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青木[アオキ]という姓[名前・名字・苗字]・家紋・家系の由来・ルーツの研究

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明治以降の第3の青木氏

第3の青木氏は明治以降に姓として付けられたものですが、この姓には一つのパターンがあります。なぜなら自分の好きな姓を自由に付けるということは難しい。というのは他に親族とか一族とかがあります。この者たちと姓が事なると言うことは出来ません。

したがって何とか親族一同同じにする方法が必要です。ここにお寺がでてくるのです。なぜなら、お寺は過去帳と言うものを持っています。この過去帳は昔の戸籍簿を兼ねていました。明治初期の姓の持たない人たちはこのお寺に頼みこんだのです。裕福な一族は高額の金品を払い付けてもらいます。この中で最も高額な姓は青木氏だつたのです。それは言うまでもなく第1、2の青木氏は青木氏と藤原氏の最も歴史のある高位の氏姓です。

ですからこの姓を獲得できれば系譜を作れると考えたからです。71レポートに記した様に菩提寺の寺側では還俗僧の青木姓をつけることは容易です。比叡山か門跡寺院にそれなりの金品を支払えば架空の還俗僧は作る事はでき、還俗僧の青木姓を取得することが出来る。この現象はレポートの青木村の14ケ所の土地とその縁の土地で多く確認できるのです。それはホームページの管理人さんのレポートに”3500人の内大半が青木姓であつた”と書いていましたが、これはこの現象が起こった結果なのです。

第1、2の青木氏は武士である以上村全部が青木と言うことは生活できずありえない。全部主人という事になるからです。明治の姓の付ける基準はその土地の環境に合わしたものが多かったのです。つまり憧れです。寺側でも容易に適度の系譜を作ることができます。基のところに還俗僧の青木姓をいれればよいだけですから。このようにして青木姓が明治以降増えたのです。違うところは系譜は途中からのものが多いし、第1、2の青木氏のようにルーツ条件がありません。

ルーツ条件
1 14ケ所の村にある事。5/14か9/14か。
2 家紋が家紋200選にある事
3 系譜に矛盾がない事。(人名に時代性にズレがない事)
4 宗派は浄土宗である事。
5 系譜に藤原血縁にある事。

以上、5条件が成立することで第1,2の青木氏が決まります。
4について、藤原氏の貴族と青木氏の皇族侍の者は全て法然の浄土宗に入信しています。

5について、皇族賜姓族の青木氏は天智天皇と天武天皇の皇子は別として藤原の血縁です。5家の全ての青木氏は平安中期に清和源氏の跡目が入っています。この理由は後日レポートします。

清和源氏の3家は妻方に藤原氏の北家の血縁がベースになっています。
5/14の追加条件として、身分を示すステータスとして、奈良時代の仏師の鞍作部止利の作った30センチ大の仏像を持っています。これが賜姓を授かったときにステータスとして与えられたものです。9/14の追加条件として、秀郷直系の証として、主流家紋は「丸に揚羽蝶」に一文字や蛤などの追加紋がある家紋です。

1について、一族の移動により村が変わっていても移動点が歴史的に確認できる事で証明可能。
第3の青木姓氏は上記条件に外れることになります。
上記の条件でルーツを確認してみてください。家紋200選が解らなければ質問ください。

後日追記
第3の青木氏は主に明治初期の姓の使用を許されたときにこの方式が青木氏にする場合によく利用された事で、この方式は室町中頃から始まり、江戸期に公然と使われて付けられました。

戦国時代の松平の源氏族に偏纂した事でもわかります。各藩の給帳の青木氏にはこの現象と思われるものが多くあります。室町から江戸までは下克上の戦国でしたから姓や家柄や身分や家紋のない者が台頭し、殆ど伝統ある家柄の者は滅亡してしまいました。その最初の起こりは国を治めるために朝廷から派遣されていた国司や守護を討つと言う平の将門や平の忠常の乱からはじまっています。この現象ははっきりと室町中期から出ています。

したがって上記した者やその配下の者が下克上に成功した場合、どうしても家柄や身分や家紋が当面必要になります。このことが貧困に喘いでいた朝廷や室町幕府や寺社などの収入にもなっていたのです。この者たちが使った主な手は第3の方式であったのです。青木姓だけではなく没落していった国司や守護の殆どの名家系も同じでした。

江戸初期頃に作られた各藩がだしている「給帳」を見るとわかります。これをまとめた「武鑑」や「東鑑」等の氏書での青木氏はルーツ条件5に合致するものは少ないのはこの現象です。矛盾が出て来ることになります。
現に、佐々木流青木氏と言うのは元は上山氏と名乗っていましたが、出世して他の国に移動した折に、佐々木流青木氏と名乗りがえしました。この元の佐々木流青木氏については、次のことがおこつています。

皇族賜姓の近江青木村の青木氏(笹竜胆)は一度この地を出て、再びもどりました。この近江には宇多天皇の第6皇子以降の末裔が地名を採って佐々木氏を名乗っていました。賜姓ではない皇族です。この近江には時代のズレはありますが、皇族系の青木氏と佐々木氏(1200から1221頃まで10ケ国の守護職を勤め、1350年ころ滅)が存在していたことになります。

この青木氏が一度この地を出たのもこの理由の一つと思われる。結局、後に源氏族の佐々木流青木氏が、他の4家の清和源氏との同化した青木氏と同様に生まれたのです。
しかし、この佐々木流青木氏の家紋は「丸に揚羽蝶に木文字」です。他の4家の「笹竜胆」と違っています。
家紋の作りは藤原秀郷流青木氏の「丸に揚羽蝶に..」と似ています。

この氏は城持ちとなつた上山氏は途絶えた家柄の良い佐々木流青木氏を何らかの方法で名乗ったとみられます。
10ケ国の守護でしたので、この内の国で縁者となつたとして理由付けして。
佐々木氏も青木氏も「笹竜胆」ですから分派や分流がなく、名乗れなかったのではないかとおもいます。
分派としての佐々木流青木氏として家紋の理屈を作ったものと予想されます。
(多々良流青木氏も同系です。)
上記したこのようなことがこの時期に多発したのです。
これがルーツ条件5に一致しない第3の青木氏なのです。

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