青木[アオキ] 名字 苗字 家系 家紋 ルーツ 由来

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青木 三つの流れ

http://aries.hp.infoseek.co.jp/myouji/a/aoki/aoki.html

1.甲斐国 巨摩郡 青木村発祥(現 山梨県 韮崎市 清哲町青木)
清和源氏 新羅三郎源義光の後裔
一条信長―信綱――時信―――時光(「武田系図」)
甲斐国守護
称青木
この系統に戦国時代、武田信虎・信玄親子に仕えた青木信親がいる。
子孫は徳川旗本四家、あるいは山梨・静岡に帰農した旧家が今に続く。
青木時光―常(経)光 → 山口に移動
安芸武田氏に従って広島に移動、後 毛利藩士になり山口に移動
※青木和泉守
戦国時代・・・長洲に移り、毛利元就に仕える
江戸時代・・・山口県大島郡安下荘にて医者に転職

子孫 周弼――――幕末に長州藩の藩医になり、藩内で種痘を実施
周弼の甥 周蔵―明治の外交官として、不平等条約の撤廃に尽力
※青木信種(のぶたね)
甲斐武田氏家臣で韮崎白山城主
武田信縄・信虎・信玄の3代に仕える
天文十年(1541年)10月20日没

2.武蔵国 入間郡 青木村発祥(現埼玉県 飯能市 青木)
武蔵七党丹党の流れで秩父基房の子孫
秩父基房ー新里恒房ー真直(「丹党系図」)
称青木
戦国期   → 後北条氏・佐野氏に属す
主家滅亡後 → 帰農して関東一円に土着
この系統で、美濃(岐阜)に移った一族から戦国期の青木直兼・重直
親子が土岐・織田・豊臣に仕え、その子一重は徳川家康に仕えて摂津
麻田藩主に封ぜられて、後、廃藩置県の時まで14代が継承する。(参照)※AAAへ
この系統は、疑問点が多く残っており、摂津麻田藩と丹党の関係もわからない。
藩主になった系統の発祥地・・・美濃國安八郡青木村(現岐阜県大垣市)

3.近江国 坂田郡 青木村発祥(現滋賀県 甲賀郡 石部町)
藤原時長―利仁―叙用―吉信―伊伝 ⇒ 利仁流
称斎藤
この系統は、六角氏→織田信長に仕え、江戸時代になり旗本として続く
・他流 ⇒ 藤原秀郷流、平姓など

・家紋
清和源氏系旗本 青木家 割菱、葉菱
丹党青木家 定紋 (じょうもん)[第一級] 州浜(すはま)→三つ盛り州浜に後代おさまる
副紋 裏紋 霞に富士(青木富士)
替紋(かえもん) 霞に富士、木の字(青木の木を図案化)、鹿の角(鹿角(かずの))
・文献 青木系図(系図綜覧)、青木系譜(東大史)、肥前唐津青木系図(神宮)
諏訪社青木系図(長崎)、「私の家系追求」青木健著

※参照AAA 摂津麻田藩 青木氏

摂津麻田藩
青木氏
藩祖 - 青木一重(かずしげ)
天文二十年(1551年) 青木刑部卿法印重直の長男に生まれる。
母 某氏、幼名 忠助
所右衛門(通称)、初名 重通、法号 宗佐
官位職歴 従五位下民部少輔
経歴 豊臣秀吉の黄母衣衆
慶長・元和の役後、徳川家康に仕える
元和元年(1615年)  一万二千石を領し麻田に住む→のち弟可直に二千石分与
寛永五年(1628年)  8月9日没 法名 梅隣院革屋令曇居士
葬地 麻布祥雲寺(のち、摂津畑仏日寺へ改葬)
墓所 江戸白金台瑞聖寺
正室 不詳
子女 正重(一重養子、小寺則頼子)→ 病により家督相続できず。
重兼(養子) → 二代

二代 - 青木重兼(しげかね)
慶長十一年(1606年) 青木可直(一重弟)の長男に生まれる。
母 関右京亮某の娘
幼名 源五、職歴 甲斐守、号 瑞山
元和五年(1619年)  一重の養子となり、家督を相続。
寛文三年(1663年)  摂津多田院再興の奉行
同十二年(1672年)  致仕
天和二年(1682年)  没 法名 瑞山性正竹岩院
葬地 河原村北渓の山中
正室 酒井忠利養女(酒井忠季娘)
子女 可一(重兼養子、酒井忠勝三男)→ 正保元年(1644年)没
重成(養子) → 三代
女子     → 三代の正室

三代 - 青木重成(しげなり)
寛永二年(1625年)  松平忠長家臣朝倉宣親の長男に生まれる。
母 酒井忠勝の娘、職歴 内膳→民部→甲斐守
承応元年(1652年)  重兼の養子となる。
寛文十二年(1672年) 家督を相続。
元禄五年(1692年)  大番頭・御留守居→側衆を勤める
元禄六年(1693年)  没 法名 陽徳院殿徹山道剛大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 二代重兼の娘
子女 直正(青木直澄養子)、重矩(四代)、女子、景孝(朝倉景行養子)、明教(加藤喜隆養子)、源三郎

四代 - 青木重矩(しげのり)
寛文五年(1665年)三代重成の次男に生まれる。
母 正室 二代重兼の娘、幼名 源五郎
職歴 民部→甲斐守
元禄六年(1693年)  家督相続
正徳三年(1713年)  致仕
享保十四年(1729年) 没 法名 了心院殿雄山元英大居士
葬地 摂津畑仏日寺
正室 戸沢正誠の娘
子女 一典(五代)、女子(大給[松平]乗真正室→離婚→京都祇園宝寿院行快妻)

五代 - 青木一典(かずつね)
元禄十年(1697年)四代重矩の長男に生まれる。
母 某氏、職歴 民部→出羽守→甲斐守
正徳三年(1713年)家督相続
元文元年(1736年)没 法名 春徳院殿瑞海元活大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 冷泉為経の娘
子女 一都(六代)、見典(七代)、一新(八代)、女子(加藤明義妻)、女子、寅太郎、
亀三郎(近江國唯念寺長寿養子)、正岑(井上貞高養子)

六代 - 青木一都(かずくに)
享保六年(1721年)  五代一典の長男に生まれる。
母 正室 冷泉為経の娘、幼名 源五郎
職歴 出羽守→甲斐守
元文元年(1736年)  家督相続
寛延二年(1749年)  没 法名 覚翁院殿大徹浄真大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 谷 衛衝の娘
子女 見典(弟、養子)→七代

七代 - 青木見典(ちかつね)
享保八年(1723年) 五代一典の次男に生まれる。
母 某氏、職歴 内膳→内膳正
寛延二年(1749年)  兄、一都の養子となる。
寛延三年(1750年)  家督相続
宝暦四年(1754年)  没 法名 清涼院殿秋岳浄映大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 不詳
子女 一新(弟、養子)→八代

八代 - 青木一新(かずよし)
享保十三年(1728年) 五代一典の三男に生まれる。
母 某氏、職歴 主税→美濃守
宝暦四年(1754年)  兄、見典の養子になり、家督相続。
明和七年(1770年)  致仕
天明元年(1781年)  没 法名 善応院殿心珠衍明大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 久留島光通の娘
子女 一在 → 明和三年(1766年)没、女子(九代の正室)、一貫(養子)→九代、他 早世男子四人

九代 - 青木一貫(かずつら)
享保十八年(1733年) 伊達村年の三男に生まれる。
母 伊達吉村の娘、幼名 伊織、職歴 甲斐守
明和七年(1770年)一新の男子早世により養子になり、家督相続す→大番頭を勤める
天明四年(1784年)  没 法名 養源院殿慈眠衍端大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 八代一新の娘
子女 健行(佐野義行養子)、貞喬(設楽貞猶養子)、政佑(米津政従養子)、一貞(十代)、
女子(渡辺春綱正室)、女子(斎藤利恵妻)、一寧、喜代三郎、他 女子四人

十代 - 青木一貞(かずさだ)
安永五年(1776年)  九代一貫の四男に生まれる。
母 正室 八代一新の娘、幼名 源五郎
職歴 出羽守→甲斐守
天明六年(1786年)  家督相続→柳間詰を勤める。
文政四年(1821年)  致仕
天保二年(1831年)  没 法名 正法院殿一乗義貞大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 佐竹義忠の娘、継室 池田定常の娘
子女 重龍(十一代)、一興(十二代)、衛モ(谷 衛弥養子)

十一代 - 青木重龍(しげたつ)
寛政十二年(1800年) 十代一貞の子に生まれる。
職歴 内膳正→美作守→駿河守、幼名 源五郎
文政四年(1821年)  家督相続
弘化四年(1847年)  致仕
安政五年(1858年)  没 法名 龍光院殿天祥本瑞大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 森 忠賛の娘
子女 一興(弟、養子)→十二代、重義(十四代)

十二代 - 青木一興(かずおき)
文政五年(1822年)  十代一貞の子に生まれる。
職歴 美濃守
弘化四年(1847年)  兄、重龍の養子になり、家督を相続す。
嘉永二年(1849年)  没 法名 玄了院殿俊徳義勇大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 不詳
子女 一咸(養子)→十三代

十三代 - 青木一咸(かずひろ)
文政十一年(1828年) 奥平昌高の子に生まれる。
職歴 甲斐守
嘉永二年(1849年)  一興の養子となり、家督を相続す。
安政三年(1856年)  没 法名 泰雲院殿一峰清咸大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 戸田光庸養女 ラ(戸田光行娘)
子女 重義(養子、十一代重龍子)→十四代

十四代 - 青木重義(しげよし)
嘉永六年(1853年) 十一代重龍の子に生まれる。
幼名 源五郎。職歴 民部少輔。
安政三年(1856年) 一咸の養子になり、家督を相続す。
明治十七年(1884年) 7月8日 子爵位を授爵す→同年 没
正室 松平信宝の娘 由(のち、離婚)、継室 塩田伝兵衛の娘

15代 信光(のぶみつ)
16代 蔚(しげる)
17代 淳一(じゅんいち)

青木研究員[副管理人]のコメント
青木一重流青木氏のルーツ

2ケ所ちがっていると思われる所がありますので、参考のために記述します。

美濃の国の安八郡の青木村は藤原流青木氏となっていますが、この土地は当初、皇族賜姓の青木氏が守護地として赴任したところです。その後、ある戦略的理由で清和源氏嫡流の源の頼光が国司として赴任したところです。そして、この青木氏は清和源氏の頼光の子孫が跡目に入り同化しました。よってここは皇族賜姓族の青木氏のルーツとなります。

AAAの青木氏は藤原秀郷流青木氏であることはこのルーツが元は武蔵の国の足立郡に住まいしていたことが判明し、信州の小県郡にも青木村があり、足立郡の移住によることがわかりましたので藤原秀郷流青木氏である事が確認しています。
藤原利仁流青木氏はちがっています。

利仁流は分行流の進藤氏の分派です。分行流には進藤氏と長谷川氏の流れですが、この進藤氏は余りにも大きい派閥のために藤原利仁から分派したものです。したがって、この流れには青木氏はありません。青木氏は兼行流におこります。長沼氏と長嶋氏とともに。
利仁流青木氏というのは戦国時代の偏纂の疑問ものこります。
しかし、AAAの青木氏と姻戚関係があるというのは藤原秀郷流では。

一重氏の孫 重吉氏は当初は信州の丸子に住まいしていましたが、それ以前は武蔵国足立郡の青木村に住んでいたと記録されていますので、9/14の土地ですので藤原流青木氏と判断しました。
信州小県郡にも青木村がありましたがこの青木村は武蔵の国足立郡の青木村から時間経過から移住したものと推測します。
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