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藤原秀郷主要5氏と家紋の研究-藤原秀郷流青木氏の家紋群-2/10

史料2
藤原秀郷流青木氏116氏(121)の家紋類

綜紋 下がり藤紋 綜紋 下がり藤紋




(以下第3の青木氏の家紋、及び、皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏の家紋類含む)
(詳細説明は家紋掲示板か「青木氏と血縁族」(家紋)のレポート参照)
(各青木氏の家紋類は重複し合計121紋:不明紋含ず)
(・印 家紋200選 59/121 49%)

1 ・笹竜胆
2 ・下がり藤、・上り藤、・加藤藤、上り藤上一、対四つ藤
3 ・州浜、・丸に州浜、三つ盛り州浜、丸に三つ盛り州浜、三つ盛り陰州浜、五瓜に州浜、下り藤に州浜、
4 ・抱き角、・丸に抱き角、四つ又抱き角、隅切りに抱き角
5 ・違い鷹の羽、・丸に違い鷹の羽、並び鷹の羽
6 ・蔦、・丸に蔦、陰蔦、丸に陰蔦、鬼蔦、隅切り角に蔦、八角に蔦、二重瓜に蔦、五瓜に蔦
7 ・木瓜、・丸に木瓜、横木瓜、丸に横木瓜、糸輪に陰木瓜、五つ木瓜
8 ・片喰、・丸に片喰、・剣片喰、・丸に剣片喰、隅入り平角に片喰、子持ち亀甲剣片喰、五瓜に片喰
9 ・三つ柏、・丸に三つ柏、・牧野柏、・丸に蔓柏、・違い柏、二つ葉蔦柏
10 ・梅鉢、・丸に梅鉢、加賀梅鉢
11 ・五三の桐
12 ・揚羽蝶、・丸に揚羽蝶
13 ・九曜、・丸に九曜
14 ・三つ星、・丸に三つ星、亀甲に三つ星、扇に三つ星
三つ星一つ引き、・丸に一つ引き、・丸に二つ引き、・丸に三つ引き、八角に木瓜に二つ引き、五瓜に丸に三つ引き
15 ・桔梗、・丸に桔梗、
16 ・武田菱、割り菱、・三階菱、・丸に三階菱、抱き茗荷菱、丸に一つ目菱、・剣花菱、・丸に剣花菱、松皮菱、四方瓜に重ね菱、・丸に花菱
17 ・橘、・丸に橘
18 ・抱き茗荷、・丸に抱き茗荷
19 ・三階松、・丸に三階松、抱き若松、
20 ・菊水
21  釘抜き
22 ・丸に根笹、・九枚笹、3枚笹、二階根笹
23  立ち葵
24 ・丸に違い矢
25  丸に六つ矢車
26 ・丸に隅立て四つ目、隅切り角に四つ目、丸に三つ目
27  抱き柊、蔓柊
28 ・扇、・丸に扇、違い扇、丸に違い扇、・丸に日の丸扇、・並び扇、・丸に並び扇、隅切り角に扇
29 ・立ち沢瀉、・丸に立ち沢瀉、花沢瀉、・抱き沢瀉
30  牡丹
31 ・丸に三つ鱗
32  隅入り角に梶の葉、立ち梶の葉
33  三つ銀杏、二重亀甲に三つ銀杏
34  隅切り角
35  枡、丸に隅立て升
36  五瓜に違い鷹
37  丸に青の角の字
38  くつわ

以上38分類の121の家紋がある。
(家紋掲示板は33文様 5紋様は削除)

青木氏の家紋類と「家紋200選」に関する考察
(「家紋200選」は1/10の史料1参照)

青木氏の家紋類の全体の50%は「家紋200選」にある。
青木氏にに拘らず他の主要4氏もほぼ同じ程度である。

この事は青木氏が先ず大変隆盛を極めて子孫を大きく遺した氏である事が云える。
普通の氏では10%程度である事から観ると、格段の違いである。
これは「氏家制度」の血縁の慣習が原因していると見られる。
つまり、血縁の家柄身分の慣習の「吊りあい」を前提としていた過去の社会慣習が左右していたと観られる。
この慣習は昭和20年前の社会慣習では血縁と言う事では未だ多く遺された慣習であった。
この青木氏の家紋類の多くは藤原秀郷流青木氏(70%:200選で35%)の比率となるが、その内容は「家紋200選」の中でも全て大豪族が血縁相手である。
又、護衛と云う役目柄として大豪族と血縁する事でよりその任務が果たせるからに他ならないのである。この様に偏るのはあくまでも戦略的血縁(政略血縁)であり、決して恋愛的血縁ではない。
現在では、華々しく恋愛的血縁であるが、当時の氏家制度の中では「吊りあい」の家柄身分の範疇で行われる政略血縁である。

特に秀郷一門の「第2の宗家」と目される青木氏に関しては、一門(氏)が生き残るための条件を優先されるものがより他の4氏より強かったし、要求されたと観られる。
だから、この様な「数と質」の血縁族との内容と成っている。(これ等は本文で説明)
その「数と質」の血縁には特長があり、青木氏121の家紋から「第3の青木氏」の家紋6氏を除くと先ず全て本家との血縁をし続いて分家、分流、分派の血縁を行っている。
これは採りも直さず、固めに固めていると言う事が観える。これだけ固めれば崩れることはなく一族挙って離反する事はなくなるだろう。これは青木氏本家と血縁先本家がその一族をまとめる事が出来る戦略そのものである。

当時は、未だ群雄割拠の時代で、隙を見せれば潰される時代であり、青木氏の護衛の如何では藤原秀郷宗家の任務が果たせず、家の面子に関わる事でもある。
この時代では理想的な言い分は通らない。実績のみである。この意味からして護衛と云う役目は宗家=青木家である。だから、宗家から跡目を入れて、身内で確固たる体制を築き、下記にも出て来るが、護衛で足利の騒動を守り抜いた「藤姓の足利殿」と呼ばれる事になるのである。
(秀郷総宗本家は「平将門の乱」で武力を持たない貴族になった)

地理的に観ても、その青木氏血縁相手の家紋の氏が、藤原秀郷一門の赴任地にほぼ一致するし、5家の賜姓族の土地柄に一致する。この意味するところは、藤原秀郷一門が戦略的に勢力を高め確固たる基盤を築こうとする「大戦略」に他ならない。
つまり、藤原氏北家が最大勢力を築き、それを背景として政治を主導したのは、この事が大きく影響している。青木氏は秀郷宗家の赴任地に護衛役として同行し、そこで宗家と共に、上記の戦略を展開した主役である事を意味する。
この事は永嶋氏を始めとする主要5氏の7/10-10/10の本シリーズのレポートでも記述するが、藤原秀郷宗家と同格に扱われていて、他の4氏と較べて「第3子の家法」に基づき「青木氏の跡目」も殆ど宗家から入れているくらいである。

「第2の宗家」と当時は見なされていて、書籍では実力者「藤姓の足利殿」と呼ばれていた。
この時期は足利に着任した秀郷7代目の成行の孫の宗家有綱七郎(二郎:秀郷10代目)から跡目を青木氏に入れて、足利に有綱が着任、その跡目を受けた青木氏が護衛役に着いた。実質の実力者である。実質は「足利殿」とは「青木氏」である。この表現は青木氏も宗家と見なされていたことを意味する。「流」から観ても子供であるのでそう云うに呼ばれるであろう。

その後、宗家本流の有綱流より跡目が入り続け、更に有綱より8代目の行久(第2子)まで跡目は続いている。この青木行久が2代目千国から続いた直系青木氏を引き継いだのである。
更に、宗家本流の佐野氏流と同系となり その後、総宗本家以外の本流佐野氏からも跡目が入り青木氏が繋がり、これより青木氏は兼光流の佐野氏を含む秀郷宗家一門筋から第1子を除いて第2子から第7子までの形で跡目は続いているのである。
本論で記述するが、秀郷流とは異なる流の利仁流からも青木氏の跡目が入っている。

これは青木氏の直流の一つに入れたものであり、利仁流の流を組む直流青木氏が引き継がれて行くのである。
当然、直系青木氏からも直流青木氏へ跡目を入れているのであるが、この様にして青木氏は維持され且つ、主要9氏116氏の青木氏が拡大して行くのである。このことは本論で詳しく考察する。


「第3の青木氏」についても、完全にこの氏の掌握は困難であるが、この青木氏(下記:30氏程度)にある氏は藤原一門と賜姓族の青木氏のほぼ勢力圏内での発祥紋と成っている。
つまり、この史料外の史料とも合わせて観ると「第3の青木氏」は、赴任地24地方の域周囲に居た者が他の二つの青木氏に習って名乗った事をこの史料で裏付けられる。
その時期は、家紋の出てきた時期から観て、第1期の室町末期、第2期の江戸初期、第3期の明治初期の内、この青木氏の家紋類から観ると、藤原秀郷一門が鎌倉幕府樹立で失職離散した時より以後の主に御家人、旗本等の発祥期の第2期の江戸初期が主になるであろう。

皇族賜姓青木氏5家5流と24氏(史料3/10)にと、藤原秀郷流青木氏の主要9氏116氏との家紋が24家紋で重複する。そして、それは、藤原秀郷流青木氏116氏の中に全て25家紋(笹竜胆紋含む)は存在する。
秀郷宗家が引き継ぐ綜紋「下がり藤紋」が、秀郷の青木氏宗家にも「下がり藤紋」を確認出来る。
これは秀郷宗家と同じく青木氏宗家でも「第2の宗家」の維持を固くしている事を意味する。

賜姓族の青木氏(信濃青木氏)の笹竜胆紋も重複していることは、秀郷一門の青木氏に跡目を入れていてる事を示すものである。つまり、藤姓の足利の青木氏(下がり藤紋)と相互に跡目血縁し2つの青木氏で何れも男系不継承で秀郷青木氏の方で家紋が笹竜胆、賜姓青木氏の方で下がり藤紋と成った事を意味する。

その重複25家紋に付いては全て「家紋200選」にあり、その「家紋200選」の中でも主要氏の家紋類である。
この青木氏の家紋には、「第3の青木氏」の職能紋(職能の高い伝統を護るために匠と成った者に与えた氏)が2つ含む。主な職能外の「第3の青木氏」は4つ含み合わせて6家紋が含んでいる。

この「第3の青木氏(家紋6)」は、藤原秀郷流青木氏と皇族賜姓族青木氏の家紋116氏(家紋は重複)に対して、上記の「地理性」から観て同じ程度の家紋の数(下記:MIN30-MAX35)の氏があると見られる。
(秀郷一門20地方と皇族賜姓9地方:未勘と重複含ます゜:発祥していない地域もある)
発祥した「家紋と氏」では地理的には30(25-35)程度だが、第3期の明治期では村全体が突然に集団で名乗った事や、未勘の氏もいれて、第1期と2期では個別で名乗った氏が多かった。
この事から、個別の家紋化をして名乗りをした史実を考えると、(期間-氏-地方)の関係では、明治期を限界として(1125年-116氏:30地方=370年:?氏:30地方)の相対式の計算では?氏=38と成る。
相対式から観ても35(BIAS 3)氏(繁殖と死滅は同等とする)の「第3の青木氏」が存在すると考えられる。(地理的30:相対的35 結論30-35氏)
この結果、2つの結果を考慮すると、全ての青木氏は155-160の氏と家紋と成るであろう。

現在の全青木氏の人口を考察推定する。
全青木氏の数値を使うと、MIN95万-MAX100万(計算 155・5の5乗:家族5・5代=夜叉孫)と成る。これは概して日本の人口の1/120と成る。
家紋数8000として観ると、多い氏と成ろうし、ave50家紋<200で「家紋200選」から観ても主要家紋の氏と成る。

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