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先祖と宗教(「時間の逆行性」)

設問
1「呪いの意」 (般若経の一説:仏教は何故呪うのか)
2「時間の逆行性」 (時間は逆行しないのだから仏教の仏=先祖は疑問)
3「行為と行動の逆進性」 (先祖が成した行為と行動は逆行しないのだから「仏」は疑問)
4「キリスト経の教え」 (仏はキリスト教の教えと異なる)
5「仏教とキリスト経の妥協の余地」 (根本的な違いの考察)

以上に付いて私観を述べたいと思います。
では、「呪いの意」 (般若経の一説:仏教は何故呪うのか)に続いて次の2番目の設問に入ります。

2「時間の逆行性」 (時間は逆行しないのだから仏教の仏=先祖は疑問)

普通、時間は逆行しません。
しかし、宗教では逆行はすると言う説法が多くあります。

前問の「呪い」のところで、「4つのみ」から開放された躯体の持たない魂の「仏」は、死後1週間は「魂」として現世に残るとされています。
そして、この魂は「躯体」を持つ現世の者に語りかけると説いています。

実体験
実は、私の両親と親族の3度の葬儀の後に、この現象に遭遇したのです。
この事の話は、現実にも近隣でも良く聞く話で、叔父も同じ経験をしていると聞いていましたので、まさかという感じでした。確か叔父も周りの人には信じてもらえなかったといっていた事を覚えていて、実は私も経験して驚いたものでした。

葬儀の後に、親が住んでいた仏壇の母屋に入ると、かなり大きい声で話し掛けられるようになんとなく語りかけて来る話し声が耳に入って来たのです。その語意ははっきりとはわかりません。この現象は長い時間で暫くすると止まります。その現象は矢張り1週間続きました。
話していることは確実なのです。周囲は明るい部屋です。方向もなんとなく判るという程度です。その声は父親であり、又母親であり、兄弟であるとする事もはっきりと判りました。
側には家族がいましたが、聞こえないと言いますが、周囲を見渡しても音のするものは有りませんし、家族は静かだと言います。外に飛び出してみても何もありません。理解し難い現象です。
この親族の葬儀の後の経験は3度もありましたので、2回目の時は、”あっ又だ。確かにある。”として、今度は慎重に、静かにして、何を云って居るのかを確かめようとしてみましたが、矢張りわかりません。しかし、印象として、家の事を託すようなことを話しているという直感が起こりました。
これは多分、自分の置かれている立場を自分が知っていて、それを直感として浮かんだのだ、或いは浮かび上がらしたと後で思いました。
それで、私の職業柄であり性格でもあるので、不明快な事では居てもたっても居られません。この現象に付いての調査を始めたのです。宗教的、脳医学的に起こる原因があるのかとの調査です。
そして、双方の点に確かにありました。
この時の現象では、先ず、「直感」に付いては、「仏」が超元的な方法で、私に「直観」を起させ訴えるという方法を採ったという結論に至りました。

仏教でも、脳医学でも、直接「言葉として話し掛ける」と言う連携ではなく、「直感」に訴えると言う方法が起こる事もわかりました。

この現象に付いては、「時間の逆行」の体現がないので、どのような体現として得られるかは判りませんでした。
私は現世に居ます。従って、時間は逆行することはありえません。しかし、躯体をなくした魂の「仏」は他次元(4次元)の世界に居ます。よって、この制限は有りません。
起こるとすれば、「仏」の方からの現象である事は理解できます。
「魂」のみとなった「仏」が話し掛けるとする事は、次元を現世に戻している事に成ります。そして、その現象を「直感」という方法にて出現したのです。
故に、他次元から現世に戻しているのですから、これは明らかに、「仏」の「時間の逆行」を示す現象です。


しかし、この「直感」に訴えると言う体現反応は、脳医学的に論理的に証明出来得る可能性があることが解りました。
(この事に付いては下記に記述します。)

論理的な可能性の理論
つまり、死んで躯体をなくし「魂」のみの「仏」となった者が、「過去の自分」を「現世に戻した」とする現象です。時間は戻っています。

ところがこの不思議な現象を「脳医学」で理解できるものがあるのです。

人間には、「野生本能」というものが存在し、その「本能」を司っていたのではないかとする未解明な不思議な「脳器官」が2つあるのです。

現在でも、あまり、進んでいない野生動物の一部に、この2つの器官が存在して作用している事が解っています。
それは、次の通りです。

「2つの器官」の説明
一つは、「第3の目」といわれるものです。

動物には主に二つの目があります。然し、元はどの動物にも「副眼」というものがあったとされていますが、その必要性が環境の変化で退化してしまったのです。
その「第3の目」的働きをする器官は、現在では、人間では、脳の中心の最下部のところにうずくまるように小指の先くらいの大きさで存在します(前松帯)。これは本来は「前頭葉」の額の上部に存在していたと考えられていて、これが、人間のように脳が進化した為に下に押しやられて、その目的が少なくなり、低下して退化したとされています。

人は、何かを真剣に考えるとき、全思考勢力を額の中央付近(目圏)に集中させて考えるという仕種をしませんか。多分、この時に次に記述する部位が働いているのだと思います。
古い奈良時代の仏像には額の上部に複眼を持った仏像がありますが、これはインダス文明の古来から人間にはこの複眼的機能がまだ比較的強く働いていたことを示すものではないでしょうか。

では、そこで、その事に付いて述べて、論理的にこの現象を解いて見ます。

論理的現象
この「第3の目」は現代では、感情的な予知や未来に対する予測の補助として使われている事までは解っています。
これ等の働きは、人間では左脳の学習的記憶データーから読み取り、無意識の深層思考原理の働きとして使われているために補助的な働き程度にしか使われていないのです。
特に、この「第3の目」のこの現象は、特に顕著に女性に観察さられる現象とされていて、感情的なインスピレーションの働きとして出て来ます。
女性の本来の「性の役目」に基づき「深層思考原理」の「3思考パターン」の「感情、勘定、妥協」により、この最初の脳の無意識の動作の「計画思考」の段階での「感情の補助」として動作されていると研究はされています。
女性の「性の役目」からその必要性は頷けます。

(女性の思考パターン:「感情的」に思考を計画して、「勘定的」に思考基準を取りまとめ、「妥協的」な判断で実行を動作させる。この働きを無意識のうちで瞬時に回想する脳の仕組みで、これを脳幹の後ろの左側の餃子程度の大きさの「脳陵帯」と云う所で管理されている)、

しかし、この器官の詳細は未知や将来の「予知能力的」、又は、「透視力的」な器官であると考えられており、猿人期の原始の時代に確実に強く動作していたのではないかとされています。

現在でもこの「第3の目」の器官をもつ生物や動物は沢山認められています。例えばトンボ等の複眼類や鯨類や原始猿です。
この「第3の目」が、人の脳の最下部には今でも存在することから、女性のインスピレーションの鋭さは透視的なものとして、この器官が理性と感情を司る「前頭葉」と連動して作用していると考えられています。


二つ目は、「未来予測脳」とするものです。

人の記憶機能を司る左脳内側の真ん中の付近の所に「線状帯」と云うところがあります。このところの真ん中あたりに「中紀帯」というところがあります。これも小指の先程度の脳器官です。
この器官は、男性にしか反応しません。
この器官は左脳にあるあらゆる学習的記憶データを駆使して推理し未来を予測予知する超能力部です。

男性は上記の「深層思考原理」は、無意識下に於いて、「3思考パターン」の働きとして、「理想、合理、現実」として、脳は無意識のうちで、連鎖的に瞬時に動作して、諸事に対処します。そして、行動の有意識の中でここれに基づき働きます。

これは原始の時代に、その「性」の定めにて周囲の環境に適応して生存競争の敵から身を守る為に、無意識のうちのこの深層原理のパターンに成っている訳ですが、この為には、周囲の環境の「予知」を働かさねばなりません。
現代に於いても同様ですので、男性にのみ「脳陵帯」に保護されて、この「中紀帯」は働きます。
しかし、まだこの部分の働きの具合は良く判ってはいません。
「現世」と「仏」の他次元との連携的働きをしていたのではとも考えられています。現代でも退化せずせに人の強弱あるにしても男性に働いています。

つまり、この「二つの器官」が、「現世」と「仏」との何らかの働きがあるのではと考えられています。
原始の時代では、人はこの器官が盛んに多次元的に働いていたと予測されています。
しかし、次第に社会の付加価値の増加とこの器官の働きを補助する科学進歩で退化していったと考えられます。

歴史史実
邪馬台国の卑弥呼は、「仏」「神」即ち、他次元との連携を司る体現者であり、他次元からの「神のお告げ」として、この前器官を強く反応させ持つ能力のある人であったと見られます。
その様な説を説く学者も多くいます。
多分、未だ3世紀前後の時代には、現代と違い、この感覚を退化させずに、強く働かせる能力を持ちえていたのではないかと見られているのです。その中でも卑弥呼は特に優れていたと考えられています。
というのも、当時、この邪馬台国では、指導者が会い立たず潰れていて、その乱れた騒乱の中、卑弥呼の巫女としての他次元からのお告げの能力が、周囲を圧倒するだけのものを持ちえていたからこそ、周囲は納得し、巫女の立場から、一躍、邪馬台国の王としての立場までになり得たのではないかとみられます。
ただ、でたらめに予言するのでは、この立場までにはならない筈で、直ぐにボロは出る筈です。
故に、この第3器官が大きく働いていたと考えられています。

多くのインカやマヤを始めとする大古代文明の全てには、この他次元との連携者や預言者が居て、大きな他次元との連携建造物を造り、そのお告げにて政治を納めていた事は学問的に定説ですから、この器官の働きは古代までは強く働いていたと考えられます。
むしろ、万事万象がこのお告げ(この器官を使った直感)であった事から、むしろ、退化させず、特に進化させていて、先鋭化していたと考えられます。
時代事の変化に合わせて、この器官の退化進化は変動していた事も考えられるのです。

自然を追い求める心の強さから、この「2つ脳器官」も、現代では、退化の中でも、やや進化のゆり戻しの時代に入っているのではないかと考えられます。
脳器官全般に於いて使わない器官は、退化が進み、使う器官は進化が起こるのは学説経験上の定説ですから、ゆり戻しはありうる事であります。
そして、当然に、個々の人には、この現象の強弱がある事も判っています。

経験の検証
多分、私の3度の経験は、この器官の動作が起こったとも考えられます。
それは、人の死を経験した直後の脳の働きが顕著に鋭敏になり、少し違っていたとも考えられます。よって他次元との連携が起こったと見られます。
当然に、この現象は他次元からも「魂」のみとなった「仏」から発せられた信号との連携であったのであろうと考えます。
だから、電波の如く周波数が一致しないと聞こえることは出来ないものとして、丁度、家の世話をしていた私との連携となったと理解しています。
当然、この「中紀帯」が人一倍に強いのかも知れません。その様な感覚がします。自分のことで客観性がないので恐縮ですが、記憶力や推測力は強い気がしています。(これが私の人生に良い結果を生むのではよいのですが)

人の脳には、他次元との連携の可能性を秘めたこの「二つの器官」が存在することは確かであり、動作している事も事実であります。

伝達手段
2つの器官が働いたとしても、この伝達手段が脳の中に無ければ、役には立ちません。
実は、更に、これを裏付ける他次元と繋げる脳機能があるのです。
つまり、「二つの器官」の動作を伝達する「情報伝達器官」と言うべきものです。

「2つの脳波」
人には、脳から発せられる「2つの脳波」があります。
それは、アルファ波とベータ-波であります。
ベータ-波は特異なときに発せられますが、このアルファ波が、上記の器官の高まり(精神的な集中力に影響)に依って強く顕著に発せられる事になり、他次元との連携が可能になるものとして考えられていますが、アルファ波、特にベータ-波は未だ充分な解明が進んでいないのが現状です。

脳死は、この脳波を捉えて停止状態になった時のパラメータとしています。
つまり、生きているときに何らかの経緯で一時に著しく強くなり(フラッシュバック)、他次元との連携が可能になり、上記の現象が起こると考えられているのです。

同時に、推測の域は出ないのですが、この躯体をなくした「魂」の「仏」からもこの死と共に発していて、それが、この「2つの器官」を鋭敏にして脳波とのセンサーの役目をして、この現象を起しているとも考えられてます。

実は、推論として、私は、この「魂」とは、この死の直後に発する顕著な末路の「脳波」が「魂」の本質ではないかと推測しています。
(仏教では、魂説は定義しているが、(初七日として葬儀行事として定めているが、)長期間では彼岸の入りとしての祭祀行事までで、それ以上はこの「魂」が存在し続けるとははっきりと定義していない。)

「論理的な科学例」
故に、物理学では、万事万物万象の末路には「フラッシュバック現象」が起こり莫大なエネルギーと振動波を発します。
この事は、この核がなくなるとき物質の基となる「核の分裂」(核分裂:物質の消滅:死)のエネルギーの大きさを証明する事になるし、 同時に、特有周波も発する事実と符合します。

例えば、太陽の核分裂の爆発により、太陽から発する7つの可視光線は、この物質の核分裂のときに発した波長であります。
黄はNa、赤はFe、青はCuのように400n(赤)-700n(紫)の波長を発します。そのすごいエネルギーで振動波としてこの地球まで届いているのです。
その波長は空気中の微細な物質との衝突で色を発します。虹や夕焼けの色の変わる現象はこの空気中の水分やチリなどで色が出て、透過する波長が変化して色が変わるのです。

この現象は、科学では「炎色反応」として確認出来るのです。
物質の微粉末が燃え尽きるとき核の破壊が起こり振動波を発して周囲の物質と衝突して特有の色を発する試験方法です。

この様に人を含むこの世の物質は上記の現象を起します。
つまり、人の場合、このフラッシュバック時の脳波と、上記の敏感になった「2つの器官」の連鎖反応が、他次元的な働きをして、即ち、「魂」と「人」の連携反応を起すのではないかと考えます。(私の「魂」の本質説)
ところが、この現象がはっきりしないと言うのが現実です。何故なのでしょうか。(この事の推論は下記に説明します)

「2つの脳波」の存在理由
その前に、ここで、「2つの脳波」というけれど、一体この脳波が人間の機能にどの様な直接的な働きをもっているのか、何故振動波を発し、そして、存在するのか、と言う疑問が湧きます。
人間の機能には無駄は無い筈です。だとすると、機能はあるのだろうか。

「脳波の機能」
確かに人間は地球の電位体に対して、ほぼ身長に応じた(+)の電位を有します。電位を有することは起電流が流れます。
これで脳の神経を通じて神経のつなぎ目(継電部)に、キャリパー(Naイオンのアルカリ液体)を媒体として、電流が流れて脳が働き、体の各所に信号指令を送る仕組みに成っています。
しかし、この2つの脳波で動かしている機能は無いのです。
脳波が出ると言うことは、脳が常時振動波を発している事になるので、脳がわざわざ意味の無い振動を起こし無駄なエネルギーを使ってする事は無い筈です。。

とすると、何か、元は目的があってして、それが何かの発達でこの目的が退化したと考えられます。
普通は、人間の機能は使わないと退化するのが普通であるので、ではその退化をさせた「何かの発達」は何なのかという疑問が湧きます。
振動波であるのだから、先ず最初に浮かぶものは「情報伝達」の媒体と成ります。

「媒体の推測」
野生猿から人間に変化して変わった情報媒体では、関連する内容としては「脳機能の拡大」と「言葉の使用」と成ります。
「脳機能の拡大」では、「左脳の拡大」(学習記憶情報量の変化)と「前頭葉の拡大」(付加価値増大の感情量の変化)となります。
「言葉」では、「意思伝達の拡大」が起こりましたが、これは、言葉の伝達で「記憶量」が増大し、言葉の伝達で「感情量」が増大します。
結局は、この事で、言葉は「脳機能の拡大」を助長させた手段と言うことに成ります。

つまり、結局は、「記憶量と感情量」は「左脳の拡大」と「前頭葉の拡大」としての「脳機能の拡大」が大きく変化した事に成ります。

そこで、「左脳の拡大」と「前頭葉の拡大」は、上記の説の通り、次のようになるのではないかということです。

「2つの器官」の「左脳の拡大」では、上記した様に、左脳の中央部にある中紀体の「未来予測脳」であり、「前頭葉の拡大」では、前頭葉の額の上部(現代では脳中央部下部)の「第3の目」の複眼となるのでは無いでしょうか。

この「2つの器官」の退化で、「2つの脳波」の目的が無くなり退化したと考えられます。

この事は上記の「2つの器官」の論所と「2つの脳波」の論処とは、符合一致しますので、論理的に無理はないと考えます。

当然、「情報伝達」には、「発信受信媒体」と、「伝達媒体」が必要です。
人間には、この「発信受信媒体」として「2つの器官」、「伝達媒体」として「2つの脳波」と成るのではないかと推測しているのです。

この二つの媒体(「2つの器官」と「2つの脳波」)が、ある条件下で他次元までの伝達と成っていたと考えているのです。
ただ、これが全ての人間に保有していた機能とは思えないのです。それが「ある条件下」です。

極度に心を沈めることが出来て、非常に集中力を高められる能力を保持する者にしか働かないと思うのです。

インカやマヤなどの祈祷師や預言者、邪馬台国の卑弥呼などの者がこれを保持していたと推測しているのです。
より高い能力を持つ者は、他次元との連携をこの器官を使って出来ていたのではないかと考えているのです。
普通の者は、私の体現程度か、それ以下の伝達程度に成っていたと考えます。

この「脳機能」は4世紀ごろのまでの人間の社会にまだ少し存在していたのではないかと考えられます。

とするのは、例えば卑弥呼が予言した事柄を周囲の者が信じる現象は、ヤマト勢力と覇権を争っていた九州勢力を押さえていたこの者達全般にも、この脳機能の能力をある程度まだ維持していたから、卑弥呼の「予言」と言う不確定なものを信じた前提なのではないでしょうか。
又、上記した5-6世紀頃の仏教の仏像の複眼等もこれを裏付けるものとなるのではないでしょうか。
だから、仏教がインドで誕生時期から観て、人の死後の「初七日」の行事とか、「魂」説とか、「仏」=「先祖」説とかもただの説ではなかったのではないでしょうか。

この「第3の目」に関しても、平安期前期の仏像に額の真ん中に「複眼」をつけた仏像がありますが、これは、多分、仏教ではこの事を過去からの伝えで使用していた事を意味します。
つまり、仏教でもこの現象を認めている事を意味します。

以上、この論処事が私の体現の論理的説明となると考えています。

そうする推論で考えると、多くの世間で話されている死の直後の有り得る他次元との他の特異現象は、このことで説明がつくのではと考えています。

無と有の思考の効果
事程左様に、広範囲の科学論理的根拠や学識から調べるとそれ程に「無根拠」ではない事が判ります。
「無」と「有」と決め付けない「反意」で、思考すれば、この様に真実の根拠は見えてくるものであると考えます。

他次元の世界を「無」として決め付ければ(拘れば)、この様に、見えるものも見えなくなり、「有」と理解すれば「二つの器官」の存在も観え、そして、最後には、「時間の逆行」もあるという判断が出来るように成ります。

さすれば、より高く、より正しく、より冷静に、根拠に基づく上記の「理解」が得られる事につながると考えます。
言い換えれば、”「無」であるから「無」と拘るな””「有」であるから「有」だと拘るな”さすれば、般若経が云う「悟り」即ち、根拠ある「理解」のところにたどり着くとしています。(呪いの設問の解読説)
禅宗の座禅は、この様な基となる「静かなる心根」を高め得ようとする修行では有りませんか。
そして、その禅問答はその「静かなる心根」で「悟り」即ち「理解」を修練する行為では有りませんか。

確かに、技術の仕事していたときには、頭から湯気が出るほどに、一つの事に拘っていたときは「見えなくて」、その「拘り」から開放されたときの一瞬には「見えた」という事が沢山あり、何かあの世から知恵を授かった、貰ったというような気になって、技術的に解決したという経験は多くありました。
多分、この時に、この器官が動作していた可能性がありますね。皆さんはいかがですか。

学説では、頂点に達すると、この時にベータ-波が出て、脳は切り替わり、拘りは消滅し、脳の能力最大限に働くと言われています。
スポーツなどでもこの極限に達すると、その極意を得ると言われていますので、優秀な選手はこの域に達しようとして訓練を行うのであります。

「心頭滅却すれば、火も又涼し」であります。事実真実です。

私は、この現象は、「宗教的」な感覚ではなく、医学的にも、人間に本来に備わった「野性的本能」がまだあると観て、それがある条件下で働いていると考えています。

故に、「無」即ち、”ない”と限定し舞わないで、[有」もあわせて考える姿勢と思考が大切と考えます。

つまり、この経験の「有無」が上記した「差」として、積み重なるものと考えます。

私は、論理追求として働く物理技術者でしたが、一面、この様な現世に於いて論理外の思考もするところがあります。
しかし、つぶさに見てみると、上記のように、その否論理的なことを論理的に捉える習性が存在する不思議な性格かも知れません。

結論として、上記の「2つの器官」と「2つの脳波」の働きから、「呪い」の設問の(1)から(22)の数式の結論下で、故に、「時間は逆行する」であります。この世の相対の原理から云っても、あり得る事です。

その事から観ても、「先祖」「仏」の「連携」はある条件下で成り立つと定義できます。

だから、連携の不可思議、その事も含めて、「先祖」を知る事、「先祖」を敬う事は、現代の遺伝子学での結論の「過去の90%の自分」を敬う事にも相成ります。

故に、先ずは、「先祖を知る」事から始めるべきと考えます。
先祖を知れば自ずと先祖を敬い、先祖を祭る行為は生まれ、自身の心は上記の「拘り」の少ない心へと進みます。これが仏教の説くところでしょう。

実は、私は、「宗教」というものを「信仰」はしていません。仏教の説でも正しいとされるものを信じているだけです。

次の設問の徐として。
如何せん、兎角、「宗教」は「ご利益信仰」が主体と成っている事に疑問なのです。
”信仰すれば、こうしてくれる”は信仰とは云わないのではないでしょうか。
次の設問のキリスト教は、この傾向が説話の中で多すぎると感じています。
”信じよ、されば救われん。”には納得できません。信じなくても救われる筈です。この世の中でキリスト教を信じていない人は救われないと言う事でしょうか。そんなことはありませんね。
仏教は、”信じよ”とは云っていません。”理解せよ。”です。理解すれば静かな心根が生まれ、良い方向とへと進むとしています。
キリストは、”人は罪多き悪の子供”と設定していますが、仏教では”悪の子供であるも普通であり悪と拘るな”であります。それが「人」だと説いています。

次は、「行為と行動の進行性」への設問です。
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