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大化改新 新説 NHKスペシャルまとめ8-2

大化改新8-1の検証テーマの続きである。(NHKスベシャル新説に対する反論)

8 日本文化は朝鮮(三韓)の文化

10 石と水の庭園は疑問とあった。

(以上2つである。9番目は既に大化改新は「18改革と10活動」が行われたことを述べ反論し出来たので割愛する。)

大化改新8-2として、大化期前50年間の「飛鳥文化」に続き、大化期50年後間での「白鳳文化」に付いて第8番の「日本文化は朝鮮文化」の新説に対して論じる。

そこでまず、「文化」と言うものの成立する「経緯」を掘り下げて見ると、次のような要件が出て来るのではないか。

そもそも、「文化」というのは、何かを「導入」して、それが直ぐに「文化」と言う形で現れて来ものではない筈である。



1 文化成立の「経緯」
「4つの視点」

第1には、「タイムラグ」と言うものが必要である

先ずは優先的に考える経緯である。「大化期前50年間」の中国や朝鮮から各種の文化が入ってきたとしても、それを「熟成」して自分の「文化」とするには時間が掛かるものと考える。(熟成過程)

第2には、「タイムラグ」があるとして、「生活に根づいて自分のものとする意思と力」が無ければ文化とはならない。

殆ど中国から「何らかの形」で「導入」し「吸収」し「発展」させた大化期前50年間の「飛鳥文化」は、大化期後50年間の「白鳳文化」に成るまでにはそれを推し進めるべき力が必要であった筈である。

第3には、文化の経緯には、「導入、吸収、発展、成熟」の過程が必要である。

「発展」が起こっても根付くとは限らない。立ち消えする事もあり得るし、「酒造り」と同じで、熟成して初めて「酒」として飲めるように成るのではないか。

第4には、「文化」と成るに必要とする「力」(推進力)が存在する事が必要である。

放って置けば「文化」になるわけではない。「熟成を推し進める力」又は「熟成を推し進める環境」があって、初めて円やかな「酒」が出来て、人はそれを「楽しめるもの」と成り、文化としての「遺す力」を宿すと考える。

50年間の「飛鳥文化」だけでは「遺す力」は無かったと評価し、「発展段階」までのものであったと考える。

その「力」即ち「推進力」(環境)が、出来上がるのに時間が掛かるのであるから、特にこの「白鳳文化」と言われるものに対しては、この「推進力」がどの様なものであったのかと言う点で「疑問」が湧く。

これを解き明かせば疑問は消える筈であり、「白鳳文化」の位置付けははっきりとし、テーマである「他国からの文化」の導入でなかったことを証明する事が出来る筈である。(大化改新8-1で先行して多少の影響を記述した)
次にそれを論じる。

2 「白鳳文化」の「推進力」(環境)

これらを総括して「飛鳥文化」と「白鳳文化」と比較しながら、先ずは「文化」の上記の「4視点(要件)」の範囲で論じてみる。

と言うのは、「飛鳥文化」と「白鳳文化」と次の「天平文化」には、他国の文化と比較して見ると、上記の要件が異なっているのである。
中国や朝鮮の文化の影響と決め付けられるものが少ない、或いは無いといっても良い程の事に気がつくのである。
(下記に遺産を列記)

この「推進力」の「疑問」は、「大化改新(8-1)」で述べた様に、「唐からの文化」が「遣唐使」と言う形だけでは導入されていない事だけではなく、日本独自の「三つ巴の文化」とも言うべき「融合文化」で生育した文化でもあった。

遣唐使の派遣中止の理由
後には菅原道真の建言で「遣唐使」が中止(894)に成った事にもよる影響から中国の影響だけではない事でも解る。
”よつふね”で物語る様に、遣唐使は危険であるからだけでは中止はならない筈で、それが国家の発展にとって必要であれば実行する筈である。しかし、中止したのは、既に後漢の渡来人は、もはや250年も経っていて”渡来人”の言葉は無くなっていた。その彼等の高い技能は、後漢の技能ではなく、日本の技能であり、最早「唐」を含む外国から文化を吸収する必要性は既に無くなっていたからである。
「渡来人」の言葉が書籍から消えたのは、桓武天皇期より少し経った頃(800)からで嵯峨天皇期では消えているし、史実から見ても「遣唐使」ではなく「貿易」の段階に達している。
更に、この事は、タイムラグを計算(100)すると、「白鳳文化」(650-700)の技能は、彼等の技能の貢献を意味するものである。

文化の「傾向分析」
ここでこれを解明する手法として「傾向分析法」を使って行う。

それより、多少、余談と成るが、しかし、専門書や教科書では「唐」ばかりを書き立てている。

私は学生の頃より”何かおかしい”と思っていた。それは、上記した「4つの視点」の経緯で「文化」と言うものが起こり遺る筈であると考えていた。「文化」に関わらず全ての所業はこれに委ねられる。

中国の唐から入ったからと言って「導入、吸収、発展、熟成」が起こる事は先ず無い。現代でも同じはないか。

どんなにブームと成り得ても5年もすればすっかりと消えているのが殆どではないか。上記でも「酒」で例えた。
ところが、学者が答えを出すと必ずと言っていい程にこの様に成る。
(確かに、中国(後漢の渡来人の文化)ではあるが「唐」ではないことを大化改新8-1でも書いた。)

これは前レポート大化改新8-1でも記述した「判断視野が偏る」ことの結果としての「学者バカ」の所以である。

特に、多様化した社会では「視野範囲」が狭い事により、その差がこの現象と成って大きく起こる傾向がある。
だから、「唐」と拘らずに、その時代の史実をつぶさに調べて並べてみて、「傾向分析」して、それが社会に残存する要件即ち、「4つの視点」と「文化の経緯」(「導入、吸収、発展、熟成」)で篩い(ふるい)に掛けると、遺こる史実は必ず「長期性」を持っているものと成るである。

これは統計学の手法(傾向分析法)の一つであるが、特に「文化」というテーマで行うと「唐」のものは残らないのである。少なくとも、確かに「唐」では「吸収」のところまでは来る事はある。

日本以外の外国の文化の傾向は、この「熟成か発展」まで到達するのである。外国が吸収した「文化」は殆ど全てをそっくりそのままに「発展、成熟」まで入れて文化としているのが通常である。
ところが、「日本の文化」はそうでは無いのである。

では何故に、”「日本の文化」では「唐」の影響は「吸収」までに留まるのか”という疑問が出る。
その答えは、既に記述した「7つの融合単一民族」の所以に他ならないのである。これだけの民族が同居するにはこの「融合」の心が無くては成り立たなかったのではないか。それ故に、7つ民族が融合する事により一つとして稀にまとまった民族であるからだ。
外国は幾つかの民族があまり融合せずに分離して生活圏を造り国を構成している。

根本的にここに違いがあるのである。
何でも「融合」してしまわないと気が済まない「国民性」があるからである。
つまり、「融合文化」が原因しているからである。

例えば、端的に言えるのは、一つの例として「漢字」である。日本独自の当用漢字があり、ひらがながあり、カタカナがあり、英語に至っては日本英語が存在する。

文化として融合したものは、本を正せば漢詩から発展した「短歌」、「長歌」、「俳句」、「連歌」等、挙句の果てには、ある経過を経て「琵琶語り」から「民謡」「歌の演歌」や「講談」「漫才」文化まで入れると数えられない程にある。

これ等は、この「4つの視点」と「文化の経緯」(「導入、吸収、発展、熟成」)の条件が備わっていて、現在まで変化を遂げて遺産として「大衆文化」としてまでも遺されて大盛況な芸能と成っている。

これ等は、何を意味しているのかということである。
この答えは、「学者バカの定説結論ではない」と言う事である。


話を戻して、つまり、この事は、”「推進力」が一つの限定されたものではない”という事でもある。

「飛鳥文化」は、「国家建設の政治的意図」での背景と成って進み、夫々の階層に発生した「仏教文化」と「天神文化」と「技能文化」の3つが働き起こった。(大化改新8-1参照)
つまり、「18の改革と10の活動」から起こった「政治文化」と言えるものであった。

しかし、この次の「白鳳文化」というものがどのような「推進力」を得たかは、この事でも大方想像が着くというものである。

3 [文化の背景]

この「白鳳文化」の背景には、上記の「国家建設の政治的意図」(飛鳥文化)での文化を、「修正」をしようとした「大化改新」(1-7)という「政治的大改革」(「18の改革と10の活動」)が起って、これが基と成っている。

未だ、現代までに”「国が踊る」と言われるこれ程の改革がない”とされる大推進力の背景の「文化」であった。

これを解り易くする為に方程式にすると次の様になる。

「2文化の推進力と背景」=「飛鳥文化」+「国家建設の政治的意図」: 「白鳳文化」+「大化改新の政治的大改革」

「生育期」の「飛鳥文化」に較べて、この大化期後の50年の「成熟期」の「白鳳文化」は、「文化要素」としての基と成る「史実」による「外国からの導入」は少ないのである。

「飛鳥文化」=「生育期」 「白鳳文化」=「成熟期」

これはむしろ「大化改新」(1-7)そのものが、「推進力」になっていたといって過言ではない。つまり、「背景」でもあった。

「大化改新」=「背景」=「推進力」

しかし、「生育期」と「成熟期」のこの二つの文化にはよく分析して見ると「共通点」があるのである。

それは何れもが、後漢の「渡来人」らの「努力貢献」である。(詳細は前レポート参照)

その「努力貢献」がどのような形で現れたのかという点にも注目する必要がある。


それは結論から言うと、「努力貢献」は「技能文化」であった。
つまり、彼等が持ち込んだ「第一次産業の発展」に起因するのである。

「飛鳥文化」の「三つ巴文化」の内の庶民階層の文化、即ち「技能文化」が、他の二つ(天神文化、仏教文化)を越えて「白鳳文化」の大きな「推進力」となっていたのである。

「三つ巴文化」(飛鳥文化):「天神文化」=「仏教文化」<「技能文化」

「白鳳文化」に於いても政治大改革が起こって、より朝廷を中心とする「皇親政治」の基本が進み、そのためより強い「三つ巴文化」が現存したのである。(証拠は下記遺産に記載)

「飛鳥文化」=「技能文化」(努力貢献)=「白鳳文化」 :[総合力を持つ後漢の渡来人の努力貢献]
「飛鳥文化」=「三つ巴文化」=<「白鳳文化」

その証拠に、「仏教文化」が牽引車としての次の発展が顕著に起こった。


4 「白鳳文化」:[定説5つの発展]

① 「仏教寺院建築」の急増、
② 国家建設の「律令の制定」完備、
③ あらゆる技能の発展による「第一次産業」の各地の成長、
④ 「文学の成育」と「史書の偏纂」の発展開始、
⑤ 「情緒文化」と「詩歌」の発展開始、

以上、「史実」として「5つの発展」が起こったのである。
この5つが専門書や教科書では「白鳳文化」に起こった事としての定説史実と成っている。これには異論はない。

これ等全ては「技能文化」③の発展による「経済的効果」が裏打ちされているものであり、これ無くして、いくら「仏教」①といっても念じれば目の前に寺院が建つと云う事ではないし、法律②を作ったとしても民がこれに従う環境が出来ると云う事でもない。事ほど左様に他の二つ(④⑤)にも言える事である。

建設物等の遺産の「質と量と範囲(土地)」に付いて、「飛鳥文化」に較べて比較にならない程のものがあったのである。

「質と量」に付いては、これは、民の生活が向上した「技能文化」の「経済的効果」によるものであり、土地の範囲は、各地に育った各種の技能から起こった「民の文化」によるものであり、故に限定せず大きく各地に広まったものである。

「飛鳥文化」<「白鳳文化」=「経済的効果」

「飛鳥文化」<「白鳳文化」=[質、量、範囲]

この方程式は「飛鳥文化」より「白鳳文化」の方がエネルギー即ち「推進力」が大きく、故に「熟成」している事を意味し、「成熟期」にある事を意味する。

では、次に示す遺産をつぶさに見てみると「白鳳文化」の上記の方程式の証明するものが見えて来る。
(史実に残されている有名遺産だけを記述)


5 「白鳳文化」期の史実に基づく主だった建築遺産

「官大寺」
伽藍の造営や維持の費用を国家が負担する寺院。官寺、大寺とも言う。
大宝期の四大寺(大官大寺、川原寺、法興寺、薬師寺)は平城遷都以降に東大寺、興福寺、法隆寺を加えて南都7大寺となった。

* この様に文化遺産を残すシステム(管理組織)が確立しているのは、「飛鳥文化」と大きく違うところであり推進力の最たる証拠である。
「量と範囲」の証拠ともなる。

「大官大寺」
百済大寺(高市大寺)と称する。天武期で大官大寺 平城京遷都後は大安寺改称した。東大寺建立前の最大の官寺である。

* その大きさ規模も格段の差があり「質」の点の証拠でもある。

「薬師寺」
天武天皇が皇后の病気平癒を願って藤原京に建立した寺院 後に奈良の西の京に移転。
東塔をはじめ白鳳期の重要な遺産文化財を最大保有する。

* 仏教と云う事から個別の目的で建立すると言うところまで、その「文化の広がり」(推進力)を見せている証拠でもある。
又、その「量と質」でも格段の差がありその証拠となる。

「薬師寺東塔」
各層に裳階(もこし)を持つ三重の塔。フェノロサはその美しさから「凍れる音楽」と称えた。頂上の水煙に天女12人と水煙の飛天像の透かし彫りがある。
裳階とは建物の軒下壁面の外周から庇(ひさし)を出し、柱で支えた部分。

* 第3者の外国の者がその遺産の美しさほ褒めた称えるくらいに、その技能(技巧)の進んだ所を認めている訳であるから、その「質」の」高さ」は飛鳥のもの以上を認めていることである。
後漢の渡来人の綜合技能は、多くの者を育て、ここまでに上げたことを意味する遺産である。

「山田寺」
改新の功臣 蘇我倉山田石川麻呂が創建 奈良桜井市 中大兄皇子に攻められてここで自決する。

* 蘇我氏の分家で鎌足の説得を受けて皇女の味方をした人物であるが、この寺の持つ意味は、この一個人が依頼して相当な遺産として遺しうる寺院を建立するまでに各地に「技能人の質と量」の範囲が広がっている事を証明するものである。

「川原寺」
奈良高市明日香村にある寺院。

* 特定の高位とか朝廷などの官位の人物が依頼して建立したものではなく、定説で白鳳時代の最も代表的特長を持つ遺産物といわれているものであり、「質と範囲」の高さを示すものである。

「興福寺仏塔」
東金堂本尊の台座内から発見された頭部のみの「金銅仏」である。

* 頭部だけでは証明とする訳にはいかないが、白鳳文化の特記すべき最大「質と量」の高さを物語るものなのである。
それは、「金銅像」であると言うことである。
「飛鳥文化」ではアマルガムの塗装の進んだ技能技術があったが、ここまで進んでいない。これを更に「白鳳文化」では、”ここまで進んだか”とするパラメーターでもある。

私の専門である冶金学的に見て、それは驚くべき「技能」と「技術」の「科学の進歩」ということを証明するものである。

* 「銅」を鋳込む技術と技能は現代に於いてでも難しいことである。
というのは、「銅」は本来他の金属にとっては不純物とされる金属で、例えば鉄に対する「銅」は0.03%に押さえないと「偏析」(セグレゲーション)と言う現象を起し、鉄は極めて脆くなり鉄でなくなるのである。
それだけに非常に特長を持った金属で、極めて進んで熟練した技能と高い「冶金学的技術」でこれをカバーする事が出来る金属である。
この像を作る事が出来る文化は、「唐」から入る文化程度のものではなく、「総合力」のある「長い訓練(技能)」と「研究(技術)」に裏打ちされたことを示す確固たる証拠である。
更に、これに「金を鍍金(塗布)する技能と技術」も専門的には「イオン化傾向」という「科学原理」に基づく条件があり諸悪の現象を起こして極めて同様に難しいものである。
それが、一つではなく白鳳文化の50年間に下記に示すとおりに、大変数が多く各地に遺産しているのである。
つまり、この一点だけでも、「白鳳文化」の「質と量と範囲」の証明に充分なものである。


6 「白鳳文化」期の史実に基づく主だった芸術遺産(彫刻)

「山田寺の薬師三尊像」保有
山田寺のところで述べたが、その像は白鳳文化の代表作と言われている傑作である。

* 寺と共に「質」の証拠と成り得るものである。

「薬師寺金堂薬師三尊像」(脇侍、日光菩薩像、月光菩薩像)
金銅像で白鳳時代を表す最高仏像とされる。

* 興福寺のところで述べた通りで、誰でもが知る像であるが、「質と量と範囲」(技能と技術)の真に証拠である。

「法隆寺阿弥陀三尊像」
大宝蔵殿にある金銅蔵で、橘三千代(橘氏:藤原不比等の妻)の念持仏とされる。

* 上記の証拠と共に、これが一個人が所有する事が出来るまでに、その「質と量と範囲」(技能と技術)の真に証拠である。

「法隆寺夢違観音像」
大宝蔵殿にある金銅蔵で、白鳳文化の代表的な像とされる。

* 更に説明をし証拠とするに及ばないが、誰でもが知る像であるが、「質と量と範囲」(技能と技術)の真に証拠である。

「宝慶寺十一面観音像」
唐の長安の宝慶寺から伝わったとされる石像である。

* これが、「白鳳文化」50年間にもたらされた「唐」の文化の遺産物であるが、この石像に類似し影響を色濃く受けたとする石像造はこの期間中には見当たらない。

「野中寺阿弥陀菩薩像」
大阪の野中寺にある金銅像である。

* 金銅像の、「質と量と範囲」(技能と技術)の真に証拠であるが、それを範囲として見ると、この都から離れた地方の無名の一寺にこの金銅像が存在する事はこの「範囲」を重ねて証明するものである。


7 「白鳳文化」期の史実に基づく主だった芸術遺産(絵画)

「葡萄唐草文様」
唐草を図案化した文様で、アッシリアを起源とし、ギリシャ、ローマで流行し、中国を経て伝わった。
薬師寺金堂薬師如来坐像の台座が有名。

「アジャンター壁画」
インド中部ポンペイの東北の地に29の石窟寺院の壁画の影響が中国を経て法隆寺金堂壁画に影響を与えた。

* 上二つは、全体に及ぼす影響ではないが、中国以外の文化の一端も垣間見る事が出来る。しかし、「中国文化」も「インダス文化」の影響を受けていたのであるから、日本古来の「融合文化」でありながらも、”「中国」”は初期段階の発展までの「文化」でもあり、「中国(唐)」と拘る必要性は無いと考える。

「法隆寺金堂小壁飛天図」
金堂内陣小壁20面に描かれた菩薩像である。

「聖徳太子画像」
百済の阿佐太子の筆とされる画像である。

「高松塚古墳壁画」
明日香村の高松古墳内部に彩色壁画である。

「上淀廃寺跡出土壁画」
鳥取県の上淀廃寺跡から出土した数百点に及ぶ彩色壁画の断片最古級の壁画である。

「法隆寺金堂壁画」
金堂の外壁に描かれた12面の壁画である。

* 上5つは、飛鳥文化でも遺産物を書いたが、壁面の絵画は無かった。「白鳳文化」では突然に、飛躍的に多く成っているが、「絵画」を技能として定義するには問題もあるが、「技能」の一つである事は間違いないので、「量と質と範囲」が一挙に拡大したもので証拠となる。


特記すべきは「技術」である。あまり、紹介されていないので特記するが、驚くべき「技術」が隠されているのである。

* 「壁画」はシックイに岩絵具と膠(にかわ:牛の皮を煮詰めたもの)とで書くものであるが、シックイの裏側は通称「みかげ石」(花崗岩、大理石)である。
この石は大変比熱に対して熱を伝え難い性質があり、表面が滑らかに加工する事が出来るし、質的に強く変形しないし、酸に対しても表面が円滑で且つ強いので劣化しない特徴を持っている。
又、スキンエフェクト現象で静電気で表面を粗面する事もない。また、湿度の吸収力も低いので膨潤しない。
このために、粘土質のシックイの付着も良い。
岩絵具は岩石を粉にして作ったものである。何れも自然鉱石であるので、夫々の鉱物に持つ電位反応差が少ないので科学反応の変質は起こりにくい。
シックイと岩絵具とみかげ石(三素材)の微妙な膨潤と比熱差がある。
しかし、ここで三つの問題が起こる。それは湿度と比熱による膨張と唯一有機物ニカワの量である。(三条件)

* 三素材の湿度に対する膨潤は異なる。
故に水分での膨張差が生まれてひび割れや剥離が起こる。
これを防ぐには20%位以下の2月頃の絶対湿度が最も低い期間で、低温であり一定保持出来る事の環境が必要であり、三素材の共通環境である事。
三素材の比熱に対する膨張は異なる。
石の比熱が問題で(他の二つは粘性を持っているので膨張は吸収)最低に保つ事が必要であり、5-10度以下の温度で保つ事をすれば、三素材のバランスを保つ事が出来る。
有機物ニカワの接着剤は三つの素材の接合に使われている。
岩絵具粉を固定する時と絵具と石とを接着するにも使用するが、この有機物のニカワの能力を保つにはある一定の温度範囲を保つ事が必要である。
高すぎると溶融し低すぎると固まるなど多質である。使う際は200度くらいで溶かして使用し、低温で固めて接着する。故に、保管10程度が必要である。

三素材と三条件を見極めて保存している技術は、理論が無い中で把握して1300年以上保つ事が出来ているのは、現代でも技術者としては驚くことである。

* 現在、カビの問題で壁画を駄目にしているが、ここには大変な物理原理が働いているのである。
特に、「みかげ石」に付いて、2つの原理が働いてカビを押さえていたのである。
先ず、電位反応である。この石は大きい電位を持っている。従って、この石の滑らかな表面にカビがつくとカビの電位と石の電位の差が大きく、カビは電位差で分解破壊されるのでカビが付着しない。(一定環境条件下で)

(この世の物体は、地球が巨大なマイナスの電位を保持している限り、全て電位を保持している。従って生きている事が出来る)

* 例えば面白い話がある。墓場で昔”人魂”がよく飛び交ったと聞いた事があると思う。これは事実で、その原理は次の通りである。
みかげ石に動物や虫などの死体からから出たリン(P)が付着しすると、電気反応(スキンエフェクト:表皮効果)により石の角にこのリンが集中する。そして、このリンが電位差でリークして発火して燃える。発火すると空気(28.8)より質量が軽くなり、電位差が無くなり石より離れて燃えながらふわふわと上昇する。そして、火の玉は受けた電位が燃え続ける事で無くなりリン(P)の発火は消える。この現象はある一定の条件下で起こる。
昔の人はこのことを知らずに”人魂”が飛んだとするのである

* 他にも例がある。
電車の椅子の横にパイプ柱があり、立っている人はこの柱を持ってバランスを保っている。そうすると、ばい菌が手に付着する。ところがばい菌は死滅するのである。何故であろうか。実は、このパイプの柱には金を合金しているのである。
金は鉱物上最も大きい電位を保持している。故に、この金と菌との電位差の電気で菌は死滅するのである。
菌の指輪や首飾りはこの効果を持っているのである。昔の権力者はよく手や首や至所に金の飾りをつけていたが、これは飾りや権威だけではなく、この殺菌効果も狙ったものであったのである。

話戻して。雨の降った後の石の表面がきれいに洗浄されて、後で上記の環境条件下で起こるのである。
つまり、この環境条件を保つ事でリンなどと同類のカビ菌も上記の電位反応で殺菌できるし、環境条件下では低電位の菌は増殖しないのである。
次は、石の「多孔質」で無い事にもあるが、詳しくはこれは次回のものとする。

* 高松塚古墳は、この環境条件を破壊したのである。本来、墓は永年空けないのが普通の考えであるから、1300年も持ったが、開くと壊れる。例え10度以下の低温低湿にしたとしても、上記の電位の物理学理論が成立していないから次から次えとカビが出るのである。更に空ける事で、一時、環境条件が、変化して三素材の多孔質性が高くなり、ここに電位の低いカビ菌などが吸着し生き続けてカビ菌を増殖させるのであり、電位による殺菌が成されないのでカビが出て来るのである。

カビ菌を殺菌して元の1300年前の環境に戻すには、閉めて上記の低温低湿にした後に、電気的に放電して、室内の電位を上げて殺菌して、安定保存する事で戻すことが出来るのである。

* 1300年も前の10度以下の低温低湿の環境条件は今のものとは異なる。特にそのカビ菌の存在量が異なる。
現在は周囲が建物や木々の存在で空気の流れが低くて多湿性が強く菌の繁殖能力が高まっている事、木々が少なく成っている事ことから酸素による温度の冷却能力が低下している事と、それによる酸素の殺菌能力が低下している事で菌の繁殖能力が高まっている事等、全く異なる。故に環境条件による左右される電位差による殺菌能力も現在と桁外れでは無いかと推測する。温暖化が進む中では余計である。
高松塚古墳の処理の失敗はこれ等の配慮が不足していたと考える。
オゾン液(O3)オキシドールでの酸素のマイナスイオン殺菌は全てを死滅させる事は不可能である。

* 1300年をキープしてきた経緯には、これだけの物理自然科学の理論が働いていたのである。
当時の後漢の帰化人の末裔は、いかに驚くべき「技術」を「経験」で把握していたかと言う証明なのである。
この様な総合力は、国内の技能経験から来るもので、50年の短期間で「唐」から持ち込む事は物理的に不可能である。
この時から、白鳳時代には、古墳群も増えるが、この技法が確立したことが原因であると言える。
次の敦煌の石室はそれを証明する。

8 「白鳳文化」期の史実に基づく唐の影響芸術遺産(絵画)

「敦煌石室壁画」
中国の敦煌にある莫高窟の石室に描かれている壁画で、この画の影響を受けていると言われている。

* この絵は兎も角も、石室絵の技法として、「唐」の前の「漢」と「後漢」の国の民の技能が、このときよりいくらかの上記の経験(自然物理学)をしていたことを示す証拠でもあり、且つ、この壁画は、上記の物理学理論を初期経験で把握していたことを示すのである。帰化した後にこの技法に磨きを掛けてきたと見られる。

9 「白鳳文化」期の史実に基づく主だった芸術遺産(仏教典)

「一切経(大蔵経」)」
仏教の経典の総称で、玄肪が5048巻を持ち帰ったものである。よく書写された。

「仏教文化」が「飛鳥文化」より吸収する動きがあったことを示す証拠と成り得る。

10 「白鳳文化」期の史実に基づく主だった文学遺産
(飛鳥文化に発見されていない文化)

「和歌」(やまとうた)
唐歌(からうた)又は漢詩に対して、和歌(やまとうた)と言う意味で、原流は古代の歌謡にある。
万葉集で定型化した。その後、「短歌」が主流になり「国風文化」で大成した。

* ”からうた”に対して、独自のものとして、”やまとうた”と呼ばれていた。
「漢詩」による「詩吟」なども漢詩そのものを文化して導入するだけではなく、和歌(やまとうた)という独自の文化と「融合」させて吸収し、「和歌」に対して「詩吟」と称して発展させた。
これは、経年後に「庶民の歌文化」と「成熟」させた文化の証拠である。

「短歌」
5.7調の和歌から短歌に変身し、万葉集で中心的形式となった。

* 「和歌」をより発展させるべき短くして、その極意を追及して、「やまとうた」を「発展期」にして「文化の経緯」に到達させた証拠である。

「長歌」
5.7調を繰り返し、最後を5.7.7で結ぶ形式の和歌で反歌で返す形式と変化した。

* 「和歌」をより発展させるべき長くして、その極意を追及して、「やまとうた」を「発展期」にして「文化の経緯」に到達させた証拠である。
長短の変化を与えて追及して、「やまとうた」を「発展」させたもので、真に文化の真髄の証拠になる。
然し、この「白鳳期」には一般の民までのものと成っていなかった。


11 「白鳳文化」期の史実に基づく影響した人物の遺産

「大津皇子」
天武天皇の皇子で、文武に優れ、「懐風藻」や「万葉集」に詩歌が収録されている「白鳳文化」に影響を与えた人物。

「額田王」
白鳳期の代表的女流歌人で、万葉集に長歌3首、短歌9首、が収められている。
大海人皇子との間で皇女を産んだが、後に天智天皇の妃となる。

「柿本人麻呂」
有力な官人で、白鳳期の代表的宮廷歌人である。万葉集には89首収録されている。

「大伴御行」
有力な官人であり、万葉集に収録されている人物

* 白鳳期の代表的人物として上流階級の歌として発展したが、次の「天平文化」では、「和歌(やまとうた)」の全盛期が起こり、万葉集には「読み人知らず」が記載がある事から、「民の歌」と成って「成熟」して「天平文化」と成った。


12 「白鳳文化」期の史実に基づく主だった祭祀遺産

「斎王」
伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女で、天皇に代わって皇祖の天照大神を奉斎した。鎌倉期まで続いた。

「式年遷宮」
神社で一定年数毎に新しい神殿を作り、神体を還す事を言う。「天神文化」である。

「大嘗祭」
天皇が即位後初めて行う新嘗祭のこと。

* 天皇家の「天神文化」も「飛鳥文化」より、以上の3行為が追加吸収されて「白鳳文化」の方が、より「発展期」に達している。
次の「天平文化」で成熟したのである。

13 「白鳳文化」期の史実に基づく主だった学問遺産

「大學」
官僚養成を目的とした中央の最高教育機関である。式部省に属し、学生は主に五位以上の貴族や東西史部(ふひとべ)の子弟であった。
大學の最終試験を通過すると、国家試験を受けて官職についた。
平安時代の天平文化では、教科は、紀伝[文章]、明経、明法、算道の四道が確立した。

「国学」
律令制下、諸国に置かれた地方教育機関である。学生は郡司の子弟である。

* 「白鳳文化」のその推進力は、「政治大改革」を基調として進んだが、この政治部門を推進する官僚を養成する機関を設立して、より推進力を一定のものとして発展させた。

この機関は、「天平文化」では庶民までのものとなり、多くの民の学僧や官吏が出た。
そして、「成熟期」に達して「学問」を基調とした「天平文化」が促進されたのである。


14 「飛鳥、白鳳、天平」の言葉の分析(古人の認識)

「白鳳」とは「大化」の次の年号の「白雉」の別称でもあるが、この時代は「白鳳時代」とも言う。

「飛鳥文化」は「鳥が飛び立つ様の文化」と書くが、「白鳳文化」(別称 白雉文化)は「その飛ぶ鳥が鳳凰の如く文化」と書く。
真に、この言葉通りである。「飛び上がった鳥が成熟して鳳凰と成って舞っている如き文化」と当時の人々は捕らえていたことを示している。

上記した経緯の文化を辿っていたことを当時の人々は理解していた事を意味するのではないか。

言い換えれば、古の人々が、「唐から文化」と言う認識が無いとしていて、「他国からの文化の影響」を色濃くなかった事を意味するのではないか。

これ等の発展期の「飛鳥文化」が、成熟期の「白鳳文化」に引き継がれて、次の完成期の「天平文化」へと繋がるのである。
そして、次の「天平文化」は、現世に飛交う「幸せをもたらす鳳凰が天に平和をもたらが如き文化」となったと、天平の人々は「2つの古の文化」を省みて理解したからと見る。

それは、「平和」をもたらす根源としての「楽しみ」(幸せ)を認めていたことではあると考える。
「平和」=「楽しみ」=「幸せ」

これは、上記したように「楽しみ」に到達してこそ「文化」と成り得た事を意味する。

この様に、上記した通り古人が定めた「文化の呼称」でも「3つの文化」には夫々特長と背景を持っている。そして、この背景は中国や朝鮮国の影響を受けていない事にもなる。

「次は大化改新の新説に対する最後の反論 第10番目の新説に対する反論である。

「石と水の庭園は疑問」の新説 大化改新10に続く。
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懐風藻懐風藻(かいふうそう)は、日本文学史上最古の漢詩集。奈良時代、天平勝宝三年(751年)に編纂された。撰者は良くわかっていない。詩人略伝に近江朝に同情的な筆致が伺われ、大友皇子の曾孫にあたる淡海三船を作者に擬する根拠の一つとなっている。64人の作者による

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