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賜姓青木氏の弱体-4

賜姓青木氏は歴史的には大まかに次の様な子孫を遺そうとする葛藤をしている。今までの1-3までの経過をまとめる。

① 天智天武期から5家青木氏は大化の改新の目的を果たし、勢力を高めて、朝廷の不輪の権と不入の権の保護のもとに光仁天皇の頃には大きな集団となつた。795年頃

② しかし、桓武天皇はこの賜姓青木氏に対して、幾つかの事情により、この5家青木氏を牽制した。母の実家の一族の集団の渡来系一族を賜姓して朝廷の中央に据えた。そして、親衛隊の賜姓青木氏の守護職を剥奪した。この為に青木氏は衰退した。806年頃

③ この政策に疑問をもった嵯峨天皇は幾つかの戦略と政策を実行し、台頭してきた超万能集団の渡来系一族に再び、改新前の状況に戻ると危惧し、賜姓青木氏を戻した。そして、賜姓の氏名を源氏と変名して、再び皇族の親衛隊を色々な力を付けさせて構築し直した。825年頃

④ 次第に16源氏もの一族は拡大したが、依然渡来系一族は勢力を拡大し、32/66の国を領するに至る。朝廷内には3蔵の内の2蔵まで独占する勢力に膨れ上がった。しかし、ここで源氏は同族の賜姓青木氏と政治的連合を結び、摂関家とも連携して対抗した。1000年頃

⑤ この連合体で渡来系一族に対抗しようとしたが、矢張り力が及ばず、身内や朝廷内で混乱して、乱に突入するが敗退し、源氏は衰退し5家青木氏も衰退する。1160年頃

⑥ しかし、源氏一族は3源氏になりながらも、過去の反省を繰り返さないために、今度は5家の青木氏と跡目の血縁関係を短期間で構築し、更に、5地の土着豪族とも跡目の血縁を結び支流の源氏一族を増やし、裾野を広く固めた。5家青木氏と3地の土着豪族との血縁も成立し、3つ巴の作戦が成立した。武蔵国の藤原氏とも連携が出来た。源平の戦いの前哨戦へと突入し、宗家の頼政は戦いを開始した。しかし、初戦は敗退した。頼政の孫が跡目に入った伊勢青木氏は当然又も衰退した。1180年頃

⑦ 今度は源氏一族は諦めない。頼朝は坂東八平氏の土台の上に立ち義経の奮戦にて勝利する。頼朝の本領安堵策にて、伊勢の青木氏を始めとする5家とや源氏は息をふきかえした。1185年頃

⑧ しかし、坂東八平氏の目的は違った。反対を押し切って政治を行う頼朝に対して本音が出て頼朝はじめ一族を4年以内に抹殺する。北条氏と坂東八平氏は政権を奪いとり、夢を実現した。
伊勢青木氏と4家の青木氏は共に守護職を再び奪われ衰退した。
伊勢青木氏はやむなく2足の草鞋策を採った。1280年頃

⑨ しかし、ここで⑥の跡目による血縁関係の連合策はまだ生きていた。足利氏、武田氏、土岐市の3氏である。この時、主流の源氏一族は耐えた。しかし、跡目を受けた青木氏はかろうじて生き延びていた。京平氏から坂東平氏に移った政権に、再び支流の源氏は挑戦した。そして1333年に支流の源氏の手で取り戻した。

⑩ 足利政権は伊勢青木氏に対して、守護地を1/3にして戻した。
伊勢北部伊賀国地方は融和策として矢張り生き残りの坂東平氏に渡した。東部は村上源氏の畠山氏に。他に連携する同族の源氏は無くなり軍略所の伊勢青木氏は学問所の伊勢の北畠氏との連携をこれより図り互いに守りあった。1340年頃

此処から伊勢青木氏は小さい範囲の守護であるが権力に頼らず生き延びることに戦術を転換した。室町時代は文化の花開いた時期である。伊勢青木氏は紙屋を手広く営みつつ一族を守り続けた。過去の歴史的な財産を元に「伊勢松阪の紙屋長兵衛」として全国的な豪商となった。他の賜姓青木氏は関東の藤原秀郷流青木氏と違い賜姓青木氏と言う宿命で時代の変化に振り回されて子孫を大きく伸ばす事は出来なかった。⑥の時の子孫はどこに。

これからは下克上の時代と突入して行く。
伊勢青木氏も2足の草鞋で生き抜いたが、兎も角も、4家の青木氏はこの下克上で壊滅したのではないか。確認できない。
元々、藤原秀郷流青木氏との生き延びる戦略が違ったのである。(後述)
伊勢青木氏は2つの面を持つがこのままでは済まない。
北畠氏と共に連携して伊勢に攻め込んだ織田信長と戦うのである。
続く

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