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青木氏と「神明」「観音」「毘沙門」

HPのお便りから投稿

[No.705] Re: 函館の青木さん
投稿者:函館 投稿日:2010/07/10(Sat) 12:03:09


函館の青木です。 楽しくみています。
教えて戴きたい事があります。
神明社、観音堂、毘沙門堂について由来、歴史など。
簡単には無理でしょうが、お願いします。




函館の青木さん お久しぶりです。
如何お過ごしですか。先日の青森の青木さんにもお便りを頂きました。
勉強されているようですが、頑張ってください。なかなかルーツの歴史を辿ると云う事は難しいですよね。
知識の積み重ねが何かのヒントとして役立つので色々と広範囲に雑学を会得される事は良い事ですね。

さて、お尋ね頂きました事はなかなか範囲が広くてご説明が難しいですし、お答えする程の知識は無いと思います。しかし、楽しみの一つとして何とか知る範囲で書いて見ようと思いました。
それで、ご了解ください。

先ず、神明社は青木氏に大いに関係する事ですので、これから始めたいと思います。
「神明」とはそもそも、「天照大神」を祀る神社ですね。
この「天照大神」を祭祀したのは天皇家で、その最初に定めたのは大化改新の立役者の中大兄皇子です。後の天智天皇です。そして、この神明を伊勢国松阪の地に定めました。しかし、この時点では朝廷の皇位継承問題などで伸び伸びになり未だ正式な決定の形が取れていませんでした。その後天武天皇が正式に「伊勢神宮」を「皇祖神」として定めたのです。

(この時以来、5代の天皇の第6位皇子と19人の第4世族皇子は臣下して主要地の守護王と成りそこにこの皇祖神の支社を守護地に建立しました。これが各地に広まる原因となり、支社から更に各地に分社が広まりました。)

第4世皇子族の守護地
伊勢王、近江王、甲斐王、山部王、石川王、高坂王、雅狭王、美濃王、栗隅王、三野王(信濃王)、武家王、広瀬王、竹田王、桑田王、春日王、(難波王、宮処王、泊瀬王、弥努王) 以上19人/66国
これ等の地に神明神社が建立されました。
信仰の伝達手段が無いこの奈良平安期には、朝廷は政策としてこの地から神明信仰を広げるために先ず支社を建てたのです。そして、人民の安寧を図りました。

そして、この伊勢松阪の天領地を神明神社として重きを置くために天智天皇の皇子の施基皇子を第1位の守護王として配置させました。
この時には皇位継承制度の見直しで第4世王までを皇子とし守護王とすると定めました。
この第4世王までの内、第6位皇子以降は臣下させて賜姓し、各主要地の天領地の守護王とする事を定めたのです。この第6位皇子が5人の天皇から青木氏の賜姓を受けて配置されました。
(伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐の5天領地)

天武天皇時には14の皇子の中の兄天智天皇の皇子の第6位皇子の施基皇子が守護王となり、この神明の皇祖神の伊勢神宮を護る役目を与えられましたが、それまでは、一代限りで中大兄皇子の政敵で叔父の孝徳天皇の子供が伊勢王と成っていました。
孝徳天皇の失脚と伊勢王の子供2人の突然の病死(政争)で天智天皇の施基皇子が勤める事に成りました。
この施基皇子は大変有能で天武天皇の相談役として働き草壁皇子の皇太子よりも2つも上位の身分となり多くの大化改新の改革に取り組みました。
(日本書紀にも最も多く出て来る人物でした。日本書紀と青木氏のレポト参照)
このために国司を送り「三宅連岩床」がこれを務めました。

この神明は「農耕儀礼」の神として信仰されました。
後に後漢の渡来人の帰化人阿多倍王らの子孫らの働きで各地(上記5国)で開墾に携わり著しく進み、この農耕の神明が伊勢神宮から各地に支社を作る事になりました。
上記19の守護王の国にも皇祖神の神明神社が建立されました。
これが全国各地にある神明神社の元と成ったものです。
現在は、約5000から小さいものを入れると15000もあるとされています。
この神明信仰にも後漢帰化人の阿多倍等の200万人の集団が次の観音信仰の伝導にも関わっているのです。
この神明神社の特長は、「神使」として「鶏」が定められましたが、この経緯から鶏の形に似せた鳥居があるのが特長です。そして、そこには地名として「鳥居」と云う地名が多く起こりました。
この神明神社の主要神社の地には皇族賜姓青木氏や藤原秀郷流青木氏や嵯峨期の詔による皇族青木氏が存在します。これは皇族守護神である為に守護王が支社を移設した事から始まっているのです。
平安時代は伊勢神宮の神明信仰が始まり、後半では熊野神社の熊野信仰へと信仰対象は移って行きました。どちらも同じ時期に建立されているのです。(熊野三山信仰から見るとやや熊野神社の方が早い)
天皇自らが伊勢神宮から熊野神社へと信仰の対象を変えて行く程の経緯が起こりました。
後に鎌倉、室町時代を通じて五穀豊穣を願って多く建立されたものなのです。
神明信仰は「鶏」が「神使」で五穀豊穣の信仰対象、熊野神社は「やたからす」を「神使」とし人の癒しを信仰対象と成っていました。

伊勢青木氏が主となり5家5流青木氏の護る伊勢神宮はこの神明神社の総本社です。
この伊勢神宮は朝廷より「不入不倫の権」が与えられて以後、神明神社はもちろんのこと、観音信仰の仏教寺院も打ち壊した織田信長に侵入されるまで護られました。
その信長の徹底した既成勢力の排除で観音信仰の総本山の比叡山は焼き討ちされ、もう少しで神明信仰の総本山の伊勢神宮も焼き討ちに合うところ、信長はその基点とする処の丸山城の建設を行います。「皇祖神の神明の地」のこれを守る為に伊勢青木氏、伊賀氏、北畠氏の3氏等が信長に挑みます。
伊勢青木氏は「2足の草鞋策」の経済力と伊勢シンジケートを背景に戦います。
そして、次男信雄を差し向けて全力をあげての戦いでしたが、信長の戦跡で只一つの有名な敗戦をします。この後、再び戦が始まりますが本能寺の変で信長は落命します。これで伊勢神宮は助かります。
この後、秀吉に命じられた藤原秀郷一門の蒲生氏郷は伊勢神宮と守護氏の伊勢青木氏を護り保護しました。その後、徳川氏に成って元に戻りました。
家康はこの「農耕の神」として「神明神社」を奨励します。
そして、伊勢神宮を保護し、伊勢松阪を紀州徳川氏の飛び地領とし伊勢青木氏を保護します。
それと同時に、浄土宗の督励令をわざわざ出して保護します。
そのために「神明神社」が各地に建てられ、下記に述べる観音信仰や阿弥陀信仰の著しい発展が起こりました。
平安時代の「熊野信仰」の「蟻の熊野詣」から、再び江戸に入り「神明信仰」の「お伊勢参り」へと移って行ったのです。

次ぎは「観音堂」ですね。
618年頃に後漢が滅びそのときから後漢の人たちは渡来人として帰化人としてきました。その第1陣に渡来した鞍造部の首魁の「司馬達等」(司馬氏の始祖)により私伝導された仏教が広まり、その後漢の配下の者達はその信仰の対象として釈迦観音像を彫りこれを祀りました。
これが始まりです。
その後、この後勘の帰化人を率いて来た後漢光武帝より21代の末帝の献帝の子供の阿智使王とその孫の阿多倍王がこれらの渡来人をまとめ日本66国中関西以西32国を無戦の状態で制圧し配下にしました。
この首魁の阿多倍王は南九州の大隈地方に住み着きました。帰化後朝廷よりこの大隈地方を薩摩国を半割譲して正式に与えられました。
更に朝廷から呼び出されその200万人の集団を率いる阿多倍に対して伊勢の北部伊賀地方をも半割譲して与えられました。
この時、阿多倍王は敏達天皇の孫の芽淳王の末孫の娘を娶り准大臣に任じられました。
そして、3人の子供を生みましたが、長男は阿多倍王が後漢から率いてきた軍を元に朝廷軍を任されて坂上氏を賜姓され、初代の征夷大将軍となり日本全土を制圧させました。
次男は後漢から引き連れてきた事務官僚集団を元に朝廷の財務を任されたのです。そして賜姓を受けて大蔵氏を名乗りました。三男は天皇家の財務を任され内蔵氏の賜姓を受けました。
このころの政治体制は3蔵と云い、朝廷の祭祀一切を執り行う「斎蔵」(藤原氏)と「大蔵」と「内蔵」とで構成されていました。阿多倍子王の子孫は軍と2つの権力を握ったのです。
これ等の200万人とそれに慕う倭人とがこの仏教に信心をしていたのです。
これを祀るところに堂を作りそこに観音様の像を彫って観音信仰が始まったのです。
神明信仰とほぼ同時期に仏教の観音信仰も始まったのです。
関西以西32国以外にも上記する5天領地の開墾も行いますが、この地にも当然に観音信仰は広まります。そして、観音信仰と神明信仰は彼らに依って同時に伝導されたのです。

これが、奈良時代の大化の改新の前の物部氏の神明信仰と蘇我氏の観音信仰とで国の信仰対象をどうするかで争いを起こしました。(聖徳太子の時)
結局、蘇我氏の観音信仰が勝ち、その観音信仰の人々を背景につけて勢力を伸ばしたのが蘇我氏なのですが、その後この事を苦々しく思っていた中大兄皇子は蘇我氏を打ち倒して歴史ある神明信仰を再び呼び起こして、伊勢にその拠点を作りそれを「皇祖神」として定めたのです。
しかし、観音信仰も朝廷は取り入れて神仏融合の策を取り入れて共に発展したのです。
農耕民族の所以ですね。従って、朝廷は「神明信仰」は「皇祖神」としながらも農耕の神として位置付けて融合を図ったのです。
物部氏(高句麗)、蘇我氏(百済)はともに450年代の初期の帰化人で勢力争いをしていました。
(飛鳥時代の大和政権の主要5族 紀氏、巨勢氏、葛城氏、平群氏、物部氏 物部氏は兵の集団)

実は観音信仰の仏教をもたらした阿多倍王に付いてこれがもう一つの毘沙門天の解説に繋がるのです。
この像を最初に彫った後漢の帰化人「司馬達等」の孫の「鞍造部止利」が飛鳥時代の殆どの観音様の像などを彫ったのです。実は伊勢青木氏の賜姓時に天智天皇から与えられた現有する護本尊の「大日如来坐像」はこの鞍造部止利の作です。
恐らくは、朝廷と後漢の帰化人200万人とそれを慕う大和人の何百万という人を心の救いとしてこの観音信仰をも国家安寧の為に推し進めたのではないかと見られます。
それを観音仏像を彫る事の出来る鞍造部の首魁の司馬氏に委ねたと見られます。
多分、「司馬達等」(歴史作家の司馬遼太郎氏の始祖)なる人物はそれを成すその様な大きな人物であったのでしょう。
そして、後に遂にこの阿多倍王の末裔9代目に観音信仰の神として神格化されるほどの大人物が生まれるのです。

観音信仰の観音菩薩を祭祀する礼堂として、奈良時代から平安時代にかけて六堂伽藍方式として中央本堂に安置される仏像です。この本堂を護る神として毘沙門天などを祀る四天王の堂があるのです。
六堂伽藍方式には飛鳥寺方式、四天王寺方式、法隆寺方式、東大寺方式があります。
観音堂を祀る本堂と左右に金堂、中央に観音様の骨を安置する舎利塔が配置され、後ろには毘沙門天などを祭り配置する方式で、中には四天王全てではなく毘沙門天だけを祭る堂が配置される形式もあります。

次は毘沙門天です。
「毘沙門天」は「多聞天」ともいいますが、四天王の一つで、後には「増長天」、「持国天」、「高目天」があります。東大寺や興福寺にはこの四天王が祭られています。
毘沙門天、つまり、多聞天は吉祥天の夫とされています。
多聞天は財宝、福徳の神でもあります。七福神の中の一人でもあります。

伽藍最前線には南大門を配置し「仁王様」が守護神として祭祀されて祭られます。方式により中門があります。中央塔の左右には東西の金堂が配置されます。そして、南大門より最も後ろの北側の中央に位置する講堂が配置されます。
「六堂伽藍方式」です。

菩薩様、如来様、天神様を左からの順序で格がつけられてこれを「3神格」と云います。
そこで、上記したこの四天王の仏像のモデルになった人物が居るのです。
それは、阿多倍王の次男の末裔の9代目の「大蔵種材」と云う人物です。
この者は朝廷の官僚として働き、九州全土の治世を任されます。朝廷より始めて「錦の御旗」を与えられた人物で以来正式にこの御旗を与えられた人物はいません。個人に与えられたのです。
阿多倍王が征圧した九州全土の政治軍事の一切を任された人物です。「遠の朝廷」と呼ばれていました。
官僚でありながら、日本一の武勇を持ち、平安時代当時、中国、朝鮮半島から九州に武力を使っての侵略、略奪やボートピープルが頻発しましたが全てを完全に制圧した実績を持っています。
日本の彼等が成した豊かさの為に津波の様に押し寄せたのですが、彼と朝廷は治安の維持のために最早帰化を許さなかったのです。
又経済でも、阿多倍らが引き連れてきた200万人に及ぶ技能集団をよく統率し、その技能を九州全土や関西以西の中国地方にも拡げて経済は著しく良くした事でも有名な政治家の人物です。
現在の第1次産業の殆どはこの後漢の技能集団の帰化人の末裔で発展したのです。
ですから九州には瀬戸物や製鉄などの一時産業が多いのです。
経済も含めて貧困から大富をもたらした万能人で、当時は平安の「万能の神」とも崇められた人物です。
この神格化して当てたのが毘沙門天なのです。
実際の毘沙門天等の姿のモデルにも成っているのです。

この彼は平安の日本一豪傑でありその代名詞に成っている大蔵氏の末裔です。後にこの人物は余りに資質剛健であったので神を護る者として神格化されたのです。
毘沙門天はこの「大蔵種材」の勇士姿を後に崇めたのです。
恐らくは、妻の吉祥天は大蔵種材の妻をその功を証し崇めたのではないかと思われます。
その為に、鎌倉時代から室町時代にかけてこの毘沙門天を「侍の鏡」として崇められ、「毘沙門天信仰」が武門の間で起こったのです。
仏教は飛鳥奈良時代からの観音菩薩の「観音信仰」から始まり、平安時代からは浄土宗の阿弥陀如来信仰が起こり、鎌倉時代からは毘沙門天信仰(四天王信仰)が時代の状況に合わせて起こります。

そこで、この後漢の渡来人の帰化人の阿多倍王は伊勢伊賀地方に領国を与えられ定住していましたが、阿多倍(後に高尊王と呼ばれていた 朝廷の記録では平望王と呼ばれていた)の孫娘の「高野新笠」が光仁天皇と結婚しその子供が桓武天皇となりました。
桓武天皇の子供に平城天皇と弟の嵯峨天皇があります。
この光仁天皇は施基皇子の子供で長子の皇子で、第5位までの皇位継承者がなく第6位皇子の施基皇子の末裔が天皇を継承しました。伊勢青木氏は光仁天皇、桓武天皇、嵯峨天皇まで血縁族と成ります。

そこで、この阿多倍王の2代目後の末裔の貞盛が独立国を作るとして反乱した「平の将門乱」を藤原秀郷とともに鎮圧しました。藤原秀郷は藤原秀郷流青木氏の始祖です。
平貞盛より5代後が太政大臣平清盛です。清盛は敏達天皇の末裔にして桓武天皇の末裔でもあります。
当然、阿多倍王の子孫とも成ります
桓武平氏と呼ばれ、桓武天皇より青木氏の賜姓を中止し、皇族7世族の「ひら族」の坂東八平氏に似せて「たいら族」として母方の一族を賜姓したのです。その末裔が平の清盛です。
大蔵氏や内蔵氏や坂上氏や内蔵氏やそこから出た阿倍氏は血縁族です。
その祖先の毘沙門天のモデルとなったのもこの一族です。

余計談ですが、伊賀忍者は阿多倍一族のこの末裔です。
伊勢青木氏は天正の乱の時にこの伊賀人が信長から攻められた時に奈良時代からの付き合いのある彼等を救い信長と戦い勝利します。信長の只一つの敗戦です。歌舞伎にも成っています。

伊勢には松阪の神明信仰と、隣の伊賀地方には観音信仰が共存し、伊勢青木氏には神明信仰と古代密教の観音信仰(平安期には青木氏は阿弥陀如来の浄土信仰)が共存していた事になります。
しかし、奇しくも5家5流の賜姓青木氏はこの同族の桓武天皇と隣の伊賀の観音信仰を推し進めた阿多倍子孫に圧迫されて一時衰退します。
この時期、恐らくは同じ仏教でも司馬達等による後漢伝来の古代仏教の観音信仰と、古代浄土密教の阿弥陀如来信仰が対立したとも考えられます。
現に、平安時代に法然上人の浄土宗密教、弘法大師の真言宗密教、最澄上人の天台宗密教の3密教による激しい宗教論争が起起こっています。
それぞれの立場と考え方と信者層が異なっていた為に、観音菩薩信仰、阿弥陀如来信仰の密教の位置づけについて論争が起こりました。

桓武天皇の子供の嵯峨天皇はこの桓武天皇の賜姓に対して反発して再び第6位皇子を源氏として変名して賜姓源氏として戻したのが嵯峨源氏です。これより花山天皇まで11代続きます。この時青木氏は皇族の者が下族する際に使用する氏名として使用を禁じたのです。この青木氏が皇族青木氏です。

これらの青木氏が自ら神明信仰と古代密教を下に伝導の手段の少ない時代の各地に神明神社と浄土寺を建立し観音信仰等を広げた核とも云えるのです。
観音信仰の下に四天王の天神様のみを信仰する事も広がりました。大阪にある四天王寺はこの対象です。

さて、青木氏に関わる歴史的なこととして記述しましたが、学問的で仏教的な事は書籍やインターネットなどをご利用ください。

ご質問など有りましたらまたお便りください。



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先祖と宗教(「時間の逆行性」)

設問
1「呪いの意」 (般若経の一説:仏教は何故呪うのか)
2「時間の逆行性」 (時間は逆行しないのだから仏教の仏=先祖は疑問)
3「行為と行動の逆進性」 (先祖が成した行為と行動は逆行しないのだから「仏」は疑問)
4「キリスト経の教え」 (仏はキリスト教の教えと異なる)
5「仏教とキリスト経の妥協の余地」 (根本的な違いの考察)

以上に付いて私観を述べたいと思います。
では、「呪いの意」 (般若経の一説:仏教は何故呪うのか)に続いて次の2番目の設問に入ります。

2「時間の逆行性」 (時間は逆行しないのだから仏教の仏=先祖は疑問)

普通、時間は逆行しません。
しかし、宗教では逆行はすると言う説法が多くあります。

前問の「呪い」のところで、「4つのみ」から開放された躯体の持たない魂の「仏」は、死後1週間は「魂」として現世に残るとされています。
そして、この魂は「躯体」を持つ現世の者に語りかけると説いています。

実体験
実は、私の両親と親族の3度の葬儀の後に、この現象に遭遇したのです。
この事の話は、現実にも近隣でも良く聞く話で、叔父も同じ経験をしていると聞いていましたので、まさかという感じでした。確か叔父も周りの人には信じてもらえなかったといっていた事を覚えていて、実は私も経験して驚いたものでした。

葬儀の後に、親が住んでいた仏壇の母屋に入ると、かなり大きい声で話し掛けられるようになんとなく語りかけて来る話し声が耳に入って来たのです。その語意ははっきりとはわかりません。この現象は長い時間で暫くすると止まります。その現象は矢張り1週間続きました。
話していることは確実なのです。周囲は明るい部屋です。方向もなんとなく判るという程度です。その声は父親であり、又母親であり、兄弟であるとする事もはっきりと判りました。
側には家族がいましたが、聞こえないと言いますが、周囲を見渡しても音のするものは有りませんし、家族は静かだと言います。外に飛び出してみても何もありません。理解し難い現象です。
この親族の葬儀の後の経験は3度もありましたので、2回目の時は、”あっ又だ。確かにある。”として、今度は慎重に、静かにして、何を云って居るのかを確かめようとしてみましたが、矢張りわかりません。しかし、印象として、家の事を託すようなことを話しているという直感が起こりました。
これは多分、自分の置かれている立場を自分が知っていて、それを直感として浮かんだのだ、或いは浮かび上がらしたと後で思いました。
それで、私の職業柄であり性格でもあるので、不明快な事では居てもたっても居られません。この現象に付いての調査を始めたのです。宗教的、脳医学的に起こる原因があるのかとの調査です。
そして、双方の点に確かにありました。
この時の現象では、先ず、「直感」に付いては、「仏」が超元的な方法で、私に「直観」を起させ訴えるという方法を採ったという結論に至りました。

仏教でも、脳医学でも、直接「言葉として話し掛ける」と言う連携ではなく、「直感」に訴えると言う方法が起こる事もわかりました。

この現象に付いては、「時間の逆行」の体現がないので、どのような体現として得られるかは判りませんでした。
私は現世に居ます。従って、時間は逆行することはありえません。しかし、躯体をなくした魂の「仏」は他次元(4次元)の世界に居ます。よって、この制限は有りません。
起こるとすれば、「仏」の方からの現象である事は理解できます。
「魂」のみとなった「仏」が話し掛けるとする事は、次元を現世に戻している事に成ります。そして、その現象を「直感」という方法にて出現したのです。
故に、他次元から現世に戻しているのですから、これは明らかに、「仏」の「時間の逆行」を示す現象です。


しかし、この「直感」に訴えると言う体現反応は、脳医学的に論理的に証明出来得る可能性があることが解りました。
(この事に付いては下記に記述します。)

論理的な可能性の理論
つまり、死んで躯体をなくし「魂」のみの「仏」となった者が、「過去の自分」を「現世に戻した」とする現象です。時間は戻っています。

ところがこの不思議な現象を「脳医学」で理解できるものがあるのです。

人間には、「野生本能」というものが存在し、その「本能」を司っていたのではないかとする未解明な不思議な「脳器官」が2つあるのです。

現在でも、あまり、進んでいない野生動物の一部に、この2つの器官が存在して作用している事が解っています。
それは、次の通りです。

「2つの器官」の説明
一つは、「第3の目」といわれるものです。

動物には主に二つの目があります。然し、元はどの動物にも「副眼」というものがあったとされていますが、その必要性が環境の変化で退化してしまったのです。
その「第3の目」的働きをする器官は、現在では、人間では、脳の中心の最下部のところにうずくまるように小指の先くらいの大きさで存在します(前松帯)。これは本来は「前頭葉」の額の上部に存在していたと考えられていて、これが、人間のように脳が進化した為に下に押しやられて、その目的が少なくなり、低下して退化したとされています。

人は、何かを真剣に考えるとき、全思考勢力を額の中央付近(目圏)に集中させて考えるという仕種をしませんか。多分、この時に次に記述する部位が働いているのだと思います。
古い奈良時代の仏像には額の上部に複眼を持った仏像がありますが、これはインダス文明の古来から人間にはこの複眼的機能がまだ比較的強く働いていたことを示すものではないでしょうか。

では、そこで、その事に付いて述べて、論理的にこの現象を解いて見ます。

論理的現象
この「第3の目」は現代では、感情的な予知や未来に対する予測の補助として使われている事までは解っています。
これ等の働きは、人間では左脳の学習的記憶データーから読み取り、無意識の深層思考原理の働きとして使われているために補助的な働き程度にしか使われていないのです。
特に、この「第3の目」のこの現象は、特に顕著に女性に観察さられる現象とされていて、感情的なインスピレーションの働きとして出て来ます。
女性の本来の「性の役目」に基づき「深層思考原理」の「3思考パターン」の「感情、勘定、妥協」により、この最初の脳の無意識の動作の「計画思考」の段階での「感情の補助」として動作されていると研究はされています。
女性の「性の役目」からその必要性は頷けます。

(女性の思考パターン:「感情的」に思考を計画して、「勘定的」に思考基準を取りまとめ、「妥協的」な判断で実行を動作させる。この働きを無意識のうちで瞬時に回想する脳の仕組みで、これを脳幹の後ろの左側の餃子程度の大きさの「脳陵帯」と云う所で管理されている)、

しかし、この器官の詳細は未知や将来の「予知能力的」、又は、「透視力的」な器官であると考えられており、猿人期の原始の時代に確実に強く動作していたのではないかとされています。

現在でもこの「第3の目」の器官をもつ生物や動物は沢山認められています。例えばトンボ等の複眼類や鯨類や原始猿です。
この「第3の目」が、人の脳の最下部には今でも存在することから、女性のインスピレーションの鋭さは透視的なものとして、この器官が理性と感情を司る「前頭葉」と連動して作用していると考えられています。


二つ目は、「未来予測脳」とするものです。

人の記憶機能を司る左脳内側の真ん中の付近の所に「線状帯」と云うところがあります。このところの真ん中あたりに「中紀帯」というところがあります。これも小指の先程度の脳器官です。
この器官は、男性にしか反応しません。
この器官は左脳にあるあらゆる学習的記憶データを駆使して推理し未来を予測予知する超能力部です。

男性は上記の「深層思考原理」は、無意識下に於いて、「3思考パターン」の働きとして、「理想、合理、現実」として、脳は無意識のうちで、連鎖的に瞬時に動作して、諸事に対処します。そして、行動の有意識の中でここれに基づき働きます。

これは原始の時代に、その「性」の定めにて周囲の環境に適応して生存競争の敵から身を守る為に、無意識のうちのこの深層原理のパターンに成っている訳ですが、この為には、周囲の環境の「予知」を働かさねばなりません。
現代に於いても同様ですので、男性にのみ「脳陵帯」に保護されて、この「中紀帯」は働きます。
しかし、まだこの部分の働きの具合は良く判ってはいません。
「現世」と「仏」の他次元との連携的働きをしていたのではとも考えられています。現代でも退化せずせに人の強弱あるにしても男性に働いています。

つまり、この「二つの器官」が、「現世」と「仏」との何らかの働きがあるのではと考えられています。
原始の時代では、人はこの器官が盛んに多次元的に働いていたと予測されています。
しかし、次第に社会の付加価値の増加とこの器官の働きを補助する科学進歩で退化していったと考えられます。

歴史史実
邪馬台国の卑弥呼は、「仏」「神」即ち、他次元との連携を司る体現者であり、他次元からの「神のお告げ」として、この前器官を強く反応させ持つ能力のある人であったと見られます。
その様な説を説く学者も多くいます。
多分、未だ3世紀前後の時代には、現代と違い、この感覚を退化させずに、強く働かせる能力を持ちえていたのではないかと見られているのです。その中でも卑弥呼は特に優れていたと考えられています。
というのも、当時、この邪馬台国では、指導者が会い立たず潰れていて、その乱れた騒乱の中、卑弥呼の巫女としての他次元からのお告げの能力が、周囲を圧倒するだけのものを持ちえていたからこそ、周囲は納得し、巫女の立場から、一躍、邪馬台国の王としての立場までになり得たのではないかとみられます。
ただ、でたらめに予言するのでは、この立場までにはならない筈で、直ぐにボロは出る筈です。
故に、この第3器官が大きく働いていたと考えられています。

多くのインカやマヤを始めとする大古代文明の全てには、この他次元との連携者や預言者が居て、大きな他次元との連携建造物を造り、そのお告げにて政治を納めていた事は学問的に定説ですから、この器官の働きは古代までは強く働いていたと考えられます。
むしろ、万事万象がこのお告げ(この器官を使った直感)であった事から、むしろ、退化させず、特に進化させていて、先鋭化していたと考えられます。
時代事の変化に合わせて、この器官の退化進化は変動していた事も考えられるのです。

自然を追い求める心の強さから、この「2つ脳器官」も、現代では、退化の中でも、やや進化のゆり戻しの時代に入っているのではないかと考えられます。
脳器官全般に於いて使わない器官は、退化が進み、使う器官は進化が起こるのは学説経験上の定説ですから、ゆり戻しはありうる事であります。
そして、当然に、個々の人には、この現象の強弱がある事も判っています。

経験の検証
多分、私の3度の経験は、この器官の動作が起こったとも考えられます。
それは、人の死を経験した直後の脳の働きが顕著に鋭敏になり、少し違っていたとも考えられます。よって他次元との連携が起こったと見られます。
当然に、この現象は他次元からも「魂」のみとなった「仏」から発せられた信号との連携であったのであろうと考えます。
だから、電波の如く周波数が一致しないと聞こえることは出来ないものとして、丁度、家の世話をしていた私との連携となったと理解しています。
当然、この「中紀帯」が人一倍に強いのかも知れません。その様な感覚がします。自分のことで客観性がないので恐縮ですが、記憶力や推測力は強い気がしています。(これが私の人生に良い結果を生むのではよいのですが)

人の脳には、他次元との連携の可能性を秘めたこの「二つの器官」が存在することは確かであり、動作している事も事実であります。

伝達手段
2つの器官が働いたとしても、この伝達手段が脳の中に無ければ、役には立ちません。
実は、更に、これを裏付ける他次元と繋げる脳機能があるのです。
つまり、「二つの器官」の動作を伝達する「情報伝達器官」と言うべきものです。

「2つの脳波」
人には、脳から発せられる「2つの脳波」があります。
それは、アルファ波とベータ-波であります。
ベータ-波は特異なときに発せられますが、このアルファ波が、上記の器官の高まり(精神的な集中力に影響)に依って強く顕著に発せられる事になり、他次元との連携が可能になるものとして考えられていますが、アルファ波、特にベータ-波は未だ充分な解明が進んでいないのが現状です。

脳死は、この脳波を捉えて停止状態になった時のパラメータとしています。
つまり、生きているときに何らかの経緯で一時に著しく強くなり(フラッシュバック)、他次元との連携が可能になり、上記の現象が起こると考えられているのです。

同時に、推測の域は出ないのですが、この躯体をなくした「魂」の「仏」からもこの死と共に発していて、それが、この「2つの器官」を鋭敏にして脳波とのセンサーの役目をして、この現象を起しているとも考えられてます。

実は、推論として、私は、この「魂」とは、この死の直後に発する顕著な末路の「脳波」が「魂」の本質ではないかと推測しています。
(仏教では、魂説は定義しているが、(初七日として葬儀行事として定めているが、)長期間では彼岸の入りとしての祭祀行事までで、それ以上はこの「魂」が存在し続けるとははっきりと定義していない。)

「論理的な科学例」
故に、物理学では、万事万物万象の末路には「フラッシュバック現象」が起こり莫大なエネルギーと振動波を発します。
この事は、この核がなくなるとき物質の基となる「核の分裂」(核分裂:物質の消滅:死)のエネルギーの大きさを証明する事になるし、 同時に、特有周波も発する事実と符合します。

例えば、太陽の核分裂の爆発により、太陽から発する7つの可視光線は、この物質の核分裂のときに発した波長であります。
黄はNa、赤はFe、青はCuのように400n(赤)-700n(紫)の波長を発します。そのすごいエネルギーで振動波としてこの地球まで届いているのです。
その波長は空気中の微細な物質との衝突で色を発します。虹や夕焼けの色の変わる現象はこの空気中の水分やチリなどで色が出て、透過する波長が変化して色が変わるのです。

この現象は、科学では「炎色反応」として確認出来るのです。
物質の微粉末が燃え尽きるとき核の破壊が起こり振動波を発して周囲の物質と衝突して特有の色を発する試験方法です。

この様に人を含むこの世の物質は上記の現象を起します。
つまり、人の場合、このフラッシュバック時の脳波と、上記の敏感になった「2つの器官」の連鎖反応が、他次元的な働きをして、即ち、「魂」と「人」の連携反応を起すのではないかと考えます。(私の「魂」の本質説)
ところが、この現象がはっきりしないと言うのが現実です。何故なのでしょうか。(この事の推論は下記に説明します)

「2つの脳波」の存在理由
その前に、ここで、「2つの脳波」というけれど、一体この脳波が人間の機能にどの様な直接的な働きをもっているのか、何故振動波を発し、そして、存在するのか、と言う疑問が湧きます。
人間の機能には無駄は無い筈です。だとすると、機能はあるのだろうか。

「脳波の機能」
確かに人間は地球の電位体に対して、ほぼ身長に応じた(+)の電位を有します。電位を有することは起電流が流れます。
これで脳の神経を通じて神経のつなぎ目(継電部)に、キャリパー(Naイオンのアルカリ液体)を媒体として、電流が流れて脳が働き、体の各所に信号指令を送る仕組みに成っています。
しかし、この2つの脳波で動かしている機能は無いのです。
脳波が出ると言うことは、脳が常時振動波を発している事になるので、脳がわざわざ意味の無い振動を起こし無駄なエネルギーを使ってする事は無い筈です。。

とすると、何か、元は目的があってして、それが何かの発達でこの目的が退化したと考えられます。
普通は、人間の機能は使わないと退化するのが普通であるので、ではその退化をさせた「何かの発達」は何なのかという疑問が湧きます。
振動波であるのだから、先ず最初に浮かぶものは「情報伝達」の媒体と成ります。

「媒体の推測」
野生猿から人間に変化して変わった情報媒体では、関連する内容としては「脳機能の拡大」と「言葉の使用」と成ります。
「脳機能の拡大」では、「左脳の拡大」(学習記憶情報量の変化)と「前頭葉の拡大」(付加価値増大の感情量の変化)となります。
「言葉」では、「意思伝達の拡大」が起こりましたが、これは、言葉の伝達で「記憶量」が増大し、言葉の伝達で「感情量」が増大します。
結局は、この事で、言葉は「脳機能の拡大」を助長させた手段と言うことに成ります。

つまり、結局は、「記憶量と感情量」は「左脳の拡大」と「前頭葉の拡大」としての「脳機能の拡大」が大きく変化した事に成ります。

そこで、「左脳の拡大」と「前頭葉の拡大」は、上記の説の通り、次のようになるのではないかということです。

「2つの器官」の「左脳の拡大」では、上記した様に、左脳の中央部にある中紀体の「未来予測脳」であり、「前頭葉の拡大」では、前頭葉の額の上部(現代では脳中央部下部)の「第3の目」の複眼となるのでは無いでしょうか。

この「2つの器官」の退化で、「2つの脳波」の目的が無くなり退化したと考えられます。

この事は上記の「2つの器官」の論所と「2つの脳波」の論処とは、符合一致しますので、論理的に無理はないと考えます。

当然、「情報伝達」には、「発信受信媒体」と、「伝達媒体」が必要です。
人間には、この「発信受信媒体」として「2つの器官」、「伝達媒体」として「2つの脳波」と成るのではないかと推測しているのです。

この二つの媒体(「2つの器官」と「2つの脳波」)が、ある条件下で他次元までの伝達と成っていたと考えているのです。
ただ、これが全ての人間に保有していた機能とは思えないのです。それが「ある条件下」です。

極度に心を沈めることが出来て、非常に集中力を高められる能力を保持する者にしか働かないと思うのです。

インカやマヤなどの祈祷師や預言者、邪馬台国の卑弥呼などの者がこれを保持していたと推測しているのです。
より高い能力を持つ者は、他次元との連携をこの器官を使って出来ていたのではないかと考えているのです。
普通の者は、私の体現程度か、それ以下の伝達程度に成っていたと考えます。

この「脳機能」は4世紀ごろのまでの人間の社会にまだ少し存在していたのではないかと考えられます。

とするのは、例えば卑弥呼が予言した事柄を周囲の者が信じる現象は、ヤマト勢力と覇権を争っていた九州勢力を押さえていたこの者達全般にも、この脳機能の能力をある程度まだ維持していたから、卑弥呼の「予言」と言う不確定なものを信じた前提なのではないでしょうか。
又、上記した5-6世紀頃の仏教の仏像の複眼等もこれを裏付けるものとなるのではないでしょうか。
だから、仏教がインドで誕生時期から観て、人の死後の「初七日」の行事とか、「魂」説とか、「仏」=「先祖」説とかもただの説ではなかったのではないでしょうか。

この「第3の目」に関しても、平安期前期の仏像に額の真ん中に「複眼」をつけた仏像がありますが、これは、多分、仏教ではこの事を過去からの伝えで使用していた事を意味します。
つまり、仏教でもこの現象を認めている事を意味します。

以上、この論処事が私の体現の論理的説明となると考えています。

そうする推論で考えると、多くの世間で話されている死の直後の有り得る他次元との他の特異現象は、このことで説明がつくのではと考えています。

無と有の思考の効果
事程左様に、広範囲の科学論理的根拠や学識から調べるとそれ程に「無根拠」ではない事が判ります。
「無」と「有」と決め付けない「反意」で、思考すれば、この様に真実の根拠は見えてくるものであると考えます。

他次元の世界を「無」として決め付ければ(拘れば)、この様に、見えるものも見えなくなり、「有」と理解すれば「二つの器官」の存在も観え、そして、最後には、「時間の逆行」もあるという判断が出来るように成ります。

さすれば、より高く、より正しく、より冷静に、根拠に基づく上記の「理解」が得られる事につながると考えます。
言い換えれば、”「無」であるから「無」と拘るな””「有」であるから「有」だと拘るな”さすれば、般若経が云う「悟り」即ち、根拠ある「理解」のところにたどり着くとしています。(呪いの設問の解読説)
禅宗の座禅は、この様な基となる「静かなる心根」を高め得ようとする修行では有りませんか。
そして、その禅問答はその「静かなる心根」で「悟り」即ち「理解」を修練する行為では有りませんか。

確かに、技術の仕事していたときには、頭から湯気が出るほどに、一つの事に拘っていたときは「見えなくて」、その「拘り」から開放されたときの一瞬には「見えた」という事が沢山あり、何かあの世から知恵を授かった、貰ったというような気になって、技術的に解決したという経験は多くありました。
多分、この時に、この器官が動作していた可能性がありますね。皆さんはいかがですか。

学説では、頂点に達すると、この時にベータ-波が出て、脳は切り替わり、拘りは消滅し、脳の能力最大限に働くと言われています。
スポーツなどでもこの極限に達すると、その極意を得ると言われていますので、優秀な選手はこの域に達しようとして訓練を行うのであります。

「心頭滅却すれば、火も又涼し」であります。事実真実です。

私は、この現象は、「宗教的」な感覚ではなく、医学的にも、人間に本来に備わった「野性的本能」がまだあると観て、それがある条件下で働いていると考えています。

故に、「無」即ち、”ない”と限定し舞わないで、[有」もあわせて考える姿勢と思考が大切と考えます。

つまり、この経験の「有無」が上記した「差」として、積み重なるものと考えます。

私は、論理追求として働く物理技術者でしたが、一面、この様な現世に於いて論理外の思考もするところがあります。
しかし、つぶさに見てみると、上記のように、その否論理的なことを論理的に捉える習性が存在する不思議な性格かも知れません。

結論として、上記の「2つの器官」と「2つの脳波」の働きから、「呪い」の設問の(1)から(22)の数式の結論下で、故に、「時間は逆行する」であります。この世の相対の原理から云っても、あり得る事です。

その事から観ても、「先祖」「仏」の「連携」はある条件下で成り立つと定義できます。

だから、連携の不可思議、その事も含めて、「先祖」を知る事、「先祖」を敬う事は、現代の遺伝子学での結論の「過去の90%の自分」を敬う事にも相成ります。

故に、先ずは、「先祖を知る」事から始めるべきと考えます。
先祖を知れば自ずと先祖を敬い、先祖を祭る行為は生まれ、自身の心は上記の「拘り」の少ない心へと進みます。これが仏教の説くところでしょう。

実は、私は、「宗教」というものを「信仰」はしていません。仏教の説でも正しいとされるものを信じているだけです。

次の設問の徐として。
如何せん、兎角、「宗教」は「ご利益信仰」が主体と成っている事に疑問なのです。
”信仰すれば、こうしてくれる”は信仰とは云わないのではないでしょうか。
次の設問のキリスト教は、この傾向が説話の中で多すぎると感じています。
”信じよ、されば救われん。”には納得できません。信じなくても救われる筈です。この世の中でキリスト教を信じていない人は救われないと言う事でしょうか。そんなことはありませんね。
仏教は、”信じよ”とは云っていません。”理解せよ。”です。理解すれば静かな心根が生まれ、良い方向とへと進むとしています。
キリストは、”人は罪多き悪の子供”と設定していますが、仏教では”悪の子供であるも普通であり悪と拘るな”であります。それが「人」だと説いています。

次は、「行為と行動の進行性」への設問です。
 

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先祖と宗教(般若経の呪いの意)

先ずはじめに、青木さんから雑談掲示板に投稿されていました事に付いて、本サイトの一つの目的である「先祖」と言うキーワードに関連する事なので、特に広く論じて理解を得る必要があるとして投稿しました。

その経緯は、キリスト教徒の方から見て、仏教の教義に疑問が提起されました。それにお答えした論文でした。
その掲示板の内容は次の1-5の設問でありました。
そこで、青木さん以外の全国の皆さんにも広く観て頂きたく改めて仏教の説法を受ける側からの私観(キリスト教対比関係で)をまとめ直して投稿しました。

最近、日本人には、特にその「先祖」という言葉の意味、又は意義が薄らいでいると感じています。
「先祖」と言う言葉が我々の日常の生活の中に遺伝子的に無意識の中で浸透しているのですが、これを改めて認識してもらい本当の日本人に戻ってもらいたいと常々思っていました。
そこで、その方法として、何とか解りやすくする為に、その「先祖」を仏教とキリスト教とを対比させる事で明確に成るのではと考えました。
この対比事項としては、雑談掲示板に設問された次の内容5つが「先祖」を説く上で適切と見て限定して論じてみました。

そこで、早速ですが、本題に入りたいと思います。

投稿
先ず、掲示板の御意見を拝聴しましたが、私は少し違う考えを持っていますので、ご披露したいと思っています。
ご意見には突き詰めると「先祖」に関わりのある事が大いに認められ、それ故「先祖」という定義からその思考を述べる事でお答え出来ると思います。

ただし、僧から説く説法ではなく、説かれる方からの私観の理解説とします。
ご意見の内で、抜粋した次の設問に対する内容(問題)として、(...)を大意として示しています。

設問
1「呪いの意」 (般若経の一説:仏教は何故呪うのか)
2「時間の逆行性」 (時間は逆行しないのだから仏教の仏=先祖は疑問)
3「行為と行動の逆進性」 (先祖が成した行為と行動は逆行しないのだから「仏」は疑問)
4「キリスト経の教え」 (仏はキリスト教の教えと異なる)
5「仏教とキリスト経の妥協の余地」 (根本的な違いの考察)

以上に付いて私観を述べたいと思います。

注釈 
4-5の設問に付いては、本論はキリスト教との対比を特にします。
但し、このことは決してキリスト教を非難するものではなく、日本人には無意識の中で脳に対して染みこんでいる宗教に対する遺伝子的なものが存在し、それにキリスト教の教えがマッチングしないのではと考えているので、その差違を現したものです。
前置きとして、文内の表現の差違は、仏教とキリスト教との間にこれだけの違いがあるのかと言う程度にご理解ください。

注意
そこで、超論文に成りますので、シリーズで記述する事にしますのでご理解ください。
シリーズの途中から読まれる場合は、継続性がある為に理解が出来ないということも起こりえます。従って、この設問から講読下さい。
念の為、本論は観念論であるが為に、理解し難いことです。従って、文中で、多少の問題はありますが、各所で使用する数式は結論を何とか解りやすくする為に用いています。


本文

1「呪いの意」(般若経の一説:仏教は何故呪うのか)
では先ず、文面で般若経にある「呪い」と言う事に対する「嫌悪感」に対する疑問の件です。

般若経の一説 「是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等々呪 能除一切苦 真実不虚」

現代の言葉で「呪い」とは如何にも恐ろしげな行為であると観られますが、般若経で言う「呪い」とはいったいどう言うもので、どう言う事かと言う設問に入り、且つ、それを解明すれば我々の凡人は全体像の理解が出来ると思いますので以下に進めます。

では、それは一体何なのでしょうか。二元体の人の世界に起こる「呪い]です。よって、その人間の「心の動き」である筈です。
その「心の動き」の「呪い」として出て来るものは、私は次の「4つのみ」であると思います。
それは、仏教で云う、人として ”最も無くさなくては、或いは、少なくしなければならない「人間の性(さが)」”であると思います。そして、それは説法で言う「4つのみ」だと思います。
つまり、この性の「呪い」を構成しているものは「4つのみ」と言うことです。

数式で現せば、「呪い」=「心の動き」=「4つのみ」と成ります。 (1)

では、その「4つのみ」とはどのような「性」なのかと言う事ですが、それは次のものだと思います。

数式で現せば、「4つのみ」の構成要素 =「うらみ」+「つらみ」+「ねたみ」+「そのみ」だと考えます。 (2)

この人の「4つのみ」から誘引して「心の乱れ」を引き起こす結果、その映像として「呪い」が生まれるのです。
そして、この「心の動き」の一つの「心の乱れ」は「人の拘り」へと変わります。

数式で現せば、「心の動き」=<「心の乱れ」=<「人の拘り」=<[呪い」に繋がります。 (3)

数式で現せば、「4つのみ」=「心の乱れ」=「人の拘り」=「呪い」=「性」(さが)と成ります。 (4)

では、この「性」、即ち「心の乱れ」、「人の拘り」を人は無くせるのかという疑問です。
結論から私は出来ないと考えます。”それは何故なのか。”です。

もし、無くせたとしたら、この世に「宗教」というものが存在しません。
この「4つのみ」があるからこそ、世の中は乱れるのです。だからそれを少しでも救おうとして、人は「宗教」というものを考え出し頼ったのです。
ましてや、この「4つのみ」を無くせば、それは、「現世の人」では有りません。
この「4つのみ」をなくした者が、「仏」であります。ゆわんや「先祖」であります。

数式で現せば、「4つのみ」=「現世の人」  つまり、「仏」=「現世の人」-「4つのみ」 (5)

(5)式が成立するのであれば、本サイトの目的の一つとして主張している「先祖を理解する事」は、即ち、「4つのみ」が原因した「先祖の生き様を知る事」ともなります。

数式で現せば、「先祖を理解する事」=「先祖の生き様を知る事」+「4つのみ」 (6)

そして、それは「4つのみ」から少しでも軽減し、同じ苦しみを味わってきた「先祖」、即ち、「90%程度の同じ遺伝子を引き継いだ自分」を見つめる事が出来る唯一の手段なのです。

現代医学では血液型を同じとすると85-95%の遺伝子が同じであります。これは殆ど「自分」という事になります。

数式で現せば、「先祖」=「90%程度の同じ遺伝子を引き継いだ自分」 (7)

つまり、「先祖の自分」に対して、そこに起こる「自分への尊厳」と「先祖への感謝の念」が、人の心を豊かにし、開放させられます。
そして、その心が「4つのみ」への「拘り」を理解する事が出来て、軽減さしてくれるのだと考えます。
何もしないで、「4つのみに拘るな」と云っても、拘わらない事すら難しいのに、「4つのみ」所の話ではありません。
それこそ「負担」であり、[苦」に成ります。

その「拘り」の救いは、先ずは「先祖」を知ることであり、強いては「4つのみ」から開放された「先祖」即ち、「90%の過去の自分」即ち「仏」を知る事になるのだと考えます。

それは(先祖とは)、「4つのみ」から発祥した育枝種にして分離した「108つの煩悩」から解き放たれた「魂」のみの「仏」なのです。

数式で現せば、「108つの煩悩」=「4つのみ」*N=A  「仏」=「魂」-A (8)


但し、ところが仏教では、この「4つのみ」を”無くせ”とは云ってはいません。
むしろ「無くせない」と説いています。

仏教では、「無」(無くす事)を主張するのではなく、「有」(ある事)を認めていて、「有りのままに生きよ」と説いているのだと思います。

ただ、これだけでは「宗教の教え」にはなりません。

この「4つのみ」の「処し方」として、「拘るな」(気にするな)と説いています。
「拘るな」(気にするな)は、人として可能な行為であります。
そして、「拘り」を「捨てる」、或いは、「軽減する」ところから、”人の生きる世界から、又は、「性」(さが)から解き放たれる”と説いているのだと思います。

この事は、即ち、般若経の「色不異空、空不異色」と「色即是空、空即是色」であると思います。

この1節の理解の如何に関わるものだと考えます。
では、どの様に理解したら良いかと言うことですが、私は次の様に理解しています。

「色」即ち、この世のあらゆる物質は全て色(いろ)を有します。故に、その「色」(いろ)のある環境、つまり総意としての「現世」であると理解出来ます。

数式で現せば、「色」=「現世」(うつせ)だとします。 (9)

「空」即ち、物質として存在しない空(から)の世界とし、色(いろ)を有さない世界だから、つまり総意としての「彼世」(かのせ)であると理解できます。

数式で現せば、「空」=「彼世」(かのせ)だとします。 (10)

そこで、「色は空と異ならない 空は色と異ならない」、故に「色は空であり、空は色である」と説いています。

つまり、言い換えると「現世は彼世と異ならない 彼世は現世とは異ならない」、故に「現世は彼世であり、彼世は現世である」と成ります。

究極の大意の数式で現せば、「現世=彼世」であるとします。 (11)

つまり、、「現世=彼世」法の「理」は、”物事に色があるから無いからとどうのこうのと言い立てるな、空だから無いからと騒ぎ立てるな”と言っていると思います。

言い換えれば、究極は”「物事に拘りすぎるな」”となるのではないでしょうか。

では、何故この数式が成り立つのかと言う疑問が出ます。

それは、「現世」と「彼世」の間には「仏」が存在し、その「仏」は「4つのみ」から離脱した「先祖」であるとしているのです。

数式で現せば、「現世=仏=彼世」or「現世=先祖=彼世」の数式が出来ます。 (12)

上記の数式では、「先祖」=「90%程度の同じ遺伝子を引き継いだ自分」、故に、「現世=自分=彼世」 (13)

数式で現せば。「現世=仏=彼世」or「現世=先祖=彼世」or「現世=自分=彼世」・・(B) (14)

故に、(9)から(14)までを合わせて解釈すると、その大意はいずれにしても「自分如何の世界」だから「拘るな」と成ります。

これでは合点し難い所があります。そこで「俗意」としては、次の様になると考えます。
[拘るな」とは、”「現世」「彼世」は自分が関わる世界であるのだから、地獄極楽も「現世」の仕業、だからこの「現世」の所業になんだかんだと理屈を立てて言い張るな。決め付けるな、考えし過ぎるな。気にし過ぎるな。そして、それより、先ずはこの「理」を悟れ、つまり、理解せよ”と成るのだと考えます。

数式で現せば、(B)数式の理を解する事は、「悟り」=「理を解する行為:理解する」=「拘りすぎるな」=「気にしすぎるな」  (15)

そして、これを理解すれば、この「呪い」の般若経の2行のくだりの最後には、「能徐一切苦」「真実不虚」と説いています。つまり、”一切の苦しみを除く事が出来て真実は虚にはならないから”と言う事だと思います。
仏教では。「一切の苦しみ」とは、「108つの煩悩」とされます。

つまり、そうする事(15)で、「4つのみ」で発展した「108つの煩悩」が「呪い」をが引き起こします。その「呪い」が起す[心の動き」の拗れた「心の乱れ」が納まり、”「静かな心根」が得られ、その結果、「現世」の自分に「真実」(誠)が近づき、自然と「苦しみ」から逃れられる”としているのだと考えます。

「現世の理」を「理解する事」で、「自分」に”「静かな心根」”が生まれると言う事が大切であるのだと考えます。
そして、”その判断が回りの茨の道に踏み出さない結果になる”のだと説いていると思います。

数式で現せば、「悟り」=「拘りを無くす事」=「現世の理」を「理解する事」=”「静かな心根」”  (16)

そして、次の「苦しみ」から少しでも逃れられるのだと考えられるのではないでしょうか。

数式で現せば、「呪い」=「108つの煩悩」=「4つのみ」*N=苦しみ 「仏」=「魂」-(苦しみ)  (17)


次に、前節の「是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等々呪」では、私は次の様に解釈します。

この行のくだりのお経を理解する事の大切なことは、般若経の「大神」と「大明」の意をどのように理解し解釈するかの如何だと思います。私は次の事と解釈しています。

数式で現せば、「大神」=「神」 「大明」=「仏」 (18)

そして、”その「呪い」とは、「神」や「仏」の「呪い」であり、それ以上の「呪い」は無く、それは、神仏の「戒め」であり、この上記の「理」を理解すれば、「呪い」は無くなるのである。”としているのだと思います。
そして、”一切の苦しみを除く事が出来て真実は虚にはならない”とし、つまり、そうする事で、”静かな心根”が得られ、「真実」が近づき、自然と「苦しみ」から逃れられる”と説いていると解釈します。

「神」とは仏の中の得心した「仏」であるのだから、次のような考えとなると思います。

数式で現せば、「呪い」=「神」、「仏」の「戒め」=先祖の「戒め」=自分からの「戒め」 (19)

仏教では、「呪い」即ち、自分からの「戒め」を知ることは、それは「悟り」と説いています。
その「”悟れ”の本質」は”静かな心根”で「理解せよ」”としています。

数式で現せば、「”悟れ”の本質」=”「理解せよ」”と成ります。  (20)

そして、本設問の「呪い」に対する「嫌悪感」の結論は、以上(19)、(20)の様になると思います。

そこで、”「理解せよ」”とは、他の一節「所業無常」(諸行無常)の反意では、”業と行は常(恒)ではない。だから所業(行)の全てを一度に理解するのではなく、日々の所業(行)の中で、所業の「理」を知り、積み重ねよ、そうすれば究極は悟れる”としています。つまり、”何時の時か「即身成仏」と成るであろう。それに近いものに成るであろう”であります。

”無常のない行と業の中での”「急ぎの理解」は「拘り」の所以である”ともしています。

数式で現せば、「急ぎの理解」=「拘り」  (21)


決して仏教では、キリスト教のように、”先ずは、「信じよ」(キリスト教)”とはいきなりに説いてはいません。
それは、ただ「信じる」ことだけでは、「根拠なし」のものとなるからです。

仏教の「理解」(悟り)は、日々の精進の理解を経て、この「根拠」を得て初めて「理解」と成ります。

これが、ご指摘のキリスト経と仏教の決定的な差であります。


般若経では、その字句のそのものの意味ではなく、その字句の持つ「反意、真意、深意」を如何に知るかに関わると思います。
私の経験では字句の意味だけではどうしても理解ができませんでした。

ここに書いている事は、この「3つの意」(「反意、真意、深意」)から得たものです。

「人」は「仏」では有りませんので、「呪い」から現世では逃れることは出来ません。
それを無理に排除しようとする所に無理(拘り)が生まれ、現代社会の問題の露出と成っているのだと思います。これは「仏」でなくては出来る事ではないではありませんか。

だから、仏教では万能の「神」との間に、人間社会の「4つのみ」から生きてきた躯体をなくした「御魂」となった「仏」を置き、理解しやすくしているのだと思います。
そして、この精進した「仏」から「神」へと進むのだと説いています。
突き詰めれば、「仏」は「神」であり、「仏」は「先祖」であり、「先祖」は「90%の自分」であるとしているのです。
そして、三段論法では、終局、「仏」は「90%の自分」、「90%の自分」は「神」の元であり、この世とあの世の間には、「躯体」と「4つのみ」の有無の差であると説いているのだと思います。

この論理の結果から、「神」の居る「極楽」は、「この世」という事になります。そして、それは
「4つのみ」の「理解」という行為のことから、自分の目前には「極楽」は作られると考えます。
その「不理解」の行為は、「地獄」という事になります。

数式で現せば、「4つのみ」の「理解」=「極楽」 「不理解」の行為=「地獄」  (22)

つまり、「4つのみ」の「理解の如何」の差が、「極楽」と「地獄」の差となって現れると般若経は説いていると思います。
そして、未だ「仏」でない躯体を持った人のこの「理解の差」に対して、仏教は「縁無き衆生 動し難し」と説いています。
即ち、「極楽地獄」は本人次第としています。”無理に導くな”と説いています。
その差は「仏」となった時に、次に「神」になれない「仏」であるとしています。

「般若心経」は、この「4つのみ」(色)と「躯体」(舎利子)の事のと取り扱いの考え方に付いて述べ、”「万事所業」は、この世では「無」ではなく「有」として「理解」して生きよ”と説いているのだと思います。
しかし、”「有」だから、「有」と主張するな”と説いています。それは結局は論理的には、”「拘り」の元となる”と説いている事にも成ります。

そして、その「心の持ち様」の秘訣は”あの世とこの世との差の「先祖」にある”のだと暗示していると考えます。

私は、故に「青木氏の先祖の研究」と言うものに取り組んだひとつのきっかけでした。
この「4つのみ」から起こる先祖の生き様が、良く判ったと思っていますし、今の「心経」の糧となったと信じています。

人それぞれにいろいろな考えがあろうと思いますが、「呪」の意は、以上の22の数式で表現した様な事だと思いますので、当然のこの世の事として、それ程に疑問を持っていません。

この22の数式は全て等号(=)で繋がると言う「呪い」の意であると思います。

故に、当然の起こりうる「結果」として受け取っています。むしろ、人間社会を維持して行く限りに置いてありうるべき「事柄」かなとも考えます。
ただ、それを出来る限り、避ける「理解」の修行を怠らないようにしています。
その修行とは、”「22法の理」”を知り、”先祖を敬い”と”心静かに”の「心根」(拘りのない平常心)を保つ事であろうと思っています。

現世では「4つのみ」から起こる「呪」は、別には「社会の悪」と対峙し炙り出すテストペーパーでもあり、悪い事ばかりでも有りませんよね。

数式の整理
数式で現せば、「呪い」=「心の動き」=「4つのみ」と成ります。 (1)

数式で現せば、「4つのみ」の構成要素 =「うらみ」+「つらみ」+「ねたみ」+「そのみ」だと考えます。 (2)

数式で現せば、「心の動き」=<「心の乱れ」=<「人の拘り」=<[呪い」に繋がります。 (3)

数式で現せば、「4つのみ」=「心の乱れ」=「人の拘り」=「呪い」=「性」(さが)と成ります。 (4)

数式で現せば、「4つのみ」=「現世の人」  つまり、「仏」=「現世の人」-「4つのみ」 (5)

数式で現せば、「先祖を理解する事」=「先祖の生き様を知る事」+「4つのみ」 (6)

数式で現せば、「先祖」=「90%程度の同じ遺伝子を引き継いだ自分」 (7)

数式で現せば、「108つの煩悩」=「4つのみ」*N=A  「仏」=「魂」-A (8)

数式で現せば、「色」=「現世」(うつせ)だとします。 (9)

数式で現せば、「空」=「彼世」(かのせ)だとします。 (10)

究極の大意の数式で現せば、「現世=彼世」であると成ります。 (11)

数式で現せば、「現世=仏=彼世」or「現世=先祖=彼世」の数式が出来ます。 (12)

上記の数式では、「先祖」=「90%程度の同じ遺伝子を引き継いだ自分」、故に、「現世=自分=彼世」 (13)

数式で現せば、「現世=仏=彼世」or「現世=先祖=彼世」or「現世=自分=彼世」・・・(B) (14)

数式で現せば、(B)数式の理を解する事は、「悟り」=「理を解する行為:理解する」=「拘りすぎるな」  (15)

数式で現せば、「悟り」=「拘りを無くす事」=「現世の理」を「理解する事」=”「静かな心根」”  (16)

数式で現せば、「呪い」=「108つの煩悩」=「4つのみ」*N=苦しみ 「仏」=「魂」-(苦しみ)  (17)

数式で現せば、「大神」=「神」 「大明」=「仏」 (18)

数式で現せば、「呪い」=「神」・「仏」の「戒め」=先祖の「戒め」=自分からの「戒め」 (19)

数式で現せば、「悟れの本質」=”「理解せよ」”と成ります。  (20)

数式で現せば、「急ぎの理解」=「拘り」  (21)

数式で現せば、「4つのみ」の「理解」=「極楽」 「不理解」の行為=「地獄」  (22)


本論は観念論ですので、できる限り論理的な証拠と数式的手法も取り入れて進めたいと思っています。

私は、元の職業柄か性格的な事からも、常々、観念的なものに「理」を求め、それを医学的や動物学的な「論理的証拠」で証明したいと常に思って取り組んできました。以降の論調はこの手法に基づいて論じています。そのつもりでご理解ください。

次回は、堅い話にはなりますが、本来無い筈の「時間の逆行」の私観を述べてみたいと思います。

上記の事にも関わりますので、ご留念下さい。

 

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