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:「青木氏の伝統 10」-「密教概念」(毘沙門天から観る概念)


[No.327] Re:「青木氏の伝統 10」-「密教概念」(毘沙門天から観る概念)
投稿者:福管理人 投稿日:2015/01/13(Tue) 09:14:13


> 前回の末尾

>「密教氏青木氏」としては、「賜姓五役の遂行」と「子孫存続」であったと理解している。
>それが「毘沙門天」の「三神格の武神、守護神、財福神」であって、別の顔の「商いの氏」としては、「戎神、無病息災神、勝負神の三神格」であった事に成る。
>「毘沙門天」にこの願いを込めたのであろう事が判る。

>「毘沙門天像」には、この様な「酌量の余地」を残しているのは、「密教性を自由に表現できる余地」を残している事に成る。
>これは、「毘沙門天像」が「和魂荒魂の古代宗教」との「習合性」を持たす事に依って「仏教の浸透力」を高めようとした所以であろう。(現実に「三宝荒神像」と同化した。)






「伝統 10」


「密教概念」(毘沙門天から観る概念)
記録によると、「阿多倍王」の子孫の九州の太宰大監の「大蔵種材」は、当代の豪傑であった事からこの”「毘沙門天像」のモデル”と成ったと記録されている。
又、実質にもそのような人物であったとして、朝廷と歴代天皇は、「錦の御旗」と「遠の朝廷」を個人に与えた唯一の人物でもあった。
古今東西で、正式に個人と団体にこの称号を賜ったものは現在までいないのである。

例えば、仏教の「両界曼荼羅」の絵では、の「大蔵種材」がモデルと成って、甲冑に身を固めて、右手は宝棒、左手は宝塔を捧げ持つ姿で描かれている。
これは「古代密教浄土宗の様式」である。
然し、ところが「東大寺」(戒壇堂)の「四天王像」では、逆に右手に宝塔を捧げ持ち、左手で宝棒を握る姿で造像されている。
これは「古代密教浄土宗」と異なる宗教概念であった事を物語る。

奈良の「當麻寺」でも同様に右手で宝塔を捧げ持っている。
他に、西洋の影響を受けて「三叉戟」を持つ造形例もある。

例えば、京都の「三室戸寺像」などは、「宝塔」を持たず片手を腰に当て片手に「三叉戟」を持つ姿である。
これは明らかに外来の「大乗仏教」の影響を受けている事が判る。

これらは、「密教像」であったことが、「3大密教の考え方」を受けて、その表現方法が大きく変わったと観られる。
中でも真言宗高野山の「毘沙門天像」は外来の「大乗仏教」のその宗派の影響を強く受けている。

ここで、これらの「密教の考え方」をはっきりさせる事がある。
それは「宝塔」の意義である。
そもそも、「宝塔」とは、本来は「経典」を納める塔で、円筒の塔に一重庇の持つ塔で、BとCでは、この円筒の中に「釈迦の法華経典」が納められる。
(Aは異なる)
これは、「宇宙仏の毘盧舎那仏の教え」を「釈迦」が仲介して教え伝えると云う事から、「釈迦の法華法典」を「宝塔」に納めると云う教義を採っていて、これは殆ど「顕教」である。
しかし、これが「天台密教」だとしている。
しかし、「天台宗」は「宇宙仏」の「毘盧舎那仏」を本尊としている限りは「顕教」である。
「顕教」だけれど、「密教」だとする中間説であろう。
当時、平安期には、「天台宗」は「顕教」では「高位の信者」を集められないところから、「密教の考え方の概念」も交えて「門跡者」や「公家衆の信者」を多く獲得していた。

一方、「Aの密教浄土宗」では、「宝塔」には「仏教に関わる珍物」を入れた。
「宝塔」には、Aでは「仏舎」を形採ったとして”「仏教の珍物」”即ち、その氏が指し示す概念の物を入れた。
多くは「密教氏の武家」が入信したのである。
「青木氏」等「密教氏」では、「宇宙仏」の「大日如来仏」である事から、「自然物としての宝」即ち「玉」(青木氏は黄玉石)」を入れた。(現有)
そして「達親の論文」でも論じた様に、完全な「密教概念のシステム」を採った。

「Aの密教浄土宗」では、この「宝塔」を形採ったものをこれを”「左」”に持つ。
「左」と云う字句に意味を強く持ち、その「宝塔」の中味にも意味を強く持たしたのである。
この「宝塔の作法」として現在も遺されているのは、法事などに戒名等を書き示される「塔婆」はこの作法の一つである。
「塔婆」に書き記された「戒名」を”「密教の毘沙門天」が守護する”と云う意味合いを持っている。
(顕教に成った現在でも、この塔婆の仕来りは護られている)
従って、この「宝塔」は、その氏が「主張する概念」を指し示す。
これが「密教」である。”主張出来る得る仏教概念”と云える。

更に、「宝棒」は「悪」を打ち据える「棒」を意味する。
これを「右の手」に持つ事は「右」の意味を重視しているに関わる。

つまり、概して次の様な論説に成る。
仏教では、「左右」は、「左」を優位とし、「右」をその「相対の位」にあるとする。
つまり、「天台宗密教」では、左に「法華経典」を持つ事は、「法華経典」で以って優位して「現世」を治め、左に持つ「法棒」(宝棒)で以って「現世の悪」を打ち砕くと説いている事に成る。
その「神格」が「毘沙門天」であるとする考え方である。
この様に、「宝棒」や「宝塔」の持つ方が左右の何れにか依って治める優位が変わる。
「左右」のみならず「持つ物」と「持つ物の有無」に依っても、「その意味の度合い」が変わってくる。
要するに、「法華経」の「法」(宝塔)を以って「令」を成し、世を治め、「罰」(宝棒)を以って「律」する。と云う概念である。

事ほど左様に、別論文の「伝統2」で論じた様な「密教の仏法作法」が遺されている所以なのである。

故に、「賜姓青木氏」では、「古代密教浄土宗」であった事から、「大日如来坐像」の「お仏像様」を「護り本尊」の主尊(法華)として、「毘沙門天像」を「武神・守護神」の側尊(悪を罰する武)の「独尊像」として一対としていたのである。

「青木氏の密教概念」は、次ぎの通りである。
左に「宝塔」、右に「宝棒」、足元には「邪鬼」を踏みつけ、「大蛙」を「使い」として仕えている「造像」である。
そして、この「宝塔」には「玉」を納めている。
要するに、「地上の玉」(宝塔)を以って世を治め、「罰」(宝棒)を以って「悪」を捉え律し、「如来の使い」を通して「法華」を指し示す。と云う概念である。

つまり、「地上の玉」(宝塔)、即ち「天皇の威徳光」を以つて世を治め、「罰」(宝棒)を以って「邪悪」を抑え込み、依って律する世を作り、「如来使」(大蛙)の法華(「令」)で「現世」を作る。
そして、その「法華の世」は「現世の者」と「彼世の者」とに依って治められる。

これが「青木氏の毘沙門天像」が指し示す「青木氏の密教概念」であると「古代密教」は説いているのである。

況や、「古代宗教」の「習合化の影響」が働いて「自然神の概念」に近い。
これが「古代密教浄土宗の概念」でもある。

既に、他の密教との差違はお判りと思うが、上記した様に、これに比して、天台宗系列の「毘沙門天像」が指し示す「天台宗密教の概念」とは、現世を治める概念が著しく異なっている。
ここには、次ぎの違いがある。
「古代宗教」(自然神と和魂荒魂との習合)が他二つの密教には無い事。
「法華経」が存在するが、「玉」としての「天皇の位置づけ」は無い事。
「律と令」の「律の処し方」と「令の治め方」も異なっている事。
「令」には「如来の万能神の使い」の有無が異なる事。

要するに、「天台密教の概念」は、「法華経」の「法」(宝塔)を以って「令」を成し、世を治め、「罰」(宝棒)を以って律する。と云う概念である。
これは、「釈迦」が説く「法華経」を下に単純な「律令の世の概念」である。
「外来の概念の影響」を受けて合理的に成った概念に近く、最早、「顕教」でもある。

ここで、疑問点がある。
「天台密教」が指し示す概念には、次ぎの様な事の違和感の差違がある。
”「天皇の威徳」が概念の中に無い事。”
”且つ、顕教的密教である事。”
しかし、この”信者の多くは「公家」と「門跡者」である事。
当に、体制側を構成している者達である。

「天皇の威徳」のを概念の中央に据えていない天台宗密教である。
その密教の信者とは納得がいかない。自らの立場を”密教と云う立場”で否定している事に成る。
本来であるのなら、「真人族」と「公家」と「門跡者」等は、自らの体制派側にある筈である。
そうであるとするならば、”宝塔に玉”の「浄土宗密教」に入信する筈である。
ところが、「釈迦側・顕教側」に付き、「玉・密教側」の天皇側に入信していない。
これはおかしい現象である。
確かに、「朝臣族」は、「浄土宗密教」、「真人族」でも、皇位継承から外れ臣下した「青木氏族」は「浄土宗密教」に入信している。
もっと分けるとして、体制の「護り側」は「浄土宗密教」、「護らせ側」は「天台宗密教」と成る。
密教では逆の現象が起こっていた事に成る。一種の矛盾である。
確かに、この現象が起こっていたが在る。
例えば、「平等院」は「天台宗」と「浄土宗」の何れの密教宗派も院殿の形で取り入れている。
「信濃善光寺」も「天台宗」と「浄土宗」の密教宗派も院殿の形で取り入れている。
僧侶もこの比で抱えているのである。その僧侶もはっきりと分けられていて「公家や門跡者」は「天台宗側の僧侶」に、「朝臣族や真人族や宿禰族」からは「浄土宗側の僧侶」と成っている。
遺された記録からこの事が読み取れる。

では、何故に、密教の中で、この現象が明確に起こるのであろうか。
概念の中で何かがあるから起こっている。
この矛盾を解くとするならば次ぎの様に成る。

天台宗密教側から観た優位点
イ 「法華経」と云う物: ”「生きる道標」”を 文書で明文化して指し示していた事。
ロ 「釈迦像」と云う人: 現実にこの世に生きた神格仏の”「現実の崇拝偶像」”があった事。

天台宗観密教から観た劣位点
ハ 「天皇の威徳」:現実には天皇の象徴性が”「不完全な人間性」”を暴露している事。
ニ 「自然理」:自然の中から自らの切磋琢磨で”「理を悟る事」”には不安がある事。

「天台密教側を信じる者」には、「イとロの導き」があり、「ハとニには疑問と不安」が残る。
とすると、人は「天台密教」に傾くは必定であろう。
況や、「生きる道標」に ”自ら努力して苦労して悟れ”の「浄土密教」より、それの全てを「経」の文書として書き記されれる「天台密教」の方に傾くは「人の性」である。


ところが人の中には少ないが、「浄土密教側を信じる者」には、”「不完全な象徴」でもそれを盛り立て、「理想を描く文書」では無い「現実の社会」を見据えて、自らを磨き、「理」を悟り高めてこそ成し得る現世である”として「密教」を信じたとされる者もいる。

元より、”この世は、諸行無常、不完全、不条理である”とする前提を考える者が、信じる「浄土密教概念」である。況や、「積極的な概念」であろう。

元より、”この世は諸行無常、不完全、不条理である”からこそ、より確かな世を求めて「釈迦の法華経」を信じた「天台密教」である。況や、「消極的な概念」であろう。

この「世の態勢」は、「積極的概念」<「消極的概念」 であることは否めない。
突き詰めれば、「密教概念」<「顕教概念」である事にも成る。

「公家」「門跡者」も「人の子]右側に傾くはこの「世の常理」である。
況して、突き詰めて云えば、「門跡院」は天皇に成った者でもあるにせよ、将又、「公家」も「世の荒波」に「揉まれていない者」の「成れの果て」であろう。
何れの者であろうと、揉まれていない者達の辿る道は右辺側になるは必定である。

何れの側に生きようともそれは良し悪しでは無く「個人の裁量の範疇」であろう。
故に、「個人の裁量」を許してそれを概念とした「密教の所以」でもある。
ここが、”経典で人はこうであるべきだ”と諭す「顕教」とは異なる所以でもある。

我々青木氏は、上記数式の左辺側に居て生き延びて来た事を意味する。
その「個人の裁量の考え方、即ち、「密教概念の生き方」では大きく間違っていなかった事を指し示す。
そして、多くの殆どの氏族が完全滅亡した中で、その貴重な「子孫と伝統」を遺し得たのである。

「伊勢青木氏」に遺された「両界密教曼荼羅絵」から「密教曼荼羅絵の毘沙門天像」は「本来の密教の造像」である。
「伊勢青木氏」に遺された「両界密教曼荼羅絵」の中には、「真言宗高野山の曼荼羅絵」も遺されている。
「曼荼羅絵」は矢張り違っている。
仏画では「仏教の世界観」のその違いがはっきりと判る。
江戸期には高野山との付き合いがあり、その時に入手した「真言曼荼羅絵」で江戸中期から末期のものであろう。(先代まで総長との深い付き合いがあった)

多くの場合、「各仏の持物」がそのままその仏を象徴する「三昧耶形」となる。
「宝塔」の様に、意味を持っている。
例えば、次ぎの様に成る。
「不動明王」なら利剣(倶利伽羅剣)
「聖観音」なら蓮華、
「虚空蔵菩薩」なら如意宝珠
などの持意味のある持ち物の「仏具」(三昧耶形)を持っている。

また、「密教浄土宗」の「曼荼羅絵」では、通常、”持物を持たないとされる如来像”の場合は、特別の象徴物が「三昧耶形」とされる場合もある。
「大日如来仏」が「宝塔」を持つこともあるし、「印相」を以て「三昧耶形」とする場合もある。
何れの「密教の曼荼羅」などの「仏画」では、この様に「仏の絵姿」の代わりに「三昧耶形」(密教仏具)で描く事が多い。
つまり、「描く三昧耶形」でその「仏説」は異なるのである。
「密教曼荼羅絵の仏画」は、その「宗派の仏説」を良く表現出来るとして、上記した様に、「両界曼荼羅絵」が盛んに用いられる様に成った。
特に、上記で論じた様に、「浄土真宗」は、「密教」に拘らずその概念を最大限に表現でき自由に表現できるとして、この「曼荼羅絵」を全面的に用いた。
「仏画」が描く「仏像」が持つ「三昧耶形」にはそれなりの意味を持っている。
(しかし、これを全て説明していては文面に際限が無く成る。)
因みに、有名な処では次ぎの様なものがある。

安置形態
A 「毘沙門天」を中尊とし「吉祥天」と「善膩師童子」を脇侍とする「三尊形式の像」がある。
例えば、次ぎの様なものがある。
  奈良の「朝護孫子寺」、
  日本最初の毘沙門天の出現霊場の「信貴山奥の院」
  京都の「鞍馬寺」
  六甲山の「多聞寺」
  高知の「雪蹊寺」
以上がある。
B 毘沙門天と吉祥天を一対で安置するもの
  奈良の「法隆寺金堂像」
C 毘沙門天と不動明王を一対として安置するもの
  高野山の「金剛峯寺像」
などがある。
D 天台宗密教系の寺院では、「千手観音」を中尊として、両脇に「毘沙門天・不動明王」を安置す  る事も多い。
  明王院像、京都の「峰定寺像」
などがある。
E 但し、真言宗系寺院でもDの傾向が強い。

個々に解説する事は敢えて割愛するが、夫々の像の構成に依ってその宗派の「仏説概念」を持っている。

「青木氏の造像」は上記でも論じたが、次ぎの様に成る。
「伊勢青木氏」の「毘沙門天像」は、”「大日如来座像」と同時に一対”として、成り立っている。
これは「賜姓族の役」として、その意味を込めて「天智天皇」より賜姓時に賜ったものである。
「鞍作部止利」作の「大日如来座像」は、賜姓時に賜った事が記録されている。
恐らくは、この記録に付いての後の時代に描かれた「解説添書」(青木氏の事を知るに必要とする添書)には、「毘沙門天像」の事が書かれていない事への短い添え書きがある。
ここには「先祖の判断間違い」があったことが判っている。
この記録の文面の前後の文脈からよく見ると、「毘沙門天像」に付いての「単独記録」としてでは明確に成っていない事を懸念している内容であった。
しかし、これは上記の様に、各宗派の各寺の「仏像の保存の形態」から観ても判る様に、”その宗派の「仏説概念」を表すもの”である。
そうすると、 必ず”一対像”としての「仏説判断」から、当然の事として「青木氏の記録」が成されているのであって、「毘沙門天像」としての”単独の記録”は本来決して無いのである。
(世間では「毘沙門天像」が変遷の中で平安期には「独尊像」としての扱いを一時受けていた事が判る)

そもそも、「青木氏」は、「賜姓五役を果たす立場」にあって、「古代宗教(和魂荒魂)」と「古代仏教」とを習合させた「古代密教を形成する唯一の氏族」である。
従って、「独自の密教概念」を持つ「氏族」として、
イ 「青木氏密教」の「宇宙仏の大日如来仏」の造像
ロ 「青木氏密教」を守護する「代表的守護神の毘沙門天像」の造像、
このイとロの二つが「完全一対」である事が前提と成る。
ハ これに「邪鬼像」と「大蛙像」が付添する構成である。

(「密教概念の全体造像」としては「独尊像」としては構成しないのである。
但し、「守護神類の造像」としては「独尊像の形態」を採っている。
青木氏以外の多くは吉祥天像等の7天像と組んで安置構成するのが普通。)

況や、上記で論じた様に、「顕教の釈迦三尊像」の様に、その「宗派の概念」はセットで構成されるものである。
後刻「解説添書」に追記した「先祖」の「判断間違い」はここにあったのである。

(但し「判断間違い」かは定かでは無い。”「毘沙門天像」に特記するものは無い”として記しているのみである。)

「大日如来座像」は、「宇宙密教仏」である限りは論理的に「本来独尊像」は無いのである。
「青木氏」では、判り易く云えば、「毘沙門天像」が「顕教が構成する脇侍像」の役割として、同じ意味で祭祀されているものである。
同時に賜ったものを累代の先祖の誰かが、後に{独尊}として租借錯誤したとも観られる。

重複させるが、「青木氏密教」は、上記の通り、「大日如来座像」「毘沙門天像」「邪鬼像」「大蛙像]の「四つの造像」がセットになって成り立つ「密教概念」である。
「青木氏の密教」は「独尊」は成り立たないのである。

平安末期から「古代仏教の密教性」は「法然」によって普通の「密教」に変えられた。
鎌倉期に入って「密教氏」が滅亡衰退する中で「密教浄土宗」も当然に衰退して、「親鸞」によって顕教化されて「浄土真宗」に変化して布教がやっと広まった。
しかし、その時は、最早、「顕教」であった。

「青木氏の毘沙門天像」は「古代密教仏教」の「造像」であって、「甲冑」と、右手は「宝棒」、左手は「宝塔」の「古式の三昧耶形の造像」であった。

この事から、この「様式の造像」は、少なくとも「法然」の前の「古代密教」の「仏教の造像」であった事に成る。
とすれば、時期的には平安期前と成り、「大日如来座像」と同じく奈良期の「鞍作部止利」の作と成る。
つまり「3つの発祥源」として、その「三役」に合して「武神」:(侍)」「守護神」:(武家)」「財福神」:(臣下族)」の象徴としての同時に送られた「賜像物」と成る。
更には、「神仏習合の三宝荒神信仰」が、「青木氏」に成されている事は、奈良期から平安初期までの間となる。
従って、この「三宝荒神信仰」と「毘沙門天信仰」が、「神仏合体の象徴」として「重複習合」している事は、同時期である事が極めて高い事に成る。

注釈
「三宝荒神信仰」は、”「自然発生的に生まれた宗教概念」”とは思え無い。
筆者は、その「宗教の概念」の「合理性」や、「古代宗教」に合わせた「古代仏教」の「習合性」、などから観て、誰かがそれを主導して生まれ、上級階層の中に取り入れられたものと解釈している。
とすれば、その「主導役」を成せたのは明らかに”「賜姓五役」の「青木氏」”であったと観ている。
むしろ、「国策氏」として「その役」にあった。
「国策氏」として青木氏が存在するのに、「別の氏」が主導するとは、考え難い。
況してや、「朝廷機関」が公に「古代宗教」に新しく入った「古代仏教」を集合させる事を主導する事などあり得ない。
然りとて、「国家戦略」としては当面の「政情の事態」を安定化させる為には、「青木氏」をして「習合」を裏で画策する以外には無い。
だとすれば、「習合の大元」にあった「青木氏の毘沙門天像」は極めて重要な位置にあった事に成る。
「毘沙門天像」をも持ち得ていない氏がこの習合策を主導する事は先ずはあり得ない。
依って、「大日如来坐像」は「象徴像」であって、その意を戴して「毘沙門天像」が概念の実行を促す「尊像」であったと解している。
当に、この事は、「雄弁の仏」の「密教論理」が構成されていた事に成る。
つまり、「対の造像」なのである。
この「対の造像」を「賜姓物」として持ち得ていたからこそ、「錦の御旗」の様にして、「習合の主導役」を成し得たと考えられる。
平安期から起こり始めた「毘沙門天信仰の変遷」に対して、危機感を強く抱き、「古代宗教の和魂荒魂」から「三宝荒神信仰」を習合させて改めて興したのは、矢張りこれも「青木氏」であった事に成る。

「古代仏教に古代宗教」の「習合」の産物=「毘沙門天信仰」
「古代宗教に古代仏教」の「習合」の産物=「三宝荒神信仰」
「毘沙門天信仰」>=<「毘沙門天信仰」←「密教青木氏]

以上の数式論が成り立っていたと考えられる。

注釈
何故、この上記の注釈事項が極めて重要であるのに、これを「添書」などにどこも遺さなかったのかが疑問であった。

何かの形か書物や記録資料で遺されてはいたが、消失した可能性が高い。「密教性の高い慣習と仕来り」は遺されていたが、現在は判らない。
ただ、「仏画の曼荼羅絵」にその意味を認めている可能性があると観ている。
その理由は、注釈の通り、”「毘沙門天信仰」と「三宝荒神信仰」は「青木氏」が主導した”とは描き難い事で在ったのかなとも思える。
”先導した”又は、”扇動した”の立場は「当然の役」であった事に成るし、”扇動した”とも書き難かったとも思える。
恐らくは、この感覚は否定できないだろうから、だとすると、「仏画の曼荼羅絵」に表現したとするのが”順当の流れ”と成るだろう。
上記した様に「仏画曼荼羅絵」は、そもそも、青木氏は得意とするところであった。

その場合に描き込むとした場合は,”どうするであろうか。

役割からすると、”主導、先導、扇動の表現方法”は、絵では「起点」や「基盤」や「土台」の表現に、「青木氏の象徴」を絡めるものと成るのではないだろうか。
その目で、遺された二つの「両界曼荼羅絵」を観てみると、この密教の二つの絵に共通するものがある筈である。
「荒神像」と「毘沙門天像」とには、共通する画像には、”足元に雲海を漂せている事。”
もう一つは、「青木氏の象徴」を意味するものは何か。先ずは「笹竜胆紋」であろう。
その「雲海」の横には、鮮やかな水色の「竜胆の花葉」が掛かれている事。

以上、この2共通点である。

確かに、青木氏の描いた数多い「仏画の曼荼羅絵」を調べると、「淡雲」と「桔梗の花」か「水色竜胆の花」は描かれている事が多い。
これが、”青木氏の「主導」「先導」「扇動」の表現”ではないかと考える。

筆者は、”「左の宝塔に宝玉或は宝珠」の様な物を書き記しているのでは”と観ていたが、ところが、「青木氏の描いた多くの仏画曼荼羅絵」には出て来ない。

書き記し遺したとするならば、この「2共通点」であろう。
この「竜胆の花葉」が強く物語っていると観ている。
全体が、「薄茶色の色調」の中に、「水色の竜胆の花葉」は際立っている印象である。
「雲海」は、「両界」を描き表す時の画法でもあるが、敢えて「色調」が故意的に違う。

そもそも、この「曼荼羅絵」には、上記でも論じたが、「曼荼羅絵」には酌量の範囲が大きく認められている。

(a) 「三昧耶形の曼荼羅絵」 概念を仏具に表して描き込んでいる。(三宗の手法で表現)
(b) 「密教曼荼羅絵」     概念を立体的絵画的に概念の描き込み方をする。(浄土宗の手法)
(c) 「神道曼荼羅絵」     概念を風景や植物なども使って風景画の様に描き込んでいる。
(d) 「法曼荼羅絵」       概念を代表する文字等に特化し図案化している。(天台宗の手法)
(e) 「羯磨曼荼羅絵」     概念を平面に図案化せず彫刻化する。(真言宗の手法)

「天台宗密教や顕教系の曼荼羅絵は、釈迦と弟子達の図案化が主に描かれる。
しかし、「釈迦」を描かない「大日如来仏の密教」、中でも「浄土密教曼荼羅絵」には、「三次元的な空間」、或は、「立体的」に表現するのが特徴で、「絵画的表現性」を強く持っている。

ところが、「古代宗教」と「古代仏教」の影響を持つ「青木氏の浄土密教曼荼羅絵」には、ある特徴がある。

それは、「古代宗教の影響」を習合として受けているので、風景と植物を描く「神道曼荼羅絵」の(c)を加え、(a)も表現され、(b)で「立体的」に「絵画的」に表現されている。
従って、「青木氏の曼荼羅絵」は、「宝塔・宝玉」とか「風景」を描く様に、「雲海」とか「竜胆の花葉」が「立体的」に描かれているのである。

この様に「浄土宗曼荼羅絵」には、他の宗派の「曼荼羅絵」とは根本的に異なり、且つ、「神道曼荼羅絵」の影響を描かれる事に成るのである。

つまり、他の宗派の「曼荼羅絵」には、「雲海と竜胆の花葉」を描かれる事は根本的に無いのである。

「浄土宗曼荼羅絵」でも、普通は何時も「雲海と竜胆の花葉」を基本的に描かれると云う事は無意。
「桔梗の花」とか密教氏(青木氏)に関わる「風景」等も「立体的」に「絵画的」に描く事にも成る。

依って、「青木氏」が現有している遺された「二つの曼荼羅絵」(毘沙門天像と三宝荒神像)には、「雲海と竜胆の花葉」には「特別な意味」を持っている事に成るのだ。
「密教概念」のみならず先祖が伝える”「隠し言葉」”をも含んでいるのである。

これを子孫が、この「隠し言葉」をどの様に読み取るかの度量が試されるのだ。
当に、”判らなければそれは其れまで”、”自らが悟り真理を会得する事”が「密教の所以」そのものである。
これは、千利休が説く「茶道の境地」でもあり、これは「浄土密教」から引き出した「密教の概念の極意」でもある。
上記でも記述したが、筆者の家の唯広い客間の片隅に「茶道具一式」が常にいつでも使える様にし、「香]を漂わせていたのは、この「浄土密教の作法の所以」でもあったのである。
千利休が「茶道」を導いたのは、「伊勢信濃青木氏」らの「商い」は、平安初期から「摂津」や「堺]にも支店を設けていたが、そこでの青木氏の古式豊かな「浄土密教の作法の所以」を観ていて、それの所作の一つの茶所作を「茶道」として引き出したものであると観ている。

注釈
(時代性から観ても、「茶道の根幹」は、下記の数式論の通り「浄土密教の概念の根幹」でもあり、その歴史は900年も古く延々と受け継がれて来たものである。
当然に、その「所作」も、「所作」の全てから得られる「情緒」も、その「情緒」からそこから獲得する「自然の悟り」も「青木氏の浄土密教」から受け継がれて来たものである。
他の宗派には「曼荼羅絵」を観てもこの概念は無い。
「隠し言葉」の様なものは一切なく、あくまでも「宗派の概念」のみを訴える「曼荼羅絵」と成る。
「他の宗派の曼荼羅絵」には、「密教」と唱えていながら、この「密教性を表現する裁量」は無いのである。
要するに、「顕教」に外ならない。)

平安初期から、「客間の茶の所作」からも、又「仏間の浄土曼荼羅絵」を眺めては、”累代の先祖は何かを会得しょうとしていた”事が理解できる。

「密教概念の極意」=「浄土密教の作法の所以」=「浄土曼荼羅絵」→「累代先祖の悟り」

「青木氏の家訓10訓」はその結実の一端と云う所では無いだろうか。

筆者は、この様に受け取っている。

これは、曾祖父と祖父には 明治期に”氏を象徴するこれを消失させたとするショック”は大きかったのではないかと察せられる。
故に、恣意的に添書等の記録には、縁起上からもあやふやに敢えて伏せたとも観られる。
”伏せた”と云うよりは、消失時は賠償に依って「老舗紙屋の倒産」も伴った事から、その「添書」などに改めて記録する余裕も無かったもと考えられる。
ただ、「毘沙門天像」の代わりか「義経ー弁慶像」(二代目 現有)に依って何とか祭祀されて「密教作法」だけが遺されたのである。

この「伝統3」(青木氏の分布と子孫力-12)の調査で、「毘沙門天の経緯」が明確に成った事から、この部分に付いては、曾祖父、又は祖父が「詳細記録」は成されていなかった。
「歴史的な詳細な経緯の伝承」等までには至らず「節会作法の伝承」で留まった。
父と祖父は「大火の後遺症」もあって、「添書、由来書」などの完全な復元までに至らず、「節会作法の伝承」さえ判れば、後は調べられるであろうとの計算があったのであろう。

筆者は、これをあらゆる資料から読み解き、あらゆることへの知識化を図り、その総合力を以て系統化して長くは掛かったがまとめあげられた。
殆どは「知識の不足」と「理解力の不足」に依る行き詰まりの連続であった。
痛感するは、若い頃の判断には、「略」が不足していた。
若い頃にまとめた論文には、この「略」が不足していて、歳をとってから見直すと、この「略」で判った事も多くあり、書き直す部分も多かった。
上記で記した「武」ではなく、「青木氏の密教」が諭す”「知略」の如何”を痛感した。
「青木氏の密教曼荼羅絵」にも「隠し言葉」として描き込まれている可能性が有る。
若い頃には、「毘沙門天像]、「三宝荒神像」も像として、「曼荼羅絵」も単なる「密教の宗教画」で書き方が違う程度の差としか見ていなかった。
しかし、見方を「略」にして見てみると「違った筋道」が観え来る。
そして、その「筋道」から「人の生き様」が”立体的に創造出来て”、その「生き様の証拠」を見つけようとした。
見つかれば、更に「人の生き様」が、今度は「静止の状態」から「動の状態」として描き出せてくる。
観えていない事も、見えない事も観えて来る事に成る。
「人の生き様」を描くには、「検証」ー「装具立て」ー「検証]ー「装具立て」の工程の繰り返しである。

(大変で時間のかかる作業ではあるが、「装具立てー推理」が当たると実に愉快である。
実のところは、この「愉快さの経験」が「楽しみ」で続けられる。)

この最も注意しなければならない点は、「検証」の工程には、多くの資料に基づく「歴史史実」が使われるが、大抵は諸説紛々である。
中でも「郷土史」などを使うと、殆どは、”郷土に有利な様に説”を拡大させて作り上げているので苦労するし、その前提とする資料に疑問が湧く。
その作者が「略」を配慮せずに一説の自説に信じ込んでいるので、筆者は「搾取偏纂の延長資料」として観て余り使わないし、「青木氏」には本論の様に「特異性」が有る為に「略の配慮」がなされない限りは使えない。

しかし、そもそも、この「二つの工程」には「略]が伴わないと、「真のルーツ」は元より「先祖の生き様」も好く描く事は出来ない。(若い頃はこれが希薄であった。)
「略]が無いと単なる「歴史の記録の羅列」に終わる。
ある程度のところまで描くと、後は「先祖の生き様」が、”恐らくはこの様な考え方や悩みや苦悩や哀楽が在ったのであろうな”と、頭の中で立体的に「夢の想像」が出来る様に成る。
ここまで来れば、”先ずは「成功」である”と考えている。
何とか、この「夢の想像」が出来るところまで描ければと何時も思って論じている。

(しかし、現実には、頭の中では「夢の想像」の「創造」でいっぱいなのだが、筆者の「文章力」がそれを阻害している。)

依って、「青木氏の生き様」から観て、「毘沙門天像」と「三宝荒神像」の神格の「武神」「守護神」「財福神」の「武・”つよい”」の「裏意」には、”「知略」”の「隠し言葉」が「二つの曼荼羅絵」に必ず描き込まれている筈である。

「知略」は、当に「青木氏の訓戒」である。
この「訓戒」を「浄土曼荼羅絵」には必ず読み込んでいる筈である。

それは何なのか判らない。
”「強さ」”を極端に「絵の表情」に表現する事に依って、その「反意」として裏に「知略」を匂わしているのではないだろうかとも考えている。
然し「訓戒の知略」とすれば、「青木氏の浄土曼荼羅絵」としては、”何を以て表しているのか”を模索しているが、判らない。
しかし、ただ傍に「本尊の大日如来座像」が、逆に、”瞑想して静かに鎮座している事”での”「聡」”でもあるのかも知れない。

ここで「二つの工程」の内の「装具立て」で考えて観るとする。
そもそも、「曼荼羅絵」は「密教の概念」を表現する手法の一つである。
この「密教」とは、「宇宙仏の大日如来仏」の「雄弁の仏」である。
この「雄弁の仏」が直接説く事が「知」を説いている事である。
「現世と彼世の知」を説いている事に成る。
この「二つの世」を生きて行く上での[知」は、「密教仏説」の「人、時、場所の三相」が絡む「知」であるとすると、この「知」は三相に於いて使える「知」と成る。
そうなのであるから、「人の知」と「時の知」と「場所の知」との「三相」が絡めば、これは「立体的事象と成り、要するに「三略」と成り、「知略」と成り得る。
「大日如来仏」の「雄弁の仏」が発する「教え」、即ち、「知」は、この世が三相で成り立っている限りは、それは「知略」である。
云い換えれば、論理的には「大日如来仏像」そのものが「知略」である事に成る。
「大日如来座像の造像」が「知略」を物語っているとするならば、「大日如来坐像」の「浄土宗密教の曼荼羅絵」が在って然るべきである。
然し、無い。消失したのかも知れない。
「大日如来坐像」の「造像の存在」が「知略」そのものを物語るが、依って「酌量」を許された「浄土曼荼羅絵」としても存在しなくてはならない。
「毘沙門天信仰」と「三宝荒神信仰」の”青木氏の「主導」「先導」「扇動」の表現が ”「曼荼羅絵」はある事が確認できたとすれば、当然に、青木氏には、ある筈である。
「青木氏」の「大日如来座像」の「曼荼羅絵」が無い事が、「訓戒の知略の表現」が無い事に成ってはいるのではと考えている。
「青木氏一族」の何処かに、この「大日如来坐像の曼荼羅絵」がある筈である。
宗家が大火で消失させたとしても、必ず何処かにある筈である。

何故ならば、そもそも、上記した様に、「青木氏一門」が仏画での「密教概念の表現」を主導したのである。
自らが描いたのであるから、「一族一門」に宗家が祭祀する「大日如来座像」の造像の代わりに、「仏画」にして121氏の一族一門に配布していた事は間違いはない。
ところが、今のところ、「伊勢青木氏」の一門には見つからない。
”見つからない”と云うよりは、流石に、「伊勢青木氏」でも、「昭和の戦後」の「時代の荒波」に押し寄せられた感が高い。
筆者の家もかなりの「伝統品」が、「我らの教育費」として金銭に替えられたので例外では無かった。
恐らくは、「青木一族一門」もこの「大日如来坐像の曼荼羅絵」を処分した可能性が高い。
金銭に替えやすい事もあり、殆どは寺関係に売却された事が伺える。
実は、他の「伝統品」も、この「骨董品の売買」を副業とする京都在住の”知り合いの寺関係者”から各地の各寺関係に渡った事が判っている。
特に、「悠久の歴史を持つ青木氏」の「密教浄土宗の曼荼羅絵」であるから、支障の無い各地の「浄土宗関係の寺」に移動したと観られる。
それは其れで、「曼荼羅絵」を含む売却した骨董品にとっては、大した意味も理解されない無関係のマニアに渡るよりは、「最上の条件」であり良かったと考えている。
先祖に対して申し訳が立つ。
今後も、”「曼荼羅絵」に依る「知略」の実証”は恐らくは無理であろう。
最近、存在が漏れると極めて危険な状態に成り、窃盗団が横行していて、親から聞いていたある予想される「寺関係者」に確認を依頼したが警戒されて体よく断られた。
他の「大日如来坐像の曼荼羅絵」の存在の確認も諦めた。
筆者の代では、親の「知古」の繋がりは、最早、効かないし、相手も代わりしていて無理である。
”断られた事”は”ある事”を意味しているし、「絵の落款」からも「青木氏の出物」である事も住職は知っていて否定しない事からも、存在の確認は充分である。
「青木氏の大日如来坐像の曼荼羅絵」には、独特の「青木氏の落款」もあり、証明は就くし、「写真」でも撮れる事を期待していたが、「写真」で未来には残せなかった。
「青木氏の守護神 祖先神の神明社」の全国の500社程の神社にも、「神道曼荼羅絵」がある筈である。
しかし、この「神明社」の所属は、江戸初期に江戸幕府に引き渡したことから、全くの縁故は無く、「神道曼荼羅絵の確認」は元より存在すらもより難しい事であった。
そこで、「歴史鉄道マニアの団体」に各地にあると観られるところの「掘り出し」を依頼したが、無理であった。
そもそも、「神道曼荼羅絵」は、存在そのものが少なく、且つ、「神道曼荼羅絵」は、「神明社関係」にしか使用した形跡か無意。
況して、一般に遺されていない事もあって、貴重品中の貴重品で表には出て来ない歴史遺産であろう。

特に「神道曼荼羅絵」は、その「在所の特徴」を風景に収めるている事もあって、移動も無い筈である。
特に、「神仏併合の動き」が歴史的に2度も起こっている事からも歴史価値も考えず無暗に取り壊しなどを行った形跡からも消失している可能性が極めて高い。

依って、”「曼荼羅絵」に依る「知略」の実証”は、間接的に成された事には成るが、最早、この範囲が限界であろう。

参考
(この様に、最近は公的なネット上に写真など載せると、窃盗団により狙われて遺品のみならず身の危険も伴うので極めて危険である。
筆者の家も昭和から考えると、詐欺師の範囲も含めて過去五度も災禍を受けている。
日本最古の「藤白墨」も詐欺師に依る実に巧妙な手口で盗難に会った。
そもそも、保管場所のみならず、保管している事も限られた人にしか知られていないのに盗難に会っている。
盗難であれば売買で表に出て来る筈であるが出て来ないし、証拠と成る写真は持っているので、その物を見極める者・筆者の存在がカギを握っているので待っている可能性が有る。
調査には、「郷土史」を使う手もあるが、ここまでの研究は「郷土史]には無く、最近は、郷土を売り込む為に、歴史史実を「歪曲」し、「拡大解釈」をし、「他説創設」までして、「歴史ロマン」を作り上げて売り込もうとする「郷土史」も極めて多く成っている。
「歴史の検証」も充分しない”「諸説手法」”が横行していて、それも準備周到で、それを護ろうとする「郷土史万能」の”洗脳されたマニアグループ”が構築されていて、この「組織バリャー」があって、「諸説」を真実化させて、何とか護ろうとして近づく事も出来ない現状である。
「青木氏氏」でも九州のある「郷土史」のこのグループに、「時代考証」はどこ吹く風で、「諸説を作り上げる手法」で攻撃されたことがある。今でも続いている。
「膨大な情報力」を持つ「青木氏」に「歴史上の矛盾」を突かれない様にバリャーを張るのである。
故に、研究資料には値しないのが現状である。)

この様に「伝統の維持」の為の研究は、「物心両面」で極めて難しく成っている。

兎も角も、「青木氏の密教浄土曼荼羅絵」は、何かを「青木氏」にだけ今も教えてくれている。
然し、「青木氏関係一族121氏」の情報が保護法で入らない現状では、「伊勢青木氏や信濃青木氏」と、[近江佐々木氏と近江青木氏」の資料以外には最早、困難である。
故に、遺された遺品は何としてでも護らねばならない。
そして、それを「自らの範囲」で何とかして、研究し解析して「伝統」を掘り出し、子孫のロマンの為に「記録」に替えて置きたいと云う思いは募る。

「ルーツ掲示板」に御投稿される方の「歴史情報」が殆ど消失しているのも、この”「現状」”から来ているものと考えられる。
ご先祖が「武士」とか、「・・の家臣」とかであれば、本家筋では ”何がしかの遺産が遺されている”筈なのに、”口伝だけ”と云うのも不思議な話である。
そのくらいに、「伝統や遺産の伝承」は無く成っているのである。
故に、上記の様な、ある思惑を込めた「郷土史」が、その間隙を突いて誰も異議や抗議が出ない事を好い事に、郷土売り込みの為の「歴史ロマン」を「大義名分」に「驚くべき他説」が生まれて来るのである。
そう云う事を仕掛ける職業の歴史家も存在すると云う。
「青木氏」は、そもそも、数少ない認証の「氏族」である。
「郷土史」は、室町期中期からの「姓族」の事を記載しているので、元々「時代考証」は室町期中期前のものである事を認識すれば無関係と成る。
今や、歴史を調べるには、自己の範囲の記録が無く成り、怪しい「郷土史」しか無く成っているのも現実で、頼ろうとする気持ちは判るし、信じるのも自由である。
ただ、狂信的に成る事だけは避ける事を忠告したい。

上記の事もあって「真の答え」は出ないし、特に、「青木氏の訓戒」 ”世に晒す事無かれ、何れ一利無し”とされていて、”郷土史に遺る事”は本来はないのである。
そもそも、この事も含めて我々「青木氏」は”「氏族」”である事を認識しておく必要がある。

本論は「密教の道標行燈」に関わる「密教作法]の処から「毘沙門天像」と「三宝荒神像」の処までの「密教性のある伝統所作」を論じて来た。
これだけの範囲ではあるが、「可成りの伝統」が未だ「青木氏」には遺されている。
更に続けて、既に若い頃の論文原稿が有るので、修正を加えて生活に密着した「草の根の密教の伝統」を論じる計画である。

”「密教性のある伝統所作」”としては、次ぎの事も大きく作用していると考えられる。
それは、”「血縁の伝統」”と位置付けられる。


> 「伝統1」に続く



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