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藤原秀郷一族の生き方-7

奈良時代の始め頃から家具や調度品に一つの文様として用いられたのが始まりであり、正倉院の宝物にあるように草花や瑞祥的な文様が刻み込まれていた。

しかし、前6レポートでの2つの原因から爆発的に用いられるに至るのだが、家紋という形で当初は用いられたものではない。
文様を刻みこむ高い技能の取得と広まるに必要とする社会形態の変化、即ち、荘園公領制から来る寄進系荘園の発達により氏が増加して、より高度な氏家制度の完成が成されて、その一つの手段として用いられた事、この主に2つのことから「家紋」というものが氏の増加に伴い定着し始めた。

しかし、この家紋の発達は爆発的ではあつたが、スムーズではなかった。
それぞれが勝手に用いられたことから律令国家の国体に混乱が生じたのである。少なくとも、ある一定の統一性が必要である事から、桓武天皇は「家紋掟」なる指針を占めして事態の収拾を図ったのである。
それを要約して次に記する。

1 分家
「家」を継ぐ嫡子以外の男子が分家する場合は、家紋の一部に細工を施すか、丸付き紋とする。但しこの場合は「宗家」の承認を必要とする。任意の別家紋を用いる場合はこの限りにあらず。
普通はこの場合が多い。

2 跡目上位
上位の男子が養子に出て、養子先の家紋より実家の家紋を使用する場合は家紋に細工を施すか、丸付き紋を使用する。但し、この場合は「宗家」の承認を必要とする。
養子先の家紋の使用はこの限りにあらず。

3 跡目下位
下位の男子が養子に出て、養子先の家紋を使用せず、実家の家紋を使用する事と細工の施しは出来ない。
養子先の家紋を使用する場合は、宗家の承認はこの限りにあらず。

4 養子下位
娘が下位の婿を迎える場合は、娘の父方の家紋は使用できない。
この場合は、家紋の一部を変更して一時を凌ぐか、丸付き紋にするか、或いは通常は母方の家紋を一時使用する。
嫡子誕生により元の家紋に戻す。
この場合は「宗家」の承認はこの限りにあらず。

5 養子上位
娘が上位の婿を迎える場合は、娘の父方の家紋を使用する限りは問題はない。但し、婿実家先の家紋を使用するか、家紋の一部に細工を施して使用する場合は、或いは丸付き紋にする場合は宗家の承認を必要とする。

6 嫁先下位
上位の家から嫁ぎ、その先が嫁実家の家紋に変更する場合は、家紋の一部に細工を施すか、丸付き紋とする。但しこの場合は、誕生する嫡子がこれを正式に継ぐこととする。
但し、この場合は、「宗家」の承認を必要とする。
この場合は余程のことでなければ承認はない。

7 嫁先上位
下位の家から嫁ぎ、その先の家紋を引き継ぐ場合は、問題はない。

家紋を同じくするか、細工を施して使用するか、丸つき紋にするかは別として、宗家の「氏」の勢力傘下に入り、「氏」「家」を守り、家柄を誇示する事は頻繁に行われた。

しかし、これには、「宗家」の「承認」を必要とし、その獲得には「莫大な経済的見返り」と「軍事的な義務」の責任を果たす必要があつた。
現実には、小中豪族には不可能であった。
もとより、古代より鎌倉期までは「氏家制度」(男系家族制度)が守られていて、一家が変更しても親族は元より一族全体が変更していなければ意味は成さない。
宗家同士の話し合いになる。従って、大抵は別家紋にするのが普通である。
寄進系荘園制と共に、この事も「氏」が一挙(1800)に増加した原因にもなるのである。

「分家」しても「自領」を自力で獲得しなければ、「宗家」は家紋の使用は認めなかったのが普通である。
「宗家」とは実家の事とではない。氏家制度の「総元締め」である。つまり、本流中の本流の事である。「支流」の「本家」が「宗家」に伺いを立てるのであるから、大変なことである。
「本流家」の家紋は家柄と純血を維持する目的から容易く広げなかった。

ちなみに、足利(梅鉢紋)や武田(武田菱紋)は清和源氏の支流であるが、清和源氏の者が土着の豪族に跡目に入る事で支流源氏となる。つまり、この場合は、2或いは5であるが「笹竜胆」系の綜紋家紋ではないので、5番の血縁関係を結んだことになる。
明らかに、支流氏である。

笹竜胆に丸付き紋、「丸に笹竜胆」の家紋は1或いは2番であるが、大抵は2番である。例えば、村上源氏の北畠氏はこの2番の支流一族となる。足利などと違う所は土着かそうでないかの違いである事からこの様になる。北畠氏は朝廷の学問所であり、上位族からの出自である。
この様に、家紋掟や家紋や綜紋など、或いは家紋の細工などでその氏のルーツが詳細が判明するのである。

この様に、「宗家」は実に厳しく掟の維持に当った。「宗家」の指示に従わない、或いは、意にそぐわない行動を取るなどした場合は武力をもって攻め滅ぼすという手段に出たのである。
それが、親兄弟は元より、親族や支流の一族まで管理管轄して潰しに掛かった。保元、平治の乱は真にこの一例である。
次は、この家紋に関わる知識を元に藤原氏の事に話を戻す事にする。
続く。

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