出する紫石で作る特産品でしたし、紫の石で作る仕上げ高級砥石も奈良時代から昭和の始めまで生産されていました。
この砥石と合わせて紫石の硯石も生産されていたのです。殆どは朝廷の専売品でした。
飛鳥奈良時代にはこの地域はこの当時の5大豪族の連合体(平群、巨勢、葛城、物部、紀)で政治が行われていました。その一つ紀氏の勢力下にありました。この紀氏は平群氏や蘇我氏等の様に武内宿禰から出た一族の者でありますが、この子孫が多く住むこの地域では炭や砥石や硯なども特産品として生産されて紀氏の財源とも成っていました。そして、それを朝廷に納めていました。
この様な歴史的な背景を持つ伝統的な硯石には、この「藤白墨」の「墨部」の背景が潜んでいると研究していました。
事実、この「硯」の姓と地域の研究から、この地域には「硯氏」の姓を持つ大変に多く子孫が定住している事が解明出来たのです。
そこが、和歌山県海南市下津町「方」と云う所で、そこに「硯村」が存在している事が判明したのです。そしてこの海南地方には「硯」と名乗る姓の人がこの地域に今も住んでいる事が判りました。
そこが何と中国の墨の技能師の「方氏」と同じ「方」(かた)と言う地名です。
この下津湯浅地方には姥目樫から採れる墨が最も多く採れていましたし、今も備長炭の名で有名な炭の名産地の場所です。この藤白から下津、湯浅の地域までこの炭と墨の生産が行われていました。

現在、この下津町の「方」(かた)と言う地名のところの「硯村(すずりむら)」と言うところがあるのですが、海南市を始めとしてこの村には今でも硯氏の姓の人が多いのです。
つまり、「硯村」は、技能職人を一つにまとめた「部制度」のあった平安時代には、朝廷に納めるこの「紫硯石」を作る「硯部」が住んでいたところであります。
この「紫硯石」には「硯部」が存在し、今も下津町方「硯村」が存在するし、そしてこの村は「硯氏」が定住しているのに、どうしても「藤白墨」には「墨部」が発見されず、地名や村や氏も発見されていないのが不思議であります。
ただ、上記した「墨屋谷」の地名が僅かに残るだけで今は忘れられた地名です。
何故存在しないのか研究を続けていたのですが、未だ発見されていないのであります。

そもそもこの藤白墨は明治の始めまで生産されていたのです。その地名や村や氏が見つからないのは何故なのか大いに疑問であります。
そこで紀州に関係する「部」では、数多くありますが、例えば鍛冶部(鉄製造 鉄砲の生産に従事していた雑賀族)の鍛冶氏なども姓として紀州には多く確実に存在するのです。この有名な長い期間生産されていた藤白墨の墨部の姓の持つ末裔だけが見つかりません。

「硯部」が「墨部」を兼ねていたのではないとも考えられるのですが資料などは発見されないのです。その一つとして、日本の古文書や中国でのものにはこの墨を作っていた中国の氏は「方氏」と書かれています。日本全国墨に適した土地の調査をしたのが「方氏」である事も判っています。
調査した結果、「方」の地名での「方氏」でその子孫が住んでいた地域と観られる地名があり、現在もそこには上記した「硯部」の「硯氏」が定住している事が判りました。
この「方氏」が帰化して後に藤白墨の生産を天皇に命じられてここに移り住んだのですから、その移り住んだ土地が、そこが藤白ではなく海南市の下津町の「方(かた)」地域として最終残ったのではないかと考えられます。

奈良時代の後期、奈良和束の「松煙墨」が最古とされますが、粒が粗くよいものでなかった事から廃れて殆どは中国からの輸入で賄われていました。
しかし、有名な姥樫から採れる後の「備長炭」はこの藤白から下津、湯浅地域で採れるのです。

熊野参詣の途中に、炭から煤を求めて全国を調査していた墨部(渡来人の方氏)に命じてこの墨を作らせたところ良いものが出来た。そこで、後醍醐天皇が生産を命じた事から日本初の墨が量産される事に成った事は確認されています。
これだけの経緯があり徳川時代まで続いたのでありますから、遺されていても不思議ではない筈です。
調査から、どうも「墨生産」には作業を2つに分けていたと考えられます。
そうすると、この「墨部」は方地方に定住した「方氏」ではないかとも観られるます。
元からある炭のその煤を作る仕事を「墨部」、墨の形にする仕事を「方氏」と成っていたことも考えられます。
この墨の原料は元からこの地域の姥目樫から此処で作った炭の煤を集める事で出来ますので、墨部の氏は発祥しなかった事が理解できます。
そして、その煤を集めて練り膠(にかわ 牛の皮を煮詰めた物 古代の接着材)で固める作業は「方氏」が行っていた事に成ります。
そうすると渡来人の墨を作る技能職人「方氏」を「方部」と呼ばなかった理由があると観られます。
つまり、それは「墨の位置付けか後の移動」ではないと考えられます。今回の研究からでは「移動」と観ています。
「方部」として呼んでいた事も考えられますが実は主に次ぎの理由で変化した経緯があります。
この墨職人の「方氏」(方部)が後に朝廷に納める「紫硯石」も生産するようになって重点を硯に変わり「硯部」となり「硯氏」となったと考えられます。
その原因は油から採る煤で作った「油煙墨」の出現です。粒が細かく黒く品質は一定で量産に適していますので、この炭から採る墨に高級品の藤白墨は押されたのです。
この事がはっきりとした事が書かれているのは室町文化の頃からです。
この庶民文化に押されて油煙墨が伸び、姥目樫の墨は長い期間の生産が裏目に出て、この時期から姥目樫の木が藤白から下津湯浅地域に生息が少なく成ったと記されています。
そこで、硯石の生産に振り向けたのではないかと考えられます。時期と状況が一致していますので先ず間違いはないと観られます。
現在もこの地域から日高地方には未だ炭も当然の如く一部で硯や砥石をも作っています。
そして、その「方氏」の一部は廃れた墨を作る為に再び奈良に移り、松の多い奈良和束の松煙墨が再び続けられたのではないか言う事が判ってきました。
室町時代に庶民の室町文化が隆盛が起こり庶民も墨を使う習慣が生まれて需要が増えて庶民が使える松煙墨の墨造りに「方氏」の移動が起こったのだと観られます。だから墨部の存在が確認出来ないのです。
藤白墨は最終は徳川末期まで専売品として続きましたが、姥目樫が藤白に少なくなりこの生産は硯村のある下津、湯浅地方にのみ移動しています。紫硯石も同様です。
この藤白墨の墨屋谷の地域には今でもこの「紫石硯」の片辺が見つかっています。これが墨作りと同じく硯石の生産も方地方に移動した証拠で、方氏の墨と硯は同じ氏にて生産されていた事を意味します。

そして、この藤白墨は姥目樫が無く成ると同時に硯石に生産を向けた事に成ります。
その理由で藤白墨の墨部は藤白から下津、湯浅に無い事になったと観られます。
奈良地域にこの「方氏」の姓の着く氏または地名がないか調査研究しているところです。
これが確証されればこの研究は確実になります。

因みに、他に部の付く氏は思いつくままに、
朝廷に属する部は山部、海部、鵜飼部、鍛冶部、鍛師部、金作部、鏡作部、石作部、玉作部、工部、土師部、陶部、弓削部、矢作部、服部部、綾部、錦織部、倭文部、麻積部、依縫部、赤染部、茜部、舎人部、膳部、靭負部、佐伯部、来米部、織部、磯部、馬部、鞍造部、司馬部、秦部、漢部、物部、硯部、墨部 方部等

氏の発祥は次ぎの7つに分けられる。
地名などの自然形成の血縁的同族が形成して付けた氏名
大和朝廷の上記の部制度による氏名
朝廷の名田制度から起こった名字による氏名
皇族から臣籍に降下し賜姓をうけた氏名
賜姓族と官職役名を一部加えた氏名
自分の知行する土地の名称を加えた氏名
これ等から分家した惣領家と別にした氏名

これ等は「藤白墨」や「紫硯石」の詳細は「鈴木氏発祥とその環境」や他のレポートでも記述していますが、墨に関することもレポートで写真つきで紹介しています。

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伊勢青木氏 家訓6

タイトル : 伊勢青木家 家訓6
投稿日 : 12/29-06:48
投稿者 : 福管理人

伊勢青木氏家訓10訓

家訓1 夫は夫足れども、妻は妻にして足れ。(親子にして同じ)
家訓2 父は賢なりて、その子必ずしも賢ならず。母は賢なりて、その子賢なり。
家訓3 主は正しき行為を導きく為、「三相」を得て成せ。(人、時、場)
家訓4 自らの「深層」の心理を悟るべし。(性の定)
家訓5 自らは「人」を見て「実相」を知るべし。(人を見て法を説け)
家訓6 自らの「教養」を培かうべし。(教の育 教の養)
家訓7 自らの「執着」を捨てるべし。(色即是空 空即是色)
家訓8 全てに於いて「創造」を忘れべからず。(技の術 技の能)
家訓9 自らの「煩悩」に勝るべし。(4つの煩)
家訓10 人生は子孫を遺す事に一義あり、「喜怒哀楽」に有らず


家訓6 自らの「教養」を培かうべし。(教の育 教の養)

家訓6までの戒めは次ぎの通りである。
家訓1は「夫婦の戒め」
家訓2は「親子の戒め」
家訓3は「行動の戒め」
家訓4は「性(さが)の戒め」
家訓5は「対人の戒め」
以上であった。

家訓6は「人間形成の戒め」(長の戒め)である。
この教訓6はそもそも「教育」と「教養」とは違うという事を意味し、その区別を受けて培えと云う事として伝えられている。
この事が両親から子供の頃から最も頻繁に教えられた事である。
それは何故なのかと云う事である。この事は人を無意味な差別化を無意識にさせてしまう思考を培ってしまう事を誡めているのである。
この家訓の持つ意味に付いて、成人して結婚に至った時に初めてこの家訓の意味を知ったのだが、家族を持った事で”子孫存続に大きく関わる事だからである”と判ったのである。

それに付いてこの家訓6には添書で細かく解説されている。
それには、まとめるとまず最初に次ぎの様な事柄が書いている。
「教養」「教育」は社会を維持する時に必要とする「上下関係の差違」を意味するものではない事は明らかである。「社会」は「組織に類するもの」と「家庭に類するもの」とに分類出来る。
そこで、その「社会」の中での「組織」や「家庭」で必要とする差違、例えば、上下の関係は「契約」であり、元より「差別」では無く「差違」であり、「組織」又は「家庭」を円満で効果的に維持する上で必要とする「相互の了解」の上での「契約」である。
組織は「命令する者」と「命令される者」の契約を伴なう事であるが、この「命令」が上下の感覚を生み出してしまうのである。
家庭はもとより親と子の関係はあるが上下ではなく、家訓1又は家訓2にある様に「導く者」と「導びかれる者」の差異が主流となり契約が成立する。
「組織」=「命令する者」、「命令される者」=「契約」
「家庭」=「導く者」、「導かれる者」=「契約」

更に、進めて、そもそも、人は「人間的な程度」(人間力)を上げることを目的として「教育」を受けさせる。しかし、この「教育」は「知識」の習得を前提として「人間的な程度」(人間力)を上げる事に第一義があり、決して「心の持ち様」を上げての「人間的な程度」(人間力)の向上を成し得るものではない。
その「人間的な程度」(人間力)とは2つの要素に依って構成される。
それは、ここで云う「教養」であり、「教育}である。

この世に於いて「諸事」を解決するに必要とする「人間力」は様々なところで発揮される。それに依ってその「人の力量」が試される。この「力量」を「人間力」と言うが、「解決成し得る力」のその程度に依ってその「人間力」は測られる。
それは、「心の豊かさ」を培った「教養」だけでは成し得ない。人間は他の動物と違う所は「知恵」に依って得た「知識」で「人間」としての存在がある。
従って、その本来の「知恵」の根拠とする処の「知識」を得て初めてこの世の諸事に対することが出来る。その「諸事の解決」の「成果」を高めるのはこの「心の豊かさ」を培う「教養」である。
この「諸事の解決」には仏教で云う「三相」(人、時、場所)を必要としている。
この「三相」のこの「3つの相」に卓越する事が「人間力」を高める事に成るのである。
その「卓越」は、例えば、「人」を捉えた場合「人」を動するには「知識」と「心の豊かさ」の量が試される。決して、「知識」だけでは成し得ない。
人は「心の動物」と云われる様に、其処には「心の豊かさ」の「教養」が無ければ人を動する事は出来ない。
況や、”人とは何ぞや”と成った場合には、「人の如何」を知る必要がある。これは「先人の知恵」に学ぶ以外には無い。それは「知恵」即ち「知識」である。
つまり、この「2つの知識」と「心の豊かさ」の量の大小の如何に関わることを意味する。
当然に、「知識」を会得する場合にそれに伴ない幾らかの「心の豊かさ」も会得できるであろうし、「心の豊かさ」を会得するにも幾らかの「知識」も会得する事に成るだろう。
しかし、その比は同率では無い。故に、2つの「低い所」を補ってこそ「諸事を成し得る力量」が会得できるのである。
この家訓6では「人の力量」をより他に比して高めるにはこの低い部分を補うことであり、且つ”「教養」と「教育」とは異なる”としているのであり、故に本家訓6ではこの”二つの事を培え”としているのである。
「力量」=「教養」+「教育」=「人間力」=「三相の獲得(人、時、場所)」
「教養」=「心」=「心の豊かさ」
「教育」=「知識」=「知恵」=「先人の知恵」

ところで、この家訓が生まれた頃は氏家制度の盛重期であり、家柄身分が社会を構成する基準と成っていた。その中で、青木氏の家訓では上下の身分は「社会を構成する為の契約」であるとしている。決して本来存在する階級では無いとしているのである。当時としては、口外できる考え方ではなかったのであろうが、それを家訓6としてその意味合い(社会を構成する契約)を遺したものと考えられる。それが、青木氏一族一門の「長」としての「秘たる心根」「人間的な戒め」としていたのであろう。これらは添書から覗える事である。
家柄身分が低いから高いからとして「長」として、差配すれば恐らくは「人」は充分に動かず子孫を遺し得なかったのではないだろか。その良い例がある。

そもそも伊勢青木氏はそれまで日本書紀にも記述されている様に伊勢王施基皇子から発祥し、その活動では皇親政治の中心に居た青木氏は、桓武天皇の律令国家の完成期から始まり、1125年頃から[律令による国家運営」と「皇親政治による国家運営」とに矛盾を生じた為に皇親政治側に居た青木氏は阻害された。
この桓武天皇は母方(高野新笠 阿多倍の孫娘)子孫の賜姓族の「たいら族」(「京平氏」「桓武平氏」「伊勢平氏」)と呼ばれる一族をして青木氏を阻害させたものである。況や、彼の有名な後漢の阿多倍王の末裔帰化人、5代目末裔「平清盛」の全盛時代の始まりの中である。
桓武天皇は、第5位までに皇位継承者が無く次ぎの第6位皇子の身分(浄大1位)の伊勢王施基皇子の一族の長男が天皇と成ったが、その光仁天皇のその子供である。
要するに伊勢青木氏とは親族同族であると云う事だが、その親族同族の伊勢青木氏を圧迫し、300年程度後にはその引き上げた「平族」(たいら族)の台頭に依って、賜姓青木氏は一族の源氏と同様に一族存亡に関わる事態にまで落ち至ったのである。
その衰退の立場に於いて、同じ第6位皇子の末裔子孫の賜姓源氏も11家11流存在していたが衰退滅亡して3家3流に成り清和源氏主流と成った。
賜姓源氏は賜姓青木氏と同様に身の振り方を変えればそれなりの存亡もあったであろうが、この時、伊勢青木氏がわざわざ「2足の草鞋策」を採った。そして生残れた。
賜姓清和源氏の頼信(分家)子孫の頼朝は義経の提言にも関わらず無視弾圧して、皇族としての立場を依然として維持し、「坂東八平氏」の北条氏を「武力的背景」として「政治的存立」に掛けたが、結局70年後には滅ぶ結果と成った。
この事を考えると、賜姓5家5流の青木氏も源氏の滅亡を考えると如何にその立場が窮していたかがよく判る。
70年後の1195年頃には同族5家5流の賜姓青木氏だけが生き残り、賜姓源氏11家11流が全て滅亡したのはこの「2足の草鞋策」から生まれた家訓6を守った事によるものと評価するべき点である。それはどう云う事かと云うと次ぎの様に成るだろう。

つまり、桓武天皇は先ず800年頃にこの青木氏の勢力を殺ぐことを目的として伊勢の国守護等の実権を藤原氏北家筋(藤成 秀郷の曾祖父、平安末期には基景)の国司に委ねた。
それにより賜姓青木氏は次第に衰退し、続いて平氏の台頭が起きた事から生きる為に過去の実力を使い、「経済的安定」を一族一門の目標として、1125年頃(この時は基景が国司)に「2足の草鞋策」を展開したのである。
この時から、一面では摂津港にも店を持つ豪商の松阪商人として、一面では土地の松阪、名張、員弁、桑名、四日市一帯の3つの城を持つ豪族として一族の生き残りを図ったのである。
(美濃、信濃の青木氏と連携をしていた事が口伝や信濃伊勢町などの地名などから判断出来る)
恐らくは、この時から伊勢青木氏は一族一門を束ねて行かねば成らない苦しい試練と経験が起こり、それを通して生まれたのがこの家訓6では無いかと考えられる。
それまでは、皇族賜姓族として、「皇親政治」の主流一族としての立場からそれはそれなりに維持出来ていたのであろう。しかし、この立場を失した状況下では止む無き事となり、一族一門一統を束ねるべき「資質」が大いに求められたのではないかと想像出来る。
何処でも起こる事だが、当然の様に「路線争い」で内部でも内紛の様な事が起こったであろう事からこの家訓が生まれたのであろう。
その時の苦悩の結論からその一族の「長」としての「資質」がこの家訓6と成って代々遺されたものであろう。

この家訓6は賜姓族の侍の家の家訓と言うよりは、むしろ「商家的な色合い」が強く感じる。
「賜姓侍」としては「氏家制度」の中では生まれながらにして「家柄身分」が決められていればこの様な家訓は必要がない筈である。むしろ「武運長久」の家訓らしきものが主と成り得る筈であろう。
しかし、標記の家訓10訓は全て「人」の本質を求めている。
これは伊勢松阪青木氏は伊勢神宮の膝元で「不入不倫の権」で守られていた事から、外から侵害し攻められる脅威が低かった事にもよる。だから「武運長久」の家訓らしきものが無かったからにも依るだろう。
しかし、1130年代頃からその脅威は次第に増したのである。それは「武力的の脅威」と云うよりは衰退に依る「経済的な脅威」が増していたのであろう。
しかし、鎌倉時代に同じ立場に居た全ての同族賜姓源氏が滅んだことから「武力的な脅威」が増し始めたと考えられる。続いて、室町時代には「下克上、戦国時代」が起こり「不入不倫の権」で守られる保証は無く成ったのであろう。そして、遂には、「武力的な脅威」は”「天下布武」を標榜し比叡山等の古代社会権威を破壊すべし”とする信長の登場で現実の問題と成り、遂にはこの伊勢にも「天正の乱」の「3つ戦い」が起こった。
この様に歴史の経緯を観ると、賜姓源氏はこの「経済的な脅威」に対処していなかった為に滅んだと云える。
この時、この「2つの脅威」に対処していた青木氏はこの家訓を遺したのであろう。
しかし、それだけに一層に難しい存続の運営を任された一族一門一統の「長」としての「資質」、「力量」のあるべき姿の根本を問われていた事に成る。

関西以西32/66国を従え、技能集団を抱えての「宋貿易」を自ら行うなど「武力と経済力」を持っていたこの大勢力を誇る「平氏の脅威」に対しては、たった5国だけの5家5流の青木氏は一致団結と成って対処しなければ少なくとも存続が危ぶまれる状況下であった筈である。
5家5流は「経済力での繋がり」と「5つの小さい武力」の一族同盟の終結で対処した事に成る。
そこで、「小さい武力」しか持たない青木氏にとっては、平氏と同様に「経済的な力」を持つ事を考えたのは当然であろう。
むしろ、平氏の”「一門の経営を真似た」”のではないだろうか。それがこの「2足の草鞋策」であったと考えている。
平氏はもとより後漢の技能集団を率いていて「経済的な力」は帰化当時の始めから持っていたものである。恐らくは氏家制度の中で、阿多倍よりその5-7代で政権に上り詰めた「その実力」を観ていたのではないか。
その真因が「武力」では無く「経済力」に真因があると理解していたのであろう。
その証拠に、朝廷は奈良期末にはその始祖の大隈の首魁の阿多倍に、伊勢青木氏の守護地であった伊勢北部伊賀地方を割譲したのである。(薩摩の国の大隈も割譲した)
そして、伊勢青木氏は「経済力」を高める為に、その隣の阿多倍一門(京平氏、伊勢平氏)の和紙を作る技能に目を付けていたのであろう。これを販売する職業を最初に営んだ点である。
”商をする”をすると云っても並大抵の事ではない。まして、天領地の皇族である。
”血を吐く”思いで営んだと観られる。部門であれば組織であるから上記した様に「命令」で動くが「商」と成れば「命令」では動かない。それだけにこの「家訓6の重み」が血の滲む思いにあったのであろう。その「商」を保証する武力は他の四家の青木氏を束ねて一つの力として発揮するのであるから、その「束ねる力」も「命令」では動かないであろう。
当時の「商」は治安が悪く「武力」を背景としなくては販売と運搬は侭成らなかったのである。
当然、台頭する勢力の種を潰すのが上に立つ平家の戦略でありその妨害や脅威もあった筈であろう。
故に「商」にしても「武力」にしてもこの家訓6が大きく左右する事になった筈である。
同じく、信濃青木氏も日本書紀にも出て来る程に、阿多倍らが引き連れて来た「馬部」が信濃のこの地を開墾して信濃王の賜姓青木氏と血縁関係(諏訪族系青木氏)が起こっている。
美濃には小さい氏の「伊川津青木氏」があるが、未確認で証拠は無いが、この氏が細々と生き残った美濃賜姓青木氏の末裔(土岐氏系青木氏がある)ではと見ていて、それもこの「商」の経済的な裏打ちがあったからであろう。その先祖はこの付近の海幸を扱う技能集団の末裔の磯部氏等の血縁の末裔ではと考える。この様に何れもが阿多倍の技能集団との関係が其れなりに出来ている。
これ等の事が存続に大きく作用したと観ているが、反面では「平氏の圧迫や妨害や脅威」もあった不思議な関係にあった筈である。
歴史上は伊勢と信濃での繋がりは明確であるのだが、伊勢青木氏や信濃青木氏もこの阿多倍一門との関わりを持っていたのである。
この様に「経済的な形」ではシンジケートを形成して繋がっていた事に成るが、その阿多倍末裔の一門に「政治的な圧力」を加えられたのであるから不思議な因果関係である。

しかし、次ぎの様な助けられた経緯の事もあるのだ。
衰退した賜姓源氏の中で清和源氏の宗家頼光の末裔の頼政がただ一人平家の中で生き残り朝廷の中で苦労して三位まで上り詰めたのは、私はこの同族賜姓伊勢青木氏と隣の阿多倍一門との付き合いがあった事から生残れたと観ている。
この頼政が遺した「辞世の句」があるので紹介する。

うもれ木の 花は咲く事も 無かりしに 身のなる果てど かなしかりける

源氏を潰さない為にも何とかして平家に迎合して歯を食いしばって生き残りを図り、なかなか源氏を蘇がえさせられなく、出世の出来ない平家の中で生きる辛さを辞世の句として遺したのである。
その心情が良く判る。源氏の衰退に対してそのキツカケを作ろうとした「真情」が良く出ている。

実は確証は無いが、この家訓6を遺したのは頼政の孫の伊勢青木氏の跡目京綱では無いかと考えている。当然、父の仲綱と共に果てた祖父の頼政のこの句は「子孫存続」と云う意味合いを強く表していることから、京綱はこの句を理解して1125年頃から1180年の「以仁王の乱」までの60年程の青木氏の苦しみを承知している筈である。それ以後、身を以って乱を起した事で、伊勢青木氏には更に圧迫が加えられ苦しみ抜いたと考えられる事から、子孫を遺す戒めとして、考えた末にこの家訓6の意味合いを遺したのでは無いかと観ている。

兎も角も、1180年にこの頼政は源氏再興を狙って立ち上がったのであるが、敗戦後頼政の孫の3人の内、清盛の母や一族の執り成しで惨罪にならず、許されてこの2人だけは生残れて日向廻村に配流(日向青木氏)と成った。恐らくは、伊勢北部伊賀地方に定住する彼等の子孫との繋がりや伊賀和紙の商いでの深い付き合いから、京綱の伊勢青木氏は「除名嘆願の運動」を伊賀を通して起したのではないだろうか。幾ら一族の執り成しでもこの様な特別な理由が無い限り謀反の張本人の孫の依頼でも無理であっただろう。
(後にこの2人は平氏に対して廻氏と共に再び反乱を起し失敗する 子孫は逃亡し薩摩大口で青木氏を名乗り子孫を遺す 廻氏系青木氏は現存する)
また、上記したように末の孫京綱が伊勢青木氏の跡目に入っている事から許されて難を逃れたのである。
これは伊勢青木氏と伊賀の伊勢平氏(阿多倍子孫)との和紙の商いによる付き合い関係からであろう。

更に、例を付け加えると、後の「天正の乱」3乱の内の「伊賀の乱」の時、伊勢青木氏の紙屋青木長兵衛が伊勢シンジケートを使って食料や物資運搬などの妨害活動などをして時間を稼ぎ、伊賀氏はゲリラ作戦に出た。しかし、落城寸前で青木氏の軍は突然に名張城から織田軍の側面を突き出て後退させ伊賀一族を救い守った。これ等は、過去の恩義によるものであろう。それでなくては時の織田氏に敵対する事はないであろう。
これ等の「人間的心情」に悖る「歴史的経緯」は、この「2足の草鞋策」を基にした家訓6からの所以で、この様な「生き残りの経緯」を辿れたのではと観ている。
それは一族の「家訓6による人間形成」が平氏らの信頼を得た事からの結果であろう。本来なら完全に滅亡の憂き目を受けている筈である。

これらの家訓6が「賜姓源氏の滅亡」との「分れ目」であったと観ている。
現に、清和源氏主家の源三位頼政が「以仁王の乱」(1187年)を起こす時、頼政の嫡男仲綱の子供で三男の京綱を、子孫を遺す為に同族の伊勢青木氏に跡目として入れた後に、源氏再興の平氏討伐に立ち上がったのであるが、この伊勢青木氏に跡目を入れると云う事は、恐らくはまだ源氏は”平氏に勝てない”と判断したことを意味するが、源氏立ち上がりの「契機」に成ると信じての行動であった。この時、この「不入不倫の権」に護られた伊勢松阪に向けての逃亡を起し再起を待つ事を目論だが、遂には「宇治の平等院」で自害したのであろう。
この時、伊勢青木氏は「2足の草鞋策」を採って60年くらいは経っていた筈で経済的なその裏打ちも有って、源の頼政は源氏宗家の生き残りが果たせると考えて伊勢青木氏の跡目に入れたと想像出来る。源氏の中でもただ一人平氏に妥協して朝廷に残った遠謀術策の人物でもある。
この様に、「2足の草鞋策」が家訓を遺し、それが子孫を遺せたのである。

この後にも、この家訓で生残れた同じ事が起こっているが、この「2足の草鞋策」の家訓6で培われた末裔は、判断を間違えずに子孫を遺した。
それは、信長の「天正の乱」の伊勢3乱の伊勢丸山城の戦いである。(3戦に全て合力)
名張に城を構える青木民部尉信定、即ち、伊勢松阪の豪商紙屋青木長兵衛がこの信長の次男信雄に丸山城構築で攻められた。伊勢青木氏は商人として伊勢シンジケートを使い、築城の木材の買占めとシンジケートの築城大工の派遣とシンジケートの妨害策で食料などの調達不能を裏工作で実行した。
名張城からの牽制で時間を稼ぎ、長い年月の末に出来た丸山城が、大工が”火をつける”という作戦で消失し打ち勝った有名な乱である。信長のただ一つの敗戦である。
そして、後に伊賀一族等も助けたのである。
後に、この時の将の織田信雄と滝川一益は家臣面前で罵倒叱責され遂には蟄居を命じられて疎まれた事件は歴史上有名である。

これも、その差配する青木長兵衛の家訓6の得た「力量、資質」が、恐ろしい信長に反発してでも、配下とシンジケートを動かしたのであり、この家訓6が左右して生残れたのである。
この家訓6の「教養」とそれを裏付ける「知識」の如何が、人を動かし大群を相手に戦いの戦略の成功に結び付けたのである。
この知識は天正の乱では物価高騰の「経済学」の原理知識と諸葛孔明如きの「権謀術策」の知識と築城学の知識が事を運ばせ、それの手足と成る人を「教養」で信望を集めた結果の所以である。

では、この家訓6を深く考察すると、この「教養」とは”一体何を以って得たのであろうか”という疑問が湧く。
そこで、調べたところ、代々主に共通するものは「絵」と「漢詩」であった。
「絵」は「南画」である。所謂「墨絵」である。「漢詩」は「書道」に通ずるものである。
二つを通して考察するに、「紙屋長兵衛」即ち「伊賀和紙」を扱う問屋である。つまり、「紙」である。「南画」、「漢詩」は紙が必需品であるから大いに納得できるもので、ではそのレベルはどの程度のものなのかを更に調べた所、プロでは無いが、江戸時代の歴史を観ると、紀州徳川氏の代々藩主にこの「南画」と「漢詩」を指導していたと言う記録が残っている。これ以外にも短歌や和歌等でも相手をしたと記録されている。
これは、初代紀州藩主で家康の子供の徳川頼宣が伊勢松阪の「飛び地領」の視察での面会の時からの経緯であり、大正14年まで続いたと記録されている。私の祖父の代までである。
これ以外には、「知識」として「経済学」を指導していたとある。
特筆するには「松阪商人」としての知識を藩主と家臣に経理指導していたと記録されていて、その証拠に8代将軍吉宗は若き頃に家老職の伊勢加納氏に長く預けられていたが、この時、伊勢青木氏と加納氏とは代々深い血縁関係にあり、吉宗にも指導していたとされる。このことが縁で、請われて江戸に付き従い、伊勢の松阪商人の知識を「享保改革」で実行し推し進めたと記録されている。
将軍に直接発言できる「布衣着用を許される権限:大名格」を与えられていたとある。初代は江戸に付き従ったのは伊勢の分家の青木六左衛門とある。その後、紀州徳川家にも代々「納戸役」(経理)として奉仕したと記録されている。
この記録の様に、「時の指導者」徳川氏を「教養」で指導し、「教育」の「知識」で導いたのである。
本来であれば、家康に潰されていてもおかしくない。秀吉に潰されかけ新宮に逃げ延びたが、伊勢を任された武勇と学問で有名な蒲生氏郷との「教養」での付き合いが働いて、1年後に伊勢松阪に戻されて侍屋敷(9、19番地)の2区画も与えられる立場を得たのである。つまり、生残れたのである。
これ等は青木氏一族一門の存続に「青木氏の長」としての「教養と教育」の形を変えた貢献でもある。平安の時代より家訓として護られてきた家訓6(教養)の所以であろう。

この家訓6には特に添書に長く解説なるものがありそれを解釈すると次ぎの様になるであろう。
家訓6ではこの事が理解されていないとその「教養」と「教育」の諸事への効果なるものは出ない、又は意味しないとまで断じている。
当時の背景から考えると次ぎの様に成るであろう。
学校と言う形式のものは無かった。従って、「知識」は自らの範囲で書物に依ってのみ得られる事が通常で、学校らしきものは江戸の中期頃からの事であろう。それも「基本的な知識」であり、その専門的な事は「個人の努力」の如何に関わっていたと成る。
まして、其処では、「教養」となると尚更であっただろう。
古来の「教養」を会得する場合はその師匠となる人に付き学び、多くは「盗観」によるものであった事から、その「盗観の会得」する能力が無ければ成し得ないだろう。又、その「極意の会得」は尚更個人の能力の如何に関わるものである。
従って、この「2つの能力」(盗観 極意の会得の能力)を獲得出来るとするには誰でもと云う事では無くなる。能力の無い者は挑戦しないであろうし、してもその会得する極意のレベルは低く「人力」を高めるに足りないであろう。丁度、伝えられる茶道の秀吉如きのものであったであろう。
対比して古来の「教育」を会得する場合はその師匠とする人が少なく「知識」を前提としている為に「盗観」の会得は出来ないし、「極意」の会得は「盗観」が出来ない事から成し得ない。
これは「書籍」による「個人の理解能力」による何物でもない。当然に「教養」以上の会得の困難さを物語るであろう。まして、その書籍からより進めて「知識」を会得出来る事は少ないし困難である。
この様な事から「教養、教育」の会得はある「経済的な力」を獲得している人が得られるチャンスとなる。

と成ると、添書の書いている意味合いは次ぎの様に成る。
「教養」の本質を分析すると、「質的な探求」であり、数を多くした「量的な探求」ではその「極意」は得られないであろう。しかし、「教育」の本質は「量的な探求」であり、「知識」の会得である事からその「会得の数」を繋ぎ合わせての応用であり、「質的な探求」はその研究的なものと成るのでその研究的な知識を以って諸事を成し得るものではないであろう。
「教育」に依って得られる多くの「知識」はそれを繋ぎ活用する事で一つの「知恵」が生まれる。
これは「人間本来の姿」であり、それを多く探求し極める事がより高い「人間形成」の一端と成り得るのである。その「人間形成」の成し得た「知識」から得られたものが「教育」から得られる「教養」と成ると説いている。そして、教養も同じだと説いている。
「教養」もその高い「質的探求」に依って「心の豊かさ」が生まれ其処に「人間形成の姿」が出来てそれを極める事でも「教養」から得られる「知識」が会得出来るのだと諭している。
「教養」で得られる「心の豊かさ」は「心」で、「教育」の「知識と知恵」は「頭」で会得する。
そして、この二つは「心」と「頭」で安定に連動してこそ「効果」を発揮するものだと諭している。
これを現代風に云えば、俗ではあるが、「教養」は「前頭葉」で、「教育」は「左脳」で、そしてそれを連動させるのは「右脳」だと成る。
真に、古代に書かれたこの「説諭論」は論理的にも科学的にも間違ってはいない。驚きである。

「教養」=「質的な探求」=「心」
「教育」=「量的な探求」=「頭」
「教養」=「心の豊かさ」=「人間形成」
「教育」=「知識の応用」=「知恵」=「人間形成」
 故に「教養」(心の知識)+「教育」(頭の知識)=「人間形成」
「心の豊かさ」=「心の知識」

更に、次ぎの様にも書かれている。
「教養」は「人」を成し得るものであり、「教育」は「時」を成し得るものであると断じている。
つまり、「教養」の「質的な探求」に依って獲得した「極意」はこの世の「時」の関わる諸事には作用せず、「人」の心を通じ「質的に動じさせるもの」であるとしている。
反面、「教育」即ち「知識」は「時」の関わる諸事に作用しより効果的に動くものであるとしている。それはより多くの「知識量」がもたらす効果であるとするのある。
「教養」=「人に動じる」 「教育」=「時に作用する」

そして、「教養」の「質=人」と「教育」の「量=時」を会得した時に一族一門の長と成り得るものであるとしているのである。
ただ、ここで特筆する事は「教養」は「心」で会得するもので、その「質」が問われる以上その「質」を上げた事で「人」である限り「慢心」が起こるだろう。この「慢心」はその「教養」の効能を無くす事に成ると警告している。
対比して「教育」は「記憶」で会得するもので、その「量」が問われるが「人」にあらず「時」にあるので「慢心」はあったとしてもそれは「得意」とするものであり、むしろ「量を高める源」であるとして、その「知識」の効能は無く成るとはならないとしている。
では、誰しもその人の「性」(さが)として起こる「慢心」をどの様にするべきなのかに付いての方法は「自覚」以外に無いとしている。しかし、常にその「慢心」を抑えようとする努力が「質を高める源」であると説いていて「一体」であると説いている。
そして、その基となるその「自覚」は「仏教の教えの悟り」で成し得ると銘記している。
「仏教の教えの悟り」とは特記されていないが、筆者独自の考えだが「色即是空 空即是色」「色不異空」「空不異色」の解釈では無いかと思う。

「教養」=「心」=「極意」=「質」=「人」=「慢心の抑制」(-の方向)=「質を高める源」
「教育」=「知識」=「記憶」=「量」=「時」=「慢心ー得意」(+の方向)=「量を高める源」

以上が添え書きの解釈とするべきでは無いかと考えている。
この家訓は時代が異なり「教養」も「教育」も講座や学校とする学ぶ機関が存在する故に、若干「教養」は「教育」と等しいと判断されるが、そこで得られる領域では上記した様に、それは「教育」の「知識」の末端のところで得られる「教養」の範囲であろう。つまり、「知識的教養」と定義づける。
ここで云う「教養」とは「個人の努力」による「高い修練」の「結果」を意味していると考える。
当然に、現在では、「知識的な教養」の上に「個人の努力=高い修練」が成されれば、「心的な教養」は会得出来るだろう。
依って「教養」には「個人の努力」による「心的な教養」と「講座」による「知識的な教養」があることを意味する。
この家訓は”「個人の努力」が「心を鍛え質を高める」”としているのである。

筆者はこの家訓6の「教養」には届かないが、この教えを守り物理系技術者として「教育」の知識の方からの貢献を社会にして来たものであり、それを補う形で「知識的な教養」として「写真」や「竹細工」や「庭造り」なるものに傾注している。

幸い家訓6をそれなりに守りしている為か何かしら「心爽やか」である。
意外に、家訓6の先祖の言い分は、「教養」の極意はこの「心爽やか」の辺に合ったのではと勝手に思うのである。
近代科学的に分析すると、”「心爽やか」が事に処する時、脳を開放し、「拘泥」や「拘り」から開放されて、豊かな判断力が高まり、諸事を正しい方向に向ける力と成り得る”としているのかも知れないと、最近は思えている。
この「教養」は、上記した様に、仏教の般若経の一節「色即是空 空即是色」「空不異色 色不異空」を理解し会得する「糸口」になる事を先祖は暗示しているのではないだろうか。
この事に付いては大事と見て次ぎの家訓7で更に追求している。

兎も角も、この家訓6を筆者は次ぎの様に解している。
「教養」=「心爽やか」=「仏教の極意」>「入り口、糸口」<「長の心得」=「諸事万端良」=「資質、力量」=「教育(知識)」

なかなか難解な家訓6ではあるが、「人間形成」の基となる家訓であると考える。
家訓6=「人間形成の戒め」
次ぎの家訓7はこの家訓6を更に強調したものであるので”続く”としたい。

次ぎは家訓7に続く。



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写真技術と色理論 前編(副題 自然美のある綺麗な写真を撮る方法)

写真技術と色の理論 前編
(副題 自然美のある綺麗な写真を撮る方法)

青木氏氏のHPの写真館の付属レポートです。
(一読された後は「青木氏氏の写真館の展示をご覧下さい)

色理論(CCカーブ)


さて、写真を趣味としている人、或いは写真が好きだが難しいし理屈が判らないと云う人は一度は”写真をより綺麗に撮れるノウハウが無いのか”と思ったことがあると思います。
意外にその「写真技術」に付いての解説が一般的にどこでも見られる事に成っていない気がします。
有っても難しい抽象的な事の芸術的な事が多い気がします。カメラの使い方ならあるかも知れませんね。
そこで、「芸術写真」では無く、”綺麗で自然美のある写真を撮りたい”と思う人は多いと思います。
一般に「綺麗な写真」とは「人間の目で観た通りの感じ」が表現出来ていると、人は「綺麗な写真」と先ずは云うのではないでしょうか。
脳の科学でも「綺麗」と云う印象は、その比較対象があり「汚い」が反意語ですが、「綺麗」には脳の中に先祖から培われて来たその無意識の「印象」が遺伝子的にインプットされているものがあります。それは人間が生きて来た「環境」に左右されています。
その「環境」とは「自然の美しさ」なのです。この「自然美」が長い間に一つの統一したものを脳の「印象記憶」として保存されているのです。
そうなりますと、その「自然」が違う、或いは「環境」が違えばその「自然美」の評価も違うという事になりますね。例えば、日本人の先祖はある程度の「穏やかな環境」と「自然豊かな環境」に恵まれて来ました。四季があるのは何よりの要素ですね。
ですから「日本人の自然美」と云う固有の共通したものがある事に成ります。
それはこれから論じる写真の「色」で最も表現出来るのです。
そうすると、論理的に「人種」では異なると云う事に成りますね。
その通りです。例えば、下記でも書いていますが、以前にもレポートした事がありますが、アングロサクソン系の人種は極寒の中から生き残り進化して来ました。そして、その環境で「身体」とその「脳」もそれに合わせて進化しています。
ですから、其処に存在する「環境」の「自然美」の感覚は必然的に違う事に成ります。その最も異なる「印象記憶」は何はともあれその「極寒からの自然美」なのです。
例えば、特に人はその「肌の色」と「自然美」に顕著に違いを出すと言われています。
「肌の色」は日本人は「淡いピンク色」ですね。でもヨーロッパ系は、本当は違うのですが、「やや赤みがかった色」を云っているのです。
この様に、「色」にはかなり「主観性」というよりは「人種性」に依って異なります。
そこで、その「色」と云うものに付いて根本から考えて見ようと思います。

「色」とは何か
そこで、先ず、この雑学に入る前に、”色とは一体何だ”ということを知る必要があります。
ここから少し論理的に成りますが苦手な人は何とか追い付いて来てください。
出来るだけ優しく説明をします。
では先ず、簡単にいえる事は、「色」は「波」、つまり「振動波」と云う事ですね。
では、その「振動波」は”何の振動波”と次から次えと疑問が湧きますよね。
それは、「太陽から来る振動波」です。
では更に、その「太陽から来る振動波」は”何の振動波 何で来るのかな”と続きます。
それは「太陽の核爆発で起こる振動波」だと云う事で「エネルギーを持った振動の波だ」と成るのです。
では、その「太陽の核爆発で起こる振動波」は”何が爆発して起こるのかな”と疑問が湧きます。
それは、「全ての物質」の「核爆発振動波」だという事ですね。
「物質」の基の基と成っている「核」と云うものがあります。それが爆発しているのです。核爆弾のあれであの爆弾の大きい破裂が連続的に起こっているのです。一つが爆発すると、その物凄いエネルギーで更に隣の核も爆発してしまいます。この「核の連動爆発」が起こっているのです。そのためにその爆発の熱で太陽の表面の温度は6000ケルビン(ほぼ6000℃)と成っているのですが、その中の方は想像も付かない温度と成っています。この為の熱で連動して「あらゆる物質」の核が爆発を続けるのです。ビッグバーンで飛来した地球上にある物質では溶解する温度の最高は知る範囲で3200度程度です。地球と太陽は同じビッグバーンで発生していますから、ほぼ同じ物質が存在している筈ですね。そうすると、表面が6000度ですから内部の物質は全て熔け蒸発の領域にあると考えられます。
因みに鉄は1540度ですから、太陽の中ではとっくに蒸発している筈ですね。
蒸発すれば4倍以上ですから気体領域をとっくに超えている訳ですから、その物質のエネルギーを持つ核は裸の剥き出しですから隣の核との反応に依って核の分解が起こる事は素人的にも充分に考えられる筈です。
そうすると気体を超えて裸の核の状態の中で、”何で核が爆発すると振動が起こるのか”と云う疑問が起こりますよね。
それは簡単に云うと、「裸の核」の環境の中(+-の状態)で、物質の基の核が爆発すると+と-の引き合うエネルギーの渦が起こります。そうするとそのエネルギーの差がバランスをとろうとして「振動」として動きます。そもそも「振動」というのは原理は「高いところ」と「低いところ」の差で起こるのですから、差が無ければ振動は起こりません。
そうすると、その+-のエネルギーの差が次第に集まってきてエネルギーを持っているのですから「磁場の渦」が起こるはずですね。よってその渦の中にはエネルギー差の振動が集まりで大振動が起こる事に成ります。従って、この振動は音の振動のようにエネルギーの無い振動ではなく、その振動には磁力(E)を持っていますので「振動磁波」が働きます。この磁波の力が集まって「磁束」が起こりその磁波の渦が起こるのです。
この大きなものが宇宙で起こるビッグバーンと連動して起こるブラックゾーンですね。
恐らくは其処に起こる磁波の渦の形は「とんがり帽子」をひっくり返した様な形で渦巻いていると想像できますね。強い所と弱い所の差を埋めようとして渦が収束して行きますからね。
太陽ではこの一つの核爆発で一瞬の一つのビッグバーンの連動が起こる事で振動が起こるのです。

この現象は太陽だけで見られる事ではありませんよ。実は地球の「自然の摂理」の中でも、これと同じ様なよく似た事が身近で起こっていますよ。台所ではIHのコンロです。洗面所では自動歯ブラシ器です。工場では高周波熱源などの装置です。
つまり、この原理は次ぎの通りです。
上記した磁束の真ん中には振動磁波の束の渦が起こります。この渦の真ん中に抵抗する何かのものをセットすると、その振動がその抵抗物の中の電子を無理に動かしその逆の方向に電流が生まれます。そうすると、そのセットした物質に電子の衝突が起こり、衝突した時の熱で加熱現象が起こるのです。IHのコンロはこの振動磁波の特長を利用しているのです。(誘導起電力と云う)
電動歯ブラシもこの電流でモータを廻しているのです。
この原理の大きいものが起こり、その時に起こる振動が渦の中心から「振動波の連動」で飛び出すのです。そこから発生するのです。この連続したものが振動磁波です。
では、爆発するとそのあらゆる物質の核の”その振動波はどの様にして遠い太陽からこの地球まで届くのか”と云う疑問が湧きます。
その答えは、太陽と地球の間には「宇宙ちり」以外に障害物がないからですね。
障害物が無いと”何で「核爆発振動波」が届くのかな”と疑問が湧きます。”
振動波とはどんなものか”という事を知る事で判ります。
先ず、衝撃が起こる。宇宙は「相対の原理」に基づく為に、衝撃の+エネルギーの反対の-エネルギーが同時に起こります。それでなくては衝撃は起こりません。反対のエネルギーが無い事は同じ衝撃が連続的に起こる事を意味します。その事は衝撃が無い事を意味していますね。
つまり、衝撃とは「ある処からの差」を云っているのですよね。

簡単に言い換えますと、「楽しい」と云う事は「楽しくない」と云う事があって、その「差」を言っているのですよね。「楽しくない」と云う事が無ければ「楽しい」と云う変化はありませんね。当然に、差が無いのですから「楽しい」という言葉も無い筈ですね。

この様に、核爆発が起こる事は例えば「+の衝撃」が起こると、多少の「タイムラグ(時間差)」が起こり「-の衝撃」が起こります。
同じく「-の衝撃」が起これば必然的に相対の原理で「+の衝撃」が起こる事に成ります。
ここにこの時、次の「三つの特長」が必ず生まれますね。
それは、次ぎの通りです。
「タイムラグ」
「衝撃の大きさ」
「速さ」
以上3つが生まれる事に成ります。
この事が色に関しては大事な事なのです。特に人間には大事な事なのです。
この衝撃の「+-」の事が繰り返して起こりますね。この衝撃に「障害と成るもの」が無い限り永遠のリサイクルが繰り返し起こります。

つまり、「タイムラグ」と「衝撃の大きさ」と「速さ」の「三つの特長」が起こる限りはサイクルは続く事に成りますね。
「三つの特長」が起こらないと、”衝撃は皆同じ”と言うことに成りますので、波は起こらない事を意味します。
そこで基に戻りますと「波」とは”あるものからあるものへの差”があるので「波」と云う言葉が存在するのですよね。
繰り返しますと、”全てのものが皆同じ衝撃”という事に成りますので、それは衝撃ではありませんね。当然に「衝撃」と云う言葉は必然的に存在しませんね。

さて、太陽で核爆発を起して衝撃振動波が起こりサイクルが起こると磁束の渦の中央から噴水のように打ち出される様にそれが宇宙に飛びたします。(トンガリ帽子の形のために)
宇宙には、空気を含む一切の障害物がないとしますと、「三つの特長」の持った波は「+-」のサイクルが次から次えと起こり始めます。
「タイムラグ差」*Nの条件で360度の方向に繋がって起こり始めます。
障害が無いのですから、「タイムラグ」と「衝撃の大きさ」と「速さ」の「三つの特長」に影響を与える事無く条件は永遠に維持される事に成りますね。
つまり、このサイクルでこれが太陽で起こった「核爆発衝撃波」として三つの特長を持ち続けて地球まで届いているのです。これが波なのです。

さて、そうすると、”あの太陽でそんなことが起こっているの””「三つの特長」は何で起こるのかな”と思いますよね。
そこで、それを解くには”太陽はどんな物で出来ているかのかな”と考えます。
地球は星のビッグバン(爆発)で生まれていますので、少なくとも太陽と同じ物質である事が考えられますよね。
そうすると、同じ物質であるので、その物質には上記した様に何がしかのエネルギーを持っています。そうすると”そのエネルギーとは何なのか”と云う疑問が生まれます。”鉱物は生きてもいないのにどんなエネルギー”と続きます。
この太陽から分裂したこの宇宙の世に存在する全ての物質には上記した様に「電磁波」なるものを持っているのです。当然に人間にも持っているのですよ。
この宇宙は相対の原理ですから、「+」と「-」とがあるのですよね。太陽を含む宇宙からから出た物質にはこの原理に依っていますので、「+」「-」になるものが物質に存在する筈です。
それが、「電磁波」なのです。未だすっきりとしませんね。
その電磁波についてももう少し詳しく考えると、物質は分子、原子、核とにより成り立っています。
その物質は幾らかなバランスを崩して他と引っ張り合う為に1か2か3か4か・・の+-の何れかのイオンを物質に触手の様に手を出して持っています。
このイオンの触手がある為に物質と物質との「結合と融合」が起こるのです。その基は核の振動です。
この核の中には僅かなエネルギーの差を埋める為に、更に「中間子」と「中性子」とがあり、夫々の役割を果たして微妙なエネルギーのバランスを保っています。
そうで無いと、いつかバランスが崩れて物質は破壊してしまいますね。
言い換えればこの「相対の原理」とは「バランスの原理」とも云えます。
そして、その為に物質には何がしかの行動が無くてはなりませんが、その核は「超微細な振動」をし続けているのです。一般的な概念では”鉱物は死んでいる”と思いますが、これでは”生きている”と成りますよね。そうなんです鉱物も生きているのです。「生きると言う概念」の問題ですね。
全く静止しているのではなく自ら核はバランスを取る為に中間子中性子を連動させて「超微細振動」を起こしているのですからこの概念の一つとも云えます。
更に、この磁力を持つ振動の磁波は人間を始めとする他の物質に影響を与えているのですから、これでは”生きている”と成りますね。
概念として観て見ると、この電磁波の最たるものとしての収束力が地球と成りますが、鉱物の集合体の地球の電磁波は地球の上に存在している人間を、この磁力の力、つまり、エネルギーの差で地球に引き付けているのです。
人間にもその人に相当する電位差(身長分)を持っていますので、その電位差と引き合い地球に存在出来ているのです。そうでないと、地球はマッハ2程度の速さで回転していますので、加速度により宇宙に飛ばされて行きます。そして破壊します。
つまり、バランスが崩れての現象が起こるのです。人間だけでは無く全物質が対象です。この様に、電磁波は太陽で起こった核爆発で振動と云う原理で届きます。

ところが、その物質が持つ猛烈な電磁波の差で引き付けられて核の衝突が起こり、その衝突熱のエネルギーで核が更に破壊されて核爆発(爆発のすごさを表現すると6000ケルビンで℃では凡そ6千度の表面温度)が起こっているのですから、この理屈から地球に存在する物質の全ての核爆発が太陽で起こっている事に成ります。
そうすると、その物質の核爆発の特徴とする「特有の衝撃波の違い」が出てきますね。人間の指紋の様に、それが「三つの特長」と成って出てきます。
その3つの特長とは、「タイムラグの大小(波長)、衝撃波の大小(振幅)、波の速さ(エネルギー)」でその大小が生まれますね。
これが、地球に「特有波」と共に届いているのです。
では、その物質は地球では約360程度の物質数にも成りますので、太陽にもその物質が熔けてある筈ですね。その物質の全ての核爆発が起こりそれだけの違いの振動磁波のサイクルで地球に届いている理屈に成ります。
この波が地球に届くとここからが「色」と云う原理が働きます。

さて、いよいよ「色」ですが、では、その「三つの特長」が人間にはどのように見えているのか疑問です。
其処には、ある「物理的現象」と「人間の目」のシステムに依っているのです。

そこで、その前に、復習としてもう少し波の成り立ちに触れます。
”何でその振動(波)が遠い地球に届くのか”と云う疑問の追求です。
先ず、+の第1の振動が起こります。そうするとその-(マイナス)の相対のエネルギーの振動が起こりますね。そのエネルギーを減らす障害物が宇宙には無いのですからエネルギーを保持したままにこのサイクルが前へと延々と繰り返されます。
この様に、宇宙は障害物が有りませんので、全く変化無く届きます。しかし、地球に届いた時から障害物が存在します。
”そうするとその障害物にどの様な事が起こるのか”と云う疑問です。

その前に地球圏内ではどの様な障害物があるのかと云う事の疑問が先ですね。
先ず、地球には次ぎの2つがあります。
全ての物質さえも引き付けてしまう超強力な磁力波(バリヤーA)が存在しています。
更にはその周りには「空気と塵やガス」(バリヤー:B)が在ります。

そのバリヤーBには3段階で覆われています。
第1(95K)、第2(500K)、第3の成層圏(1000K)のB(1-3)で構成されています。

そうすると、このバリヤーB(1-3)の手前まではこの核爆発で起こった振動波が弱まる事無く「+-」のサイクルで届いている訳ですから、エネルギー(E)に変化はありません。
それが、(B)と衝突します。
猛烈な速さで届いた振動磁波は、その時、超高速な為にそこに含む物質との間で衝突が起こり分子が破壊されて、それによる分子爆発が生まれ閃光を発します。この現象が必ず起こります。
丁度、火打石で火花を飛ばす事と同じですね。金属と金属が衝突した時に出る火花の様に。
その時に発する特別な「波」との「火花」です。
それが、人間の目ではその「爆発波」が網膜の角質に入り「色」としてに入り目に写るのです。

太陽からこの360もの物質の振動磁波が届いている筈ですが、その内のほんの僅かな振動磁波だけが目の細胞が受け取る事が出来るのです。これを「可視光線」と云います。
この「可視光線」の「振動磁波」の大きい側には、紫外線(周波数:振幅700ナノ)、細かい側には赤外線(周波数:振幅400)があります。
後は地球の電磁波力に依って引き付けられて消滅するか、振動磁波の細かいものは人間の細胞を透過して地球も透過して再び宇宙へと飛んで行くのです。
この時、全ての物質の衝撃波が主に太陽から届いていますが、それを人間は「色」として捉えてある範囲しか見えていません。つまり、「光」、即ち振動磁波が「色」に変わるのです。
これが「可視光線」と云います。(波では、400ナノ(n)-700ナノと成ります。)

目に見える色(光)に変えるとすると、「7つの原色」と成りますので振幅の小さい順に、次のように並びます。

「赤外線」 「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」 「紫外線」です。

この「可視光線」外の「紫外線」、「赤外線」までは目には見えませんがある現象に依って確認出来ます。
この「可視光線」のそれは、真に、「虹」の現象として観えますね。
虹は雨上がりの空気中に、水滴が多いためにそれにこの7つの物質の振動磁波の波が当ります。
そうすると、K(カリウム)と云う物質の核爆発の振動磁波の光の変化の色の「紫」は振幅が大きいので、水滴の少ない所でも遮られて止まってしまいます。その時に衝突により色を発します。

Li(リチウム)と云う物質の光の変化の色の赤は振幅が細かいので水滴が多くても通過して最も多い所で遮られますのでその時に衝突により色を発します。
夕焼けも同じですね。一日の塵や埃などで光が遮られてその障害物の多さや細かさでその夕焼けの色が違ってきます。赤色の夕焼け、黄色い夕焼け、紫色の夕焼けとその中間の夕焼けが見える事に成ります。それは「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」の範囲で見える事に成ります。
端的に云うと、赤色の夕焼けは空気がより澱んでいる事に成り、赤色より右側の振動磁波も手前で抑えられてしまいますので衝突して赤色だけを発することになり、紫色の夕焼けは藍色より左側の振動磁波が透過してしまうくらいに澄んでいる事に成ります。
一日の空気が汚れて通過する振動磁波の波長が変化します。天気の良い日の塵埃の少ない時、多いときで色合いは変化するのはこの原理から来ています。
「真赤な夕焼け」や「紫の夕焼け」や「黄色の夕焼け」では空気の清み方が違うのです。

写真技術の原理
ですから、写真をとるときはこの原理を頭の中に入れて撮影をすると人間の目に映る自然の色が表現が出来て綺麗に撮影出る事に成るのです。

朝日にも同じ事が必然的に起こりますよね、塵や埃の沈んだ空気ですから夕焼けとは又別の色合いを示す事に成ります。朝日には、その空気の澄み具合と温度の上昇で「3つもの色合いの変化」をも起こします。これを「朝ぼら、曙日、朝日」と呼ばれていますね。
「朝日」では塵埃が増え温度も上がり地面の水分が蒸発してあがり絶対湿度も上がります。夕焼けとは環境が変わるために又別の趣が見える事に成ります。
「朝ぼら」や「曙日」はその傾向がより低い事になります。
「朝ぼら」の持つ趣や「曙日」の持つ趣が、写真性に与える影響を考えて、その被写体の趣を最大現に引き出す為には、この様にその撮影時期を選ぶと自然性のより綺麗なスナップが取れることが約束される筈です。

そもそも人間の思考の「綺麗」であるかどうかはその比較のものがある事による感覚ですから、その人間共通する比較対象と成るのが「可視光線」による「自然美」です。
人間は目に映るこの「自然美の色」を基準にして脳の感覚を表現しています。
「自然美」=「綺麗」=「趣」の数式がもし成り立つとしますと、「太陽から発する振動磁波の光が衝突に依って発色変化する色」の理屈を ”より上手く使うことである”と定義されますね。
同じ物を同じ位置から同じ撮影条件で間違いなく撮影すると、明らか違いが出ます。
この違いを「柔らか味」とか「爽やかさ」とかの「趣」で撮る時に使えばより素晴らしい自然の色合いの「表現力」が出せると言う事に成ります。

フエリヤー理論
この様に、この振動磁波の「季節の澱みの知識」を観察して撮影する事が第1番目のポイントです。
当然にこの空気の澱み方は季節に依っても異なりますね。
夏は温度が高く、乾燥しますし、絶対湿度(空気中の水分)も高いですから空気は澱み傾向です。
冬はこの逆に成りますし、風も強く吹きますから塵埃も飛んで行きます。
この様に「春夏秋冬」、「気候」、「天候」、「地理」や「場所」での「酸素の多い少ない」等も撮影には大きく働きます。
この様に、これを写真技術では”フェリヤー(撮影の環境条件)が働く”と云います。
これを「フェリヤー理論」と云います。
先ず、色の元の知識が掴めましたがまだこの理論が続きます。

色を発する鉱物
では、その”太陽から来ている核爆発の物質のものとはどんな物か”と成りますが、地球には360の元素の内、次ぎの物質が人間には見えているのです。
今までは正直「色」は「色」としてのみ太陽から飛んできていると思っていたのではありませんか。
鉱物の振動磁波とは到底思っていなかったでしょう。
では、その鉱物又は物質はどの様な物なのでしょうか。

これは、主に「アルカリ金属」と「アルカリ土類金属」に所属する物質の爆発の振動磁波です。
第1 Li(赤)、Na(黄)、K(紫)、Cu(緑)、Ca(橙)、Cs(青紫)、Cr(暗赤)
第2 Sr(紅)、Ba(緑)、Ra(洋紅)
第3 B(黄緑)、G(青)、In(藍)、Tn(淡緑)
第5 P(淡青)、Bs(淡青)、A(淡青)
後の物質は地球を通過して行きます。

これだけの物質の光の振動磁波が色に変化するのです。
赤夕焼けの真っ赤はLiでした。Na:ナトリュウム(黄色)は皆さんも知っている何処にでも使われている物質ですよね。外灯ですね。あれはNaの黄色を出しているのです。ですから埃塵や水滴が有ってもNaの外灯の光線は届いていますよね。
ですから、黄色や赤の色合いを示している花や物は、この物質の光が花や物に当り色を発している事に成りますね。
この物質の色を簡単に試験で観る事が来ますよ。
例えば、銅の粉を市販のやや強いライターで燃やして見ると緑色の火花が見えますよ。
この原理を使ったのが夜空に咲く色とりどり「花火」の祭典ですね。
これを「花火」をも含む酸化反応による「炎色反応」と云います。

色合いの技術
この様にこの色でどんな物質の波が遮られているかが判るのです。
写真では、撮影する物がどんな色合いであるかを先ず観察します。
そして、その色合いが「可視光線」の左側にある物か右側にある物かをまず考えます。
そうすると、地球の環境は埃、塵、水分で覆われていますから、赤か紫かのどちら側の色合いが出易いかを考えます。
凡そは赤のLiの波が細かいので透過してしまいますから赤より右側の色合いが出やすい事が考えられますね。都会と田舎ではよりはっきりしますね。
そして、それが朝、昼、夕方なのかの撮影時期を考えます。
更に突っ込んで朝の何時頃、雨模様か晴天か曇りか、湿度、風の有無、日当たりや影、等を先ず考えて撮影しますと、これだけでもかなり「自然美」の色合いを出す事が出来ます。
フェリャーが正しく取れる事に成ります。
そこで、より理解を深める為に次ぎはこの「フェリヤーの理論」を進めます。

フエリヤー理論
写真では、色(光)の三原色(BGR)と補色の光の三原色(YMC)で撮影は一度に変化するので、この事を先ず覚えておく事が必要です。
ここで「色は可視光線」だけだと思っているでしょう。ところが違うのです。
その前に、元は光ですよね。そうすると、可視光線の一つ外に、「紫外線」と「赤外線」がありますよね。その紫外線や赤外線にも「色らしきもの」が幾らか有るとは思いませんか。
急に「可視光線」に成って仕舞うのですか。そんなに急に色に変わってしまう程に自然はきっぱりしていませんよね。
未だ「紫外線」、「赤外線」は光の状態ですね。
その光の状態で「僅かな色合い」を示しているのです。
そして、それが「可視光線」の色の基本に成っているのです。
この理屈が写真には大事なことなのです。
つまり、人間の脳の感性はこの「僅かな色合い」の光を重視しているのです。
可視光線の「BGRの三原色」の基を成し、このBGRの「深まりや鮮やかさ、明るさ」等微妙な「色合い」を構成しているのです。
ですから、この「光の色合い」はその可視光線の7色の「微妙な色合い」を変えているのです。
これが、「光の色合い」が(YMC)の「3つの色合い」なのです。
この事の詳細は例を上げて観るとなるほど”紫外線に色が人間の目に見えているな”と気付きますよ。
現実の目の前でBGRの可視光線ほどでは有りませんが起こっているのですから。
この事は後述します。
そこで、写真ではこの微妙に確かに目の前で起こっている「光の色合い」を知り認識する必要が先ずあるのです。
可視光線の根幹を成しているのですから、これを認識しないでは綺麗な写真は先ず撮れません。

光の色合い
そこで先ず「可視光線」の知識とこの「光の色合い」の知識が必要と成るのです。大事な事なので更に解説を続けます。
太陽から届いた振動磁波の光は全ての光が交じり合うと「白」と成ります。
混じらない時は「黒」と成ります。当然ですよね。昼は白ぽいし夜は暗いので黒ですよね。
ところが、これが衝突すると色に変わるのですから、全ての色が交じり合うと「黒」に成ります。混じらないと「白」に成ります。これも当然ですね。
そうすると、ここで、この「光」の「色」と「三原色」の「色」とに何か特長のある原理が働いていますね。そうです。大雑把に云えば「反対の性質」が働いていますね。
これを理論では「反対」と云う定義ではありません。この現象は「+-」の相対の関係では有りませんね。少し違います。
元々「光」と「色」は同じ物では有りませんからね。BGRの色だけでならば「+-」の相対の原理となるでしょうが。そこで、この関係を色理論では「補色の関係」にあると云うのです。
反対の様で基が違うのですからお互いに助け合っていると云う関係にもあると云えますよね。
そこで、この関係を良く観て見ると、この「光の色と可視光線の色」には3つに分けられますよ。

先ず可視光線を見てください。
「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」
この可視光線は次ぎの通りです。
「黄色系」
「紫色系」
「青色系」
以上3つに分けられそうですね。
兎も角も「濃度と強さ」は別としてこの3つに分けられるのでは有りませんか。

「黄色系」を「Y」、「紫色系」を「M」、「青色系」を「C」と成ります。
この3つに分類で出来ますね。

当然に上記した様に「補色関係」にあるのですから、この3つの分別に相当するものがある筈です。
そこで、考えて見ます。
補色ですから「色」として見る事にします。
例えば、橙、緑などは黄色系の中には青が入るとこれに近い色合いに成りますよね。
この考え方で観てると次ぎの様に成りますね。

「黄色系」(Y)のものは「青色系」と観る事がで来ます。これを「B」とします。
「紫色系」(M)のものは「緑色系」と観る事が出来ます。これを「G」とします。
「青色系」(C)のものは「赤色系」と観る事が出来ます。これを「R」とします。

人間の目に見えている振動磁波の光は可視光線としての色として見えていますから、これを「色の3原色」と呼びますね。
当然「光の3原色」と観る事も出来ます。
「YMC」は「イウロー、マゼンタ、シアン」
「BGR」は「ブルー、クリーン、レッド」
以上3つと成ります。

「Y」に対して「B」、「M」に対して「G」、「C」に対して「R」の補色関係にあると云う事に成ります。

「YMC」「BGR」の働き
さて、この事が判るとして、この関係が”撮影でどのように働いてくるのか”と云う事が浮かんで来ます。
そこで、例題を挙げます。
ある「B」系の背景があります。この環境は木々などで撮影する場合が多いですよね。
其処に、人が立ちます。
そうすると、その「青色系:B:ブルー」の中に人の肌色の顔があるのですから、この肌色には「B」に引っ張られて補色関係の「Y」が働き、肌色に黄色が働き褐色ぽい顔色になってしまいます。
これは人間が観た自然色ではありませんね。人間の目は脳の印象記憶でこれを瞬時に修正しています。
”私の顔はこんな日焼けした顔していないよ”として”綺麗に撮れた”とせずクレームがつきます。

ある「G」系で画面が6割以上も占める背景があります。其処に、顔とか花とかを中心に据えます。
そうすると、フェリヤーが働き、補色の「M」が働き、花が「M」が強く混じった色の花が出来上がります。何か紫ぽい花と成ります、肌色の顔ですと赤っぽい赤紫色ぽい顔が出来ます。
同様に、クレームですね。写真を叩きつけられるかもね。

M(マゼンタ)中間色
ところで、この「M」(マゼンタ)ですが、聞きなれない色の呼び名ですね。
この色はつまり、光は「極めて薄い赤紫」の色合いを示し、”色なのか色でないのか判らないもの”で、つまり原色では有りません。
これを「中間色」と云う色理論では呼ばれている色合いです。
この「M」と「C」は「全ての色」に対して大きくその色合いを与えるもので、この様な働きをするものを「中間色」と云います。
これから撮影する場合、花や物や人物等の被写体をよーく見てください。そうすると”なるほど 少し原色と違うな”と感じる筈です。これがYMCの「中間色」が働いているのです。

さて、この「中間色」ですが、日本人はこの色合いが含まれた色を「綺麗」とし、「自然美」の感覚としているのです。つまり、日本人の「綺麗」の根源はこの「中間色」なのです。
その中でも、この聞きなれないM(マゼンタ)を最も好むのです。
万葉の昔から、「薄紫」が最も高位の色とされている理由はこの所にあるのです。
このM(マゼンタ)とこれを含んだ色合いを「綺麗」とする遺伝子を持っているのです。
ところが、上記した人種の印象記憶ではアングロサクソン系の人種は、余りこの中間色に反応を示しません。もとより「原色の美」を好みます。
つまり、「中間色」又は「中間色を含んだ色合い」のものは濁り、澱み、くすみとして嫌います。原色の中でも特に、赤系統を好む傾向があります。
それは何度も言うようですが、極寒の中で進化した人種の遺伝子がその様にさせているのです。
況や、極寒の中での生死はその血液の凍結を防ぐ最も大切な条件であったからです。
彼等の体型や顔や目鼻や皮膚の全てがこの「血液の凍結」を防ぐ事から進化してあの体型に成っているのですから。
そのYMCの中間色ですが、花の「自然美」が判りやすいと思いますが、中間色又は中間色を含んだ色合いの花と原色の花とを示すと、日本人は「中間色」系を「自然の美」として「好み」を示します。
しかし、「原色」の美は「感動」とした反応をする事が統計的に判っています。
「好み」(中間色)の「自然の美」
「感動」(原色)の「自然の美」
以上2つとに脳の印象記憶で分けている事が判るのです。

漫然と聞くと、どちらも「綺麗」と聞こえていますが、それを分析すると、上記の様に脳では分類しているのです。
故に、その理屈から云えば脳科学では「感動」は「血液」の如何を意味しています。
ですから、上記したアングロサクソン系の人たちは遺伝子から「血液」即ち「感動」を基幹とした反応を示す事になるのです。
当然に、日本人としては、写真を撮る時、又は観る時には、この脳の反応が働いている訳ですから、この「中間色」(YMC)を如何にして取り入れる工夫をするかに掛かる事に成りますね。
自分と他人は「綺麗」と反応して評価するのですからね。
当然に、日本人にもある「感動」を与える写真の工夫は、”如何に「BGRの取り入れ」を工夫するか”に掛かることを意味します。

そこで、問題に成るのが、「綺麗」で且つ「感動」の写真ですね。
つまり、「難しい写真」と成る事です。
そこで、その典型的な被写体があります。それは、「秋の紅葉」に挙げられる風景です。
「原色の自然の美」とも云えるものですね。確かに「感動」を与えます。
観ると「血」が騒ぎます。そして綺麗です。感動と綺麗が融合しているのです。難しいですね。
しかし、反対に「春の花々や植物」は「中間色の自然美」ですね。「感動」「血が騒ぐ」と云った脳や前頭葉の働きでは無い「何か静けさを感じる美的感覚」では有りませんか。
”感動して心が動く”と云うものでは有りませんね。

この季節による写真にはこの様に”何か違うもの”を感じます。
「淡い色合い」で何とも云い難い印象を持ちます。
最近は西洋花が多く成りましたが、矢張り、春の野辺の花の色合いの綺麗さは「血液」が騒ぐと云うのでは無く「遺伝子」が騒ぐと云う感じがします。
これが我々日本人に持っている「遺伝子」の「YMCの感覚」がその様に複雑に美的感覚を分けているのです。日本人は「繊細」な人種と判定出来る要素ですね。
アングロサクソン系の人たちは全体を「血液」の「感動」に依る事から、当然に日本人の様には論理的にこの難しい事は起こらないことを意味します。
彼等は全て、遺伝子から来る「血液」による「感動」を主体としている事に成ります。

量的感情と質的感情
「感動」とは確かに「綺麗さ」もその一つですが、主に「強さ」や「壮大さ」や「広大さ」に対して起こる「量的感情」が主体です。そして、秋の「感動」の綺麗さはその字の如く主に「動」による綺麗さでは有りませんか。

それに対して、春のYMCの綺麗さは「静」による綺麗さを示しているのでは有りませんか。
YMCの淡い色には、「感動」の「動」の強さや壮大さ広大さの「量的感情」の印象は少ないと思います。どちらかと云うと、「質的感情」と区分けする事が出来ます。

この様に、まとめますと「静」の「光」の「YMC」中間色による「自然美」の「綺麗」は、殆どは日本人の「遺伝子」による「質的感情」の「綺麗さ」とでも云えるものなのです。
そして、それは色理論としてはYMCが「色の根幹」の印象を左右しているのですから、むしろその上記「まとめ」である事が正しい感情と云う事に成ります。
ですから、写真撮影ではこの「YMCの如何」を習得して表現する事が「本当の自然美」であると言えます。

YMC
さて、そこで、そのYMCの全てが均等に左右しているとは限りません。
質的、量的にも特長を持ちます。経験による私的感覚ですが総合的には、この関係はM>C>Yであると観ています。その原因は日本人の「進化による遺伝子」と「四季による環境変化」によって起こっていると判断しています。

ではそのYMCが個々にどの様な特長を示すのかを説明します。
中でもM(マゼンタ)の美は日本人以外の人種では綺麗だとする感情を高める統計的なものは無いとされています。
市場の店頭で起こっているその例題を述べます。

M(マゼンタ)
このM(マゼンタ)に関して普通にプリントすると、10人の日本人があるアスファルト道路の入った被写体写真に対して、このマゼンタを抜いた本来の色のアスファルト道路としてプリントすると、10人がこの”道路の色はおかしい”云うのです。
あの汚いアスファルト道路に対して、Mだと認識はしていないのですが、”M(マゼンタ)の様な色合いを少し欠けている”と要求するのです。通常、0.2-0.3程度の色合いを求めます。
そして、Mを補正を欠けると納得するのです。
この様に、写真店等のところでは道路だけではなくてもプリント全体にM(マゼンタ)0.2の補正を掛けているのです。それで初めて、”綺麗だ”と評価されるくらいに日本人にとってはこの中間色の存在を綺麗の前提としているのです。
そもそも、補正に依らずとももとより、「静」の「光」の「YMC」による「自然美」の「綺麗」は綺麗なのですが、遺伝子的な強い感情なのです。

C(シアン)
淡い青の色合いを示すC(シアン)は、特にM(マゼンタ)程にその傾向はありませんが、恣意的に欠けさしていると、強さとかシビヤーさとかシャープさとしてクレームが付きます。
観やすいものとしては、真っ白い光の当った花などよーく観てください。光がよーくあたった一部分に薄い淡い青、或いは水色の光り輝く部分があります。この部分がC(シアン)が当ったところです。このC(シアン)はより真っ白を白く見せつけます。
可視光線外の何ともし難い紫外線にこのC(シアン)が多く含まれている為にフェリヤーが強く働き自然美を阻害してしまうので注意を払う必要があります。
最近ではこの紫外線は大変に知られ、嫌われる光ですが、そうでもないのです。
殺菌作用や季節の植物の発育には欠かせない光でこれなくして生物は生きて行けないものなのです。
しかし、可視光線外の紫外線に含まれるこのC(シアン)の中間色としての存在そのものが知られていないのが現実です。最近ではやっと「アントシアン」として知られるように成りました。
従って、普通は一般的には「可視光線」の範囲での色合いの構成と知られ観られていましたが、ところがこのシアンが光として写真技術にも大きく影響しているのです。
より写真技術を上げるとすると、逆にこのC(シアン)を如何にコントロールするかの技術が必要となりますね。上記した様に強弱、鋭鈍、明暗等の輪郭等の印象記憶をコントロールする場合に必要と成ります。

もとよりM(マゼンタ)は言葉そのものの認識が低くても中間色としての色合いは日本人なら誰でも知っている事ですが、太古の昔から知られていました。
しかし、このC(シアン)の言葉はもとより色合い自身も認識されていないのが今も現実ですね。
それだけに写真技術を上げるにはこのC(シアン)の論理的な知識を習得してそれを活用する事で「綺麗な写真」が撮れる前提要素と成るでしょう。

Y(イエロー)
次ぎはY(イエロー)なのですが、イエローは日本語で黄色ですね、でも、この光の中間色のイエローは色のイエローとは少し違います。
その色合いはやや淡い薄い透明的な光り輝く黄色です。
日本人はこのY(イエロー)の有無には余り反応を示しません。それは遺伝子と進化から来ています。
日本人は黄色人種ですし、その環境は森林や家屋等にイエローの多く含む環境にあります。ですから、多少のY(イエロー)が過不足があっても違和感を持たないのです。この中間色のY(イエロー)が働くと顔等は黄土色や日焼けしたように成ります。
色の黄色にこのYが多く含むと輝くようなイエローと云うか黄色が出来上がります。
テレビ等の画面に最も多く出て来る自然美から離れた不良画面はこの中間色のY(イエロー)が代表的です。余り意識していない事から来ていると考えます。
この光の中間色のY(イエロー)は原色を好む人種には大変に好まれます。それは色としての可視光線の原色の黄色として存在するからです。
原色の黄色の変化として、日本人の中間色の嗜好品的な所までは行きませんが、使われるのです。これを加える事による変化を好みます。
「感動」を主体とした反応である事から、強弱、鋭鈍、明暗等の輪郭等の印象記憶を要求する事に拠ります。

どちらかと云うと、C(シアン)等の使い方もこのY(イエロー)に近いものがあります。
更にどちらかと云うと、多くは画面が汚くなる傾向があります。このフェリヤーが働いた画面等は見られませんね。
とは言え一概には云えないことですが、写真撮影期の「春榛の緑」とすれば必要な中間色ですが。秋の銀杏の葉などにも使われる色合いですので、機会の多さ被写体の多さからすると同等に学び使う必要が出てきます。

中間色YMCの使い方
そこで、「好み」(中間色)の「自然美」と「感動」(原色)の「自然の美」をコントロールする”この難しい写真を撮るにはどうすれば良いのか”との課題です。
先ず、あくまで「原色の自然の美」の「BGR」を中心に、中間色の「YMC」を引き出すかの写真技術と成ります。そうすると、必然的には「YMC」の理論を学び会得するかに掛かる筈ですね。
難しい被写体ですから、簡単にこれだとする一つのものはあり得ません。故に複雑なそれを系統化した其処に理論が生まれるのですから。
それを系統化して論理的にしたのが「CC理論」なのです。
その中には、当然に補色に関係する「フェリヤー理論」も必要ですね。
本文の目的とするレポートですが、日本人の自然美は多くは、原色BGRの理論も必要として、よりこの「YMCの理論」と「フェリヤーの理論」を会得する事に関わります。
そして、それを融合させた理論の「CC理論」があるのです。
この「CC理論」のSカーブに付いて後述します。

そこで、それを理解する為に必要とする予備知識として知るべき事があり、その為に話を元に戻します。

撮影の予備知識
同じく、ある「R」の多い花などの背景に人が立つとしますと、或いは別の花を中心に据えるとしますと、その人物や中心の花には「C」が働き、何か青覚めた人物や花が出来上がります。
これでは写真では有りませんね。
今度は、「Y」「M」「C」の背景に同じ様に撮影の対象物を撮ると「B」「G」「R」の補色関係が働き観るも堪えない写真が出来ると考えられますね。趣が出るのか疑問に成りますね。
しかし、この「BGR」の背景に「YMC」が中心に来るとに較べて、そのフェリヤーの影響は少ないと見えます。”何故かな”と成るでしょう。
それは「YMC」の背景に「BGR」が来ると、人間の目或いは脳は次ぎの様な事に成ります。

先ず、1つは目は、フェリヤーが働いてくる「BGR」は可視光線のよくある色ですし、中央の被写体の色の殆どはこのBGRの色で構成されている事だから目立たないのです。脳、目は”反応し難い”のです。
2つ目は、YMC全体の背景と云う被写体が自然界では少ない事により、確率的に認識できないのです。恣意的、故意的にスタジオでの背景を作らないと「全体背景」としては先ず見られません。
3つ目は恣意的、故意的な特別なものは除くとして、自然背景の「BGR」に対して「YMC」はその色の根幹をなしているのですから、むしろその色合いのはっきり感等の明度の助長として働くからで目立たないのです。

テレビ等でよく観察してください。主にこのBGR背景でのフェリヤーの働いた画面が出てきますよ。
人間は「人の肌色」(YMCの中間色です)に対する印象記憶が何よりもすば抜けて強く違いを見抜きます。又、これには納得する色理論が働いているのです。後でこの理論を解説します。

人種の色の好み
この様に、フェリヤーは自然の摂理現象の「光と色」関係がある以上この現象が起こります。
写真はこれを目の錐体覚質細胞の覚質層(受光細胞)に残像として遺すわけですから、人間の印象記憶がある以上また避けることも出来ません。
ところが、恐らく、”この印象記憶が人或いは人種により異なる”と考えるでしょう。
その通りです。日本人は全世界の人種の内で最も自然色を好む人種なのです。恐らくは自然に周囲が囲まれ育まれてきた結果だと思います。
例えば、アメリカ人又はアングロサクソンのヨーロッパ人は自然色から離れたやや赤みがかった色を好みます。人肌は赤みの人肌を自然だと云います。実際は違うのですが。希望的観測と云うか印象と云うかのものですね。
これは、彼等の祖先が生き抜いて来た「極寒の環境」から来ていると云われています。そのために肌は赤く血液が通って居るのが良いということに成ります。
アングロサクソンの白色人種は極寒であったために血管が体の中に引き込めて進化した結果のために白色に成っているからです。鼻が長く高く毛深いのはこの進化から来ているのです。
日本でも北部の人はこの若干の傾向を持っています。
色とはこの様にその祖先の如何が左右するのですが、兎も角も、好みの範囲ですが、論理的「自然色の美」は変わりません。
そんな事を言っていても、フイルムや画像ソフトが売れなくては困ります。そこでその好みの範囲でフイルムやソフトはその好みに合わせています。この合わせる理論があるのです。
それを「CC理論」と云います。それを一つの図表化にしたものがあり、これを上記の「BGR:YMC」の関係と「CC理論」とを合わせた「CCカーブ」(Sカーブ)と云うものがあります。
これは大変撮影の時に重要なものですので、後で解説します。
我々は、日本人ですので、「自然美の色合い」の理論で更に進めます。

自然美の理論 YMC
紫外線
では次に「可視光線」外の紫外線と赤外線とに付いて述べます。
この「2つの光線」も色に影響するのです。当然に写真にも作用するのです。
先ず、紫外線です。700ナノ付近の光線です。
この光は現在はかなり知られて来ましたが、この光は物に作用して殺菌する能力等があります。それはその光の持っているエネルギーに拠ります。衝突した時に発生する熱エネルギーで菌が死滅するのです。また、紫外線に多く含まれる「C」(シアン)が光線として物体に当りますとそのシアンの毒性で菌などは死滅する事に成ります。(用語としてアントシアンと呼びます。)
青酸カリという劇薬を知っていると思いますが、これはシアン化カリのことです。(C)は青色系ですから青と呼称します、シアンの酸化イオンと(K:カリ)のアルカリイオンが反応したものだと云うことです。このシアンが猛毒で怖いのです。炭素と窒素で出来ています。これをCNイオンと書きます。
このシアンがアントシアンとして作用します(ここではシアンと記する)。紫外線にはこのシアン(C)の光を多く含んでいます。
光は物質の振動磁波だと上記しましたが、この紫外線にはCN物質の振動磁波の光の状態のものが含んでいることを意味します。
例えば判りやすく例を挙げますと、柿の実、或いは葉や赤い紅葉はこの紫外線に含まれるシアンが柿に当りシアンの補色の赤に作用して赤く色づくのです。
色づくだけでは有りません。このシアンは柿の実の中の味物質に衝突してCとNが分離してCが更に醸成して炭酸(CO)イオンとなり、紫外線の当る量が増え、更に進んで果糖になりブドウ糖の糖分へと変化します。これが真っ赤に熟した甘い柿の実なのです。
柿の葉や赤の紅葉も同じで紫外線の当る量が多くなるとシアン(C)の補色の(R)へと変化するのです。簡単に云えば赤い夕焼けと同じですね。
ですから、この時期の葉で太陽光線に強く当った紫陽花の葉は危険なのです。緑の葉でありながら、葉には紫外線が当っても補色の色に変化せずに緑のままでこのシアンを溜め込むのです。それだけに紫陽花の葉の緑の力が強いという事ですね。虫は紫陽花の葉を食べませんね。虫食いの紫陽花の葉を見たことが有りません。
ところが、例外の紫陽花の外では、つまり、紫外線が当る事で、葉の緑の色素は分解されて葉の内部の細かさが赤を受け付けるのです
赤の夕焼けと同じです。この物質にアントシアンが残るのです。シアンは元は「薄い青みがかった白
」です。写真技術では「薄い青みがかった白」だと大事ですので覚えて置いてください。
このC:シアンの光が衝突することで補色の赤(R)の色に変わるのです。
他に例としては、銀杏はこの紫外線のシアンを吸収しますが、紫陽花ほどでは無く黄色程度のところで葉の内部の分解は留まりますが、この葉も危険です。ですから、生きた化石として長く生き延びてきたのです。
同じく銀杏の木にもこの溜められたシアンが働きスポンジ状の木の内部に溜め込みます、当然に菌や虫は食べませんので腐らずに木は生き残れたのです。

つまり、当然にシアンを含んでいるのですから、写真ではこの紫外線の太陽光を最も気にする必要がありますね。どう言う事かと云うと、写真は光と物体の肖像ですから、アングルに光の取り入れ方が重要です。取り入れすぎるとシアンが働きますし、その光の中心に肖像物体を入れて撮るとシアンの補色が働き赤みが自然色から離れて働きます。上記の理論よりフェリヤーが働き過ぎますね。
そうすると、撮影時は光は写真を生かすかどうかのものですから、何とか取り入れる必要があります。そこで、フェリヤーが働かないように撮影肖像物から離して取り入れる必要が出てきます。
むしろ反対の場合のも在りますね。
撮影肖像物が赤であり特に強調したい場合は、むしろ紫外線を当ててフェリヤーを働かせればより綺麗に写ります。
更には、白色をより強調したい場合は、アングルの中心から僅かに外してフェリヤーを外して紫外線を直接当てる事でCの薄青みがかった白が出てより白く見せる事が出来ますね。
注意は当然に光の綜合色の白が強く成るのですから、ハレーションが起こります。このハレーションを防ぐには紫外線の時期を選ぶ以外には在りません。紫外線の少ない光です。
朝の上記した3つの時期と成り局部的に当てる事でかなり抑えられます。だから、朝日でもこの様に3つもある事の自然論を知っておく必要がありますね。
つまり、地球の空気の澱みの有無を知る事が写真技術では大切な要素と云う事です。
こうなると、物理に成りますが。マア其処まで行かなくてもこの程度の原理を覚え使う事で綺麗な写真が撮れる事に成れば覚えて活用したほうが得ですね。
この様に、上記した理論を駆使して紫外線を撮影から利用するのです。推して知るべしで撮影には紫外線は色々なアングルに「シアン」というものが大きく働きます。
太陽光の綜合色となる即ち紫外線ですから最も重要ですね。
紫外線フィルターも在りますがこれも使うことも一つです。芸術写真を撮る事等にはお勧めですが。
紫外線の効能は「シアン」以外に「趣」として観ると活力や明るさ等もありますからね。
又、他の方法では4000ケルビン程度のフラッシュで紫外線を迎え撃つ事も出来ます。光の方向に向かって明るいですがフラッシュを焚くのです。
慣れてくると、フラッシュの発射角度や時間や強さをコントロールする事でも微妙な趣を出すにはこの方法も可能です(場合によっては自分専用に改造か作る必要がある 殆ど充電量をコントロールする事で可能)。

写真を撮る一番最初に考える事は、被写体が決まると”「光」をどうするか”ですから、シアンの影響が続けて記憶から出るぐらいにしておく事が必要です。

赤外線
次ぎは、赤外線です。
紫外線ほどではありませんが、この光も働きます。
赤外線は400ナノ程度以下ですから、実に細かい振動磁波ですから殆どのものを透過します。
当然、空気の澄んだ時には多くこの赤の光とか赤外線の透過量が多いと成ります。
そうすると、どうなるかの問題です。
赤外線量が多いと云う事はその量が衝突する物体に赤傾向が強く成ると云う事ですね。
朝の「曙」はその赤の綺麗さが良くて「曙」と呼ばれ好まれているところですね。
赤の夕焼けとは少し違います。赤の夕焼けは空気中の澱みでやっと透過してきた赤の振動磁波が空気の澱みに衝突して発光して赤を示すのですが、朝の曙は澱みが少ない事でその量が多くて衝突してより多くの赤を発光している訳ですから。「質と量」の内の「量的」なところが違うのです。
そうすると、写真性では、先ずは「色濃度」はもとより「色の深み」と云う形で出て来る事に成ります。
紫外線のシアンの白っぽさの元気感、活力感、とかに較べて、赤外線の補色の赤は「しっとり感」「落ち着き感」とか「深み感」が出る事に成ります。
夜明けの赤外線は「低い角度」で入ってきますから、撮影時はこの角度をも配慮する事がその趣感をより強く出すので大切です。
この様に、赤外線と紫外線とは相対的な趣を醸し出す事に成ります。大まかには逆に働くとして覚え利用する事です。
赤外線は振動波が細かいですから、つまり透過は良いわけですから衝突や透過に依って起こる色合いではものを「暖める能力」を持っていますから「暖かい感じ」がしますし、被写体に当ると透過の影響で花の花びらなどでは透き通る事に依って「透明感」のある「色合い」を示します。
この様に、赤外線の「透過」と衝突による「赤味」から撮影時はこの2つの影響を論理的に考えることで赤外線の趣を引き出す事が出来るわけですね。
紫外線の様にYMCのC(シアン)が強く出る事が有りませんが。強いて云えば「下地にM傾向」と云う事になるでしょうが、赤の中にMですので目立ちません。BGRの根本の一つMですから赤の色合いは良くなる事は確実ですね。
現実に、論理的には振動磁波が物体に衝突する事で発生する熱エネルギーにより紫外線の「熱さ」に対して、赤外線が当ると穏やかな「温もり」を起します。「遠赤外線ヒーター」はその証拠ですね。
この論理的な現象から目に見えないのですが、これを活用する事が写真ではより「自然美の綺麗さ」を表現する事が出来ます。従って、意外には配慮されていないのが現実ですが、上記した様に大きく影響するのです。
推して知るべしで、逆に赤外線の影響を少なくするのには赤外線フィルターも在りますが、紫外線の処で述べ現象と同じ事が起こります。使う目的にあわすことが必要ですね。
フラッシュは逆効果で赤外線の効果を消す事の手段としては使えますが、それも面白みなどを出す目的での事に合わす事が必要ですね。
兎も角も、この赤外線を含む赤色系は、「空気の澱み」がある限り紫外線と較べて難しい事に成ります。
ですから、都会で撮影する時と、田舎で撮影する時と、町で撮影する時と、森で撮影する時では、「空気の澱み」と「酸素やオゾン」の量が異なるので、違う色合いを示す事に成ります。
森や林で、木々の多い所で撮影すると「深み」のある「しっとり感」とかが出てよい写真が撮れ易いのもこの事から来ています。

次ぎは中編、後編と続きます。



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