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秀吉と家康の系譜偏纂

豊臣秀吉は天下をとりましたが、天下の政治は古来より源氏系の者でなければなりません。朝廷がこれを認可しません。この身分は征夷大将軍に任じられる事です。
征夷大将軍とは平安初期はまだ東北地方以北は制圧されていませんでした。この地域はアテルイという者が抑えていました。
この蝦夷も全く制圧できていないためこの地域を制圧する将軍のことを征夷大将軍と言いました。征夷とは醜い未開の族人と言う意味です。
この征夷大将軍で最初に制圧に成功したのは64レポートの阿多倍と敏達天皇の孫の芽淳王の娘との間に出来た子供の長男の賜姓の坂上の田村麻呂です。
そして、この一族がここに根着き勢力を拡大したのは「藤原秀郷流青木氏の発祥理由」レポートの阿多倍王の一族の阿倍(あべ)氏とその一族の清水氏なのです。
これを討ったのは征夷大将軍に任じられたのは清和源氏の満仲の子の三男の頼信の子孫の義家で奥州藤原氏と協力して制圧しました。

この時より国を制圧するものは征夷大将軍の肩書きが必要で、それには源氏の者でなければなりません。秀吉は農民でしたので、天下を治めるにはこの肩書きが必要です。仕方なく母が朝廷の女官で天皇の子供を身ごもり、朝廷を去り、秀吉を産んだとしたのです。したがって秀吉は王の身分(皇子より身分の低い第6世以降の天皇の子供)であるので貴族になれない太閤という位を獲得したのです。しかし、ここで無理があるのです。それは女官になるにはある一定の身分の者の娘でなくてはならない朝廷の規則があります。これは奈良時代から決められていて6階級の定めがあり、皇后、后、夫人、みめ、うねめ、みやびとです。女官ですので「うねめ」か「みやびと」になり、これになるには地方の中程度の豪族か小程度の豪族の娘である事の決まりがありました。そして一度入ると先ず勝手に出ることはできません。金を積んで獲得した訳ですが、系譜はちゃんと造りあげているのです。次は家康ですが、駿河の国の三河の庄屋程度の地方の豪族であつた松平家は次の様な手を打ちました。

家康より3代前の時、一人の修行僧が門前にきました。そして、暫く逗留しました。この時、娘との間に子供がうまれました。やむなく、僧を還俗させ養子として迎えいれました。男子が生まれて松平の嫡子となりました。この嫡子より産まれた子供が家康です。これでは征夷大将軍になれません。そこで、昔、天皇の皇子で王にもなれない身分の低い母から産まれた子供は比叡山に僧としてはいりました。また、別には門跡寺院(天皇家のゆかりの者か退位した天皇が入る寺)に入るかしました。また源氏の者で跡目を継げない者は比叡山などの寺に学僧としてはいりました。

そして、この人たちが還俗(僧を辞めて普通の人に成る事)する時は、青木姓を名乗ったのです。ここにもう一つの青木姓があるのです。つまり、嵯峨期の詔の令に従い、皇族縁の者は青木姓を名乗る権利を保障していたのです。青木姓は江戸のころまでこのように勝手に名乗ってはならない由緒ある氏や姓でありました。江戸のころから崩れました。
したがって、この還俗僧を青木姓として天皇の子供は源氏であるとして搾取したので、また源氏の縁の者であるとしたので、家康は3代あとになるので当然の権利があるとして、搾取偏纂して源氏氏を名乗ったのです。
ここで、古来より、家紋掟があり、源氏の娘が嫁入りして子供が産まれた時、夫の家紋をやめて産まれた子供の母方の家紋に変更することが宗家が許可すれば認められました。これには莫大な金を必要としました。あるいは源氏族を2代目より名乗ることもできました。
但し、この時は、家紋に一部細工を必要としました。大抵は家紋は分家でもなかなか認められませんでした。足利や武田や新田などは源氏を名乗っていますが、源氏であれば、笹竜胆ですが、どれもそうではありません。

跡目が絶えて源氏の末弟を養子で迎え入れてした時等は上記ことで源氏を名乗っても本系や支流でもない源氏が生まれてくるのです。
還俗僧の松平も葵紋です。上手に偏纂したのです。したがって徳川に名乗りかえして、徳川氏は気宇帝の壁が崩れても治し事が出来ないほどに経済的圧力を掛けて、朝廷に源氏の頭領の地位を認めるように圧力を掛けますが、遂には余りにもうそで固めているため朝廷は認めることはしませんでした。そのかわり、源氏の長者としました。長者の意味が変ですね。
笹竜胆の家紋を継げることが出来る氏は現代では5家の青木氏と佐々木氏と大島氏程度だと見られます。藤原秀郷流青木氏の家紋のベースは「下がり藤紋」を綜紋として、支流は「丸に揚羽蝶」にいくつかの細工したものが本流で、秀郷主要9氏以外は支流分流分派だとみられます。116家もあるのでつかみ切れません。ちなみに青木氏の母方(嶋崎氏)は「揚羽蝶紋」の平氏の家紋です。

この様に、皇族関係者(高位の朝臣族と宿禰族)は比叡山の還俗僧と門跡寺院の還俗者は(対象者は18人居ますが)青木氏を名乗りました。(実質は王位から3氏、源氏から2氏しか子孫を残せなかった)
室町から江戸に掛けて、また、明治のはじめにこの青木姓の発祥が多く起こりました。この青木氏は他の2つの青木氏とは違う点があります。一つは土地の定まりがない事。家紋が200選に外れている事。家系が途中から始まる事です。青木姓を名乗る以上は何かの理屈が必要であるので、お寺の協力を得てこの還俗方式で作り上げたものです。2つの青木は一定の土地や家紋や寺の系譜や歴史実等の条件をそなわっています。松平方式にはこれがありません。
源平藤橘と言いますが、「平の将門の乱」から「平の忠常の乱」などに見られるように伝統を守ってきた国司などの階級が尽く滅亡していき鎌倉以降には下克上の時代になり、伝統や習慣が崩されたなかで、上記したような偏纂が起こりました。
時代の変化が起こるときには必ず起こる現象ですので病む終えない事ですが。自分のルーツはこの2つのルーツと後のルーツかを調べて見ることも必要ですね。自分のルーツで御質問があればコメントでしてください

青木研究員[青木氏氏 副管理人]
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