青木[アオキ] 名字 苗字 家系 家紋 ルーツ 由来

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埼玉県比企郡吉見町の青木さん

りょうちゃん
私の親父の実家は埼玉県比企郡吉見町とういところで、
家紋は確か丸に梅鉢のはずなんですけど、先祖はどんなかんじでしょうか?
お分かりでしたら教えていただけると幸いです。

青木研究員[副管理人]
貴方の御姓が判りませんので推測の域を脱しませんが、このサイトは青木氏であるので青木氏として検証します。

情報は少ないので、より不確定ですが、3つの情報を元に推測します。
1つ目は埼玉県比企郡です。
2つ目は丸付き梅鉢紋の家紋です。
3つ目は仮定青木氏です。
先ず、1つ目は土地ですが、この比企郡は北足立郡と入間郡に隣接する土地ですが、その前に藤原氏のことに付いて前情報を記します。

入間郡は藤原秀郷が「平の将門」を朝廷の命により、打ち滅ぼした功績で与えられた領国です。
下野国(栃木県)と武蔵国(埼玉県)です。
そして、藤原秀郷は貴族にもなりました。この時、2つの領国を持つ領主になりましたので、他国からこの2国を守る為に、自分のみうちから確実な護衛の武士団を持たなくてはなりません。
秀郷はそれまでは、下野国の朝廷より送られた押領氏(警察軍隊)でした。(貴族は武力を使えない掟がある)
そこで、秀郷は次ぎの事を踏襲しました。
大化改新の時に天智天皇は蘇我氏が天皇を凌ぐ勢力を持ち、天皇家を軍事と経済と政治の3権を握っていまにも天皇家に変わろうとして色々と策を巡らしていました。これに気がついた中大兄皇子(天智天皇)は「藤原鎌足」の協力を得て実権と天皇家を守ることに成功しました。
この時、改新の一つとして、軍事面の弱体を反省して、自らの皇子の内の第6番目の皇子(施基皇子)に「氏」を与え、「青木氏」として臣下(皇子の身分より侍にして氏を与える)させて身内の護衛集団を作りました。
5代の天皇がこれを実行しました。一代目の伊勢青木氏を除き、4代は藤原氏の血縁の皇子でした。
秀郷は鎌足から8代目の子孫です。(藤原氏は4家あり最も勢力のあつた北家と言う一族です)嵯峨天皇期から令により皇族以外の者が青木氏を名乗ることを禁止しました。
そこで、秀郷はこの方式を朝廷の承認を得て護衛集団を自分の5人のうち第3子(千国)に青木氏を与えました。これが、秀郷流青木氏なのです。
この青木氏は116氏ありますが、主流は直系直流あわせて5氏で、支流は4氏あります。詳細は研究室を参照してください。

1つ目の土地ですが
秀郷はこの身内の5氏の青木氏に武蔵国の入間郡を中心に配置しました。この内の支流4氏はこの土地より周囲に更に配置したとされています。上記した比企郡は郡堺ですので、支流の青木氏であります。

次に家紋ですが、
この家紋を保持している支流4氏中の一つに当ります。
116家中に1氏あります。直流は主に「揚羽蝶紋」類です。
藤原秀郷の兼光流の支流 青木正胤(1150-1200年頃発祥で、江戸時代の名を記する)なる者がこの末裔にあたります。
この一族が「丸に梅鉢紋」を使用しています。
秀郷より4代目の兼光流から直流と支流の青木氏が出ています。

この家紋は全国の大豪族の名家を表す「家紋200選」のうちの一つです。鎌倉期には藤原氏の一族として働き、室町時代は戦国時代であつたので不詳ですが、江戸時代は、御家人で、代々御台所人で、後に綱吉期には組頭になります。
3つの情報からはこの範囲のルーツが判明します。これが正しいとして、貴方のルーツはこの末裔に当るものと思います。
もっと宗派などの詳しい情報があれば、更に確定します。
何か質問があれば返信してください。

りょうちゃん
詳細に教えて頂きありがとうございました。
申し遅れましたが、私の苗字は「青木」です。
それから、宗派のことですが、確か「浄土宗」だったような気がします。
自分の先祖がこんな歴史上の人物とは思いもよりませんでした。
更にご質問させて頂ければと思いますが、現在において私と同じ藤原秀郷の末裔で著名な方はいらっしゃいますか?

青木研究員[副管理人]
早速の御返答有難うこざいます。
宗派はその一族のルートを確実に証明するものです。
特に、浄土宗は法然ですが、この宗派は特別の者しか入信する事ができませんでした。だれでも入信することが出来ない宗派で、入信した人々は限られています。

各宗派は時代性と家柄を示す良い情報なのです。
浄土宗は皇族や貴族や上流階級の武士の人々が入信した宗派です。
故に、宗派の中で最も信者が少ない派です。
江戸時代になって徳川幕府がこの宗派を保護するために奨励しました。
貴方のルーツは平安中期から後期のことになり、且つ、藤原秀郷氏の一族ですので、間違いなく日本のどの氏よりも、貴族又は高級侍(武士)ですので浄土宗であります。高級侍とは皇族賜姓青木氏や賜姓源氏や藤原氏の一族や平氏や橘氏等です。
いくら藤原一族であるとしても、宗派か家紋が異なると偽となります。上記しました様に、江戸時代に浄土宗を奨励したので一部は一般の人でも家の宗派が浄土宗としている氏もありますが、鎌倉以前の一族先祖がこの宗派であれば間違いありません。

貴方の先祖は確実に藤原秀郷の第3子の千国の直系青木氏が分流して兼光流から生まれた支流4氏の一つの青木氏である事がこれで確実になりました。
貴方の青木氏の一族は東北6県を除き、中部地方まで藤原秀郷の子孫が守護として赴任した各地に定住しています。支流分家筋です。
その一族の中でも、武蔵の国に定住していたとすると、かなりの本家筋にあつたものです。支流本家筋は当時の慣習からは本拠地を動きません。氏家制度のなでは嫡子以外は分家して地方に役職などで赴任して定住します。各本家が集まってその中の更に本家が宗家となります。
ご質問ですが、今、現在の人では思い浮かびませんが、江戸時代には大名が出ていますが、この家系に矛盾が多くあり、殆ど確定は出来ません。
青木氏は平安初期の令で名乗ってはならない氏でしたので、子孫は他の氏に比べて少ないのです。が藤原氏のなかでは116氏になり最大です。秀郷の氏は361氏になります。代表的な氏は5氏あります。
(名家200選の氏ですので少ないので、現在著名な人はいないのではと思います。私も藤原秀郷流青木氏の支流青木氏を調べていましたが、これで4氏中3氏が現在も存在していることが確認できました。)
秀郷より4代目の文行流と兼光流に分かれます。
文行流は進藤氏、長谷川氏、兼光流では長沼氏、永嶋氏、青木氏です。

研究室を一度先祖の生き様をレポートしていますので、ルーツを知る上で面白いと思いますので読んでください。

りょうちゃん
更に詳細にお教え頂き本当に有難うございました。
私は現在両親と3人で父の実家の隣町の埼玉県吹上町という所住んでおりますがこの町の昔から住んでいる「青木」はほとんど吉見町
から移住してきた人達だと親から聞きました。
また、私は過去に埼玉県内の農家の方等と仕事上のお付き合いがありましたが、「青木」の姓の農家の方は私が知る限り「北埼玉郡騎西町」「北埼玉郡川里町」「大里郡妻沼町」いますがこれらも私と同じ先祖をもつ方達なのでしょうか?
家紋、宗派は不明ですが・・・
いずれにしても本当に有難うございました。

青木研究員[副管理人]
そうです。最終的には藤原の秀郷にたどり着きます。
その前に秀郷の4代目の兼光の所に、直流と支流ともたどり着きます。ルーツは同じです。
但し、子孫は枝別れして行きますので、本流と支流(嫡男と弟)に当然分かれて行きます。
又、当然に母が異なる場合があり、本妻と側女、身分の上下ある母
等で本流となるか支流となるかの違いは生じます。
昔は男系家族による家系ですので嫡子以外は全て分家して家を作ります。そして、更に、分家して支流が増えてゆきます。これが、116家にもなったのです。又本流の本家も同様です。
しかし、幹の本家は一本に繋がって行きますし、分家も支流が大きくなると分家の本家も出てきます。
支流が集まって「支流本家」が出来、その本家が又、多く集まって本流にたどり着き、「本流宗家」が出来ます。
これが「氏家制度」です。この制度で社会が統制されていました。

この宗家は絶大な権限を持ち、場合によっては宗家の意に従わない場合は支流本家一族を武力で潰す事などが頻繁に起こりました。
秀郷のルーツの青木氏は直系の1氏と直流4氏と支流4氏に分けられます。これが枝葉に分かれて合計116氏になったのです。

直系1氏が宗家で、直流4氏が分家で、この直流より分流した支流4氏の分家になります。この9氏のうち8氏までは藤原の兼光にたどり着きますし、更に、千国(千常)に、秀郷にたどり着き、村雄、豊澤、成行(秀郷の祖祖父)にたどり着き、魚名、房前、不比等、鎌足にたどり着きます。

貴方のお家の発祥は確かではありませんが秀郷から10代目位のところではないかと考えます。鎌足から18-20代目くらいと考えます。

昔は、今と違って「氏家制度の社会」ですので、この流れを確実に把握していなければ生きては行けません。自分の家の位置がどこにあるか知らなければ分家本家の区別がつかなくて問題を起しかねません。場合に依っては潰されますので、大きな問題は伺いを本家や宗家に立てるなどしていました。

ご指摘された武蔵国の各地の青木氏同じ秀郷流青木氏です。
入間の青木氏を中心に血縁の縁者です。

当時は他の一族が秀郷一族が固めている地には余程のことが無くては入れませんし、また他国や他地方から移動する事は「国抜け」と云って見つかれば殺されます。抜けると一族で固めた国は滅びます。直さら集団では無理です。これが氏家制度の掟なのです。

秀郷は宗家を守る為に護衛隊の青木氏は入間を中心に秀郷一族361氏のうちで、先ず周囲を5氏の護衛隊の青木氏で固めています。
武蔵国北の入間郡に直系青木氏(1)、北足立郡に直流青木氏(2) 武蔵国の横浜神奈川に直流青木氏(3)、榛澤郡に直流青木氏(4)、麗羅郡に直流青木氏、(5)比企郡に支流青木氏(6)、下野国に近い他の2郡(北埼玉郡と北葛飾郡)にも宗家の命で2つの支流が入りました。
お尋ねの北埼玉郡の方々は支流一族ですので、比企郡の青木氏とは氏支流は異なっていますが、直流の1氏にたどり着きます。
系譜は貴方のお家の浄土宗の菩提寺が判れば、其処に「過去帳」と言うものがありますので、調べて行けば判明し作れます。
9氏中8氏で1氏は全く異なる系列の支流(平氏)です。(初代青木氏の母方の平氏一族)

支流は3本目の枝系となります。比企郡は北足立郡と入間郡の間ですので、連携を考えての配置で有ろう事はわかります。室町以降は国内の移動は比較的にできました。移動してきた方々も縁者です。何らかの戦略上の理由があったのだと思います。一部の郡の青木氏が勢力が弱くなったことで集団移動をして固めたのだと思います。
ルーツを知る事は祖先の生き様を知ることと思います。何でも聞いてください。

りょうちゃん
度々、丁寧に御説明していだだき有難うございます。
仕事で付き合いのあった人達(青木さん)がすべて縁者だったとは、ちょっと驚きです。当時は同じ苗字の人くらいにしか考えていませんでした。
また何かありましたらご質問させていただきます。
その節は何卒よろしくお願いいたします。
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